エピローグ 兎崎編 「……覚悟してなさいよ、犬助」

「――――――なんでそうなるのよおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


「ちょ、美々みみうっさい。話はわかったから落ち着きなさい」


 ……私こと、兎崎とざき美々みみ犬助けんすけにフラれた、翌日。

 あいつと別れたあとも、自室で一晩中泣きはらした私は、いま……昼間から大学をサボって、親友の森姫もりひめ千里ちさとと共に、カラオケボックスの一室に籠っていた。


 傍らにあったマイクを手に取り、スイッチをオンにする。

 そのマイクを口元に添えると、私はいま一度叫んだ。


「なんでそうなるのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」


「ちょ、マジでうっさい。つか、なんでわざわざマイクを入れて同じこともう一回言ったのこいつ。ウチの鼓膜破ろうとしてんのか」

「ううっ……な、なんで、そうなるのよおおおお……」

「色んなパターンの『なんでそうなるのよ』言うな、鬱陶しい。――ほら、いい加減ちょっと落ち着きなって。ポテト食べろポテト」

「うううううっ……」


 涙目になった私の口に、千里が無理やりポテトを突っ込んできた。……美味しい。なんでこんな気分の時にも、カラオケのポテトは美味しいのよ……ふざけんな……。


 思いつつ、私は欲望のまま、テーブルの上に置かれているフライドポテトをパクつく。カロリーなんか知るか。いまはそれより、この胸の痛みをどうにかしないといけないんだから……明日デブってようが、そんなのは知ったこっちゃないのよ。


 だいたい、私がデブったところで、あいつにはもうどうでもいいことだろうし!


 私は内心でそう憤慨しつつ、油断すると零れそうになる涙を押し留めながら、私の隣に座る親友に愚痴った。


「なんで、私じゃないのよ……つか、桃本もももとさんだと思ってたのに、妹って! 確かに、あの子が犬助を男として見てるのは知ってたけど……まさかあいつも、妹をそういう目で見てたなんて……」

「予想してなかった?」

「予想なんかできる訳ないでしょ!? だいたい、兄妹で恋愛とか、あり得ないじゃない……まあ正確には、いとこ同士らしいけど……でも、なんでいとこなのよ……」

「つか凪町なぎまちくんって、実はちょい変人なん? 義妹とはいえ、幼い頃から一緒に住んでた妹に、そういう思いは抱かないでしょふつー」

「犬助のことを変人とか言うな! あいつはいい男よ!」

「……あんたは元カレをくさしたいの? それともフォローしたいの? どっちよ?」


「あんなやつ大っ嫌い! ……でも、まだ大好きいいいいぃぃぃぃ……!」


「恋する女マジめんでぃー」


 千里はそう言いつつ、飲み放題のコーラをストローでちゅーちゅー飲む。前々から思ってたけど、こいつ、私の恋愛相談を適当に聞き過ぎじゃない!? ……まあ、このくらいドライに話を聞いてくれた方が、こっちも話しやすいけど……。


 私がそんなことを思っていると、空になったコップをテーブルに置いたのち、少し真剣な顔になった千里が尋ねてきた。


「つか、じゃああれなん? 凪町くんにフラれて、一夜明けたいまでも……凪町くんのこと、まだ好きな感じだ?」

「…………そりゃそうよ。そんな簡単に、嫌いになれる訳ないでしょ……」


「そっかそっか。……でもさ、実際問題、ここらで失恋しとくってのもアリだと、ウチは思うけどね。いい加減、初恋にこだわり過ぎでしょ。凪町くんに対して――片想い、一度実って両想い、そしてまた片想いって、そんなのをいつまでしてんだって話じゃん」


「……しょうがないじゃない! 私はそれくらい、あいつのことが好きで――」

「や、それはわかってるけどね? 何ならウチは、あんたが凪町くんを追いかける姿を、一番そばでずっと見守ってきたし。だからこそ、そんな純粋なあんたを、ウチのできる範囲で応援してきた訳だけど……そろそろ潮時じゃない?」

「…………」


「いい加減、初恋を続ける努力じゃなくて、ちゃんと失恋する努力をしたら?」


 もしこの言葉を、千里以外の女に投げられていたら、私はそいつをぶん殴っていたかもしれない。

 でも、千里は……私の大親友である彼女は、少し不安げな表情と共に、どこまでも私を慮りながら、そう言ってくれた。――諦める理由になってくれた。


 ……もしかしたら、彼女の言う通りかもしれない。

 私はいい加減、犬助なんて欠点だらけの男のことなんか忘れて、次の恋に走り出すべきなのかもしれない。

 それをわかっていて、それでも……『新しい恋を探せば?』と迂遠な言い方で言ってくれた親友に、私は胸を張って、こう言うのだった。


「絶対やだ」


「頑固かよこいつ……」

「うっさい。頑固で悪かったわね。……だいたい、そんな努力、したところで無駄だもん。私は絶対、あいつのことを嫌いになんかなれない。……あいつ以上に好きな誰かなんて、見つかる訳ないのよ……」


「それは、あんたが初恋を大事にするあまり、凪町くんより好きな男を見つけたくない、って心のどっかで思ってるから、見つけられてないだけだと思うけど?」


「……そういう側面もまあ、あるにはあるんじゃない? でもね、千里――私にはあいつしかいないのよ。正確には、あいつしかいらない。あいつを好きである限り、私にはそういう感情しかないんだもん。しょうがないじゃない……」

「……案外、諦めようと思ったらあっさり、諦められる気もするけどね。時間が解決してくれる問題でしょ、それこそ。だいたい男なんて、この世には掃いて捨てるほどいるんだし……だからあんたの運命の人だって、凪町くん以外にもそこそこの数が用意されてるんだから、彼にこだわんなくてもいいのに。――次の運命の人に行っちゃいなよ、YOU」


「ごめんだけど私、あいつ以外の男との運命とか、マジでどうでもいいから。――犬助以外の、私の『運命の人』候補の皆さんは、なんか適当にそこら辺の適当な女を捕まえて、勝手に幸せになってください。以上、解散」


「……ウチの親友が抱えてる恋愛感情の強度エグない?」


 千里はそう言って、呆れたような眼差しを私に向ける。……ほんとにね。私自身、ちょっとうんざりするくらいよ。


 犬助にはちらっと話したけど、彼と別れたあと……私にも一応、あいつ以外の男を好きになろうとした時期があった。それが、大学に入学してからの一年間で――サークルやクラスの飲み会にも積極的に参加して、私なりに色んな男と触れ合い、彼じゃない男を好きになろうと、努力はしてみたのだ(それはもちろん、桃本とかいうビッチと比べたら、些細な交流だったと思うけど)。


 でもそうして、私なりに犬助を忘れようと行動した結果、私が手に入れた結論は……やっぱり私は、あいつのことが忘れられない、というものだった。むしろそれがあって、両想いだったあの頃よりも、この思いは強度を増してしまった。


 ――もう一度、彼にキスしてもらえるなら、何だってしてやる。


 そうして、大学一年生の終わり頃。桃本鈴鹿すずかという女の先輩が犬助に絡み始めたのを知った私は、だから――大学二年生になって以降、そんな強い感情を抱えながら、彼にアプローチをかけていたんだけど……。


「でもあんた、凪町くんにフラれた訳でしょ? これ以上やりようないじゃん」


「…………うわあああああん! ちさとおおおおおお……!」

「図星を突かれて泣きつくなよ。まったく、しょうがないなウチの親友は……」


 私が友人に抱き着いたら、彼女は私を抱き締め返しながら、私の頭をよしよししてくれた。その温かさに、つい涙が溢れてくる。……千里がいてくれてよかった。大好きな彼にフラれた時に、こうして泣きつける親友がいてくれてよかったと、私は心底そう思った。

 でも、それはそれとして、私はこうも思った。


「うわあああん……犬助にこうして欲しかったああああ……!」

「よし、慰めタイム終了。ほら、しゃんと座れブス。涙で化粧が落ちてるぞブス」


 抱き着いてくる私を無理やり引き剥がしながら、千里はそう言った。余計なこと言うんじゃなかった……千里にはもうちょっと、こうして慰めてもらいたかったのに……!

 ともかく。親友の胸で泣けなくなった私は、えぐえぐしながらカラオケボックスの長椅子に座り直す。そんな私を心配するような目で見やりつつ、彼女は続けた。


「結局のところ、まだ諦めないつもりなんだ?」

「……諦めない。だって私、私のせいで一度別れたあとも、あいつのことを諦めらんなかったのよ? ――いまさらフラれたぐらいで、好きじゃなくなれない。あいつの感情は関係ないのよ。私はただ、あいつに好かれてなくても、あいつのことが好きなの。それだけ。……それだけが、いつまでも消えてくんないのよ……」

「…………」


 私が自身の本音をそう吐露すると、千里が私の頭を、ぽんぽん、と叩いてくれた。

 私は親友の優しさにまた泣きそうになりながら、フライドポテトをもう一つ頬張る。――美味しい。失恋した直後でもフライドポテトは美味しいけど、それは美味しいだけだった。

 美味しいポテトをどれだけ食べても、幸せな気分にはなれなかった。


「たぶんだけど、凪町くんはあんたのこと、嫌いじゃないと思う。むしろ、かなり好きなんじゃないかな? だって普通、自分がフッた女に、それでも――できることなら、いつか友達に戻りたい、なんて言わないでしょ。フッた側からしたら、そんなの言えないよ普通。ということは、そんなことを言える凪町くんは、めちゃくちゃ無神経なのか――あんたのことを相当気に入ってる、ってことなんじゃないの?」


「…………」

「あんま、フラれたばっかのあんたに希望を持たせるのも、あんたの親友としてどうなんだろう、って思いはするけどね……いまウチがするべきは、美々があいつを忘れられるよう、新しい男を紹介することな気もするんだけど――」


「気持ちはありがと千里。でも私、まだこの恋を失ってないから」


「……わかってるとは思うけど、茨の道ですよ?」


 心配そうな顔で私を覗き込みながら、美々はそう言った。

 ……わかってる。ここから先、私が歩くのは茨の道だ。

 大好きな人にフラれて、それでも、その人を好きでい続ける――。

 それは、心に傷を負い続ける覚悟を持っていないと、できない選択だった。


 ……たぶん、嫉妬に狂う夜もある。泣きはらす朝もある。折に触れて、犬助とあの子がいちゃいちゃしている場面を想像してしまい、胸の奥がぎゅっとなるのに耐えなければいけないんだと思う……これから私に待っているのは、そういう地獄だ。


 だけど私は、それを選ぶ。

 この愛しい恋心を手放さずに、痛みと共に歩いていく。


 いつか報われることを夢見れるほど、私ももう幼くはないから、そんな未来はあまり想像できないけど……でも、これを手放したいと思えるその日までは、傷つきながらでも前に進もうと思った。

 そこに迷いはない。恐れもない。

 あるのは、小さな決意だけ。

 どこまでも純粋な、いつまでも捨てたいと思えない、あいつへの恋心だけだった。



「茨の道なんて、これまでだって歩いてきたんだから、別に平気なんだからねっ!」



 私はそう、自分でも努めてツンデレっぽく、千里に宣言した。

 そしたら、千里は一瞬だけ、ぽかん、という顔をしたのち――「あはははっ!」と快活に笑い出した。それから、何故か瞳を潤ませて、私の肩をばしばし叩く。ちょっと痛いくらいだったけど、その痛みがいまの私には、とても心地よかった。

 しばらくして、私の肩を叩くのをやめた千里は、潤んだ目を指で擦りながら、こう言った。


「いまの言葉、すっげーあんたらしくて好きだよ。――頑張れ、美々。ウチだけはいつまでも、あんたの味方だから。あんたが頑張る限り、頑張れって言ってやるからね」

「……ううううっ、千里ぉ……」

「おいおい、泣くなって……ウチももらっちゃうじゃん……ぐすっ……――あはっ。それじゃあ、ウチの親友がフラれた腹いせに、今日はガンガン歌いまくりますか!」


「う、うん……喉が潰れるまで歌う! のどちんこ飛ぶまで歌ってやる!」


「女の子がのどちんことか言うな? そういうとこだぞ?」

「あいつの前では言ってないもん! あんたと一緒にいる時だけ!」

「そっか、それなら良し! 二人でのどちんこ飛ばそうぜ!」

「どんなお誘いよそれ! あはははっ!」


 それから私と千里は、二人して喉が潰れるまで、ぶっ通しで歌い続けた。

 途中、自ら失恋系の曲を入れ、それを歌って泣いてを繰り返す私に、千里が「あんたは自傷癖でもあんの?」と聞いてきたけど、わかってないわね……失恋した時には、失恋ソングを思いっきり歌って、馬鹿みたいに泣くのが一番いいんだから!

 そんな感じで、私はこの日……大好きな親友と一緒に叫んだり泣いたりしながら、全ての感情をマイクにぶつけるように、カラオケで歌いまくったのだった――。


「私の良さに気づかないなんて、ばか犬助! 更にいい女になって見返してやるから、首洗って待ってなさい!」

「おー、その意気だ美々! 今度付き合えたらもう、『浮気した』とか余計なこと言うなよ!」

「…………」

「ちょ、その時のことを思い出して落ち込まないでよ……ご、ごめんって。ウチいま、余計なこと言ったよね?」

「う、うううううっ! つ、次こそ絶対、上手くやってやるんだからあ!」


 そう叫ぶ私の声が大きすぎたせいで、マイクがきぃん、とハウリングを起こす。

 ――こうして、大好きな元カレに再度フラれた私は、再び茨の道を歩き出した。

 その先に、大好きな彼が待っていることを、信じられなくても……私はただ、私の歩きたい道を、私が歩きたいから歩き始める。


 抱える荷物は、彼への思いのみ。

 どれだけ年月が経っても減っていかない、むしろ重みを増し続けるそれを携えて、私は今日、三度目の初恋を始めるのだった――。


「……覚悟してなさいよ、犬助」


 私は、私があんたを好きであり続ける限り、あんたと『ただのお友達』になんか、なってやらないんだから。

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