スカッカム海峡撤退支援.2

 甲板に出ると、氷塊との境も曖昧な凍えた空が広がっていた。荒波が船の外輪に砕かれ、細雪と共に散る。


 一寸先も見えないはずの悪天候だが、竜の恩恵で強化されたヴァイカーの目には霧の向こうの半島の輪郭が浮き出して見えた。

「上空にも魔物がいるな。海峡を渡って侵攻したんだ。当然空路も抑えてやがるか」


 甲板で蹲っていたコレスタフが口元を押さえて立ち上がった。

「本当ですか……何がいます?」

「それを見分けるのが学者の仕事だろ」

「本当に船は駄目なんですよ……酔っちゃって、上向くとまた吐きそうなんです……」

「何でついて来たんだよ」

「魔物の解析に……」

「できてねえじゃねえか」


 船底から白い空を睨む。

「ヴィイだな。極北に生息する飛行型の魔物だ。眼球から竜の咆弾ブレスに似た高密度の熱線を放つ。カイル、セラヴィー、警戒しろ」

「了解、心配ありがとう!」

「お前に言われるまでもない、侮るな」


 カイルとセラヴィーが船の先端に立つ。コレスタフがえづきながら片手を上げた。

「二騎出ます。船底開けてください……」


 足元から蒸気が噴き出し、甲板が振動した。リーミンがヴァイカーの腕を引く。

「そこ立ってると危ないぜ」

「危ない?」


 轟音を立てて甲板が左右に割れ、奈落のような穴が開いた。穴底から徐々に迫り上がる床には、二騎の竜が腹這いになって構えていた。

 準竜種兵が駆けつけ、竜に装具とピクシーを付ける。全てが十秒足らずで終わった。


「空母って言うんだって。格納庫も滑走路も兼ねてる最新の船だよ」

「すげえな」

 カイルは自身の竜ユーサーに跨りながら親指を立てた。

「ここからはもっとすごいぜ」

 セラヴィーが流れるような長髪を払い除ける。

「見ておけ、老兵。これが今の戦いだ」


「確か同い年だろうが……」

 苦々しく呟いたヴァイカーの肩をジャンユーがどつく。

「ぼさっとするな。お前らも上陸しろ」

 黒い口を開ける甲板の穴には各々の竜が並んでいた。

 床板が再び上昇するより早く、純白のドレスのナグルファリが颯爽と駆け上がり、ヴァイカーの首に縋りついた。

「やっと出られたわ。私の勇者。会いたかったでしょう?」

「ああ、勿論」

 ヴァイカーは首からかけた琥珀色の結晶を確かめた。

「負けられねえからな」



 竜たちが滑走し、甲板から飛び立った。

 烟る空に竜鱗の輝きがダイヤモンドのように散る。


 霧を裂いて飛びながらヴァイカーは目下を見下ろした。

 墨を刷いたような黒い地平線に、小さな影と戦旗が蠢いている。王都合同騎兵隊は魔物と交戦中だった。その上空、ヴァイカーより僅かな低みに羽根と鱗を持った小人のような魔物が飛んでいた。


 カイルの声が響く。

「俺が先行する! まずはこの霧を払ってやらないとな!」

 ユーサーが旋回するより早く、セラヴィーの竜、レギンレーヴが前に進み出た。

「無駄なことをするな。霧など私たちには造作もないだろう!」


 レギンレーヴは魔物ひしめく霧の中を突破し、首を大きく上げて減速した。瞬く間に後方を占領されたヴィイの群れが慌てふためく。

 カイルが苦笑した。

「あれじゃ竜が消耗して可哀想だ。援護しないと」


 最大限の空気抵抗を厭わない旋回を繰り返すセラヴィーの真横を、カイルが横断した。

「邪魔をするな!」

「はいはい」

 ヴィイたちがカイルの竜に狙いを定める。カイルは魔物を引きつけながら、セラヴィーにぴったりと追走し、蛇行を繰り返した。


 離れた場所を飛ぶトニの呟きをピクシーが拾った。

「変な動き……」

「シザーズだ」

 ヴァイカーは応答する。

「鋏が開閉するように旋回を繰り返して敵を前方に押し出す戦法だ。理に適ってる。あの軌道についていけるカイルのが一枚上手だな」

「聞こえているぞ、ヴァイカー・アトキンス!」

 鋭い声が鼓膜を突き、ヴァイカーは耳を塞いだ。



「ねえ、私の勇者。あいつらより私たちの方が更に上手でしょ」

「当然だろ。だが、今は奴らの本領が知りたい」


 魔物たちを一手に引きつけるカイルが再び大きく旋回した。

「そろそろ行こう、"薫風渡り"ユーサー!」

 深緑の竜翼がはためき、長い喉が大きく膨れた。放たれた咆弾は炎ではなく、旋風だった。

 螺旋を描いて発射された風が魔物たちを包み、錐揉みにする。


「王手を譲ったつもりか!」

 セラヴィーは紙吹雪のように舞うヴィイの群れを一瞥した。

「"月檻"の真価を見せろ、レギンレーヴ!」

 白銀の竜が放った閃光が、夜闇を焼く月光のように輝いた。何条もの光線が乱反射し、魔物の群れを一匹も残さず蒸発させる。

 高熱に焼かれた海水が湯気を噴き上げた。


 セラヴィーが高々と告げる。

「見たか、ヴァイカー。咆弾ブレスの軌道全てを計算できなければこの竜には乗れない!」

「マジで計算してたのかよ。乱射にしか見えなかったぜ」

「お前にそう見えるだけだ!」


 ざらついたジャンユーの声が遮った。

「遊んでんじゃねえよ。もうすぐ陸地だ。騎兵隊の支援に取り掛かれ」



 霧が払われた陸地は想像より悲惨な光景だった。

 真っ白な雪原を夥しい血と千切れた鎧の一部が染め上げ、赤と黒の奇怪な絨毯を広げたように見える。


 馬上の戦士たちの怒号が聞こえて来た。

「右翼に展開! 東の防衛線は切り捨てろ!」

「怪我人の救出は後にしなさい! 奴らは学習してる、一撃で殺さないのは囮のためよ!」


 赤毛の女騎士が悲鳴じみた声を上げた。その背後から狼頭の魔物、リカントが襲いかかる。鋭い爪が頭蓋を裂く寸前、並走していた騎士が斬り伏せた。


 彼らの後ろの隊列はほぼ壊滅していた。リカントの群れは素手で騎士たちの鎧を掴み、襤褸切のように千切った。兵士は獣の渦に呑まれ、怒号が悲鳴で塗り替えられる。



 ––––致命傷は与えず、悲鳴を上げさせて、助けに来た奴らを一網打尽か。今までの魔物じゃ有り得ねえ。進化してるか、誰かが入れ知恵してるってのも本当か。


 ヴァイカーは地獄絵図を上から眺めた。


 ––––何処かに指揮官が隠れてるはずだ。それか、抜きん出て知能の高い魔物がいるか。どちらにせよ、もう少し離れて状況を俯瞰したい。


 高度を上げようとしたヴァイカーに、ナグルファリが緑の瞳を瞬かせた。

「何故高度を上げるの? 早く助けに行かなければ」

「……お前の濃酸じゃひとも魔物も一緒くたに溶かしちまうだろ」

「でも……見捨てるなんてできないでしょう? 私たちは勇者なのだから」


 屈託のない視線に、ヴァイカーは隠れて舌打ちする。

 ––––一回でも勇者に削ぐわない行為はしない。手前で決めたことだろ。



「ナグルファリ、降下しろ! 翼で下の奴ら巻き込むなよ!」

 歓喜の咆哮と空気圧がヴァイカーに押し寄せる。一瞬の圧迫感は薄布の膜を破ったようにすぐ消えた。


 無味乾燥な空気が、濃厚な血と煙と獣の匂いに変わった。


 ヴァイカーは血濡れの兜と狼頭の上を掠めながら、蒸気式銃火器を抜く。竜の息吹と呼ばれる銃に弾を込め、一匹のリカント目掛けて引金を引いた。

 銃弾が狼の後頭部に吸い込まれ、ナグルファリは滑空を続ける。

 少し遅れてヴァイカーの背後で血煙が上がり、獣の巨躯が雪に倒れる音がした。



 ヴァイカーに次いで竜騎兵たちが銃弾の雨を降らせた。

 最後尾のリーミンは、シャンシーの濃縮された水分の咆弾で撃ち漏らしを掃討する。騎士たちは戸惑っていたが、魔物たちは空を見上げ、いち早く戦況の変化を悟ったようだった。


「魔物のが賢いじゃねえか」

 ティッキーの小さな笑いが鼓膜を揺らす。

「はい、不敬罪」

「何?」

「あそこで頑張ってるのが第二王子殿下だよ」


 ヴァイカーが先方に視線をやると、薄汚れた旗が黒煙混じりの風に靡いていた。

 左手に戦旗を、右手にレイピアを構え、危うい均衡で魔物を防いでいる戦士がいる。兜はつけず、動くたび黄金の髪が揺れる。

 戦場に似つかわしくない、穏和そうで高貴な青年だった。


 蒼天のような瞳が、ヴァイカーと視線を交錯させる。青年が旗を上げた。

「皆さん、王都竜騎兵が到着しました!」

 凛とした声に、瞬く間に士気が戻る。兵士たちが波打つような勝鬨を上げた。


 ヴァイカーは今度こそ高度を上げ、必死の奮闘を続ける兵士を睥睨した。

 首から下げた結晶がコツンと音を立てる。シャハリヤが敵を撃墜したらしい。


「英雄は羨ましいよな」

 ––––こいつらがどれだけ奮起しようが、これは負けるための戦いだ。

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ドラゴン・ドッグファイト 木古おうみ @kipplemaker

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