第5話「私はまだ、あんたが×××××」
とある日曜日。
俺はその日、今でもたまに遊ぶ、高校時代の友人――
俺もそいつも映画好きのため、二ヵ月に一回くらいのペースで、この映画イッキ見フェスティバルは開催しているのだけど……今日、俺がいつものように、待ち合わせ場所である犬の銅像がある場所に行くと、そこには――俺の友人ではなく、彼女が待っていた。
「……遅いなあ、あいつ……」
いや、なんで
つか、あれって俺を待ってるのか? 別の人と待ち合わせをしてる訳じゃなく?
そう思った俺は、ひとまず確認のため、友人の仲宮にラインをする。
『俺もう着いてるけど。どこ?』
そしたら、すぐさまこんな返事が返ってきた――。
『ごめん、今日は無理になった。代わりと言っちゃなんだけど、お前の元カノが一緒に行ってくれるらしいから、彼女と映画祭りして』
「……いや、なんで俺、元カノと映画見なきゃなんないんだよ」
俺は独り言と同じ内容の文言をラインで友人に送る。そしたら――『
ちなみに森姫とは、フルネームを
加えて補足するなら、俺がいまラインしてる仲宮の、幼馴染で……どうやらこいつは森姫から、俺と兎崎を二人きりにするよう頼まれたらしい。
その結果、いま待ち合わせ場所に仲宮はおらず、代わりに俺の元カノがそこで待っている、という訳か。
『なんだよ。仲宮と行く映画、楽しみにしてたのに……』
『男の俺にデレてどうすんだ。というか、森姫からぼんやり事情は聞いたけど、、、
『は? それはどういう意味だよ』
『そのまんまの意味だけど? じゃあデート、楽しんでな!』
そんなメッセージのあと、猫のスタンプで『がんばれ!』と送ってくる、俺の男友達。それを見た俺は一つ息を吐いたのち、彼女のもとに近づいていった。
そのうち、待ち合わせ場所に近づいてくる俺に兎崎が気づくと、彼女は「あっ」と声を漏らしたのち、少しだけ顔を綻ばせた。……付き合ってた頃を思い出しちゃうから、そんな可愛らしい顔すんなよ。
「あんた、こんなとこで何してんの?」
「それはこっちのセリフだっての……お前、ここで何してんの? 俺は今日、仲宮と映画館をハシゴする約束してんだけど」
「あ、あの、それは……仲宮くんが今日、都合が悪くなっちゃったから、自分の代わりにあんたと一緒に映画を観に行ってくれる人を探してるって、千里から聞いて……そしたら千里が『あんた、凪町くんと一緒に行ってあげなよ』って私に言うから、こうして仕方なく? しぶしぶ? 嫌々ながら来てやったんでしょ感謝しなさい!」
「…………」
「な、何よ、その顔は……なんか文句でもあるわけ?」
「いや、別に? そういう設定でいくんだなあと、ただそう思っただけだ」
「せ、設定とかじゃないから!」
俺の発言にそう食ってかかってくる兎崎。メイクばっちり、服装も外行きと、わかりやすく気合を入れて来ているくせに、どうにも素直じゃなかった。
だから俺は、これが意地悪だとはわかっていたけど、彼女にこう言った。
「つか、仲宮が来れないなら、俺は一人で映画見に行くだけだから……わざわざお前に付き合ってもらう必要はないんだけど?」
「…………」
「仲宮が来ないって教えてくれて、ありがとな。――じゃあ、また」
素直になってくれないのなら、それでもいい。俺はそういう気持ちで、兎崎に対して片手を挙げると、彼女に背を向けて歩き出そうとした。
しかし、次の瞬間。
一歩踏み出した俺の服の袖を、彼女がぎゅっと掴んできて、だから俺は動けなくなった。
「兎崎? あの、離してくんない?」
「うう……ううううう!」
「……意味を成してない唸り声を出すなよ。つか、そんな目で俺を見んな」
付き合ってた頃と同じように、俺の服の袖を必死に掴みながら、兎崎はいまにも泣き出しそうな顔で俺を睨む。それはまるで、欲しいおもちゃを買ってもらえずに駄々をこねる子供のようだった。もう大学二年生なんだけどな、こいつ……未だに難儀な性格してるわ……。
それから、掴んだ俺の服は離さないまま、彼女は絞り出すように続けた。
「べ、別に、あんたと一緒に映画見てやっても、私は構わないけど……?」
「…………」
「も、もちろん、私は乗り気じゃないけどね! でも、私はどっちでもいいけど……私は見てやってもいいんだから、あんたはどう言うべきか、わかるでしょ……?」
……いやだから、お前に付き合ってもらう必要はないって、俺はそう思ってるんだけど?
よっぽどそう言ってやりたかったが、それを彼女に言っても、彼女がより泣きそうな顔になるだけな気がしたので、やめておいた。俺としては、一緒に映画が行きたい、という彼女の本音を、ちゃんと確かめておきたかったんだけど……。
そういえば、彼女と付き合ってた時もこうして、俺が大人にならなきゃならない場面が多かったよな――なんて思い出してしまいつつ、俺は兎崎に言った。
「はいはい、わかったわかった……それじゃあ、俺がお前と一緒に映画見たいから、付き合ってくれるか?」
「ううううっ! 最初からそう言いなさいよ、ばかぁ!」
俺の言葉を受け、兎崎は涙目になりながら俺の肩をぽかぽか叩いた。痛くないし、むしろ拗ねてる感じが非常に可愛いんだけど、リアルのツンデレってやっぱめんどいよな!
「ううっ……付き合ってた頃は、こんな意地悪、しなかったのに……」
彼女のそんな言葉を聞き流しつつ、俺は兎崎と二人、肩を並べて歩き出す。
最初の目的地は、都心の中心から少し外れた場所にある小さな映画館で……俺はここでしか上映していない作品を観たいがために、わざわざ都心に出てきたのだ。
そうして、大した会話も交わさぬまま、俺達は映画館に到着。――チケットを購入したのち、隣の彼女に「ポップコーンでも買うか?」と尋ねたら、未だ涙目の兎崎が無言のまま、こくりと頷いた。
ちなみに、先程からここに来るまで、掴まれた袖は未だ離してもらえていない。なんというか、ちょっとだけ昔を思い出してドキドキするから、やめてくんねえかな……。
売店の列がはけ、レジへと辿り着く俺達。店員さんに「ご注文は?」と聞かれたので、俺は隣の兎崎に尋ねた。
「食べたいのあるか?」
「……キャラメルがいっぱいかかったやつ」
子供かよ。
そうして、キャラメルポップコーンのLを購入した俺達は、チケットを見せて映画館の中へ。ようやく俺の服の袖を離してくれた彼女は、キャラメルポップコーンを食べ歩きしながら、「こんな気分の時でもおいしい……」と呟いていた。
そんなこんなで俺達は、購入した座席へと腰を下ろした。
観る場所にこだわりはないので、人が少ない端の方の席。彼女が左側で、俺が右側。俺はようやく人心地つけた気がして、両サイドのひじ掛けに腕を置いた。
すると、俺が左腕を置いているひじ掛けが、ぐいぐい、と――隣の女の腕に侵食され始めた。なので、俺はむっとした顔で隣を見やる。そしたら、ポップコーンを食べて少し元気になったらしい彼女が、どこかいたずらっぽく笑っていた。
「このひじ掛けは私のものだから」
「あっそ。じゃあお前にやるよ」
「そう? それじゃあ、遠慮なく使わせてもらおっかな。――ありがとね、負け犬くん」
「…………」
「痛い痛い痛い! やめて、男の力を使ってひじでぐいぐい押し出す攻撃やめて! というか、私のひじ掛けになにすんのよ! 私にくれるって言ったじゃない!」
「気が変わった。このひじ掛けは俺のもの。右のひじ掛けも俺のもの」
「あんたほんと、負けとか勝ちとかって言葉に敏感よね……」
「ちなみに、いまお前はひじ掛けに腕を置けてないから、俺の勝ちな?」
「こんなのに勝ち負けもないでしょ。――つかこういう時は、半分こずつにするべきじゃないの? ほら、私のスペース空けてよ」
正論を言われてしまった俺はしぶしぶ、左のひじ掛けに兎崎の腕が置けるスペースを作った。そうして、そこに腕を置く兎崎。……服の上からでも、彼女の腕と俺の腕がぴったり触れ合っているのがわかってしまい、どうにもやりづらかった。
「しょうがない。引き分けだな……」
「……ふふっ、そう? 私の勝ちじゃない?」
そんな会話をしているうちに、映画の予告編が始まった。……どうでもいいけど、映画館で流れる予告ってズルくねえ? 映画館に足を運ぶような人間がこんなん見せられたら、観たい映画が溜まる一方なんですけど……。
ちなみに俺、本編を観てもいないのに、ク〇ヨンしんちゃんの映画の予告を観ただけで泣いたことがあります。ク〇しん映画って面白い作品が多すぎでは?
思いながら予告を見ていたら、「はい」という声と共に、でかいポップコーンの容器を兎崎に渡された。「なんだよ、もういらないのか?」と尋ねると、彼女はこう返事した。
「映画に集中したいから、あんたが持ってて」
「わがままお姫様かよお前」
「ちなみに、それはあたしのポップコーンだから、犬助(けんすけ)は食べちゃ駄目だからね?」
「しかもケチくせえし……誰がこのポップコーンを買ったのか、もう忘れてるだろ」
「ああ、違う違う。私は別に、ケチな理由からこのポップコーンを独り占めしたい訳じゃないのよ。そうじゃなくて、目の前にポップコーンがあるのに食べられなくて悔しがってるあんたの横でポップコーンを食べたいだけなの」
「なお悪いじゃねえか。俺にも食べさせろよ」
「しょうがないわね。それじゃあ……はい。あーん」
予告編を見ている俺の口元に、摘まんだキャラメルポップコーンを差し出す兎崎。
……いや、何で元カノにあーんされなきゃいけないんだよ。そう戸惑いつつ、でも、兎崎があまり大胆なことはできない人間だと知っている俺は、言われた通りに口を開けた。
「あーん」
「へっ……? ちょ、なんであんた、口を開けてんのよ……!」
「だって、お前が食べさせてくれるんだろ? あーん」
「……しょ、しょうがないわね。それじゃあ――えいっ!」
「ふがっ!? ……おい。お前、何してくれてんだよ……」
「あっ、いっけなーい! 映画館って暗いから、口と鼻を間違えて、犬助の鼻にポップコーン詰めちゃった! てへっ」
「お前、マジでお前……あのなあ、たとえ照れ隠しなんだとしても、やっていいことと悪いことがあるからな?」
「て、照れ隠しじゃないから! 別に、犬助の口にあーんするのが恥ずかしくてギャグに逃げたとかじゃ全然ないから! 勘違いしないでよね!」
「いいから早く取れよこれ。さもないとこのポップコーン、俺の鼻息で噴射して、お前にぶつけてやんぞ」
「ちょ、キモいことしないでよ!」
「うっせ。そもそも他人様の鼻にポップコーン詰めてんじゃねえよ」
両手でポップコーンの容器を持っている俺の代わりに、すぽっ、と俺の鼻からポップコーンを抜いてくれる兎崎(ポップコーンを抜くって日本語なんだよ)。次いで、彼女はにやにやと笑みを浮かべると、そのポップコーンを手に摘まんだまま、こう言った。
「はい、あーん♡」
「頭イカれてんのかてめえ」
俺がそうツッコむと、心底楽しそうに笑う兎崎。……こいつほんと、今日はやりたい放題だなおい……。
それから、そのポップコーンを俺が紙ナプキンでくるんで処理しているうちに予告が終わり、間もなく本編が始まったので、俺達はしばし、映画の世界に没頭する。
今回、俺達が観ている映画はスパイアクションもので――金をかけて作られた超大作ではないものの、一部マニアに脚本の良さが評価されている作品だった。
序盤からド派手なアクションを盛り込み、ワクワクを途切れさせずに物語は進む。正直、悪役が小物なのがどうにもいけ好かないけど、それ以外は非常に楽しい映画だった。
特に、終盤――スパイの友人が死に、主人公がそいつの墓参りをする場面は、これまで無感情に任務をこなしていた主人公の心の動きを繊細に捉えており、決して泣かせにきているシーンではないのに、つい泣きそうになってしまった。
涙腺が緩んだのを自覚し、俺は慌てて目を擦る。横にいる彼女に、いま俺が泣きそうになってしまったのがバレていないか不安に思い、左隣を見たけど――。
「う、うううっ……ローレンス……ううううっ……」
そんな心配をしたのが馬鹿らしくなるくらい、彼女は号泣していた。
……もうなんか、顔面の色んな箇所から汁という汁を垂れ流しており、美人は泣き顔も可愛いな、とか思うレベルは越えていた。なので俺は慌てて、ポップコーンを買った際についてきた紙ナプキンを彼女に手渡すと、兎崎は「あいがどぉぉぉ……」と言って鼻をかんだ。モンスターかお前は。
そんな様子の彼女を見て、俺はふと思い出す。
そういえば兎崎と俺は、感性がかなり似ているのだ。
好きなもの、嫌いなものの好みが近くて――もちろん、全部が全部同じという訳ではないけれど、俺達は何か一つのものを見た時に、同じ印象を受けることが多かった。
あの芸人が好き。あの音楽が嫌い。あのゲームが好き。
あのドラマが嫌い。あの小説が好き。あの女優が嫌い。
だから俺は、そんな彼女が――。
「…………」
まあそんなのは、昔の話だけどな。
◆◆◆
「いやー、良い映画だったね! 俳優の演技も超渋かったし! 何よりストーリーが面白かった! ちゃんとラスト、驚きを用意してくれてたのがやるなって感じだったね! まあ、悪役のあいつが、キャラとして立ってなかったのはマイナスだけど……でもそれ以外はほんと、めっちゃ良かった! 正直、犬助とデートをするのが目的で、映画とかどうでもよかったんだけど――あははっ! この映画大好きになっちゃった! やば! あたし、ちょっとだけテンション上がっちゃってるかも!」
「……いや、ちょっとだけじゃなくて、がっつりテンション上がってるぞお前」
その証拠に、俺がリアクションし辛いようなこともさらっと言ってたし……基本的に素直じゃないくせに、たまにめっちゃ素直になる時があるの、なんなの?
ただまあ、兎崎がそんなテンションになるのもわかるくらい、いまの映画はすっげえ面白かったけどな! こういうのがあるから、映画ファンはやめられねえぜ……。
そうして、そんなテンションのまま、俺達は互いにどのシーンが良かったかを言い合いながら、次の映画館へと向かった。――しかし、先程の興奮冷めやらぬまま観た次の映画は、兎崎の「……やっぱ、一本目が面白過ぎたんじゃん?」という感想に、俺も同意するしかなかった。
そんなこんなで、三本目。
いま話題の、少女漫画原作の恋愛映画を観終えた俺達は、現在――そろそろ自宅に帰るため、映画館から都心の駅に向かって歩きつつ、お互いの意見を交換していた。
「いやあ、中々面白かったな……最後はベタって感じだったけど、相手役の男はカッコ良かったし、心理描写は繊細だったし、いい映画だったんじゃないか?」
「いや、あの映画はクソだから。リンコの心理描写とかめっちゃ省いてたし、タクヤの気持ちの動きとか、マジで雑だったもん。つかタクヤ役の俳優が
「…………」
「あ、や、別に? 私、この映画の原作のファンとかじゃないけどね? たまたま? 友達に詳しい子がいて? みたいな? ――というか私、少女漫画とかそんな、乙女なもの読まないし?」
「…………」
「読まないつってんでしょ何よその目はぶん殴るわよ!?」
「何も言ってないのに気まずくなってキレんなよ……いいから。別にお前が少女漫画好きとか、ずっと前に気づいてたし」
「えっ……昔あんたを家に呼んだ時は、私の部屋の少女漫画は全部、お兄ちゃんの部屋に押し込んどいたのに!?」
「ああ。お前の母親がそのことを、楽しそうに俺にバラしてくれたからな」
「あんのババアあああああぁぁぁぁ!」
母親に対して汚い言葉を使う兎崎。ちなみに、普段はお母さんのことを『ママ』と呼んでいるらしい情報も、その兎崎母から入手済みだ。……あの人、俺が兎崎の家に行くと、娘のことなんでも俺に喋ってくれたからな。
「そういや、これもお前の母親から聞いたんだけど……幼稚園の頃の兎崎はポ〇モンにハマってて、だからお風呂を出たあとなんかはよく、リビングのソファに寝っ転がって全裸でポ〇モンやってたって聞いたけど、あれってマジ?」
「ああああああああああああああっ!」
「むぐう!? や、やめ、兎崎……死ぬ……酸欠で死ぬ……!」
ちょっとからかうつもりで兎崎の子供の頃の恥ずかしエピソードを開示したら、首を思いっきり絞められた。こ、こいつをからかうのは命がけだな……!
それから、どうにか俺の首を解放してくれた彼女は、「あああああああっ……!」と言いながら真っ赤になった顔を両手で隠し、コンクリの道端にしゃがみ込んだ。
そうして、しばしの時間が経過したのち、彼女はふいに立ち上がると、真っ赤な顔のまま俺に言った。
「……小一の頃まで、自分の親指をしゃぶる癖が直らなかったくせに……」
「ぐああああああああああああっ!?」
母親が開示した俺の過去に、今度はこちらが殴られる番だった。どうして母親っていうのはこうも、我が子の恥を我が子の彼氏彼女に言いふらすのが大好きなのか!
そうして、俺達が付き合ってた時代に仕入れた、お互いの恥ずかしい過去を暴露し合うという、最悪な口喧嘩をしているうちに――都心の駅前に到着。
そしたら、兎崎が「あ……」と、寂しそうな表情で、寂しげな声を漏らした。
それを見て、俺の中にある未練のような何かが、小さく熱を持つ。――それを自覚した俺は、自分がそれを望んでしまう前に、兎崎に別れの言葉を告げるのだった。
「なんというか、今日はありがとな。……じゃ、また」
「え、あ……で、でも――」
「……おい。だから、離せって……」
「…………」
駅の改札へと向かう道すがら。
また兎崎に服の袖口を掴まれてしまい、俺は身動きが取れなくなる。
ただ実際には、そこに俺を繋ぎ止める力はない――縋るように袖を掴む彼女の手は、振りほどこうと思えば簡単に振り払える、女の子の力でしかなかったから。
だけど、そうはわかっていても、俺はそれをできずにいて……いじらしく俺の服の裾を掴み、顔を俯ける兎崎のつむじを、静かに見つめるしかなかった。
そうして、俺と彼女の間に沈黙が落ちる。……しばらく時間が経っても、彼女は何も言わない。なので俺は、何も言わない彼女に代わって、尋ねるしかなかった。
「どうして、こんなことをするんだ?」
「…………」
「俺達はもう、終わったはずだよな? ……そういう時期は確かにあったけど、俺達は終わった。だっていうのにどうして、お前はまだ、俺と映画に行ってくれるんだよ?」
「なんで、あんたと映画に行っちゃいけない訳?」
顔をあげ、きっ、と俺を睨む兎崎。
彼女にこういう目を向けられた時、俺は逆に、頭の中が冷静になっていくのを感じるのだった。
「行っちゃいけないなんて言ってないだろ。意味が分かんねえ、って言ってんだ。……お前はもう俺のことなんか、とっくの昔に好きじゃなくなったんだろ? 好きじゃなくなったから浮気したんじゃないのかよ?」
「ち、ちが――」
「何が違うんだよ」
俺がそう尋ねても、彼女はまた顔を俯けるのみ。……そうして、また平行線のまま、彼女の本音は未だわからずに、ここで話は終わると思ったけど――。
兎崎は項垂れたまま、小さく独り言を零すように、ぽつりと呟いた。
「あれに関しては、ほんとにごめん……」
「…………」
「でも、私がああしたのは……あんたのことを嫌いになったからじゃないもん……私は、あの頃から変わってない。変わらないまま、不器用で――」
「…………」
「だから、別れるしかなかったんだよね……」
いつの間にか兎崎は顔を上げ、それでも俺とは目を合わせずに、儚げな横顔を俺に見せていた。
掴んでいた俺の服の袖を、そっと離す。そうして、彼女はそのまま、俺に背を向けてどこかへと歩き出した。……そっか。彼女が語ってくれるのは、ここまでか。
結局、現在の兎崎の思いについては、よくわからないままだったな……俺がそう思いながら、去り行く背中を見つめていると――ふいに、兎崎が振り返った。
「ごめんね、犬助。色々とごめん。でも――」
そこで言葉を切る兎崎。一度だけ深呼吸したのち、彼女は俺を見つめる。
そうして、兎崎は柔らかな笑みをそこに浮かべながら、告げるのだった。
「私はまだ、あんたが好きなのよ」
「――――」
その意外な言葉に、俺は目を見張る。
まさか、はっきりとそう言われるとは思っていなかった。
兎崎の素直すぎる気持ちに、二の句が継げなくなる俺。そんな俺を見て、兎崎は一瞬だけ、くしゃ、と泣き出しそうな顔をすると、慌てて目元を拭い、わざとらしい笑顔を無理やり作って、続けた。
「そ、それじゃあ、私こっちだから! ばいばい!」
そう言いながら手を振り、駅とは反対の方向に兎崎は歩き出したけど……彼女も電車を乗り継いでここまで来た筈なので、都心の駅を利用せずに自宅には帰れない筈だった。それなのに彼女は、どこか弱々しい足取りでスクランブル交差点へと向かうと、そのまま都会の人波に飲まれていった――。
小さくなる彼女の背中を見つめながら、俺は考える。考え続ける。
俺の好きだった元カノが、まだ、俺を好きでいてくれたのなら。
そのとき、俺はどうするべきなのか……一体、どうしたいのか。
彼女と別れたあの日にできた傷がじくりと、その痛みを思い出させるかのように疼いていた。
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