太陽と星に背いて.1

 震動が耳朶を伝い、ノイズが消える。


「トニの奴、やったね」

 ティッキーが口角を上げた。

「通じたか!」

 ヴァイカーは耳に手をやって叫んだ。


「聞こえるか!?」

 応答はない。

「コレスタフ?」

「先生、通信が回復しました!」

 訓練兵らしい若い声としばらくの沈黙の後、慌ただしい足音が聞こえた。


「はい、コレスタフです。どうしましたか」

「どうしたじゃねえ。何してた」

「全然通信が来ないので交代で食事に……もう夜ですよ」

「呑気に飯食ってんじゃねえ!くそ、いいか? 敵はヴァンパイアだ、眷属のダンピールも多数、準竜種兵はびびって使いモンにならねえ。失踪者は全員捕虜にされてやがる」

「そんな、緊急事態じゃないですか!」

 上ずった声にヴァイカーは舌打ちする。


「その通りだ。ジャンユーはいるか」

「俺まで飯に行くと思ったか」

 低い声が泰然と答えた。


「呼ばれなさそうだもんな」

「何?」

「何でもねえよ。聞こえてたな? 対空支援ができる地上部隊が要る。都合できるか?」

 沈鬱な溜息が聞こえた。

「王都からそこまで二時間はかかる。私兵を擁している貴族に要請を送るが期待できそうにねえな」

「そんなこと言ったって……」



 絶えず爆音と竜の悲鳴が響いている。

 黒い木々が揺れるたび赤い棘が降り、地面を抉る。

 喧騒にナグルファリの鱗が逆立った。



「正規軍が来るまで持ち堪えろ。準竜種の方は立て直させる」

 ジャンユーが深く息を吸う音の後、怒号が響いた。

「お前らそれでも王都竜騎兵か!」

 鼓膜を破裂させるような大音声にピクシーが震え、荒れ狂う竜すら動きを止める。


「準竜種兵は全員散開しろ! 固まれば的になる、森林に紛れて射撃でヴァイカーとティッキーの支援を行え! 横断するな! 遮蔽物を利用し最短距離で飛行しろ!」


 飛び交う準竜種に統率が戻り、一騎また一騎と木陰を目指して旋回する。その動きに先ほどまでの混乱はない。

 竜たちが森林に消えた。



 ダンピールが木の隙間を縫い、ヴァイカーたちへ向けて蛇行を始める。銃を構えるより早く銃声が響き、二匹が闇の中で撃ち落とされた。

 茂みに潜む準竜種兵の銃口から煙が細くたなびいていた。



 ヴァイカーは岩壁に爪を立ててこちらを睨むヴァンパイアを見下ろす。

「やっと振り出しに戻ったってとこだな」

 ティッキーが肩を竦めた。

 夜の帳が下り始め、月が藍色の雲に埋もれた。



 闇が蠢いたように見えた。

 ヴァイカーの眼前に両翼の影が落ちる。

 一瞬で接近したヴァンパイアが嘶き、喉を逸らした。


 至近距離で放たれた棘の雨を咆哮が砕く。棘が一瞬で溶け出し、どす黒い血となって地上に降り注いだ。

「ナグルファリ……!」

 ヴァイカーを狙った攻撃を溶かしたのは酸を含んだ咆弾ブレスだ。薄黄色の靄が周囲を霞ませる。

 高濃度の酸の靄が流れ、竜騎兵たちの押し殺した呻きが響いた。


 ––––竜は悪くない、俺のミスだ。何で、接近されるまで気づかなかった。



 風圧がヴァイカーの全身を押しつけた。

 ナグルファリが急上昇し、重力で鱗が軋む。バフェット、竜に負担がかかっている。


 視界の隅で既に上昇していたティッキーが叫んだ。

「巻き込んだらごめん!」

 ヴァイカーの背後で轟音が響き、熱と光が走る。投下された爆薬の炸裂で、塊となって押し寄せていたダンピールが千切れ飛んだ。


「危ないじゃない!」

 ナグルファリが吼える。ヴァイカーの額を熱のせいではない汗が伝った。



「おかしい、明らかに奴らの機動力が上がってるぞ」

 ヴァイカーの呻きにティッキーが首肯を返す。

 闇の中を飛ぶ赤の軌道が見え、ヴァイカーは手綱を引く。ナグルファリの翼が棘を撃ち返し、血飛沫が爆ぜた。


「コレスタフです、今いいですか?」

 ピクシーが上ずった声を伝えた。

「よくねえけど何だ」

「夜になりました」

「見りゃわかる」

「まずいですよ。ヴァンパイアは熱と光に弱く昼間は能力が落ちていますが、夜はその枷がない。戦闘力は格段に上昇します。その上、夜目も効きますし……」



 ヴァイカーは舌打ちする。

「さっきの軌道はそういう訳か」

「センセー、解決案は?」

 ティッキーは通信に応じながら銃で棘を撃ち落とす。


「わかりませんよ! 吸血鬼は竜じゃないんですよ! 死体も残らないし交戦記録もほぼないし、銀の武器に弱いという伝承があるくらいです」

「銀か」

 ジャンユーが呟いた。

「正規軍の持つ武器じゃねえな。別の案が要る。コレスタフ、解析を続けろ」

 藁の束を掴むような音がして、コレスタフが頭を掻きむしったのだとわかった。



「頼りねえだろうが信頼しろ。あいつしかいない」

 ヴァイカーは声音に余裕を滲ませようと努めた。

「嬉しい報せばっかりだな。増援はどうなった?」

「今、王都騎士団にも呼びかけてツテがないか当たってる最中だ。国境周辺のクラーレ家とヘムロック家には既に断られた。残ってるのは……」


 視界を残像が掠め、銃声が響いた。

「一旦切るぞ!」

 ヴァイカーが耳に当てた指を外す。


 胸に風穴を空けたダンピールの落下と同時に竜の叫びが聞こえた。

 狙撃による援護は伏兵の場所を知らせるに等しい。ただでさえ暗闇の中、視認能力で勝る敵に対しては尚更だ。



「勇者、悔しいけど不利だわ」

「わかってる!」

 ヴァイカーは苛立ち混じりに手綱を引いた。

「奴らの後ろに回り込みましょう」

「駄目だ、旋回面の内側に入り込まれてやがる。何より敵の数も障害物も多すぎる。それに……」

 ティッキーを乗せた竜は素早くダンピールと棘を避けて反撃に移っていた。


 ––––俺の竜はデカすぎる。

 敵を前方に押し出すために旋回すればだけでなく、捕虜や準竜種にまで被害が及ぶ。

 ヴァイカーの脳裏に荒涼とした夜の砂漠が浮かんだ。

 ––––何もかも邪魔だ。あの頃みたく俺と相棒だけなら。



「あの、聞こえる?」

 邪念を払うように首を振ったとき、通信の音がした。


「トニか? 今どこにいる」

「戦わなくていいって言ったでしょ。戻らないからね!」

「戦わなくていい、だぁ?」

 ジャンユーの低い唸りが聞こえた。

「ヴァイカーがそう言ったの!」

 ヴァイカーは耳を塞いだが、ピクシーは余すことなく怒声を伝えた。


「今教官のところに騎士団のひとがいるんだよね」

「それが何だ」

「伝えて。捕虜になってた子のひとりに見覚えがあったの。たぶん騎士団所属の貴族だと思う」

 猜疑の沈黙が過ぎる。


「特徴は?」

「若い男の子で金髪で眼は青だったと思うけど……」

「二百人は候補がいるぞ」

「だから、誰にでも当てはまるように言ってるの」

 トニの囁きは骨伝導を通した竜騎兵どうしにしか聞こえない。


「虚言も大概にしろ」

「いいから適当なこと言って増援送ってもらってよ!」

「シア・ジャンユー教官」

 通信に聞き慣れない女の声が混じった。


「誰だ?」

「バルメライ伯爵夫人。辺境伯の妻で王都第三騎士団長だ。伯爵の私有地で採れるアルカリ土類金属は我が軍の武器の原材料の一割を担ってる」

 ヴァイカーの潜めた声にジャンユーが答えた。


「金髪碧眼の青年が捕虜にいたと言ったな。額に十字の傷がなかったか」

 老年だが矍鑠とした声が尋ねる。

「本人に繋げます。トニ」

「ええっと、あった! と、思う。たぶん……」

 静寂の後、バルメライ伯爵夫人が掠れた声で言った。

「私の孫だ」

 ティッキーが小さく口笛を吹いた。



「シア教官、これから夫に兵を送るよう伝える。半刻で辿り着くはずだ。老女の私情と嗤うか」

「願ってもないことです」

 ジャンユーは短く答えてから通信に戻る。

「聞こえたな?」

 トニが安堵の息をつく音が聞こえた。



「通信を代わります。コレスタフです」

「……何だ」

「先程の情報から推論を立てました。断定ではないので間違ってても怒らないでください」

 ジャンユーの怒鳴り声が聞こえた。


「ヴァンパイアの性質は菌に近いものだと推定しました」

「菌?」

 ティッキーが眉をひそめる。

「はい。人間の血液を利用するために人体に寄生する病原体に近いと考えます。銀に弱いのも殺菌作用で体中の核酸やタンパク質が分解されるからでしょう」

 コレスタフの声は先ほどより落ち着いている。


「銀は調達できないので代替え案で。“錆の爪”の酸が効きます」

「ナグルファリの?」

 骨の竜が首をもたげた。


「人間の血液は弱アルカリ性で、これは体内で生成される酸を中和し、一定濃度に保たれています。ヴァンパイアは人体より複雑な働きで血液を利用していると考え……いや、この辺はわからないんですが。僕はヴァンパイアじゃないですし」

「いいから結論は!」

「はい、“錆の爪”の濃酸の咆弾ブレスを使えばその働きを狂わせ、ヴァンパイアの細胞機能を破壊できると推定します。断定ではなく、推定ですよ!」


 ティッキーが片眉を吊り上げる。

「やばいよね。センセーはセンセーは軍人としてはカスだけど、通信の情報だけで魔物の対抗策を考案できるのはあのひとだけだよ」


「教官によれば応援が到着次第、地対空援護を行うそうです。ヴァイカー君には他を巻き込まないよう単独でヴァンパイアを討伐してもらう必要がありますが、大丈夫ですか?」

 ヴァイカーはナグルファリを見下ろした。緑の輝く眼が自信に満ちた視線を返す。

「誰に向かって言ってんだ」



 歓声に似た砲声が闇の中で響いた。

「勇者は……ひとを守って守られてこそだよな」

 ナグルファリが目を細めた。


 応援部隊到着まで半刻、夜は深まり続けている。

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