カリガリ要塞奪還作戦.1

 王都西部に広がる黒い森の中に沿うようにの国境線を進むと、武骨な石造りの防壁が見えてくる。



「あれか……」

 細めた瞳にカリガリ要塞の雨だれに汚れた壁と上部に取り付けた槍のような鉄柵が映る。竜の恩恵か、視力まで強化されているらしい。

 ヴァイカーはナグルファリの首に巻いた手綱を引いて、高度を下げた。



 半刻前、軍から手綱と鞍を支給されたときはナグルファリは不服げに白い喉を反らした。

「馬じゃないのよ、そんなもの必要ない」

 細かな骨片を重ねたような鱗がわずかに逆立つ。


「つけてください。これで竜騎兵の負担がだいぶ違うので……」

 コレスタフは両手に装備品を抱え右往左往している。

「これが竜騎兵用のジャケットです。高度による温度低下への防寒だけではなく、縫い付けられた空気袋が上腕を圧迫して重力負担による血圧低下も防ぎます」

 空に溶け込む迷彩か、ぼやけた白と青のまだらのジャケットにヴァイカーは袖を通した。



「カリガリ要塞は国境の防衛だけでなく、竜の離陸地点を備えた拠点でもある。森を始め遮蔽物が多く本来空中戦に向かない西部では唯一の空軍基地と言ってもいい。それを抑えられた」

 ジャンユーが丸めた地図を手のひらで叩く。


「敵にも対空性能を持つ魔物がいると推定する。本来、哨戒が成功していればこれほど不確定要素の多い作戦にならずに済んだが……」

 鋭い眼光に射抜かれ、小柄な竜騎兵––––トニが身を竦めた。


「教官、質問だけど」

 ティッキーが手を挙げる。

「地上の要塞なら、まず騎兵隊なりユニコーン部隊なり陸軍を送り込むべきじゃない?」

「既に送った。結果は不明だ」

「不明? 全滅でも撤退でもなく?」

 ジャンユーは眉間に深くしわを寄せた。


「そう、不明だ。要塞が乗っ取られたときと同じく、送り込んだ騎兵隊が敷地に入った瞬間、通信が途絶え、一小隊が行方を眩ました。敗走したにしても痕跡が何ひとつない。以来、軍は携わること自体二の足を踏んでいる」

「それで、花形の竜騎兵たちが目覚ましい奪還作戦を行え、ってか」

 ヴァイカーの諧謔交じりの言葉を鼓舞と捉えたのか、ナグルファリが満足げに鼻息を吐いた。


「その通り。竜騎兵はあらゆる不可能を可能にすることが求められる。新入りが一番理解しているようだ」

「皮肉で返しやがって……」

 ティッキーが小さく喉を鳴らして笑う。



 ジャンユーは顔色ひとつ変えず、腕を組んだ。

「よって、奪還作戦には対地戦と対空戦の両方を想定し、戦時哨戒用の他、爆薬の運搬用の準竜種による支援を行う。参謀パーヴェル・コレスタフも随行する」

 コレスタフが俯き気味に頷く。

 砲声に似た声が空気を振動させた。


「竜騎兵ティッキー・ノック、翼竜ワイバーン“星盗み”ポルクス!」

 ティッキーが片目を瞑る。

「竜騎兵トニ・クラマー、翼竜ワイバーン“啄み嵐”フルフル!」

 トニが消え入りそうな声で応える。

「竜騎兵ヴァイカー・アトキンス、腐竜アジ・ダカーハ“錆の爪”ナグルファリ!」

 ヴァイカーは顎を上げ、陽光が雲を食い破る空を睨んだ。

「以上、三名三騎をカリガリ要塞奪還作戦の主要員とする」



 木漏れ日が赤みを帯びてきた。

 ヴァイカーは木々に隠れるように低高度を保って飛行する竜たちを見渡した。

 少し離れた場所を小型の樽を積んだ準竜種が飛行している。目視はできないが、哨戒用の竜も先行しているようだ。


 耳朶を舐るような雑音の後、気弱な声が鼓膜を直接揺さぶった。

「コレスタフです。通信拠点から定時連絡です。ヴァイカー君、聞こえますか」

「ああ」

「よかった、問題ありませんね?」

 ヴァイカーは左右に視線をやり、溜息をつく。

「通信にはな……」



「あぁ、嫌だ嫌だ。冗談でしょ……何で幽霊屋敷みたいな要塞なんか行かなきゃいけないの……」

 先ほどからピクシーを介して、右手を飛ぶトニの泣き言が延々と発信されていた。


「絶対よくないことになるに決まってる……幽霊相手なら祈祷師でも呼べばいいのに……」

「お前、本当に軍人か?」

「なりたくてなった訳じゃないよ! あたしみたいなスラム育ちは飢え死にか、娼館に行くか、軍役しかなかったの! 今まで何度も嘘ついてサボって来れたのに……」

 金切り声に耳を塞いだが、竜と共有される骨伝導の音波は遠慮なく響き続けた。



「トニさんはいつも通りですね……ティッキー君は大丈夫ですか?」

「一大事。煙草が切れた。出撃前に吸い溜めしておいたんだけどな」

 左手を飛ぶティッキーは癖のある髪を風に煽られながら淡々と答えた。


「空中で吸うわけにはいかないからね」

「上から吸殻でも捨てたらあっという間に森林火災だからな」

「うん、あれはひどい。消えたと思ったらちゃんと燃え広がるんだから」

 ヴァイカーは呆れて首を振ったせいで危うく飛び出した木の枝にぶつかりかける。

「放火が趣味か?」

「俺はそうでもないんだけど、俺が火の方に気に入られてるみたいだ」

 ティッキーは肩を竦めた。



「ねえ、勇者……」

 ナグルファリが首をもたげる。

「彼らは貴方の仲間に相応しくないと思うのだけど」

「同感だ」

 鞍の上からでも竜の鱗が苛立ちで逆立つのがわかった。

「戦友は選ぶべきだわ。せめてリーミンくらいの紳士でなければ。愛妻家でもあるしね」

 ヴァイカーは舌打ちする。

「あの野郎、嫌がらせのつもりか。とんでもねえ奴ら押しつけやがって……」



 ***



「今頃、嫌がらせでとんでもねえ奴ら押しつけやがった、とでもぼやいてるんだろうな」

 ジャンユーは司令室の窓から蒸気で曇る王都の空を眺めた。

「そう思われても仕方ないぜ。何でよりによってあのふたりを?」

 彼に向き合って壁にもたれかかったリーミンが苦笑する。



「ふたりがあれほど人格に問題があろうが除隊されないのは偏に優秀だからだ。最速の機動力を誇る翼竜ワイバーン部隊として」


 ジャンユーの指が窓を半分開ける。

 温い水と草の匂いが混じった風が洗う隊舎の壁には、黒く爛れた痕が残っていた。


「今回は敵からではなく味方から逃げることができる奴を選んだ。腐竜アジ・ダカーハの脅威は計り知れねえ。一瞬で充満する毒ガスから生きて帰れるのは奴らだけだ」



 ***



 空を細かく分断する枝葉の間隔が広くなり、夕陽の色が強く滲み出す。

 もうすぐ森林地帯が終わる証拠だ。


 ヴァイカーの思考を読んだように通信が入った。

「もうすぐ森を抜けて、これからカリガリ要塞の防壁に接近します。空と地上両方に魔物が配備されていると思いますので注意してください」

「索敵の結果は?」


 一瞬の沈黙の後、哨戒担当の兵士が代わりに答えた。

「いますね。前方二千フィートにガーゴイルが旋回中。地上はコボルトの群れ。こっちはちょっと多いな、五十はいます」



 木々の間から覗く灰色の防壁の下に、緑がかった毛に覆われた大型の犬らしき魔物の群れが連なっている。


 ティッキーが人差し指の先を耳に入れた。

「通信っていうか相談。トニ、俺らで空は何とかするから地上頼んでいい?」

「嘘でしょ? そっちはふたりで一匹なのに、あたしはあれ全部?」

「地上の敵は対空兵器持ってなさそうだし、絶対そっちのが安全だって」

 トニは逡巡し、しばらくして顔を上げた。


「わかった。本当にコボルトだけしか倒さないからね」

 青銅のような鱗を持った竜が旋回し、一気に森を突き抜けた。



「うわぁ、たくさんいる……」

 遮るものがなくなった夕空を、トニの竜“啄み嵐”フルフルは目標へ向けて真っ直ぐに飛行し続けた。


「大丈夫かよ、すぐ気づかれるぞ」

「平気だから見てなって」

 ティッキーは速度を上げる様子もない。ヴァイカーは遠ざかる竜の尾を見遣った。



 コボルトたちが上空から伸びる影に気づいて鼻先を上げる。

 直線上の飛行を続けていた翼竜ワイバーンが急に上昇した。

「火薬、すぐ外せるようにしといて」

 トニは短く告げると、細い手で思い切り手綱を引く。フルフルが百八十度回転した。



 空気抵抗など存在しないかのようだ。

 接近してきた準竜種の背から樽を受け取るため、トニの竜が何度も上昇と下降を繰り返す。

 その度にとてつもない重力がかかるはずだが、全く応える様子がない。

 暴風の中で錐揉みされる蝶のように竜が羽ばく。


 フルフルは両脚の爪に火薬の樽を掴んだまま、真っ赤な翼の裏を見せて背面飛行に移った。

 逆さになりながらトニはコボルトの群れとの距離を測る。


 旋回を命じられた翼竜ワイバーンが上空で反転し、地上目掛けて鋭角の降下を始めた。

 風が鉄の膜のように硬く降下を拒む。地面が急速に近づいていく。地上に連なる薄緑色の線が徐々に輪郭を帯び、犬に似た魔物が目視できるようになる。


 鈍い眼光まで捉えたとき、トニは脛で竜の腹を打った。それが爆破の合図だった。



 至近距離で投下された爆薬が逃げる隙も与えず、コボルトたちを吹き飛ばした。黒煙の中に千切れた魔物の内臓と肉片が飛び散る。

 煙に次いで地上から伸び出した炎の手を擦り抜け、トニとフルフルは一瞬で遥か上空へ退避した。



「有り得ねえだろ、どういう重力耐性だ?」

 呆然と呟くヴァイカーにティッキーが歯を見せる。

「トニは竜騎兵の中で一番軽い。あんな飛び方でぶっ潰れないのはアイツだけさ。局地的に啄むような飛行で翻弄して爆薬を投下する。竜の二つ名もそれが由来」

「“啄み嵐”か……」



 ヴァイカーも森から突出し、空へ出る。

 要塞の壁の一部が崩落しそうに見えた。

 ––––違う、ガーゴイルか。


「ヴァイカー、俺が囮やったらちゃんと仕留めてくれる?」

 細めた瞳からは相変わらず意図が取れない。ヴァイカーは淀んだ沼に似た眼光を見返した。

「誰に向かって言ってんだ」



 ティッキーの竜が戦線から離脱するかのごとく大きく旋回した。

 西に向かって飛んだ“星盗み”ポルクスが緩やかに弧を描いて折り返し、空中で同じ円周を何度も辿る。

 ––––背後を取らせる気か。


 防壁に擬態したガーゴイルが身を乗り出し、落ちかけた瓦礫のようだ。

 前方にティッキーを捉えたガーゴイルが石垣に張りつけていた翼を広げ、機動を開始した。



「行くぞ、ナグルファリ」

 ガーゴイルは速度を上げ続け、ティッキーの背後まで迫っていた。

 ––––畜生も魔物も一番油断するのは獲物を捕らえたときだ。


 ヴァイカーは支給された火砲を構える。

 竜騎兵に支給される、通称“竜の鼻息”。

 竜が咆弾ブレスを放った後、体温調節のため鼻から蒸気を吹き出す原理を元に作られたこの銃火器は、水蒸気を動力とし、射程が短い代わりに強力な威力を発するという。



 石の翼が空気を打ち、前方へ鋭い爪が伸ばされる。

 命じるまでもなくナグルファリが加速した。ヴァイカーはガーゴイルの剥き出しの頚椎めがけて引き金を引いた。


 破裂音ひとつで落命した魔物が地上に落ち、視界から消える。

 加速に倣って突き抜けたナグルファリの動線からティッキーが素早く離脱した。



 ––––翼竜の機動力、通信の速度、火砲の威力。どれも申し分ない。

 ヴァイカーは手の中の銃の感触を確かめてから納めた。


「終わった終わった、雑魚でよかった……」

 トニがふらふらと飛びながらヴァイカーに並ぶ。先ほどの機動を操った兵士とは思えなかった。

 ––––天才は存在する、腹立たしいが。


「何か怒ってる?」

 少女はおずおずとヴァイカーを見上げた。

「訳ねえだろ」



 空に分厚い線を引いたような要塞の壁と鉄柵が近づいてくる。

「ここからが本番かな」

 ティッキーが前髪を搔き上げる。

 踏み入る者全てを跡形もなく消し去る要塞がそびえ立っていた。


「青だったんだ……」

 トニが小さく呟いた言葉の意味がわからず、ヴァイカーは目は凝らす。

 堅牢な鉄柵の先に青い屋根の管制塔が建っている。


 取り付けられたガス燈が、かつてこの要塞が魔の手に渡る前の盟友であり、現在の侵入者–でもある竜騎兵たちを見下ろしていた。

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