栄光奪還
不安な増援
夜明けの雲を食い破った太陽が、巨人の目のように覗いていた。
ヴァイカーは呻きながら目を覚ます。
無人の食堂には食べかけのパンや空の酒瓶が散らばっていた。硬い椅子で眠ったせいで全身が石のようだ。
痛む肩を回すと、氷のような冷たい手が首に触れた。
「もう朝よ、私の勇者」
ナグルファリは朝日に白髪を透かして微笑んだ。
ヴァイカーは仄暗い廊下を歩きながら目を擦った。
「ナグルファリ、もう酔いは覚めたのかよ」
「ええ、竜が人間の毒にやられないわ。それより、何故食堂で眠ったの?」
「お前が酔い潰れてたからだろ」
「ずっと隣にいてくれたのね。でも、貴方の部屋に連れて行ってくれてもよかったのに」
ナグルファリの真っ白な横顔は高貴な令嬢にしか見えない。ヴァイカーは頬に触れる彼女の指を振り解いた。
「可愛いひと。照れてるね?」
「いや、ろくでもない奴が来た」
廊下の先からティッキーが近づいて来るのが見える。
「朝帰りかよ、ヴァイカー。邪魔だった?」
「阿呆か、何もねえよ」
ティッキーは片眉を吊り上げた。
「そんな美人に付き纏われてるのに潔白すぎるだろ」
「ハッタリでも何でも勇者やるって決めたら一回でもクズみてえなことはできねえんだよ。落ちるのは簡単だからな」
「撃墜されてスラムまで行った英雄が言うと含蓄あるね」
「殺すぞ、お前」
「そのハッタリが何処まで通用してるかわからないけど……」
ナグルファリは独りで白い頬を赤らめている。
「美人なんて。野蛮な兵士でも見る目があるのね。見直したわ」
ティッキーは肩を竦めた。
「単純でよかった。大丈夫だそうだね」
「これはこれで大変なんだよ。そんなことより、何の用だ?」
「緊急招集。遠征に出てたふたりの竜騎兵も呼び戻されてる。ヤバい任務になりそうだよ」
ヴァイカーは朝靄と蒸気が混ざり合う窓の外を見つめた。
ヴァイカーたちが庭に出ると、青く染まり出した空に二騎の竜が飛んでいた。
「あれが呼び戻された竜騎兵か……」
片方は月光を固めたような白銀の竜、もう片方は新緑の色を写した首長の竜だった。
竜種学者のコレスタフが寝癖で跳ねた金髪を揺らして駆けてきた。
「おはようございます。いや、任務帰りの昨日の今日ですみません」
「しょうがねえよ。俺たちの他にも竜騎兵がいたんだな」
ヴァイカーは上空を無駄のない動きで旋回する二騎を指す。
「はい、ヴァイカー君がまだ会ってないのは、ルキヤーノ君を除けば彼らくらいですね。他にも辺境を防衛する遠方竜騎兵が八騎います。皆、王都に在中させるのは不安な問題児ですが……」
「ヤバい奴ばっかりかよ」
「正直こっちより輪をかけてヤバいです。獣同然で育った野生児や、仲間を解剖しかけた医者崩れや、話がほぼ通じない魔物言語学者もいます」
「魔物言語学者?」
「シェイ・エウニル。竜の二つ名を考案しているのは彼女ですよ」
「何で二つ名があるのかと思ったが、軍の方で付けてんのか」
「ええ、人類が扱う言語で名前を与えて使役すべきとかで……よくわかりませんが、竜については不明なことがまだ多いですからね」
ティッキーが口を挟んだ。
「準竜種には二つ名なんてつけないのにな」
「形は似ていても竜種と準竜種はほぼ別種なんですよ」
「巷じゃ準竜種は爬虫類に近いのに対して、竜の内臓配置はどちらかと言うと人間に似てるなんて言うよね」
「詳しいですね。そうなんですよ、学会でも疑問視されてます」
「学者が俗説に振り回されんなよ」
「ヴァイカー君の言う通りですね。素人の言葉は話半分に聞いてます」
「センセー、たまにすごい傲慢だよね」
旋風が巻き起こり、二騎の竜が同時に着地した。
降りてきたのは赤毛の青年と金髪の女だった。青年の方は逸れ者揃いの竜騎兵にしては珍しく、人懐こい笑みでこちらに手を振る。女は腰まである金髪を払い、鬱陶しげに地面を踏んだ。
ヴァイカーは目を細める。
「あの女……」
傍のナグルファリが眉を顰めた。
「気になるの?」
「見た顔だと思っただけだ」
金髪の女は険しい顔つきでヴァイカーの前に進み出た。
「ヴァイカー・アトキンスだな。復帰したとは聞いたが、すっかり竜騎兵の顔だ。元グリフォン騎兵の誇りはないのか」
「お前だって竜騎兵だろ。どっかで会ったことあるか?」
女は憎悪に近い目つきでヴァイカーを睨んだ。
「元ペガサス騎兵のセラヴィー・トリダンだ!同じ防衛戦線に立ったことがあるだろう! 覚えていないとでも?」
「うるせえな、覚えてたから聞いたんだろ。第一、所属が違うんだからそんなに顔合わせてねえよ」
ティッキーは少し離れた場所でせせら笑った。
「相変わらずプライド馬鹿高いな」
「うるさい、最悪ワイバーンコンビは黙っていろ!」
セラヴィーは噛みつきそうなほどヴァイカーに顔を寄せた。
「その態度、昔から気に入らなかったんだ! 自分が一番強いから他はどうでもいいと言う顔をして、ペガサス騎兵一の戦士だった私すら眼中にない!」
ヴァイカーの背後が暗く翳った。
振り返ると、ジャンユー教官が眉間に皺を寄せ、黒い壁のように立っていた。
「帰還したのか」
ジャンユーはヴァイカーの襟首を掴んで横に押し退けた。
「猫じゃねえんだから……」
悪態をつくヴァイカーにティッキーが身を寄せた。
「離れといて正解だよ。あのふたりマジで険悪だから」
ジャンユーはセラヴィーに向かい合った。ふたりの間の空気が重くなる。
「セラヴィー・トリダン。髪を切れと言ったはずだ」
「何の権限があって私に指図する」
「軍規に基づく権限だ。長髪は無駄な空気抵抗を増やすだけでなく、装具に絡まる危険がある。いつまで時代遅れのペガサス乗りでいるつもりだ」
「私たちの功績があってこそ今の王都空軍がある。この髪もペガサス騎兵の誇りだ。見た目を気にする女だと軽んじているのか?」
「男女は関係ない。竜騎兵の半数は女性だ。お前個人の問題をすり替えるな」
「相変わらず不遜だな。お前が……」
「そこまで!」
双璧のように相対するふたりの間に赤毛の青年が割って入った。セラヴィーが声を上げる。
「カイル、邪魔するな!」
赤毛の青年は双方の肩を叩いた。
「ふたりとも落ち着けって。セラヴィー、軍規違反なのは本当だぜ。お前の功績で今の軍があるならそれを大事にしてやらなきゃ」
セラヴィーはまだ不服げに目を背けた。カイルと呼ばれた青年はジャンユーに向き直った。
「ジャンユー、規律が大事なのはわかる。お前が締め上げなきゃ無法地帯だもんな。一番頑張ってるのは知ってるよ。でも、勘弁してやってくれないか。セラヴィーは今まで何の問題もなく戦ってるだろ?」
カイルは困ったような苦笑を浮かべる。ジャンユーは深い溜息をついた。
「……今回は火急の任務だ。髪の件は後回しでいい」
「ありがとう、助かるよ」
カイルは身を翻し、ヴァイカーの方に寄ってきた。
「ヴァイカー! 噂は聞いてるよ。というか、竜騎兵になる前から知ってた。英雄と同じ空で飛べるなんて光栄だな。俺はカイル・ベアキャット。足手まといにならないよう頑張るからさ」
呆気にとられるヴァイカーの手を握って有無を言わさず二回振った。
ヴァイカーはティッキーに耳打ちする。
「あいつ竜騎兵っぽくないよな」
「まともに善い奴すぎてやりにくいんだよね。あいつがいると悪いことしづらくてさ」
「俺といてもやるなよ」
コレスタフが恐る恐る手を上げた。
「そろそろいいですか? あの、申し訳ないんですが、だいぶ一刻を争う事態なんで……」
「忘れるとこだった。今回の任務は?」
「撤退支援です。王都極北のスカッカム海峡から魔物が上陸し、防衛に当たっていた騎兵が孤立した。彼らを帰還させるのが目的ですね」
「敗走にそれほど人員が要るか?」
「そういう発言困ります。不敬罪になりかねないので……」
「不敬罪?」
ジャンユーが言葉を引き継いだ。
「騎兵を率いているのは第二皇子アリアード殿下だ。万一彼が死ねば全員の首が飛ぶぞ」
「なるほどね……」
ヴァイカーは重い息を吐いた。
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