第6話「い、妹を口説かないでください。キモいです……」

「あの、兄さん? ちゃんと私の話聞いてます? 兄さん?」


 兎崎とざきに思いの丈を伝えられた、翌日。

 大学の授業を終えて家に帰ってきた俺は、火花ひばなと一緒に夕食を取ったのち、ぼけーっと天井を見つめていた。

 そうして考えるのは、兎崎のこと。

 元カノに改めて渡された、彼女の好意のことだった。


 結局のところ、俺は兎崎とどうなりたいんだろうな……昔好きだったのは間違いないけど、でも、じゃあいま彼女と付き合いたいかって考えると、それは怖いというのが正直なところだし……。

 そもそも、一度浮気をした兎崎を、俺はまた信じられるのか?

 もし兎崎の好意を受け取りたいと思ったとして、俺は彼女を信じてしまっても、いいのだろうか――。


「ねえ、兄さん。――兄さん! 私の話聞いてますかって!」


「へっ? あ、ああ、聞いてるぞ……そんで? デ〇ゼル・ワ〇ントンがどうしたって?」

「そんな話は一秒もしていませんけど?」


 俺の発言にそう冷たく応じる火花。……あれ? あの名優、デ〇ゼル・ワ〇ントンが主演した映画、『イコ〇イザー』の話を兄妹でしてたんじゃなかったっけ?

 俺がそう考えていると、火花は一つため息を吐いたのち、呆れたように続けた。


「そうじゃなくて……この間、叔父さんが古いパソコンを整理していたら、昔の家族写真が出てきたみたいで、それを送ってもらったんで見ますか、って聞いたんです」

「ああ、そういやそんなこと言ってたような……」

「……昨日から兄さん、何か上の空じゃないですか? 昨日、何かあったんですか?」


「べべべべ別に? ななな何もないけど?」


「…………」


 俺の反応に、火花が訝しむような視線を向けてくる。誤魔化すの下手か。

 次いで、彼女は気を取り直すように尋ねてきた。


「ともかく。家族写真、見ませんか?」

「あ、ああ……いいよ。見ようぜ」

「それじゃあ、ちょっと準備しますね」


 そう言ったのち、テレビとスマホを繋ぐケーブル的なものを用意する火花。それをテレビに繋ぎながら、彼女は何の気なしといった声音で聞いてきた。


「兄さんの様子が昨日からおかしいのって、まさかまた昔みたいに、恋愛のことで悩んでるとか、そういう訳じゃないですよね?」

「…………」

「え、図星なんですか? ……兎崎とかいうクソ女に浮気されて傷つけられた過去を、もう忘れちゃったんですか? また性懲りもなく、あんな酷い恋してるんですか? 馬鹿なんですか?」


「い、いや、別に恋とかしてねえから……そうじゃなくて、何というか……色々と考えさせられる事態に陥ったってだけで――だいたい俺って、いま火花が言った通り、あの一件のせいで軽い恋愛恐怖症みたいな感じもあるしな。だから恋なんかしてねえって」

「どうかな。兄さん馬鹿だから、すぐにつまらない女を好きになっちゃいますし」

「さっきからなんか言葉が刺々しくない? もしかしてお前、いま不機嫌?」

「不機嫌じゃないです」

「そっか、なら良いけど……」


「ちょっと兄さん。女の子が不機嫌そうに『不機嫌じゃない』って言ったらそれは不機嫌なんですから、もっとご機嫌取りしてくださいよ。ふざけてるんですか?」


「言葉を額面通りに受け取っちゃいけないって、女の子ムズすぎでは? つか、ご機嫌取りってどうすりゃいいの?」

「それは、その……褒めればいいんじゃないですか、私を」

「え、なんて? 料理美味いとか?」

「そう、その調子です」

「……家事全般できるのがすごい」

「やればできるじゃないですか。次いきましょう」

「一緒にいて落ち着く」

「……はい、次」

「顔がかわいい」


「あっ、やめて下さい兄さん。駄目ですこれ。ちょっとご褒美が大きすぎるというか、だんだんドキドキしてきたんで駄目です。もう黙ってください」


 自分から褒めろと言ってきたくせに、赤らんだ顔を両手で隠しつつ、火花はそんなことを言った。どないやねん。

 それから、彼女はしばらくの間、顔を隠した状態で立ち尽くしたのち……「ふう」と一呼吸入れると、俺が座っている座椅子の隣にクッションを置き、そこに座った。


「ちょっと機嫌が良くなりました」

「……いまので? 簡単な女だな、お前」

「うるさいです。確かに機嫌はちょっと良くなったけど、でも――昨日から、兄さんがまた誰かに恋してるかもしれないこと、私、忘れてないですからね」

「だ、だから……俺は別に、恋とかしてねえっての……だいたい俺、恋なんてもう良いものだとは思えないしな。だからまた誰かに恋とか、そんなの――」


「違いますよ、兄さん。恋はいいものです」


 俺の言葉を遮って、火花はそう言い切った。

 驚き、俺は隣の彼女を見やる。すると火花は、どこか慈しむような笑みでこちらを見返しながら、言葉を続けた。


「兄さんは過去の経験から、恋をもう良いものだと思えてないんでしょうけど――恋はいいものですよ。その人を思うだけで心が温かくなって、その人の為なら自分を犠牲にしてもいい……そう思えてしまうくらい、盲目で、愛おしいものです。甘くて苦くて、とても大切な勘違い、もしくは気の迷いですね。――結局のところ、兄さんがいま『恋なんて良いものじゃない』と思っているのは……恋それ自体が悪かったんじゃなくて、兄さんのした恋が悪かっただけなんですよ。もっと言うなら、相手が悪かっただけです」


「んー、そういうもんかね……」

「はい! 相手さえ違えば、兄さんだって…………すみません。何か急に喋り過ぎてしまいました。家族写真見ましょう!」


 俺に語り聞かせるように自身の価値観を話した火花は、話し終えたあとで恥ずかしくなったのか、再び顔を赤らめたのち、手元のスマホに視線を落とす。そうして、何かしらの作業を終えると、テレビに繋がっているケーブルをスマホに差した。

 そしたら、テレビの画面いっぱいに――俺、父さん、母さん。それから火花と、火花の父親の五人が、楽しそうにバーベキューをしている家族写真が表示された。


「うわ! やっばこれ……母さんめっちゃ若いし、俺ちっちぇえし……叔父さんも若けえなー!」

「やばいですよねこれ。懐かしさで胸が詰まりましたよ」

「俺が手に持ってるあれ、なんだ……? 仮〇ライダー? ――うわー、わかった! 仮〇ライダーディ〇イドだ! なつっ! やばっ! 好きだったわあ……!」

「ふふっ。兄さん、好きでしたよね」

「ああ……つか、火花もちっちぇえなあ……こんくらいの頃は、俺が友達と一緒に遊びに行く時にも、『お兄ちゃんお兄ちゃん』て言って後ろをくっついてきてな……めっちゃ可愛かったんだよなあ……」


「……いまでも可愛いですけど?」


 俺の顔を両手で挟み、無理やりテレビから自分の方に向けながら、若干ふくれっ面の火花がそう言った。いや、何でこいつ、過去の自分に嫉妬してんだよ……。

 俺は思いつつ、火花の顔をまじまじと見ると、つい素直な感情を口にした。


「いやでもほんと、可愛く育ってよかったなお前」

「…………い、妹を口説かないでください。キモいです……」


 照れたようにそっぽを向きつつ、俺の顔を掴んでいた両手を離す火花。素直だった頃のこいつも可愛かったけど、こういう火花も可愛らしかった。

 ……いやまあもちろん、妹としてな? 妹として可愛いってことな?

 それから俺達は二人でしばし、父さんが発掘したらしい家族写真を、二人で眺める。これはあの旅行の時のだ、これは運動会の時のだと盛り上がっていると――。


「あっ」


 そんな、火花の焦ったような言葉と共に、一瞬だけ――家族写真ではない写真が、テレビに表示された。

 それは、どこか作ったような笑顔の火花と、わかりやすく照れている同級生らしき男の子が、高校の教室のような場所で、肩同士がギリギリ触れないくらいの距離まで近づいて、二人してきゅんポーズをしながら映っている写真で……テレビ画面に少しだけそれが表示されたのち、火花は慌てた手つきでスワイプし、次の写真に切り替える。

 そこからはまた家族写真で、だから俺は懐かしさに浸れたけど――。


「…………」


 いまさっき見た、俺の妹がどっかの男と仲睦まじげに映っている写真が……心の隅でもやもやと、俺を面白くない気分にさせていた。

 たぶんいまのは、火花のスマホに入ってる写真が、何かの手違いで一瞬だけ出ちゃったんだろうけど、まああんなのは、あまり意識せずに――。


「あっ」


 また一瞬だけ出てくる、火花と男のツーショット。

 瞬間、すぐにスワイプされる写真。……気にすんな。別に、年頃の妹に彼氏がいても、そんなのはごくごく普通のことじゃねえか。何をもやもやする必要があんだよ。

 一つ深呼吸をする俺。くだらない独占欲は、心の奥に追いやって――。


「あっ」


 また一瞬だけ出てくる、火花と男のツーショット。

 何故か三回とも同じ写真で、そこには毎回、俺のかわいい妹とすげえ不快な男が映っており……これは、あれかな? サブリミナル効果かな? いま俺、火花の隣にいるあいつを殴り飛ばしたくなってきてんだけど。


 というか、何で全く同じ写真が三枚も、俺達の家族写真に紛れ込んでるんだよ……あんなん、火花が一枚の写真をコピーしたのち、家族写真のフォルダに事前に入れとかないと、こんな風に出てこない筈なのに――。


 そうして、そのあとも何度か、火花の「あっ」という焦ったような声と共に、よくわからんツーショットを見せられつつも、俺達は家族写真を見終えた。

 すると、少しだけ顔を綻ばせた火花が、俺に言ってきた。


「あの頃を思い出して、懐かしかったですね、兄さん」

「……ああ。まあ、そうな……」

「あれ、どうしたんですか兄さん。そんな、家族写真以外に気になったところがあったみたいな顔をして。――家族写真以外に、気になったところがあったんですか?」

「…………」


 火花のその発言に、色々と考えた。

 まず、火花はどういう意図で、あんなことをしたのか。

 あれは、俺に対する何なのか……自分にはああいう写真を撮れる程度には仲の良い男子がいると兄貴にアピールして、どういう意味があるのか――。

 考えたところで答えが出なかった俺は、だから……たぶん、火花の策略通りの言葉を、彼女に投げかけるのだった。


「……えっとさ、ちょくちょく家族写真の間に挟まってた、あの……お前と、同級生っぽい男の子とのツーショットみたいなの? あれ、なに? お前の彼氏?」


「ふふっ。彼氏だったらどうしますか?」


「…………」


 いま俺、ちょっとイラっとしました。なんつうのかな……小生意気な妹にからかわれてる感というか、小馬鹿にされてる感がすごいので、そのせいかな。

 そうして、火花はすげえ楽しそうに笑いながら、言葉を続けた。


「まあ、彼氏じゃないですけどね。ただのクラスメイトです」

「そっか、クラスメイトか……」

「はい。今回のために協力してもらいました」

「え……今回のために協力?」

「ああいや、なんでもないです。それより――彼がただのクラスメイトだと知って、安心しましたか?」

「……いや? そもそも俺は、心配をしてねえし?」

「でもたぶん、あっちは私に気がありますよ」

「…………」


「嫉妬しましたか? ――ふふっ」


「い、いやー? 妹が他の男に好かれて、嫉妬とかー? そんなのはある筈がないっていうかー? あったら、兄としておかしいというかー?」

「ですよね。兄さんは兄さんなんですから、兄として、妹が同級生の男の子に好かれてても、嫉妬なんてする訳ないですよね。したらおかしですもんね」

「そう、それな。全くその通りだわ」

「はい。ですよね」


 そこまで会話したのち、「「あははは」」と空笑いをする兄妹二人。……よくわかんないけど、兄妹の会話ってこれで合ってるのか、不安になる俺だった。


 実際のところ、いま俺が抱いた感情は何なのだろうと、俺は考える。


 妹に彼氏がいるかもしれない――あの写真を見てそう思った俺が、それを面白くないと思うのは、まあ正しい感情だ。それ自体は正しいんだけど……より深く考えるべきは、その『面白くなさ』というのが、ちゃんと兄として感じる『面白くなさ』なのかどうか、という点だった。


 俺は、俺の大切な妹を他の男に取られたくないから、そう思ったのか……それとも、女としての火花を他の男に取られたくないと思ったから、そう思ったのか。


「どうしたんですか、兄さん? 私の顔に何かついてますか?」

「……いや、別に……」


 俺に見られていることに気づき、わざとらしく小首をかしげる火花。

 正直、兎崎のことだけでも頭がいっぱいなのに……ここにきて火花にも、大事な問いを投げかけられた気がして、俺はつい顔をしかめてしまうのだった。


「さて。それじゃあそろそろ、お風呂入ろうかな……私、先に入ってもいいですか?」

「ああ、いいよ」

「ありがとうございます。それじゃあ――」


 火花はそう言いながら、自身のTシャツの裾を掴み、ゆっくりと上に捲り上げようとする。それを見て「は?」と呟いた俺はそれから、慌てて彼女を制止した。


「お、おい、火花……!?  いつもはお前、脱衣所に行って脱いでたのに、なに今日に限ってはお前、ここで脱ごうとしてんの!? 痴女かよ!」


「痴女って。それが妹にするツッコミですか。……兄さんこそ、何で私がここで脱ぐことに、そんなに焦ってるんですか? ――だって、兄さんは兄さんですよね? だったら妹の裸なんて見たところで、興奮なんかしない筈です」


「お前、それは……いやまあ、確かに? 火花には壊滅的におっぱいがないし? だからお前の裸を見ても、興奮しない自信はあるけど……」

「…………」

「悪かった。俺が悪かったから、やめろ火花。そんな涙目になりながら、俺を見返すためだけに裸になろうとすんなって。……気づいてないかもしんないけど、お前、いま顔真っ赤だからな? 無理してんのがバレバレだからな?」


「――――」


 俺の指摘に、自身の赤らんだ顔を慌てて両手で隠す火花。

 彼女は「……私が恥ずかしがってちゃ、駄目なのに……」と呟いたのち、顔を覆っていた手を外すと――もう一度。

 Tシャツの裾を震える手で掴みながら、俺を脅すように言うのだった。


「正直に言ってください、兄さん。――私の裸で欲情しますか? それが、私の気に入る返答でなかった場合、私は……恥ずかしさで泣いてしまいながら、それでも脱ぎます。全裸になります。おっぱいがないこともない裸を、兄さんに見せてやります」

「い、一体、何がお前をそこまで駆り立ててやがんだ……」

「さあ、どうなんですか兄さん。兄さんは、私をえっちな目で見ているんですか? 嘘偽りなく答えてください」

「…………」


 先に言い訳をしておくけど、これは決して、本心じゃない。

 本心じゃないけど、でも、これを言わないとたぶん、意固地になった火花はここで脱いでしまいそうだから……俺は、自分では全く、これっぽっちも思っていないことを、彼女に――大切な妹に、告げるのだった。


「正直、お前の裸を見たらムラムラするから、ここで着替えないでくんない?」

「…………えっち……」


 火花は真っ赤な顔でそれだけ言うと、慌てて脱衣所へと走り去っていった。……兄貴の家に勝手に転がり込んできた挙句、そのリビングで全裸になろうとしてんだぞ。えっちなのはどっちだよ。

 俺がそう思いつつ、一つ大きく息を吐いていると……がちゃ、と脱衣所の扉が開いて、そこからちょっとだけ顔を覗かせた火花が、頬を真っ赤に染めながら、こう言うのだった。



「でも、ちょっとだけ嬉しいです……」



「――――」

 それだけ言い残したのち、慌てて閉じられる脱衣所の扉。


 そうしてリビングには、妹の裸を見たらムラムラしちゃうと宣言した、変態兄貴一人きりとなるのだった。……子供の頃の俺は火花に対して、可愛い妹がいて嬉しいなあ、ぐらいにしか思ってなかったけど、あれだな。

 妹が可愛すぎるっていうのも、ちょっと考えものだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る