第7話「ねえ凪町くん、こうなったらもう、やっぱりあたしにしといたら?」
「
「あの、普通にキツいんでやめてください」
「真顔でキツいとか言うな? あたしだって傷つかない訳じゃねえぞ?」
俺が一人で学食のラーメンをすすっていたら、ぼっち飯をしている後輩を見かねてか、
「あれあれ? なんか今日、凪町くん元気なくない? 何か悩み事があるなら、お姉さんが聞いてあげるよ?」
「桃本さん……」
「後輩の悩みを親身になって聞いてくれるなんて、優しい先輩だなあ……って凪町くんに思ってもらいたいから、お姉さんが悩みを聞いてあげるよ?」
「俺いま普通に嬉しかったのに、どうして計算があると言ってしまうのか」
「ふっふーん。まだまだおこちゃまだねえ、凪町くんは。――いい? 女の子っていうのはね、計算高い生き物なんだよ。誰か男の子と一緒にいる時、男の子には想像もできないくらいあらゆる計算を頭の中でしながら、あたしたち女子は行動してるの。だからこそあたしは、合コンの時、サラダの取り分けができるのだ!」
「計算の割には浅い行動ですね」
「だまらっしゃい! 男の子なんか、可愛い女の子と一緒にいる時、『この子のおっぱい揉みたいなー』としか思ってないくせに!」
「男のこと馬鹿にし過ぎだろあんた」
いやまあ、男はそんなに馬鹿じゃないって、強く否定はできないんだけどな……基本、可愛い女の子のおっぱいは揉みたいし(馬鹿)。
俺がそう思いつつ、自然と桃本さんの胸元を見てしまったら――その視線に気づいた彼女は、自身の両腕で胸元を隠すと、少し赤らんだ顔で言った。
「だ、駄目だよ凪町くん! あたしの旦那様になる覚悟がないなら、このおっぱいは揉ませないからね!?」
「いや、見ただけで何も言ってねえから。意識し過ぎだろ」
「このおっぱいを揉んだら即、青森の田舎に戻って、あたしと一緒にりんご農家を継いでもらうよ! それでもいいなら――さあ! す、好きにしなさい!」
「ないない。俺にはそんな覚悟なんてこれっぽっちもないから、腕を組んで胸を強調するポーズを取んないでくれません?」
「……いくじなし……くすん」
そう言ってしょんぼりする桃本さん。どこまで本気かわからない人だった。
一方、桃本さんに元気がないことを看破されてしまった俺は、一つ息を吐くと……先輩に甘えるように、ぽろっ、と。いま自分が冴えない顔をしている理由を、口にしてしまった。
「別に、元気がないつもりはなかったんですけど、なんというか……ちょっとだけ、悩み事はあるっつうか……」
「あ、本当にそうなの? どしたん?」
「かいつまんで言うと、おととい――元カノに、まだあんたが好き、と言われまして……」
「えーっと……いえーい、やったね?」
「いえーいやったね、なんすかねえ……」
悩んだ末に祝福してくれた桃本さんに、俺はそう返した。
それを受けて桃本さんは、「あはは……それはまあ、凪町くん次第だよね」と言いつつ、両手を合わせていただきますをしたのち、オムライスを食べ始めた。
彼女が食べるペースに合わせて、俺も再度ラーメンをすする。以前、桃本さんにいたずらされた時のそれよりは美味しかったけど、でも――ここの学食のラーメンは今日も今日とて、可もなく不可もなくという味わいを俺の舌に残し、それから喉をおりていった。
そのうち、口の中のオムライスを嚥下した桃本さんが、思案顔で話を続けた。
「凪町くん的にはどう? まだ好きって言われて、どきってした?」
「どきっとはしました。でもそれは、恋のそれというよりは……」
「ふうん、そっか。じゃあもう、未練はない感じなんだ?」
「…………」
桃本さんの言葉に、肯定も、否定もできない俺。
改めて考える。俺はもう、兎崎に対して未練はないのか――再び熟考して、それで無理やり絞り出した答えはどこか曖昧だったけど、核心から外れてはいない筈だった。
「未練はたぶん、捨てきれてねえんじゃねえかなあ……」
「え、そうなの? じゃあ、付き合いたいんだ?」
「いや、付き合いたくはないです」
「……んんん? 禅問答かな?」
「まあ、自分でも矛盾してるって、わかってるんですけどね……あいつのことを好きだった時の気持ちが捨てきれてないのは、マジなんですよ。でもそれが、『付き合いたい』には決してならないというか……また付き合うのは怖いというか」
「あー。なんかめんどくさい感じだね?」
「すげえ雑なまとめ方だけど、否定できねえな……」
めんどくさい感じ。確かにそうかもしれない。
俺は確実に、元カノである兎崎に対して、いまも好意を抱いている。
でもそれは、もう一度付き合いたい、の熱量には達していないし――もしまた、彼女に浮気をされたら。あの傷を負うことになったらと、そんな風に怖がってもいるのだ。
好きとは言えない。ただ、好きじゃないとも言えない。
それはまとめてしまえば、やっぱめんどくさい感じの感情なのかもしれなかった。
「……でも、あれだね。いまは凪町くん、こんな風にわざとらしく悩んでるけど、数週間とかしたら普通に、その元カノちゃんと付き合ってそうだよね。色々と悩みはしたけど、やっぱ俺はあいつが好きだから、あいつともう一度、一緒にいることを諦められねえわ――って、陳腐な答えを手に入れてそうだよね!」
「…………」
微妙に嫌なことを言う先輩だった。実際、俺が兎崎とヨリを戻したいと思った時に、桃本さんのこの発言を思い出しちゃうから、やめてくんねえかな……。
そう思った俺が苦虫を噛み潰したような顔になっていると、桃本さんはちょっと気まずそうな表情で笑ったのち、言葉を続けた。
「もう、そんな顔しないでよー。あははっ、ごめんね? あたしいま、ちょっとだけ意地悪なこと言っちゃったかも。――でもまあ、あたしは凪町くんを応援するよ! なんてったってあたしは、凪町くんの頼れる先輩だからね! 凪町くんが幸せになれるよう、暇な時間に、手が空いたら、それなりの熱量で応援してるから!」
「応援してくれんのは素直に嬉しいけど、応援の仕方が適当だな……」
「もし凪町くんが元カノちゃんと付き合って、でも結局また上手くいかなくなって別れちゃっても、大丈夫! あたしが凪町くんを慰めてあげるよ! 一緒に青森に帰ろう!」
「いや、俺の実家、埼玉なんすけど……」
「青森の大自然があなたを待ってるぞ!」
「待ってるのは青森のりんご農家としての仕事では?」
「農家の朝は早いから、二十三時には寝ようね!」
「きっつ……不健康大学生として夜更かししまくり生活をしている俺には、太陽と共に起きる生活が何よりもきついわ……」
「ちなみに、あたしは一日じゅう家でごろごろしてるね! 朝、果樹園に行く時とか、絶対に起こさないでね! 一人で行ってね!」
「おい。農家の嫁の献身的なサポートはどしたよ」
「……ん? よくよく考えてみたら、凪町くんという後継ぎさえ連れて帰れば、りんご農家の娘としての責任は果たした訳だから、あたしは実家に帰らなくてもいいのでは? ――そっか、それじゃああたし、こっちで元気にやってるね! お互いに楽しもうね、別居生活!」
「自由奔放が過ぎるだろこの嫁」
俺がそうツッコむと、また楽しそうに笑う桃本さん。……お互いに冗談だとわかっているからこういうやり取りができる訳だけど、ちょっとだけ、こんな彼女と一緒に青森で農家やんのも楽しそうだなって思いました。ちょろいな俺。
そんな風に、どこか弛緩した空気の中、俺は一つ咳払いをすると――自分の中にある感情をまとめるように、告げた。
「でもまあ、さっきは言い返せなかったですけど――ただ昔の関係を取り戻すために、兎崎とヨリを戻す、っていうのは一番ないんじゃないっすかね。またあいつと付き合うにしても、それはきっと、あの頃とは違う形でのリスタートというか……同じやり方で付き合うんじゃ、結局、俺がまた浮気されて終わりだと思うし」
「……そっか。考えてるんだね」
「考えてるだけで、これからどうなるのか、そもそもどうなりたいのかは、よくわかってないんですけどね……」
そんな優柔不断な俺でも、一つだけ決めていることがあるとするなら――同じ轍は踏まない。それだけだった。
もし兎崎とヨリを戻すにしても、それは俺にとっても彼女にとっても、過去のそれとは違うものでなきゃいけない。それだけはわかっていた。
俺がそんなことを頭の中でぐるぐる考えつつ、食堂の窓から見える外をぼんやり見ていたら――どこからか、ぽつり、と。
俺には聞こえない声で、誰かが呟いた。
「ちょっとだけ、妬けるかな……」
「ん? いまなんか言いました?」
「ううん、なんでもない。――それよりさ、凪町くん。あたし、こんだけ凪町くんから話を聞いてるのに、あなたの元カノちゃんをまだ一回も見たことないんだけど……ちょっとどんな子か、見せてくれない?」
「えええ……? 元カノの写真ですか……?」
「うん。こんだけ相談に乗ってあげたんだし、それくらいの権利はあると思うけど? ……あ、もしかして、浮気されて別れた時に全部消しちゃった?」
「いえ、それはまあ、全然残ってますけど」
「……別れた元カノの写真を未練がましく取っておくタイプかあ……お姉さんの中の凪町くんポイント、ちょっぴりダウン」
「ち、ちちちち違えよ! た、たまたま残ってただけだっつうの! 消そうとしたけど消せなかったんじゃなくて、消すのを忘れてただけだっつうの!」
「ちなみにあたしは、元カレの写真データはスマホから全部削除したし、プリントした写真もちゃんとお寺で焼いてもらったよ!」
「あんたの元カレ、悪霊かなんかですか?」
「あははっ。――まあ、本当は実家の庭で焼いたんだけどね。あれは結構、気持ちの整理に繋がる行動だったかな。元カレの写真が焼けるのを見て、あたしの恋心も浄化されていくみたいだったよ……」
「桃本さん……」
「ただそのあと、写真を燃やしてたたき火が、庭にあった木に引火しちゃってね……ちょっとしたボヤ騒ぎが起きて、お母さんにめちゃくちゃ怒られたなあ。あはは」
「馬鹿みたいなオチついちゃった」
「という訳だから凪町くん。今度、凪町くんの元カノちゃんの写真も、二人でぱーっと焼こう! その火でバーベキューでもしようよ!」
「い、いや、俺は、あれだから……まだ、これからがあるかもしんねえから……」
「わー、未練たらたらだー」
うるせえ。未練たらたらで悪いか。
俺は内心でそう毒づきつつ、スマホのギャラリーから……兎崎の写真映りがいい、なおかつ、あんま俺とイチャついていない写真を画面に表示し、桃本さんに見せた。
すると、彼女は――。
「え、この子……」
「ん? 知り合いなんすか?」
「知り合いというか、何というか……ああ、そういうことだったんだ……」
「???」
桃本さんは言いながら、俺の背後を見やる。なので俺もつられて、後ろを振り返ったけど――そこにはただ、がやがやとした学生達の喧騒があるだけだった。
そうして、しばらくその景色を見ていたら、「おーい。鈴鹿お姉さんの方を見て喋りなよ。お姉さん寂しがってるよー」と言われたので、俺は正面に向き直る。
すると桃本さんは、どこか同情するような顔で俺を見ながら、こう言った。
「……妹ちゃんもそうだけど、凪町くんは何というか、変な女の子にばっかり好かれるよね!」
「急に何すかそのディス。つか、確かに兎崎は変な女だけど、俺の妹は変じゃないでしょ」
「ううーん。あの子もだいぶ、一般的な女子高生と比べたら、ブラコンが入り過ぎちゃってる気がするけどね……何か色々と危ないし。余計なことかもしれないけど、火花ちゃんはあのアパートから追い出した方がいいんじゃないの、お兄ちゃん」
「お兄ちゃん呼びやめろや。……あれに関してはまあ、しょうがないんですよ。一応、俺も反対はしたんだけど、押しきられちゃって……」
「あの子が危うい思いを抱いてることには、気づいてるんだよね?」
「…………」
俺は沈黙を貫いた。確信が持てないことを肯定する訳にもいかない。
それを受けて桃本さんは、「黙り込んだら言ってるのと同じだよ」と、優しく続けた。……たまに思い出したように年上っぽい発言すんのやめてくんない?
「……なんだかこの先、ちょっと不安だなあ……ねえ凪町くん、こうなったらもう、やっぱりあたしにしといたら? たぶん、凪町くんが一番フラットに付き合えるのは、あたししかいないし……この体を好き放題できるなんて、けっこうお得だよ?」
「いえ、青森がちらつくんで遠慮しときます」
「いやいや、あれは冗談だから。気軽に抱いてくれていいのに。――ちなみにあたし、いざえっちなことをするってなったら、凪町くんにおっぱいとか揉まれるたびに、『んっ、りんごっ……んあっ、なしっ……すももっ!』って青森の特産品の名前を言いながら喘いじゃうと思うけど、それは別に平気だよね?」
「女として致命的だよ」
郷土愛が強すぎる女性だった。血の代わりにりんごジュースが流れてそう。
それからも俺と桃本さんはしばし、そんな馬鹿話をして、二人で笑い合った。
そうして、次の講義の時間ぎりぎりまで話した俺達は、そのまま食堂で別れて、それぞれの教室へと向かう。……その時になってようやく気付いたけど、朝、この大学に来た時には重かった足取りが、いつの間にかずいぶんと軽くなっていて――俺はきっと、このぱっとしない大学生活を彼女に救われている部分が大いにあるんだろうなと思い、あの愉快なお姉さんに心の中で感謝するのだった。
いつもありがとな、桃本さん。
きゅんポーズ、プレゼントフォーユー。
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