太陽と星に背いて.2

 ヴァイカーの頭上で血の槍が三条跳び、森の枝葉を抉って散った。



 準竜種兵が撃ち落とされた気配はないが、騒がしい羽ばたきが聞こえた。

 ヴァイカーは舌打ちする。


「準竜種兵は増援到着時の近接航空支援に回す。離脱の指示を出せ!」

「マジで? その間ヴァンパイアの相手するの俺たちだけだよ」

 ティッキーは横目で後方を見遣る。

「まあ、そんな役に立ってないからいっか」

「奴らは翼竜ワイバーンより小回りが利かなきゃドラゴンほどの出力もねえ。庇いながら戦うより楽だ」

 澱んだ緑の瞳孔は弓のように引き絞られていた。


 ティッキーは自分の額を叩いてみせる。

「早速勇者の顔じゃなくなってるぜ、英雄」

 乾いた破裂音。“星盗み"ポルクスの咆弾ブレスが流星のように弾け、下方から接近していた妖魔を撃ち落とす。

 ヴァイカーは手綱を一瞬手放し、窪んだ眉間を擦った。



 後方からダンピール二匹、木々に隠れて飛行している。

 ナグルファリが出力を上げた。

「流石だ、指示するまでもねえな」

 急速で流れる風に混じって、竜の歓喜の吐息が聞こえた。

 高出力の旋回は敵に反応を許さない。

 ナグルファリを追尾するため最大速度を出していた妖魔二匹は、ヴァイカーを追い越し前方に出る。

 散弾が無防備な頭蓋を連続して撃ち抜いた。



 血の棘は絶えず夜空を飛び交っていたが、ティッキーの撤退支援により準竜種兵は次々と離脱していた。

「下に魔物の姿はねえ。地上の警戒に戦力を割かなくていいのは楽だな。俺たちは本命の相手だ」


 赤く染まった翼を羽ばたかせるヴァンパイアを睨んだとき、甲高い声がした。

「あの、ちょっとマズいかも」

「トニか。どうした」

 ジャンユーの声が応える。


「要塞の近くに犬人間がたくさんいる」

「コボルトか!」

 通信を聞きながらヴァイカーは眉をひそめた。

 ––––くそ、敵の地上部隊はそっちかよ。


「敵の武装は? 地対空兵器は?」

「なさそう。でも、これじゃ応援が到着前に一戦する羽目になるよ」

「他人事じゃねえだろ、お前が掃討しろ!」

「無理! 遮蔽物が多すぎて接近できないし、森が邪魔で爆薬も咆弾ブレスも遮られちゃう!」

 泣きそうな声が尾を引いた。


 ヴァイカーは耳に指を当て会話に割り込む。

「どうする、準竜種兵をそっちに回すか?」

「無駄だな。地上支援武器を持たせてねえ」


 しばしの沈黙の後、ジャンユーが溜息混じりに聞いた。

腐竜アジ・ダカーハの出力なら奴らを排除してから戦線に戻れるか?」

「できなくもねえが……」



 木々がざわめいた。暗闇では敵の影を観測できない。

 ヴァイカーは音の方向へ射撃を行う。ヴァンパイアが旋回して避け、血の棘を振らせた。

「不確定要素がデケえ、推奨しねえな」


 赤い閃光が視界を過り、ナグルファリが両翼を打ち鳴らす。

 砕かれた固形の血が一欠片竜の額に飛んだ。ヴァイカーは引鉄を引く。弾丸の熱で液体に戻った血が落下した。


「弾切れしたら後は咆弾ブレスしかねえ。それまでに撤退が終わるか?」

 誰にでもない呟きを、トニの悲鳴が遮った。



「どうしよう、あたしたち空路だから気づかなかった。要塞の跳ね橋が上がってる! これじゃ応援が来れないよ!」

 ジャンユーの沈鬱な息が聞こえ、椅子を引く音がした。

「コレスタフ、いざとなれば俺が出る」

「教官がいなきゃ誰が指揮をとるんですか!」

「参謀のお前だろうか!」



 ––––撤退支援、本命の牽制、地上部隊の排除、跳ね橋。やることの多さに戦力が圧倒的に足りねえ。


「ねえ、勇者」

 緑の瞳がヴァイカーを見た。

「行きましょう」

「だが、ヴァンパイアは」

「すぐ戻ればいいわ。私たちならできる」

 屈託のない声と言葉。英雄と呼ばれた時代、何度も受けた声で、何度も相棒にかけた言葉だ。

 ヴァイカーは奥歯を噛み締める。

「わかった、出力を……」


 鼓膜を震動が揺らした。

 地鳴りが空中で響いたような重厚な音だった。周囲に爆発の気配はない。


「何今の?」

 ティッキーの訝しげな通信が入る。

「お前の方でもねえのか?」


「こっち!」

 トニが叫んだ。声は震えていたが、恐怖のせいではない。

「城門から砲撃が続いてる! 誰がやってるの?」



 ヴァイカーは目を細めた。

 木の天蓋の上に白煙がたなびいていた。要塞内部には誰ひとり向かわせていない。

「誰だ?」

 竜の恩恵で強化された瞳が、城門を囲む影を捉えた。痩せこけて汚れた衣服を纏った、老若男女が縋るように大砲を虚空に向けている。

「ヴァンパイアの捕虜か!」

 砲音が連続して轟いた。



「コボルトは全滅。跳ね橋降りてくるよ」

 冷静に告げるティッキーの声には先ほどより強い風が絡んでいる。撤退支援を終え、上空の警戒に当たっているのだろう。


「たくさん旗が近づいてくるよ! 紫と白で虎の絵の旗!」

「バルメライ伯爵の私兵だ。トニ、援護して誘導しろ」

 ジャンユーが再び座り直す音が聞こえた。



「ティッキー、戻ってこい」

 ヴァイカーは下肢のベルトをきつく締めた。

「作戦続行だ。ヴァンパイアを殺す。俺たちならできるだろ」

 黒い木立の隙間に紫と白の旗が覗いていた。



 暗がりでも見えるほどの巨影が接近した。

 ヴァイカーは竜に背面飛行で避けさせ、敵の後方を占領する。

「気をつけろ。奴の出力は未知数だ。加速に警戒しながら常に追い越さないよう追尾しろ」


 骨の竜が幹の間を縫うように蛇行した。

 敵は強化された視力でも見失いそうな速度だった。


「眷属がもういねえのが救いだな」

 呟いたヴァイカーの頬を棘が掠める。

「私の勇者に!」

 竜が吼え、血の槍が泡立って溶けた。


 一瞬の攻防で、敵影が視界から消えている。

 ––––くそ、見えすいたブラフにかかっちまった。

 五感を研ぎ澄ませ、索敵を行うが姿は見つからない。

 焦りで手綱を握りしめたとき、強烈な光が世界を染めた。



 地から天に流星が流れたような燐光が暗く沈む森を煌々と照らす。右後方に影が見えた。

「そこか!」

 ヴァイカーは“竜の鼻息"を向け、撃ち抜く。鋭い叫びを上げ、ヴァンパイアが逃走した。


 か細い音に次いで、橙赤色の光が幾度も打ち上がる。森を染める極光の中に、虎の紋章が浮き上がった。

「こういう支援もありかよ……」

 ヴァイカーは口角を吊り上げる。



 バルメライ伯爵が保有する土地はアルカリ土類金属が豊富に採れる。

 それを利用した照明剤は砲弾に詰め、弾殻を分裂させながら射出する放出薬と合わせれば、遠距離からでも強烈な光を放つ照明弾となった。


 敵姿は赤光は浮き彫りにした。

 ヴァイカーは上下の軌道を続ける。背後を取ろうと蛇行を始めたヴァンパイアの速度は先刻に劣った。

 ナグルファリをわざと大きく旋回させ、軌道からはみ出させる。

 餌に食いついた敵の前に、小さな影が踊った。


 突如、前方に現れたティッキーの竜を追ってヴァンパイアが加速する。

 二本の矢が飛ぶような光景をヴァイカーが追った。



 ヴァンパイアに追われながらティッキーが振り返る。その口元は微かに笑っていた。

 ヴァイカーは深く息を吸う。

「今だ、上空へ離脱しろ! 巻き込んでも知らねえぞ!」


 ティッキーの竜が重力を無視した速度で宙返りした。照明弾の光を背にし、逆光を利用した軌道に敵の反応が遅れた。

 ヴァンパイアの顎門と向き合うポルクスの喉頭が光る。光芒が収束した。

 惑星が爆ぜたような爆発が轟く。

 逆光や雲で身を隠し、一瞬の爆破と上昇で敵を翻弄。その瞬間、星は地上に簒奪される。

 故に、彼の竜は“星盗み"。


 炎と音の弾幕にヴァンパイアが突っ込む瞬間、ティッキーは最大出力で上昇し、森林を抜けていた。



「協調性がない割にやるじゃねえか」

 火炎の膜は敵の視認を妨げ、それ自体が次の攻撃を行う竜騎兵の支援となる。そして、ヴァンパイアが盲目のまま突き抜けた先には、要塞に深く穿たれた壁穴がある。

「ナグルファリ、少し熱いけど我慢しろよ」

 炎の輪が未だに空気を歪めていた。

 ナグルファリは勇者を守るように両翼を広げ、瓦礫を削って要塞の内部へ飛び込んだ。


 巣のように積み重なった石の破片の上にヴァンパイアが身を屈めている。翼に漲る血が禍々しい光を帯びた。

 ヴァイカーは腹をナグルファリの背につけ、低く構える。要塞の中は堅牢な扉と檻で隔てられ、爆破すらも捕虜に影響を起こさないのは確認済みだ。


「ナグルファリ、撃て!」

 暗闇を血の飛槍が縫うより早く、零距離から放たれた“錆の爪"の咆弾ブレスが瞬く間に濃酸で周囲を満たす。

 音の破壊力に消し飛ばされる寸前、ヴァンパイアの全身が激る源泉のように泡立って歪むのが見えた。



 ティッキーは遥か上空からそれを見下ろしていた。

 要塞の壁が穴の周囲からどす黒く変色し、薄黄色の霧が濛々と立ち上る。

 それはすぐに幕を上げるように上方を目指し、木々を溶かしながら空へ舞い上がった。


 夜風が酸の匂いを靡かせ、ティッキーは高速で距離を取る。根本から溶けた木が傾ぎ、地面に倒れる音が響いた。


「どこが勇者の竜だよ」

 ティッキーは隊服の襟を緩め、首に巻いた黒革のチョーカーに触れた。

「大量殺人鬼と悪魔じゃないか」


「聞こえてんぞ」

 何百年もの間、雨風に晒したように無惨な要塞の壁穴から傷ひとつない白い竜が飛び立つ。

 背に乗る勇者はティッキーを見定め、中指を立てた。

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