最悪ワイバーンコンビ

 こめかみに走った鈍痛にヴァイカーが身を起こすと、枕元に立っていたナグルファリがすかさず飛びついた。


「勇者! 気づいたのね、もう痛くはない?」

 身体を揺すられると頭蓋に鐘を鳴らすような音が反響する。

「あの野郎、靴底に鉛でも仕込んでんのかよ……」



 医務室のベッドの上でヴァイカーが呻いたとき、医務室の扉が勢いよく開いてリーミンが現れた。

「ヴァイカー! もう起きてたんだな。ジャンユーに竜から蹴落とされたって聞いてさ」

「あぁ、そうだよ」


 ナグルファリはヴァイカーの首に手を回したまま囁いた。

「あの男、今執務室にいるわ。竜は連れてない。今毒ガスで仕留めればひとたまりもないわよ」

「ひとたまりもないのはこの建物全体だ」

「貴方は生き残るわ。私の契約者だもの」


 リーミンは眉を下げて笑う。

「恨まないでやってくれよ。ジャンユーも悪気があった訳じゃないんだ」

「悪気なしで他人のこめかみぶち抜ける方が怖えよ」

「たぶん背中か何か狙おうとして逸れたんだと思う。あいつと同郷なんだ。悪い奴じゃない」


 ヴァイカーは額を擦ってベッドから降りた。

 窓の外は既に夕陽で染まっている。ガラスに映る赤い雲の端が食い破られたように黒い点が散らばっているのが見えた。



「じゃあ、こういうのはどう? あの男の部屋の柱を酸で溶かしておくのよ。そうしたら、死ぬのはあいつだけで済むでしょう」

 ナグルファリはでヴァイカーの肩にぶら下がりながら見上げる。

「俺が真っ先に軍法会議にかけられる。それに……」

 ヴァイカーは少し間を置いてから続けた。

「そういうのは勇者的じゃないだろ。戦闘で見返せばいい」

「優しすぎるわ」

 拗ねるそぶりをしながら竜は手を離した。



「なら、ちょうどいい。さっそく任務があるってさ」

 ベッドの脇にかけた上着をリーミンが放り投げ、ヴァイカーが受け取る。

「任務?」

「朝一で招集がかかるよ。それまで待機だ。おれたちは竜舎に戻ろうぜ」

 ナグルファリは従順にリーミンの元に向かった。


 基地にはサイロに似たドーム型の竜舎が併設されている。

 軍で使用される竜を飼育するための小屋は蒸気機関によって、竜種ごとの適切な温度を保つよう管理されている。一定時間ごとに温度調節のための湯気が噴き出す様は、それ自体が煙を吐く機械仕掛けの竜のようだった。



「おれたちって、お前も竜舎に寝泊まりしてんのか?」

「新婚だからさ」

 リーミンは人差し指で唇に触れた。

「準竜種は相部屋だけど、私のような正当なドラゴンは個室なのよ」

 ナグルファリはヴァイカーに頰を寄せた。

「だから、どうしても会いたかったらこっそり来ていいわ」

「……頭が本調子になったらな」

 痣の残るこめかみに熱のない唇の感触が触れる。竜が去った後も柔らかに反して金属のような冷たさだけが残った。



 王都は夜を迎えても、ガス灯の明かりを絶えず満ちる水蒸気が乱反射して茫洋と輝いている。

 ヴァイカーは今、貧民街から見た光の半球に覆われたような街の中にいた。


 部屋の窓から見る夜空に三条の赤光が走った。シャハリヤの竜だ。英雄の再来と呼ばれた女が空を駆けている。

 おそらく、明日の任務は彼女に与えられるような華々しいものではないだろう。

 ––––それでも、ようやく第一歩だ。


 ヴァイカーは竜の閃光の名残りを見ようと窓に近づいた。医務室で見た黒点がまだ空にある。

 王都から少し離れた森の上空だ。目を細めたが、それ以上は何も見えなかった。



 早朝の庭に訓練兵たちの姿はない。

“白雨夫人”シャンシーを連れたリーミンとコレスタフだけが濡れた芝生に立っていた。


 リーミンの合図で竜が透き通る鱗に覆われた首を差し出す。その喉にコレスタフが手の平大のウミウシに似た軟体生物を押しつけた。


「何だ、その虫みたいなのは」

「あぁ、ヴァイカー君。虫というか後鰓類に近いですね。まあ、広義では虫と同じ扱いですが」

 身体の核が青く透ける水のような生き物は仮足を使って鱗にぴったりと貼りついた。


「これはピクシーという魔物の寄生虫の一種です。竜種のみに寄生する特殊な生物で、油膜に覆われた身体は衝撃で硬化する特性があるので、高高度の重力加速度や低温に耐え得るんですよ。何より特殊なのはピクシーと竜種のみに収音できる超音波を発することです」

 リーミンが後を引き継ぐ。

「竜と契約してるドラゴンライダーはその音波を拾えるし、竜騎兵が喋ったこともピクシーを介してすぐ伝達できるんだ」



「間諜どころか伝令兵も要らない、タイムラグなしの正確な連携ができる……ってことか?」

 ヴァイカーは小さく息を呑んだ。

 竜種のみに寄生する魔物なら活用できるのは竜騎兵だけだ。情報伝達は戦場の最重要事項でもある。

 ––––単独の戦力だけじゃなく、通信の恩恵を受けられるのも強みってわけか。どこまでも人類最後の希望に御誂え向きだな。



「それで、その、ヴァイカー君には一緒に出撃してもらう竜騎兵がいまして……」

 コレスタフは言いづらそうに目を逸らす。

「あの、翼竜ワイバーン部隊なんです。翼竜ワイバーンは鳥類に似た翼と竜種最軽量の機動力を持つドラゴンで……」

「それの何が悪い?」


 リーミンが溜息をついて頭を掻いた。

「ヴァイカー。王都の馬車を見れば、これに乗るのは金持ちだとかこれは商人専門の馬車だとか何となくわかることあるだろ?」

「ああ……」

「竜によってもそういうのあるんだよ」

「……ワイバーン乗りは?」

「総じて性格が悪い」


 唖然とするヴァイカーをコレスタフが慌てて取りなす。

「いえ、機動力を活かして敵の武器を奪ったり騎兵そのものを狙う戦法を使うので、騎士出身の方なんかは邪道だと反感を覚えるとか、その程度なんですよ。ただ、その、ヴァイカー君につくふたりは……」


 庭の隅の方が騒がしい。声の方に目を向けるとみっつのひと影があった。

「ちょうど来ましたね……彼らが同行者です」

「最悪ワイバーンコンビじゃないか!」

 リーミンが目を剥いた。

「お前、あんまり他人を悪く言わなさそうだと思ってたんだけどな」

「熊が出たら熊が出たぞって言うだろ!」


 ヴァイカーはかぶりを振った。

「そんなにひどいのか」

「今の話してるのを聞けばわかりますよ……」



 軍人にしては小柄で痩身な男女がいた。

 相対するジャンユーは後ろに手を組み、眉間に皺を寄せてふたりを見下ろした。


「竜騎兵ティッキー・ノック」

 癖のある栗色の髪に、そばかすと黒子の散った白い肌の男が返事をする。

「農園の救出作戦はご苦労。戦った魔物にドラゴンや火炎を使う魔物はいなかったな?」

「神に誓って」

「神はどうでもいい。じゃあ、何で農場の倉庫がみっつも燃えた?」

 ティッキーは困ったように肩を竦めた。


「いやあ、思ってたより苦戦して。煙と火を起こせれば目眩しにもなるし、熱で疲弊させられるしと思ってたら……ちょうどいいところに干し草をいっぱい貯めた倉庫が」

「放火したのか!」

「戦略的行動でした」

 怒声にも怯まずティッキーは淡々と答える。

「何で救出に行って被害を増やして来る!?」

「死傷者は出なかったでしょ。命あっての物種じゃないですか。干し草で地獄の沙汰は動かないからさ」



 ジャンユーは怒りを抑えるように長い息を吐いた。

「この件は改めて追及する。次、竜騎兵トニ・クラマー」

 平然と立つティッキーとは正反対に、少女がおどおどと顔を上げた。


「単独哨戒の結果を。これからの作戦に必要だ」

 橙がかった茶色の髪をふたつにまとめたトニは上ずった声で話し出す。


「ええっと、敷地は……」

「広さはわかる。元は軍の所有地だ。警備の数は? 武装は? 救助がまだの民間人はいたか?」

「屋敷を守ってる魔物は十……二十体くらいかな? 武装は……そこそこ……人間は、暗くてよく見えなくて……」

「偵察に行ったのは昼間だろ」

「あっ、そっか。そっかじゃない。森が……」

 隣でティッキーが吹き出し、すぐ口元を隠した。


 ジャンユーの眉間の皺が深くなる。

「トニ、本当に行ったか?」

「ほんと! 嘘じゃないよ!」


「……敷地に入ってすぐ監視塔があっただろ。屋根の色は何色だった」

「えっ、屋根……?」

 彼女は目を泳がせた。

「赤かな? 緑だったかも? もう少し黒っぽくて青に見えたし、 本当に暗くて……」

「トニ・クラマー!」

 トニは身を震わせ、泣き出しそうになった顔を覆った。


「すみません! 本当は行ってないの!」

「行ってねえ!? 偵察がお前の仕事だろうが! じゃあ、何してた!」

「何って、日が暮れるまで適当に飛び回ってただけ……」

「日が暮れるまで……適当に……?」

 ジャンユーが開いた口が塞がらない様子で言葉を繰り返す。


「だって、本当に麓のあたりでもう魔物がいっぱいいて、怖かったんだよ! 死んだらどうするの?」

 トニは叫んでから我に返って、目の前の男を見つめた。


 ジャンユーは額を抑えて再び溜息をつくと、地の底から聞こえるような声を出した。

「トニ、死にたくないか」

「はい……」

「じゃあ、もう一度行け」

「ええ……教官、話聞いてた?」

「行かないなら俺がお前を殺す」

 光のない瞳孔にトニが息を呑む。

「わかった! 行くから! でも……何であたしが戦わないといけないの?」

「軍人だろうが!」



 遠くでも聞こえる罵声は近づくと余計に響く。

「あいつもあいつで大変だな」

「ヴァイカー・アトキンス」

 ジャンユーがふと顔を向け、少しの沈黙の後、静かな声で聞いた。

「傷の具合は?」

「お陰様で」

「結構」


 ヴァイカーが肩を竦めたのを見ると、ジャンユーは手を叩き、空気を震わすような声量を取り戻した。


「ティッキー・ノック、トニ・クラマー、ヴァイカー・アトキンス、以上を作戦のメンバーとする。幸い、いい役者が揃った。今回は恐怖劇だからな」

「と、いうと?」

 ティッキーが片方の眉を吊り上げる。


「お前らが向かうのは巷を騒がず怪談の舞台だ。一夜にして兵士だけでなく周辺住民まで消え失せ、以来、立ち入る者は二度と帰らない曰く付きの場所。かつては王都西の国境線を守る砦––––カリガリ要塞だ」



 トニが顔を痙攣らせる横で、ティッキーは瞳だけを横に向けた。

 ヴァイカーはその視線が含む意味を考えないようにする。

「楽しい遠足になりそうだな」

 彼は乾いた声で笑い、片目を瞑った。

「よろしく、英雄」

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