ドラゴン・ドランクファイト

 白み始めた空に砲音のような声が響いた。



「ティッキー・ノック、トニ・クラマー、ヴァイカー・アトキンス」

 ジャンユーは点呼を終え、ヴァイカーの隣に侍る人型の竜の期待に満ちた視線から目を背けた。

「以上をもって、帰還報告を終了とする。ご苦労」


 安堵の溜息が辺りから起こった。

 一晩戦い通した後の疲労が粘ついた声にヴァイカーは苦笑する。


 グリフォン騎兵の頃は作戦がひとつ終わるたび、歓声と拍手が上がり、帰還報告もそこそこに酒場へと連行された。

 明け方の何層にもなった空の色に目を細める騎兵たちにその覇気はない。戦いが常態化している証拠だ。


「これじゃ負けたみたいだわ。勇者の偉業を讃えるべきでなくて?」

 ナグルファリが長い前髪の下の瞳を歪める。

「これくらいが丁度いい。馬鹿騒ぎは好きじゃねえしな」

 ヴァイカーは隊舎へと進みだしたティッキーとトニの後に続いた。



「点呼で私の名前が呼ばれなかったわ。これは貴方への侮辱よ」

「どうだかな……」

 朝日が王都を包む蒸気の波で屈折する。真っ白な乱反射が目に痛い。

 手で庇を作ると、ナグルファリも眩しげに遠くを眺めていた。

「何かあるのか?」


 黒や芦毛の馬に角の生えた純白の馬が混じった騎馬隊が、庭の芝生を踏みしだいて進んでいた。

 隊列が割れ、中央で護られていた虎の紋章の馬車たちが扉を開く。垢と煤に汚れた血色の悪いひとびとが溢れ出した。


「要塞の捕虜か」

「ええ、貴方の救った人間たちよ」

 伯爵夫人が老齢を感じさせない足取りで進み、捕虜の中の金髪の青年を抱きしめる。


 ナグルファリが嬉しげな息を漏らした。ヴァイカーは肩を竦め、前を歩く翼竜ワイバーン騎兵を見た。トニは逃げるように足を早め、ティッキーは見向きもしない。

「竜の方がよっぽど人情があるってことか」

「ねえ、勇者。また伝説を作ったわ。これからどうしましょう」

 ナグルファリがはしゃいだ声を出した。

「決まってるだろ」

 ヴァイカーは痛むこめかみを抑える。

「寝るんだよ」



 ノックの音で、泥のような眠りから意識が引き上げられた。


 寝台の上でヴァイカーが目を覚ますと、扉が半分開いてティッキーとトニが顔を出す。


「鍵は閉めてたはずだぞ」

「全然起きないからさ。針金一本で開く鍵なんか閉めたうちに入らないって」

 悪びれずティッキーは歯を見せた。


「戦勝記念だ。飲みに行こうぜ、ヴァイカー。食堂でタダ酒飲むだけだから金がないって言い訳はなし」

「いいけど、タダ酒って出処はどこだよ」

 トニがすかさず答えた。

「竜騎兵になるとたまにもらえるんだよね」

「要は戦地でくすねたってことか」

「まあ、いいだろ。リーミンも来るってさ」

 ヴァイカーは布団を退けて、まだ重い頭を振った。



 廊下には兵士たちが犇めいていた。

 彼らはどことなく浮き足立っているどころか、新聞や賭けに使うらしい紙片を握って騒いでいる。



「要塞奪還がそんなに大事か? それにしては雑な扱いだったけどな」

 ヴァイカーは人混みを掻き分けながら眉間に皺を寄せる。

「まさか、シャハリヤだよ。今度は生きる居城、コロッサスを討伐したって」

 ティッキーは痩身で兵士たちの間を縫う。


「お前らだって充分すごいよ。聞いたぜ。ヴァンパイアを竜で破ったって。大手柄じゃないか」

 合流したリーミンがヴァイカーの肩を叩き、向こう側に手を振る。


「お疲れ」

 壁際にもたれて報告書を捲っていたジャンユーが軽く手を上げた。すぐ書類に視線を落とし、喧騒に混ざろうとしない。

 ヴァイカーは前を塞ぐ兵士を押し退けて言った。



「おい、お前も来るんだろ」

「やめなよ、何考えてんの。怒られるから。絶対来ないよ!」

 トニが袖に縋りつき、千切れそうなほど引いた。


 ジャンユーは僅かに顔を上げ、目を丸くする。

「何?」

「何じゃねえよ、お前も作戦の面子だろうが」

「決闘挑むみたいな顔してる」

 ティッキーが口元を隠してせせら笑った。


 ジャンユーは書類を畳んで、深く息をついた。

「上への報告会がある」

「で?」

「……遅れるぞ。それでいいなら先に始めてろ」

 信じられない、とトニが呟く。

 号外の新聞を握った兵士たちが煩わしげに竜騎兵たちの前を横切った。ヴァイカーは見出しの文字に目をやった。


「シャハリヤも戻ったんだろ。あいつも呼べよ」

「あんた本当に頭おかしいよ……」

 トニの声はほとんど瀕死の人間のそれだった。



 食堂は明かりが消え、長机の間に等間隔で置かれたガスランプだけが輝いていた。


 前面のガラスは、魔物の襲撃で壊れた家屋のガラスや陶磁器を再利用しているらしい。隊舎と防壁に壁に歪められて、細くくびれた王都の夜景が見えた。



「コレスタフは学術院への報告書作成があるから来ない。後で食い物だけくれってさ」

 リーミンが手際よく長椅子を円形に並び替える。

「あいつが一番図太いな」


 どこからか酒瓶を大量に持ち出したトニが、ヴァイカーに呆れた視線を投げた。

「あんたって本当は馬鹿なお人好しなの? それともただ馬鹿なだけ?」

「何の話だ」

「普通教官やシャハリヤまで呼ばないよ。仲間外れとかじゃない。スラムの子どもが貴族に話しかけないのと一緒」

「竜騎兵に序列はないって聞いたぜ」

 ヴァイカーはガスランプで煙草に火をつけた。


「いいじゃないか。ふたりとも壁を作るタイプだからさ、誘ってもらえて喜んでるって」

 リーミンが紙袋を逆さにし、机に保存食をぶち撒ける。

「壁があるっていうか、本人が壁みたいだけどね。あのふたりと仲良くなりたいの? それとも、善人だって思われたい?」

「それはない」

 ティッキーがヴァイカーの隣に腰を下ろした。

「君ってさ、中身は俺らと同じでしょ。捕虜が家族と感動の再会してても全然嬉しそうじゃなかったし。じゃあ、何で善行みたいなことするのかって話だけど」


「俺はあいつらに声もかけられねえような腰抜けだと思われるのが気に食わねえだけだ」

「思われる? 誰に?」

「自分に」

  ヴァイカーの煙草から灰が落ちた。

「そのプライド、損しかないぜ。その内破滅する」

「あって得するプライドなんかあるかよ」



 ヴァイカーの視線にティッキーが降参だと両手を上げたとき、勢いよく食堂の扉が開いた。


「来る途中、捕まった」

 不機嫌そうなジャンユーの後ろには、純白の髪とドレスの女が立っていた。


「勇者!」

 ナグルファリが弾丸のように駆け出し、ヴァイカーの隣に飛び込む。

「こんな粗末な場所での酒盛りだからって気を遣わなくていいのよ。私、気にしないわ。本当は王族との晩餐会があっていいと思うけれど、今は国が貧しいのだものね?」

「あぁ、そうだな……」


 椅子から落ちそうになるヴァイカーの耳元でてぃっが囁いた。

「それもプライド?」

「まさか、成り行きだ」



「そうだ、借りてた本を返すよ。ありがとう」

 リーミンが四つ目綴じの古びた本を差し出した。ジャンユーがそれを受け取る。

「読み終えたか」

「一応。ちょっと難しかったな」

「これは百年以上前の講談集の派生作品だからな。知らなきゃわからねえよ。大元の方も貸すか?」


「意外と読書家なんだな」

 ナグルファリに半ばのしかかられながらヴァイカーが口を挟む。

「悪いか。そういうお前は?」

「スラムにいた頃は暇で読んでたけどな。二束三文のパルプ小説ばっかりだ」

「暴力、殺人、性交渉の三本柱か」

 ティッキーが煙草の煙とともに吐き出す。

「ちょっと不適切だわ。悪い仲間に合わせなくてもいいのよ」

 ナグルファリが白い肌を赤くして俯く。


「いいじゃないですか、パルプ。私も好きですよ」

 涼しげな声に全員が顔を上げる。

 褐色の肌に真紅の瞳の女が立っていた。



「シャハリヤ……本当に来るんだ……」

 トニが盗品の酒瓶を隠そうとして取り落とす。


「ジャンユーの本好きより意外だな。遅かったじゃねえか」

「いろいろ捕まっていたんですよ。私と目が合うか賭けをしていた兵士までいたようで。下馬評を覆すのは面白いですから」

 二本目に火をつけたヴァイカーの両隣が埋まっているのを見て、シャハリヤは向かいに座った。


「お誘いありがとうございます。竜騎兵同士で呑むなんてあまりないですからね」

 上着を脱ぐシャハリヤをナグルファリが睨め付ける。

「そんなもんかよ」


「当たり前だ、飲んでも仕方ねえからな」

 少し離れた席でジャンユーが腕を組んだ。

「竜騎兵は竜の恩恵で身体の異常を殆ど無効化できる。アルコールもその内だ。何十本飲もうが酔わねえよ」


「教官、これ知らないんだ?」

 ティッキーがポケットから数個の石を放り出した。燻んだ光沢を持つ表面はピクシーの軟体に似ていた。


「ピクシーの通信を妨害する魔物の死骸だよ。琥珀みたいなもんかな。これを身につけると、一時的に竜からの恩恵が最小限になる」

「じゃあ、飲んだ分だけ酔うってことか」

 ヴァイカーの問いに首肯が返った。

「何でそんな物持ってる」

 ジャンユーの追求にトニが椅子ごとを身を逸らした。


「俺たちでたまにやるんだよね。ルールは簡単。一杯ずつ隣の奴に回して飲んで、飲めなかった奴は罰ゲームで何でもひとつ質問に答える。やるか?」

 ティッキーが全員の前に椅子を転がした。シャハリヤが真っ先に石を取る。


「ドラゴン・ドランクファイトですね」

「それが言いたいだけだろ」

 ヴァイカーは煙草を起き、石をひとつ持ち上げた。

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