第3話「兄さんから見て、私はどうですか? 可愛い妹ですか?」
「あ、お帰りなさい、兄さん」
俺が自分のアパートに帰ると、そう言って美人JKが俺を出迎えてくれた。
明るい茶髪をボブカットにした彼女は、高校二年生という年齢の割に大人びた顔立ちをした、綺麗な女の子だった。――胸はぺったこんなものの、全体的にスレンダーな印象の体躯。身長はこの年の女の子にしては高めで、静かな喋り方やあまり喜怒哀楽の激しくない表情と相まって、どことなくクールな印象を受ける、人形のように美しい少女。
そんな、容姿に恵まれ過ぎている彼女はいま、ゆったりとしたTシャツとパンツという部屋着姿でベッドに寝転んでいた。……ちょっと気が抜け過ぎてねえか? いやまあ、一応ここはこいつの家でもあるし、別にいいんだけどさ。
「ん。ただいま」
少しだけ説明しておくと、彼女、
より正確に言うなら、幼い頃から兄妹みたいに一緒に育ってきた、血縁関係的にはいとこの女の子である。
いま高校二年生の
それからは、叔父さんが男手一つで火花を育てようと奮闘したのだけど、彼の仕事……有名歌手に付き添って全国を飛び回るギタリストという、かっちょいい仕事を続けながら火花を育てるのはなかなか難しいことだったらしく、そこで幼い火花を預かりたいと手を挙げたのが、俺の母親――引いては、凪町家だった。
こうして、俺が六歳になる頃に、三歳のいとこが我が家に転がり込んできた。
でも俺としてはそんなの、兄妹ができるのと何ら変わりはない。火花の方も、俺や俺の両親とすぐに打ち解けて、俺のあとを「お兄ちゃんお兄ちゃん」と言いながらひょこひょこついてきて、あの頃は可愛かったなあ……。
けれど、そんな彼女もいつの間にか思春期に突入。いつからか俺のことを「兄さん」と呼ぶようになり、何故か話す言葉も敬語に変わってしまった。敬語って他人行儀な感じがして、お兄ちゃん悲しい。
とまあ、そんな関係の彼女がどうしていま、俺が大学生活のために一人暮らししているアパートにいるのかというと……彼女曰く、『叔母さんから兄さんの食生活が乱れに乱れていると聞きました。もう我慢なりません。私が兄さんの食生活を叩き直します』ということらしい。
そりゃまあ、俺の偏った食生活を心配してくれるのは嬉しいけど、それよりも――俺としては、自分の兄貴を世話するために、高校二年に上がると同時に、兄貴のアパートに転がり込んでくる妹の方が、断然心配だった。
実家から通うよりも、高校に行くまでの距離は遠くなっているし、何より俺の世話をするせいで、火花の勉強や部活が疎かになるのが嫌だった俺はだから、わざわざ俺のアパートに引っ越してくる必要はない、と彼女に言ったのだが。
『いえ、これは決定事項ですから。兄さんに拒否権はありません』
拒否権ないの? 俺のアパートに住む住まないの話なのに?
とまあ、そんな訳で……大学一年から二年に上がるまで一人暮らしだった俺のアパートにはいま、俺のいとこ、というか義妹が転がり込んできているのだった。
……これは、彼女には内緒の、個人的な事情だけど……俺としては、年頃の火花と二人暮らし、というそれ自体、すげえやりづらい感情もあるんだけど。そのへん、思春期真っ盛りの彼女は平気なんかね?
俺がそんなことを思っていると、火花は俺のベッドから身を起こして立ち上がり、尋ねてきた。
「ご飯にします? お風呂にします? それとも妹?」
「なんか最後、聞いたことのない選択肢が入ってるんだけど……え、妹ってなに?」
「えっち」
「それが何なのか聞いただけで、別に選んでねえよ」
「そんな兄さんが想像するような、いやらしい意味ではないですよ。ただ、私とゲームでもして遊びましょうってだけです。――え? 妹がいいんですか? しょうがないですね兄さんは。じゃあ、二人で『桃〇郎電鉄』でもして遊びましょう。百年決戦でいいですか?」
「いや、いまは妹いいから。まず飯食わせてくれ」
「わかりました。じゃあ三年決戦でいいです」
「譲歩したらやるとかじゃねえから。ごはんください」
そんな会話を終えたのち、洗面所で手を洗った俺がリビングに戻ってくると、ローテーブルの上には既に、白ご飯と唐揚げ、サラダ、お味噌汁が並んでいた。
「…………」
「どうしたんですか、食べないんですか?」
「いや、いただきます」
ローテーブルの前に腰を下ろした俺は、両手を合わせてそう言った。
火花が俺のアパートに来て十数日。未だに慣れない人間的な食事に、つい感動してしまったぜ……大学一年生の頃は一人暮らしに慣れていないのと、あと大学生の一年目は意外と忙しいのとで、こんなに文化的なメシを食べるのは不可能だったからな。兄貴の食事の世話をしてくれる妹、ありがた過ぎない……?
「味噌汁うめえ……夕飯に一汁があるだけで、幸せ指数がグンと上がる……」
「ちょっと兄さん。急に『火花の味噌汁が毎日飲みたい』とか、キモいこと言わないでください。キモいです」
「いや、そんなのは言ってねえんだけど? ただ単に、味噌汁最高って言っただけで」
「もしかして兄さん、自分のスマホで、『いとこ 結婚 できる?』とか調べたりしていないでしょうね? だとしたら私、いますぐ自分の荷物をまとめてここを出なきゃならないんですけど」
「そんなこと調べるかよ……というか、いとこって血縁関係的にはかなり近いし、無理なんじゃないの?」
「いえ、できるみたいですよ」
「…………」
「あっ。友達のちーちゃんがそう言ってただけで、私は調べてないですけどね?」
俺のすぐ隣に腰を下ろし、微笑を浮かべる火花。まさか俺の義妹(いとこ)がそんなことを調べてる訳はないから、それは真実なんだろうと思った。というか、真実じゃなかった時が怖すぎる。
そんなことを思いつつ、ぱくぱく夕飯を食べ進める俺。しばらくは会話もなく、火花が何の気なしにつけたテレビが、午後七時半過ぎのバラエティを垂れ流していた。
そうして、出された皿を空っぽにすると、俺は両手を合わせながら呟いた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。――誰のご飯がお粗末なんですか。ふざけないでください」
「自分の謙遜にキレるなよ。情緒不安定かお前」
「まあ確かに。自分の夕ご飯を作る時と、兄さんの夕ご飯を作る時では、モチベーションが違いましたけど……兄さんの唐揚げは四個で、私は六個食べましたけど」
「まあそんぐらいは、作った奴の特権というかな? そんなのは好きに食べてくれ」
「ちなみに、私の唐揚げは比内地鶏で、兄さんのはそこら辺にいた鳩です」
「肉のクオリティに差はつけるなよ」
ボケたいがために凄い嘘をつく妹だった。さっき食べたジューシーな唐揚げが、鳩の唐揚げな訳はないしな……ち、違うよね? 俺が舌バカとか、そういう訳じゃないよね?
俺がそんなことを考えていたら、かちゃかちゃと。火花が空いた皿を重ねて、キッチンに持って行こうとした。それを受けて俺は、さすがに声をかける。
「いや、片付けまですんなって。飯食わせてもらってんだから、それぐらいやらせてくれ」
「いえ、いいです。私、兄さんのお世話をするの、大好きですから」
「…………」
「間違えました。――私、こういう家事をするの、大好きですから。汚れたお皿をぴっかぴかにすることに、達成感を覚えるんです。というか、皿洗いに関しては、兄さんに任せたくないんですよ。……兄さんって、汚れたお皿でもちゃんとごしごししてくれないでしょう? 私あれ、マジでムカついてるからね」
「そんなにか。俺がさっさと皿洗いを終わらせることに対して、敬語が取れるほどムカついてたのか……」
「はい。そんなことをして、お皿に菌が残っていて、それが兄さんの体に入りでもしたらどうしてくれるんですか。兄さんがちゃんとお皿を洗わなかったせいで、兄さんに何かあったら、私、兄さんのこと絶対に許しませんからね」
「俺いま、気遣われてるのか怒られてるのかわかんねえなこれ……」
「というか、兄さんは本当に、いつも私を怒らせるようなことばっかし過ぎですよ。私に断りもせず勝手に彼女は作るわ、勝手に一人暮らしするって決めるわ、夏休みや正月にも帰ってこないわ――ふざけてるんですか? 大みそかはいつも、家族で『ガ〇の使い』見るって決めてたじゃないですか。なんでそんな約束も守れないんですか?」
「……え? あれ? なんで俺いま、関係ないことで怒られてんの?」
「知りませんよ、ばーか。兄さんのばーか」
火花はそう子供っぽく怒りながら、手際よく汚れた皿を綺麗にし始めた。……普段は大人っぽい彼女だけど、たまにこういう、子供っぽい言動を俺にだけは見せてくれるのが、どうにも可愛らしかった。
いや、あの、あれだけどな? 可愛いっていうのは、妹として可愛いって意味で、異性としてうんぬん、って話ではないけどな? ……誰に言い訳してんだ俺。
そんなことを思っていると、火花は一つ短い嘆息をしたのち、言葉を続けた。
「まあ、兄さんが馬鹿だなんて、いまに始まったことじゃないんで、別にいいですけど」
「どういうまとめだよそれ……」
「ともかく。兄さんはもっと、私や両親に対して孝行するべきだって言ってるんです。さしあたっては、あれ――あそこにあるお米は、叔母さん達が送ってきてくれて、今日の夕方に届いたものですから、お礼の電話くらい入れてあげてください」
「えー。そんなん、お前がやっといてよ」
「私はもう電話しました。今度は、兄さんからもしてください」
「……火花が言ったんなら、もうよくない?」
「何言ってるんですか。叔母さん達は義理の娘じゃなくて、実の息子と話したいんですよ」
「俺が実家にいた時、実の息子よりも、義理の娘の方が可愛がられてた記憶があるんだけど?」
「それは、まあ? 私、可愛いですからね」
「謙遜しねえのかよ」
「兄さんから見て、私はどうですか? 可愛い妹ですか?」
「ん。それはもちろん」
「ひ、否定しないんですね……」
火花はそう言って皿洗いの手を止めると、少しだけ朱色に染まった頬を、照れたように逸らした。……い、いやその、俺にとって火花が可愛い妹なのは当然なんだから、そんなリアクションやめてくんねえかな。
思いつつ、俺は「ちょっとコンビニ行ってくる」と言って、ズボンのポケットに財布を押し込み、アパートを出た。それから、スマホを取り出し実家をコールする。すると、すぐに母親が出たので、照れ臭いながらも「米、送ってくれてありがと」と、感謝の言葉を口にした。そしたら、あんたにしては素直で気持ち悪い、と母親に言われた。うっせ。
それから、ちょこちょこ近況などを話しつつ、俺は……もう何度も母親と話している話題を、改めて蒸し返した。
「というかさ、あの……火花のことなんだけど。あいつ、マジで俺のアパートに住まわせといていいのアレ」
『いいも何も、しょうがないでしょうよ。あの子、ああ見えて意固地なとこあるから、私達が反対したところでどうしようもなかったのよ』
「そりゃあ、俺とあいつは兄妹みたいなもんで、間違いなんてのはないと思うけどさ……実際問題、こっから高校に通うのはしんどいだろ」
『いや、それに関してはあんまり問題じゃないみたいよ。むしろ、部活も勉強もいつもより張り切ってるって、友達のちーちゃんが言ってたしね。――だから、問題があるとしたら、あんたがやりづらいってだけじゃないかい?』
「ええ……女子高生が大学生の一人住まいに転がり込んできて、問題ないのかよ……」
『というか、今回の件に関しては、あんたが悪いんだよ』
「は? 俺? なんで」
『だってあんた、一人暮らしを始めてから、一度も実家に帰らなかったじゃないかい』
「ああ、うん……それが?」
『あの子、すっごい寂しがってたんだよ』
「…………」
街灯が照らすだけの薄暗い夜道の半ばで、俺は足を止めた。
そして、いまさっき自分が出てきた、ボロいアパートの窓を見やる。そこからは薄明りが漏れるだけで、彼女の姿なんて見えないのに――俺の脳裏には確かに、火花の楽しそうな笑顔が浮かんでいた。
『あんたはいつ帰ってくるのかって、しょっちゅう私に聞いてきたよ。今年のお盆は、夏休みは、冬休みは、大みそかは、お正月は――あんたが帰って来ないってわかると、ちょっと気の毒なくらい落ち込んでね……それもあって、あの子が「お兄ちゃんと一緒に住みたいです」と言ってきた時に、私もお父さんも、強く反対できなかったんだよ』
「……なんでその話、もっと早くしてくれなかったんだよ」
『本人に口止めされてたんだから、言える訳ないだろう? あたしはね、あんたじゃなくて火花ちゃんの味方なんだよ』
「おい、実の息子だぞ俺は」
『だって火花ちゃんの方が可愛いんだからしょうがないじゃないか』
「家族に愛されてんなあいつはチクショウ」
俺は言いつつ、人知れず息を吐いた。
正直、いま俺が母さんにこんな話題を持ちかけたのは、火花を実家に戻してやるためだったのだけど……話をすればするほど、火花と一緒に住んでいる現状が彼女の望む状況なのだと知ってしまい、すげえやりづらかった。
俺としては、一年も会っていなかったあいつと、あんな狭いアパートで同居というのは……できることなら、勘弁して欲しいんだけどな。
もちろん、火花を女として見てるとか、そういうのはない。絶対ない。
ないんだけど、何ていうか……昔みたいに、自然な兄妹じゃいられなくなってる気はしていた。それは、俺の意識としても。あいつの意識としても。
俺達がもっと幼い頃はもちろん、こんな風には思わなかったし。
俺達がもっと年を取れば、こんな風にはならないんだろうけどな。
『ともかく、そういうことだから。あんたは火花ちゃんを、適当に可愛がってあげな』
「適当に可愛がるって……」
『あと、たまには実家に帰ってきなさい。父さんも寂しがってるよ』
「……ん、了解」
『ちなみに、寂しがってるのは父さんだからね。母さんは全然寂しくないからね。ほんとだよ?』
「その年でツンデレとかやめろ」
そんなこんなで母親との通話を終えた俺は、その足でコンビニへと向かう。そこで飲み物とお菓子、それから……何とはなしにチーズケーキを購入すると、レジ袋を手に提げてアパートに戻った。
がちゃり、と玄関のドアノブを開ける。それから、靴を脱いで部屋に上がった。
「ただいま」
「お帰りなさい兄さん。ご飯にする? お風呂にする? それとも妹?」
「えーっと、それじゃあ妹で」
「えっ、私と一緒に〇鉄やってくれるんですか?」
「お前は明日も学校あるんだから、三年決戦な」
「っしゃ」
何故か男らしいガッツポーズを決める火花。喜び方が独特だなおい。
そうして、火花はさっさとゲームの準備をしてしまうと、俺のベッドの上に座り、自分のすぐ横あたりを、ぽんぽん、と手で叩いた。……なので俺はしぶしぶ、火花のすぐ隣に腰かける。すると、彼女はほころんだような表情と共に「えへへっ」と笑った。……やめろ。そういう笑顔は好きな男にだけ向けてろ。兄貴になんか向けなくていいから。
「そういや、チーズケーキ買って来たけど、食べるか?」
「愚問ですね兄さん。チーズケーキと言えば私。私と言えばチーズケーキですよ兄さん。食べるに決まってるじゃないですかやったあ兄さん大好き」
「チーズケーキを買ってきただけで、えらい好感度の上がりようだな……」
「むしろ、チーズケーキを買ってきてくれない兄さんは全くと言っていいほど好きじゃないまであります」
「チーズケーキで出来てる兄妹の関係性」
「ところでチー兄さん。早くゲームもやりましょう」
「俺の呼び方にチーズケーキ要素を入れんな。チィ兄ちゃんみたいな言い方すんな」
俺がそうツッコんでも、火花は上機嫌な様子で、俺の持ってきたレジ袋からチーズケーキを取り出し、それを食べ始めた。美味しそうにぱくぱく食べながら、ちらり、と横目で俺を見やると……彼女は顔をだらしなく緩めて、こう言うのだった。
「しあわせ」
「……よかったな」
「あと欲を言えば、食洗器とルンバともっといい冷蔵庫ともっといいエアコンと可愛い服と化粧のしやすい洗面台とお金と好きな人に愛してもらえればもっと幸せなんですけどね」
「欲が全然尽きてねえじゃねえか」
「ふふっ。でもいまは、これで幸せです」
また一口チーズケーキを頬張ったのち、俺に満面の笑みを向けてくる火花。……それを受けて俺は、つい頬を緩ませてしまいつつ、そっと顔を逸らした。
――大切な妹の、幸せそうな顔を見ること。
それが俺の、兄としての幸せだということに気づいて、俺はかなり照れ臭い気持ちになるのだった。
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