前日譚 兎崎②「……人ってマジ泣きする時には、うわあああん、って言うんだな……」

「別に、めちゃくちゃ好きって訳じゃないけど、その……まあ、それなりに? あんたのことが好きだから、あの……わ、私と、付き合ってみない!?」


 高校三年生の、夏休みに入るちょっと前。

 私が彼にそう言えたのは、私が凪町なぎまちくんに告白すると決めてから、ちょうど半年が経った頃だった。

 とある小さなきっかけがあり、それで彼を意識するようになってから、はや一年と半年――次第に、彼と恋人になりたいという欲求を抱いていった私は、これまで何もできずにいたけど……ついに今日!


 凪町くんを放課後の屋上に呼び出し、告白することに成功したのだ!


 ……いやまあ、告白の文言はだいぶ、私が想像してた感じと違っちゃったけど――何よ、『別に、めちゃくちゃ好きって訳じゃないけど』って! 私、凪町くんのことめちゃくちゃ好きじゃない……お風呂の時、ご飯の時、授業を受けてる時、暇さえあれば彼のことを思い出してるじゃない……べ、別に、めちゃくちゃ好きって訳じゃないけどね!


 そんな風に、心の中ですら素直になれない私だったけど、ともかく!

 私は今日、私にしては珍しいほど素直に、これまで秘めていた思いを、彼に伝えることができたのだ。

 しかし、それを受けて、彼は――。


「……ありがとう、兎崎とざきさん」


 どこか気まずげに顔を逸らしつつ、そう呟いた。

 ……あ、これは駄目かもしれない。彼のリアクションを見てそう思った私は、次の瞬間――胸の奥がぎゅーっと、何かに締めつけられるのを感じた。


 ああ、そっか……私、凪町くんと付き合えないんだ。


 こんなに、好きなのに。

 遠くから見てるだけでもドキドキして、もし付き合えたらどうしよう、これからずっと一緒にいられるのかな、そんなの幸せ過ぎて心臓がもたないんじゃないかな――なんてことも、もう考えられないんだ。

 だったら、勇気を出して告白なんか、しなきゃよかったな……。


 そんな結論に至って、だから私が泣き出しそうになっていると、凪町くんは……気まずげに顔を逸らしたまま、ぽつり、と。絞り出すように言うのだった。


「お、俺も、何というか、その……兎崎さんのことが、好き、だからさ……」


「…………え?」

「お、俺なんかで、良かったら……」

「――――」


 私は両手で口を塞ぎ、思わず目を見開いた。

 よく見てみれば、気まずそうに顔を逸らしていた凪町くんの頬は、真っ赤に染まっており……彼が顔を逸らしたのは別に、告白を断るのが申し訳なかったからじゃなくて、自分も好きだと言うのが恥ずかしかったから、そっけない態度になっていただけらしかった。


 つまり私はいま、憧れていた彼に、好きと言ってもらえた。

 大好きな人と、両想いになれたんだ。


「……う、ううっ、うあああああ……!」

「ど、どうしたんだよ兎崎さん!? なんで急に、泣き出して……」

「べ、別に、嬉しいとかじゃないから! あんたと付き合えるのなんてわかってたし、だから、あんたに好きって言われて、感極まったりとかしてないからああああ……! うわあああああんっ!」

「……人ってマジ泣きする時には、うわあああん、って言うんだな……」


 ムカつく。私はこんなに嬉しいのに、どこか冷静な凪町くんがすっごいムカつく。

 でも、ムカつくけど、そんな彼に好きと言って貰えて、嬉しいと思う気持ちが止まらなかった――。

 まだ彼を好きでいていいという、安堵感。これからもっと彼と一緒にいられるという、高揚感。一年以上溜め込んでいた彼への愛情が、嬉し涙となってぼろぼろと溢れ出す。好き。彼のことが好き。めっちゃ好き。それしか考えられなくて――だから目元から零れるそんな感情を制服の袖口で何度拭っても、涙は全然止まりそうもなかった。


「そ、そんな泣かなくても……ちょっと落ち着けって」


「ううううっ……これは、あれだから……今日はちょっと生理で、精神的に不安定なだけで、だから……この涙にそんな、深い意味とかないから……好きが溢れてこうなってるとかじゃ、ないんだからね……」


「はいはい。そういうことにしといてやるよ」

「そういうことにしといてやるってなによぉ……!」


 私がそう怒っても、凪町くんは微笑しながら、その手で直接、私の目から溢れる涙をぬぐってくれるだけだった。

 親指でぐしぐしと、頬を伝う涙を乱暴に拭き取られる。それは、恋人同士のスキンシップというよりは、泣いてる娘の涙を拭くお父さん、という感じだったけど――それでも、彼の手の大きさに、私はたまらなくドキドキしてしまうのだった。


「ううううっ……えへへ……」

「笑うのか泣くのか、どっちかにしろよ。――ふふっ」


 泣きながら笑ったら、大好きな彼氏に笑顔でそうツッコまれた。しょうがないじゃない。いまはそういう気分なんだから。


 ともかく、こうして私達は七月二日に、彼氏彼女の関係になった。

 ……けれど、この時の私は気づいていなかった。

 誰かと両想いになるというのは、もちろん幸せなことだけど……だからといって、そんな幸せをいつまでも維持し続けるというのは、決して簡単ではなかったことに。


「えっと、あの……そ、それじゃあ、その……チュー? とか、したら……?」

「……いまするので大丈夫か? 何かお前、既にいっぱいいっぱいな感じだけど……」

「…………は、初めてのデートの時には絶対するからね! 覚悟してなさいよ!」

「あははっ、了解。……楽しみにしてる」


 付き合いたての頃の私達は本当に、ただただ幸せだった。

 ……だから私は今でも、あの頃みたいな関係を、彼に求めてしまっているのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る