竜騎兵、ドン・リーミン

 わたしの暁芳シャオファンという名前は、夜明けに生まれたかららしい。



 薫風かおる初夏の明け方に一緒に生まれたわたしの兄弟は、母の腹から出てきたときにもう息をしていなかった。黎明と名付けられるはずだった。

 いいことも悪いこともまだしていない赤ん坊すら、理由もなく、片方は生きて片方は死ぬ。そういう理がこの世にはあるのだと知った。


 無常を知る機会は他の子どもたちに比べたら少ない方だったと思う。わたしの家は裕福だった。

 朱塗りの木造の家は常に侍女や下男で賑わっていた。故郷よりずっと華やかだという遥か西の王都は、霧がかかって水墨画のような稜線を見せる山に隠れて見えなかったが、いつも庭には王都には咲かない花が咲いた。



 父も母も優しかった。三人の兄と三人の姉がいた。

 わたしも姉たちのようにいつか金細工で飾られた赤い輿に乗ってどこかの家に嫁ぐのだろうと思っていた。

 それを不自由だと思ったことはなかった。

 姉たちは幸せそうだったし、不自由なのは日々激化する魔物との戦争に向かうことが決められた兄たちの方がよほどだと思っていた。

 それに、西の貧民街では、わたしが結婚できるようになる歳の半分で死ぬ子どもたちがいることも知っていた。



 隣の屋敷に少し年上の少年が住んでいた。

 生まれたときから重い病気だったらしい。一年のほとんどを床で過ごしていたが、わたしの家の大人も知らない稗史小説や叙事詩を読んでいた。

 わたしはよく家の本を持って隣家に忍び込んでは彼に読んでもらっていた。


 一度彼に「順番で行けばきっとわたしたちは結婚するんだろう」と言ったことがある。そのとき、彼は大人のような寂しい顔をして「順番で行けば」と答えた。

「そのとき、俺はきっともう死んでいる」

 そういう理がこの世にはある。



 二番目の兄の運命は少し普通の理から外れていた。

 わたしたちの住むリアン山国の渓谷に龍が住んでいた。凶暴な魔物と違って人里を荒らさず、静かに横わたっている、守り神のような龍だった。彼女は人間の男を婿として求める奇妙な性質があった。

 わたしの家の次男は代々彼女と形だけの婚姻を結んでいた。


「大昔、うちに嫁ぐはずだった女が婚礼の前に村ごと大水で流されて死んで龍になったって言い伝えだ。だから、うちは責任を取る義務があるんだ」

 二番目の兄はそう言いながら、わたしを連れて朝靄がかかる渓谷に降りた。

 水墨画そのままの光景の中で佇む、湖水を映したような鱗の彼女は美しかった。


 目を奪われるわたしの前、で兄は竜を撫でながら「妹に妻を寝取られる心配をする羽目になるなんてな」と笑った。聡明で優しい兄だった。



 それから魔物との戦争は日増しに激しくなった。兄たちは皆、戦争に行った。王都に庇護を求めるべく、わたしが遥か西の家に嫁ぐ話が出た。

 わたしが王都に向かうはずの年、兄たちは無言で王都から帰った。


 渓谷の底の彼女とは似ても似つかない凶暴な火を噴く竜に殺されたという。

 皆、死体すら残らなかった。

 棺には兄たちの衣服や装飾品だけを収めた。わたしひとりでも持ち上がるほど軽かった。

 母は上空の仇を睨んでいたのか、涙を零さないためか、上を見ながら「死体が残らなかったことが、息子たちは戦士として死んだ何よりの証だ」と言った。



 その夜、わたしはひとりで渓谷に降りた。

 たくさんのひとの哀しみが満ちる家にいるのは耐えられなかった。

 彼女は変わらずそこにいた。わたしが手を伸ばすと、彼女は静かに長い首を差し出した。


 水晶のような鱗は露で濡れ、流せない涙の代わりに彼女の全身を濡らしていた。

 わたしは今まで泣くのも忘れていたことを思い出した。


 隣家の少年から王都では竜を使って戦う術が編み出されていると聞いた。

 わたしは竜の首を抱いて、報復したいかと聞いた。夫を奪われた竜は兄を奪われた女の頰を舐めた。鱗は冷たく、舌は温かかった。


 王都に行って戦うなら、最期は兄たちのように死骸すら残らないだろう。それでいい。女としても男としても死なず、戦士として死んだ証が残る。

 わたしの家の男たちはもういない。

 彼女は永遠に使われない花嫁道具の銀簪のに似た眼差しでわたしを見た。



 そして、わたしは、おれになった。



 ドラゴンライダー、ドン・黎明リーミン

 騎乗する竜の名は“白雨夫人”シャンシー。

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