第4話 後編「大して好きでもないくせに、兄さんを誘惑しないでください」

「初めまして、やっきゅーん! 久野宮くのみや大学に通うみんなたちのアイドル、鈴鹿すずかおねーさんだよ! こんな夜中に、しかも割と酒臭い状態で現れてごめんね! でも、勘違いしないでね! あたし、お酒が入ってるからこういうテンションなんじゃなくて、割と普段からこんな感じだよ! もっと言うと、大学生ってみんなこんな感じだよ! がっかりだよね! あなたはこんな風にならないでね! よろしく、妹ちゃん!」


「はあ、どもです……」

「塩対応! やっぱ兄妹なだけあって似てる!」


 終電を逃した桃本もももとさんが俺の住んでるアパートに上がって、現在。

 桃本さんはリビングに入ると、まずは自己紹介になっていない自己紹介を、そこにいた俺の妹――火花ひばなにかました。それを受けて火花は、「何なのこの人」みたいな目を桃本さんに向けていた。そうだな、それが人として正しいリアクションだな。

 とりあえず、桃本さんの自己紹介があれだったので、俺は一応、二人を知っている人間として、仲を取り持つように話し出した。


「ええと、火花? こちら、あんま世話にはなってない、俺の先輩の桃本もももと鈴鹿すずかさん」

「やっきゅん!」

「……あの、さっきから気になってたんですけど、やっきゅん、って何ですか?」

「俺も知らねえ。この先輩の鳴き声みたいなもんだと思ってくれていい」

「雑な理解! いやまあ、あながち間違ってないんだけどね!」

「そんで桃本先輩。こちらが、俺の妹の火花です」

「……どうも……」

「うーん。たぶんだけど、第一印象最悪と言ったところかな! ……でも、この子が凪町くんの妹ちゃんかあ。凪町くんにはもったいないくらい可愛いね」


傘井かさい火花ひばなです。ちなみに、妹じゃなくていとこです」


「え、かさい? ……というか、いとこ? 妹ちゃんじゃなくて?」

「はい、いとこです。全然妹じゃないです」

「何でそこでお前は、桃本さんを混乱させるようなことを言うんだよ」

「兄さんこそ。なんで私と兄さんはいとこの関係だって言ってくれないんですか? ちゃんと桃本さんには、私達がいとこ同士で同棲してる事実を知ってもらうべきです」

「いいい、いとこ同士で同棲!? 同居ではなく同棲!? ええー……な、なんかやらしくない?」


「はい、やらしいです」


「いや、なんで火花が肯定してんだよ。即座にしろよ、否定を」

「兄さんやらしい」

「そして何で俺がやらしいことになってんのこれ。論調どうなってんの?」


 そうして自己紹介がひと段落しても、桃本さんは不思議そうな顔で俺と火花を見比べる。めんどくさくて火花が俺のいとこだと説明していなかったがために、なんか邪推されてるっぽかった。やめろ、そんな変な目で俺を見んな。


「と、ともかく、今日はごめんね火花ちゃん! お姉さん、この家に泊まりたいんだけど、いいかな?」

「……兄さんが決めたことなら、まあ……」

「やたっ。ありがと、火花ちゃん! それじゃあ、一緒にお風呂入ろっ!」

「……いや、何でそうなるんですか。私はもう入ったので大丈夫です」


「えー。だって女の子同士で打ち解けるには、裸の付き合いをするのが一番だよ? 二人で一緒に入って、『うわっ! 火花ちゃん、肌きれー。すべすべー……』『ちょ、やめてください先輩……!』みたいな、ベタでえっちな会話しようよー」


「兄さん。もしかしてこの人、馬鹿なんじゃないですか?」

「よくぞ見破った我が妹よ。そうだ、この人は馬鹿だ」

「おーい、そこの兄妹ー。影口がもろ聞こえだぞー?」


 俺と火花が顔を見合わせて失礼な会話をすると、彼女はそうツッコんだ。……まあ実際のところ、桃本さんはこういうコミカルな部分を持ち合わせているからこそ、大学でも人気者なんだろうけどな。もちろん、馬鹿なのは間違いないが。


 俺がそう思っていると、桃本さんはコートを脱いで「ふぃー」と息をつきつつ、俺のベッドの端に腰を下ろした。「…………」それを何故か不満げな顔で見やる火花。そんな彼女の様子を気にしていたら、桃本さんがくいくいと火花を手招きしながら言った。


「ほら、火花ちゃん。あたしの隣座って!」

「遠慮しておきます」

「そう? じゃあ凪町くんおいで。一緒に座ろ?」

「失礼します」


 火花はそう言いながら、俺が桃本さんの誘いを断るより早く、桃本さんが座っているベッドの隣に腰かけた。

 それを受けて「お?」と呟く桃本さん。彼女はにやにやしながら続けた。


「凪町くんから話には聞いてたけど、もしかして、火花ちゃん――」

「…………」

「あははっ。ういやつういやつ」

「ちょ、やめてください。髪触らないで。馴れ馴れしいです」


 自分が火花に睨みつけられていることなど気にも留めない様子で、桃本さんは火花の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。……何というか、最初はぴりぴりしていたけど、意外と相性が良いのか? この二人。


 ともかく、俺が家に上げてしまった(というか、上げざるを得なかった)桃本さんと、火花が仲良くやっているのを見て、一安心する俺。

 そうして、俺が安堵と共に座椅子にあぐらをかくのと同時、桃本さんは自分が買ってきたポテチの袋を開けながら、火花に言うのだった。


「さて! それじゃあ火花ちゃん。今日は朝まで、パジャマパーティでもしようか!」

「……あの、先輩の誘いをお断りするのは申し訳ないのですが、私、そろそろ寝たいんですけど。というか、桃本さんはパジャマでも何でもないですよね?」

「心はパジャマだよ!」

「意味がわかりません」


「というか火花ちゃんこそ、そのジェ〇ートピケ可愛いね! あざといね! 誰に見せる用のジェ〇ピケなのかな? エロい女だね!」


「…………」

「いたい! いたいよ火花ちゃん! お姉さんの太もものところをぐっと、指でつねらないで! 地味な見た目と裏腹に多大なるダメージだよ!」

「この人なんなのもう……」


 何故か桃本さんが火花に絡んでいるので、俺はその間に、テーブルの上に置いてあったゲームコントローラーを握る。姦しい二人に構わず、打倒妹を目指して、落ち物パズルの自主練を始めた。すると、火花と共に俺のベッドに座っている桃本さんが、こちらを見ながら言ってきた。


「あ、凪町くん。あたし、ちょっと汗かいちゃったから着替えたいんだけど、Tシャツとか借りてもいいかな?」

「駄目です」

「ええー、なんで火花ちゃんが断るの? いいじゃん、彼氏の家に泊まりに来た彼女みたいで。あたし、そういうの好きだよ。彼シャツっていうの?」

「なおさら駄目です」

「あ! じゃあさじゃあさ、火花ちゃんも一緒に着よ! あたしと火花ちゃんで、凪町くんのTシャツ着ちゃおうよ! 彼シャツパーティの開催だ!」

「…………だ、駄目です」

「おい。なんでいま間があった」


 反射的に俺がそうツッコむと、桃本さんが「ちょっと男子ー。女子の会話に入ってこないでよー。先生に言いつけるよー?」と言ってきた。小学校時代のムカつく委員長ムーブやめろや……俺がそう思っていると、桃本さんは俺に向かって尋ねてきた。


「というか、汗かいちゃってるのは本当だから、シャワーだけ浴びたいんだけど……えーっと、駄目?」

「もちろん、駄目に――」


「別にいいっすよ、シャワーぐらいなら」


「…………」


 シャワーを許可したら火花に睨まれたが、それくらいのことなら本当に構わなかった。俺としては彼シャツも、桃本さんのそれに深い意味はなさそうだったから、別によかったんだけどな……そっちも許可したら火花に怒られそうだから、言わないけど。

 ともかく。俺の許可を貰った桃本さんは勢いよくベッドから立ち上がると、言った。


「やったぜ。じゃああたし、お風呂入ってくるね! ……覗いちゃダメだぞ?」

「誰が覗くか」

「誰が覗くかとはなんだ。――ええー、覗いてよー。凪町くんが覗いてくれなきゃあたし、『きゃあ、の〇太さんのえっち!』って言えないじゃん」

「そんなボケ一つのために誰が覗くか」

「……というか、実際のところはどうなのかな? いまあたし、急に不安になっちゃったんだけど……一応、凪町くんも、あたしがシャワーを浴びてたら覗きたくはなるんだよね? その程度にはあたし、女としての魅力はあるよね?」


「…………」


「え、何その意味深な沈黙! どっち!? それはどっちの意味での沈黙!?」

「大丈夫ですよ桃本さん。桃本さんって性格はアレだけど、容姿は抜群だから」

「うーん、もっと素直に褒めて欲しかったけど、褒めてもらえたから良し! そっかあ、凪町くんもあたいしのこと、えっちな目で見てくれてたんだなあ……このえっち! 思春期! でもお姉さん嬉しい!」


「うっせえなあ……早くシャワー浴びてこいよ」

「あっ、そういう男らしいセリフ好き! あたしMだから!」

「性癖暴露しなくていいから。マジでもう風呂行ってください」

「はーい。凪町くんのために、綺麗な体にしてきまーす」

「汗かいた自分のためにだろうがよ……」


 俺がそうツッコむと、桃本さんは楽しそうに「あははっ」と笑ったのち、早足で脱衣所へと向かう。どうにも桃本さんとらしくないやり取りをしてしまったことに、ちょっとだけ気恥ずかしくなっていたら、ふいに――「待ってください」と。

 温かな空気を切り裂くような一言が、狭い部屋に落ちた。


「ん? どうしたの火花ちゃん? ……あ、シャワー借りるの、まずかった?」

「いえ、それはもういいです。それよりも、一つ聞きたいんですけど……あの、桃本さんって、お兄ちゃ――兄さんと、お、お付き合いしてるんですか?」


 少しばかり頬を朱に染めて、火花は桃本さんにそう尋ねる。

 しかし、照れたような表情は可愛らしいけど、その目は……いま彼女が桃本さんに向けている眼差しは、刃物のように鋭く、また真剣だった。

 そんな視線を受け止めて、桃本さんは一瞬だけたじろいだのち、「んんっ」と咳ばらいをすると、手指を絡ませてもじもじしながら言った。


「え……うーん、まあ、その……付き合ってない、よ……?」


「何故そんな勘違いさせるような言い方をしたのか」

「はっきり答えてください。兄さんと付き合ってないんですね?」

「……あはは。うん。凪町くんとは良いお友達かな」

「それじゃあ――」


 火花はそこで言葉を切ると、つかつか桃本さんの方に歩み寄っていった。

そうして、桃本さんの前に立った彼女はそれから、がしっ、と。

 桃本さんの片腕を強く掴みながら、静かに、けれど重たい声音で告げるのだった。


「好きでもない男を、あまりからかわないで下さい」


「……別に、からかってるつもりはなかったんだけどね?」

「兄さんは馬鹿なんです。好きって言われたら好きになっちゃう単細胞なんです。ですから、大して好きでもないくせに、兄さんを誘惑しないでください」

「いや、誘惑って……それこそ、火花ちゃんの思い込みじゃない? たぶん凪町くんも、誘惑されたとは思ってないよ。――これはノリだもん。楽しいおふざけ。冗談と本気の区別もつかないようじゃ、火花ちゃん、まだまだだねえ」


「私には、あなたの行動は、冗談の中に本気を織り交ぜているように感じられました」


「ええ……?」


 困惑したように表情を崩す桃本さん。……わかりやすく空気が重くなり始めていた。何が火花の琴線に触れたのか知らないけど、どうやら彼女はいま、桃本さんに対して色々言いたくなってしまっているらしい。

 それを受け、ここは兄として口を挟むべきだと考えた俺は、無理やり言葉を吐いた。


「おい火花。お前、俺が良くしてもらってる先輩にダル絡みするのやめろ。何が原因かは知らないけど――」

「兄さんは黙っててください」

「……いやあの、ほんと、桃本さんが可哀想だから――」

「ちょっと凪町くん? いまはたぶん、あなたが口を出さない方がいい場面だと思うよ。良い子だから静かにしててね」

「……なんで気を遣った俺が、双方から黙ってろって言われてんだよ……」


 俺がそう呟いている間も、桃本さんと火花は静かに、睨み合いを続けていた。

 火花はどこか、感情が押さえられなくなったような瞳で、彼女を――。

 桃本さんはどこか、相手を見下すような眼差しで、彼女を――。

 互いが互いに、何かしらの感情を持ち寄って、目前にいる相手を見つめていた。


「だいたい、何で終電を逃して、助けを求めるのが兄さんなんですか。女友達の家に厄介になればいいじゃないですか。――そもそも、終電は本当に逃してしまったものなんですか? 兄さんの家に転がり込みたくて、わざと見逃したんじゃないんですか?」


「あ、ちょっとめんどくさいこと言ってるよ、火花ちゃん。……盲目になるのもわかるけど、あたしの気持ちを決めつけて、憶測でものを語らないで欲しいかな。あたしは確かに凪町くんが大好きだけど、それは後輩としてのラブであって、火花ちゃんがこうしてあたしに攻撃してくるのは、かなりお門違いだと思うんだけど」

「別に、私だって桃本さんの感情を決めつけたりしてないです。ただ私は、兄さんを無駄にからかうあなたにイラッとしたから、ちょっと怒っただけで……」

「高校時代、あたしにもそういう時期があったから、わからないでもないんだけどね? えーっと……よし、じゃあ一つだけ言っておこう、火花ちゃん。――あたしは、あなたさえ望んでくれるなら、あなたの味方になってあげられるよ?」

「……信じられません」


「うわー、恋に恋するめんどい女子高生だあ! まだ絶滅してなかったんだ!」


「ビンタしますよ」

「ちょ、キャットファイトやめて? ……でも、嘘は言ってないよ? あたしと凪町くんは本当に、いいお友達だから。その証拠に、火花ちゃんがあたしに歩み寄ってくれるだけで、あたしはちゃーんと味方になってあげられるの。――兄妹でキモいとか、言わないよ?」

「…………言ってるじゃん……」

「あはは。ごめんね、ちょっとけん制しちゃった。お姉さん、いまズルかったかも」


 どこか作ったような、でも極めて自然な笑みを零しつつ、桃本さんはそう言った。

 それを受けて、火花はようやく、掴んでいた桃本さんの腕を離す。すると、桃本さんは作り笑顔ではない、今度こそ純粋な微笑を浮かべて、彼女に言うのだった。


「それで、どうする? そうしたところで、あなたに絶対得はないけど、敵対しておく? それとも、心強いおねーさんを味方にしちゃう?」

「…………」


 そんな言葉と共に、手を差し出してくる桃本さん。差し出された右手をじっと見つめたのち、火花は……ちら、と。俺と、次に桃本さんを見たあとで、深く息を吐いた。

 それから彼女は、桃本さんに握手で応えながら、小さく告げるのだった。


「……不本意ながら、よろしくお願いします」


「やったぜ! 火花ちゃん、ゲットだぜ!」

「ゲットはされてないです。――というか、いつ敵対してもおかしくない関係だということは、ゆめゆめ忘れないでください。昨日の友は今日の敵ですから」

「それ、あたしが知ってるのは逆だけどね。はいはい、わかったわかった」


「私のめんどい感じを受け流さないでください。そんなリアクションをされたら、私が子供みたいじゃないですか」

「実際子供だからね、火花ちゃんは。そんなところも可愛いけど!」

「あなたに言われても嬉しくありません」

「んん? じゃあ、誰に言われたら嬉しいのかな?」

「ほんとこの女ムカつく……!」


 心底そう思っているように、火花は桃本さんを睨みつけた。それを受けて桃本さんは「あははっ」と笑う。……なんかよくわからんが、あの喧嘩っぽいムードは無事、二人の話し合いで払拭できたらしい。いやあ、よかったよかった。


 ……いやまあ、二人が和解したのはいいんだけどさ……ぶっちゃけ、いまの二人の会話は、俺が聞いてない方が良かったんじゃないかというか、その……色々と俺の中で、こういうことかな? って察せってしまう部分が多すぎたんだけど――。

 俺がそう、火花と桃本さんの会話を反芻していたら、ぎらり、と。

 先ほどまで握手をしていた二人が何故か、息ぴったりの様子で俺を睨み……にちゃり、と嫌な笑みを浮かべた。……え? なに? 何この急なホラー展開。こわい。


「ところで桃本さん。私、いまの会話、兄さんに聞かれるとけっこう都合が悪かったんですけど……桃本さんは私の味方ですよね?」

「うん、そうだよ火花ちゃん! あたしは火花ちゃんの味方! 決して、あの鈍感お兄ちゃんの味方じゃないよ! やったね!」


「ありがとうございます。それじゃあ……これから二人で、兄さんの記憶を飛ばすために、兄さんの首の後ろ部分を全力で殴りましょうか」


「は!? ひ、火花さん!? お前、いきなりなに言っちゃってんの!?」

「がってん承知!」

「いや桃本さんも! そんな物騒なこと承知してんじゃねえよ!」


 そうして俺は、それから数十分もの間、火花が諦めてくれるまで、首の後ろ(うなじ)を、イカれた女二人に手刀で叩かれまくるのだった――ふざけんなよ。何だよこのオチ。そんなんで記憶がなくなるわけねえだろ。

 ちなみに、それが終わったあと俺達は、始発が走り出す時間になるまで、三人で仲良く『桃〇郎電鉄』をしたけど……その間も俺は、首の後ろに残った鈍い痛みに耐えながら、ゲームをプレイする羽目になるのだった。ちくしょうがよ。

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