第2話「やっきゅーん! みんなのアイドル、鈴鹿おねーさんだよ!」

「あーっ。一人で学食を食べてる寂しそうな男の子はっけーん! もー、なんでそんなしけた顔でご飯食べてるの? そういう時はあたしを呼びなさいって、いつも言ってるよね? まったく、凪町なぎまちくんはつれないなあ。お姉さん、おこだぞ?」

「……おっと、ちょとめんどい先輩が絡んできた」

「おーい、心の声をだだ漏れさせるなー?」


 元カノの兎崎とざきに絡まれた翌日。昼飯時。

 三コマ目の講義の前に腹を満たしておこうと、学食で一人、俺が醤油ラーメンをもりもり食べていたら、少しばかりテンションがうざい女性に絡まれた。

 ただ、彼女に絡まれるのは、昨日の兎崎の時とは違い、純粋に嬉しい出来事というか――言ってしまえばこの人は、この大学内において、俺が唯一友人と呼べそうな人だからな。……まあ、誰とも仲良くできる彼女にとっては、俺なんか、どうでもいい後輩の一人なんだろうけど。やだなにそれ寂しい。


 それから、俺を見つけて騒いだ彼女は、一緒にいた友人達に「ごめん。ちょっとぼっちご飯してる可哀想な後輩見つけたから、ちょっかいかけてくるね!」と断りつつ、俺の方へと近づいてくる。俺への気遣い皆無かよ。

 そうして、俺の対面の席に座ると、彼女は不満げに口を尖らせた。


「まったくもう ほんとにもうだよ まったくもう!」

「死ぬほど意味がない五七五やめろ」

「せっかくあたしが話しかけてあげたのに、凪町くんはいつも冷たいよねー。塩対応ってやつ? これでもあたし、大学では人気者なんだけどな。サークルや合コンに行けばいつだって、男の子みんなたちがあたしをちやほやしてくれるし! きゅるん!」

「どうでもいいけど桃本もももとさんって、言動の端々にちょくちょくおっさんを感じさせる時がありますよね。今更おことか、塩対応とか、きゅるんとか。本当にあんた、二十代前半かよ?」

「おいこら、いくら凪町くんでも言っていいことと悪いことがあるゾ?」

「あっ!? 他人のラーメンに何してんすかてめえ!」

「ふっふーん。お姉さんを怒らせると、こういう子供っぽい仕返しが待っているのだ!」

「本当、あんたいくつだよ」


 俺のラーメンにコショウと一味唐辛子を大量投入しやがった彼女に、俺はそう言った。それから俺は、子供っぽい先輩に蹂躙されたラーメンを再びすする。「げほっ、げほっ」辛さのせいでそこにあった美味しさが全滅していた。ふざけんなよおい。

「あはははっ!」

 一方、そんな俺を見て彼女はご満悦そうに呵々大笑する。本当に大学三年生かよこの人。やってることが中学生男子じゃねえか。


 というか、今更ながら紹介すると、彼女――桃本もももと鈴鹿すずかは、この大学で唯一、俺と仲良くしてくれている、気さくな先輩だった。

 幼さの残る、童顔で可愛らしい容貌。腰まで伸びた長い黒髪を、大きな赤いリボンを使って首の後ろでゆるくまとめた髪型。身長は小さめで……だというのに、おっぱいは兎崎よりも大きく、恐らくF以上。普段から子供っぽい着こなしの、でもそれがまったく違和感のない彼女は、今日は花柄のワンピースを着てにこにこ笑っていた。


「改めて、やっきゅーん! みんなのアイドル、鈴鹿おねーさんだよ! よかったね凪町くん! これでもう、ぼっち飯も不味くないね! あたしが来たからには、凪町くんのご飯の美味しさ、三倍増しだね!」

「いや、いまあんたに狼藉を働かれたせいで、俺のラーメンの美味しさは八割減なんですが……」

「凪町くんのラーメン、もっとおいしくなーれ! 萌え萌えきゅん!」

「やめろ。ここはメイド喫茶じゃねえんだぞ。手でハートマーク作って俺のラーメンに謎ビーム混入すんじゃねえ。余計まずくなんだろ」

「あの、余計まずくなんだろは酷くない?」


 ボケの途中で、普通に傷ついた顔をしてそう言う桃本さん。俺の口がちょっとだけ悪いことは知ってるのに、意外とナイーブなおねーさんだった。

 ともかく、彼女はまだお昼ご飯を買ってきていなかったので、「ちょっとご飯買ってくるねー」とだけ言い残し、食券を買いに席を立った。


 それから数分後。桃本さんはトレイにのせたオムライスを運んでくると、再び俺の対面の席に座ったのち、「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。次いで彼女は、口の中を空にしてから、何の気なしといった様子で俺に尋ねてきた。


「どう、最近? 大学生活はハッピー?」

「いや、ハッピーって……そもそも、俺にとっての大学生活って、ぜんぜんハッピーなものじゃねえからなあ……」

「ほんとに? あたしなんか毎日、友達に囲まれて、友達とくだらない話して、みんなでカラオケオールして盛り上がって、翌日は二日酔いでガンガンに頭痛いから、講義をサボったりしちゃうけど――超ハッピーだよ?」

「楽しそうに大学生活してんなあ……単位の方は大丈夫なんすか?」


「……えーっと、『いまがハッピーならそれでいいのだ』って、どっかの偉人も言ってなかったっけ?」

「そんなバカ〇ンのパパみたいな台詞を吐く偉人がいるかよ。――桃本さん、そんなんで卒業できんすか? 卒論とか書けんの?」

「やだなー、書けるに決まってるじゃない。あれでしょ? ネットに落ちてる文章をコピー&ペーストすればいいんだよね? 任せて! あたし、コピペはめちゃくちゃ得意だから! 大学のテストで鍛えたあたしのコピペ技を見せてあげるよ!」

「むしろこんな奴、卒業できちゃ駄目だろ」


 俺がついそんな失礼なことを言ってしまっても、桃本さんは「あはは。この後輩可愛くなーい。でも、そういうとこがかわいー」と笑うだけだった。陽キャは心が広い。

 そうして、桃本さんと会話をしているうちに、気が緩んだのか……俺はつい、昨日からもやもやしていたことを、彼女にぽろっと零してしまった。


「あの、桃本さん。少し相談なんすけど……」

「ん、なにかな? この何でも知ってるお姉さんに任せなさい」

「なんつうか、元カノが最近、何故かすげえ俺に絡んでくるんですけど……これって、どうしたらいいんすか? つか、どういうことなんすかね?」

「ん? 元カノちゃん? あの、高校時代に付き合ってたっていう?」

「はい」


 桃本さんには以前、酒の席でぽろっと、高校時代の俺の恋愛については話してしまっていた。……あんな若気の至り、誰に話すつもりもなかったんだけど……あの夜は、彼女がしおらしく自分の過去の恋なんて語るもんだから、そのお返しにと、俺は桃本さんにだけは、兎崎とのあれこれを語ってしまったのだ。


 そうして、昨日の出来事――元カノに未だ絡まれてる事実を桃本さんに話すと、彼女はまた一口オムライスをパクついたのち、テンションを抑えたトーンで言った。


「それはまあ、あれじゃない? やっぱり、元サヤに戻りたいっていう」

「……ですかね」

「それとも、あれなのかな。友達に戻りたいっていう可能性もあるのかな」

「え……今更? わざわざ?」


「うん、全然あると思うよ。昔好きだったとか付き合ってた男だとか、そういう一時の感情って、女の子の方が引きずらないからねー。相手が性格的に好ましい人だったら、友達に戻りたいなあ、くらいは思うんじゃないかな。そういうのってもしかして、男の子の方が意識しちゃう感じ?」


「…………」

「あははっ、わかりやすいねえ。青春だねえ。――はい。あたしのオムライス、一口あげる。これで元気出して!」

「いや、いいですから……」

「あっ、間接キスになるのを気にしてくれた? えー、凪町くん、お姉さんのことすっごい女として見てるんだね……やだー、あたしも女として見ちゃうー……くねくね」

「キモいからクネらないでくれます?」

「そっちこそ、年上の女性に遠慮なくキモいとか言うな? いくらあたしが打たれ強いからって、傷ついてない訳じゃねえぞ?」


 割とマジで怒られる俺だった。口調が男らしいものに変わってるのがマジっぽくて、これはほんとにごめんなさい。

 俺がそう、つい微笑してしまいつつ、心の中で謝罪していると、ふいに――どこからか視線を感じて、俺は背後を振り返った。


 しかし、振り向いた先には、ワンサイドアップの髪型をした女の子の後ろ姿くらいしかなく、俺は首を傾げる。……なんかいま、鋭い視線を感じたんだけど、気のせいか?

 俺がそう不思議がる一方で、桃本さんは一つ咳払いをしたのち、話を元に戻した。


「ともかく。元カノちゃんの思いがどういうものにせよ、大事なのは、凪町くんがいまどうしたいのか、じゃない?」

「俺がどうしたいのか、ですか……」

「実際のとこ、どう? 凪町くんはまだ、元カノちゃんに未練はあるのかな?」

「……ない、と思うん、ですけど……」

「言い切れてない時点で完全にないとは言えないよねー」


 鋭く、そして手厳しい指摘だった。

 ぶっちゃけ、俺の中では一応、もう兎崎と自分の関係は終わったと、そう割り切れてはいる筈なんだけど……でも、もし彼女が本当に、まだ俺のことを好きだったとしたら、俺はその時、どういう気持ちになるんだろうか。

 どういう理由であれ、また好きになってもらえて、嬉しい。――嬉しい? 本当に?


 じゃあ俺はそうなった場合、彼女の思いに応えたいってことか?


「……正直、もう恋愛なんてこりごりだって、まだ思ってるんですけどね……」

 頭の中で色々と考えつつ、俺はそう、絶対に嘘ではない言葉を吐いた。

 もう随分と時間が経ったというのに、未だにフラッシュバックする、あの痛み――俺は彼女が本当に好きだったんだと、失って気づくという、あまりにもベタな展開。

 一度でもあれを経験してしまったら、それでもまた恋をしたいなんて安易なことは、軽はずみには考えられなかった。


「まーねー……わかるなあ、それ。めっちゃわかるよー……」

 桃本さんはそう、わかったような顔をして言ってくれた。ちなみに、これは知ったかではない。いまのは、俺と同じ経験をした彼女だからこその、心の底からの同意だった。


「誰かを好きになって、それが両想いになって、だから一緒にいて、って――ちょっと幸せが過ぎるもんね。どうしても感情がプラスに働き過ぎるから、それを失った時が痛いのなんのって。もちろん、付き合い始めは失恋する未来なんて想像もできないから、何も考えずにイチャイチャしちゃうけど……破局っていう現実を一度知っちゃうとねえ……」

「……なんというか、純粋じゃなくなっちゃいましたよね、俺ら……」

「そうだね……もう好きな男の子に対して、少女漫画に出てくるヒロインみたいに、目をキラキラはさせられないよね。『あたしはめっちゃ好きだけど、でも彼は本当に、あたしをずっと愛してくれるかなあ……そんなの無理だよね……キラキラ』って目で見ちゃう」


「いや、一応キラキラはしてんじゃないですか」

「そりゃそうだよ! 女の子は誰かを好きになったら、キラキラせずにはいられない生き物なんだから! だからまあ、あたしみたいな大人の女と、まだ元カレという存在を知らないJKとで違うのは、そのキラキラの純度だよね。キラキラ具合だよね」

「なるほど……純度百パーセントのまばゆいキラキラか、現実を知ってくすんだキラキラか、という違いですね」

「うん。その通りなんだけど、くすんだキラキラって表現はなんかヤかな!」


 桃本さんはそう言ったのち、残っていたオムライスを綺麗に平らげた。次いで「ごちそうさまでした」と手を合わせると、彼女はどこかはにかむような顔で俺を見る。

 そうして、わざとらしいウインクをしつつ、愉快なお姉さんは言うのだった。


「どうせならもう、恋があんまいいものじゃないって知ってる、あたしと凪町くんとで付き合っちゃう? お姉さん、けっこうえっちな体してるよ?」


「……体だけの関係でいいなら、そうしますか!」

「ごめん。あたしから下ネタふっといてなんだけど、それは嫌かも! お姉さん、あれだから。ワンナイトラブのつもりで抱かれても、本気になっちゃうタイプの女だから。凪町くんに抱かれたらあたし、本気になっちゃう……」

「なるほど。合コンで持ち帰ったら、のちのちめんどい女ですね?」

「嫌な言い方! 何が嫌って、あながち間違いじゃないのがほんとに嫌かな! ……まああたし、凪町くんが思ってるほど、軽い女じゃないけどね。合コンにはいっぱい参加してるけど、男の人とえっちな関係には絶対にならないし。だいたい、合コンに来てるような男の子が、誠実なわけないもんね」


「えええ……じゃあ何で参加してんすか合コン。俺、参加したことないからよくわかんないんですけど、合コンてあれ、乱〇パーティの前夜祭って意味じゃないんですか?」

「凪町くんは合コンを何だと思ってるのさ。えっちなビデオの見過ぎだよ。――いい? あれはね凪町くん、あたしたち女の子がイケメン男子と楽しくお喋りして、『かわいいねー』とか気分の良くなることを言ってもらえて、しかもご飯も奢ってもらえる会だよ!」

「お前こそ合コンを何だと思ってやがんだ。――抱かれろ。合コンに参加してんだから、気に入った男がいたら抱かれてやれよ。それじゃあ男は何に金払ってんだよ」


「それはもちろん、あたし達女子とお喋りできる、素敵な時間にだよ!」


「しゃらくせえこと言ってんな、その年で」

「おーい、年は関係ないだろ?」


 わかりやすく怒ったような笑顔でそう言う桃本さん。いやでも、合コンに参加してるっつーのに、男を作る気なんかさらさらなくて、とにかくタダ飯を食いに来てるだけの桃本さんはだいぶ、ズルい女な気がするんだけど……。

 ただまあ、これが世の女性の、リアルな本音なのかもな。だとしたら、それをちゃんと言ってくれるあたり、桃本さんはまだ良心的なのかもしれん。


「というか、その身持ちの硬さから推察するに、桃本さんって処女なんすか? 一応、高校時代に付き合ってた彼氏はいたって聞きましたけど」


「しょ、しょしょしょしょ処女な訳ないじゃない! 何言ってんの! あたしもう二十二歳だよ!? それで処女だったらやばいでしょ! ……な、何言ってんのもう。処女じゃないからねあたしほんと。正真正銘、これっぽっちも処女じゃないからね? ――ほんとだからね!?」


「どうやら否定すればするほど信憑性が低くなってることに気づいてないご様子。二十二歳で処女というのは、いい加減焦った方がいいのでは?」

「そ、そんなこと言って凪町くんこそ! 実は童貞なんじゃないの?」

「は、はあ!? どどどどどど童貞ちゃうわ!」

「わー、鏡を見てるようであたしも恥ずかしいよ」


 そんな風に俺(童貞)と桃本さん(処女)は、どうでもいい会話を続ける。

 でも確かに、さっき桃本さんが言った通り……破局の辛さを知っている俺には、彼女のような『恋に幻想を抱いていない人』の方が、お互いの距離感を上手く保ったままやっていけるぶん、いいのかもしれないと、そんな愉快なことも考えてしまうのだった――。

 いやまあ、そもそも恋なんて、しないに越したことはないんですけどね。敬具。

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