第8話「ええと、それじゃあ……お茶でもボコりに行く?」
「「あ……」」
四コマ目の講義を終え、とっとと帰宅しようとしていた俺が、大学のキャンパスを歩いていたら……ばったり、俺の元カノに出くわしてしまった。
「よ、よう……」
「……う、うん」
俺のぎこちない挨拶に、それだけ返す
だって、俺達がこうして顔を合わせたのは、映画を二人で観に行った、あの日以来で――。
『私はまだ、あんたが好きなのよ』
だからいま、俺と彼女は互いに、どうにも微妙な関係の相手に対して、どういう風に接したらいいのか、わからなくなってしまっていた。
「「…………」」
互いに無言のまま、ただその場に立ち尽くす、俺と兎崎。
しかし、やり場のない気まずさを感じているのに、それでも……俺も彼女も、そこから動こうとはしなかった。それはたぶん、俺には――そして彼女にも、言いたいことがあったから。
そこまで理解した俺は、だから……もう長いことしていなかった誘いを、元カノである彼女にするのだった。
「……ちょっと、茶でもしばくか?」
「え……なに急に。お茶をしばくって……あんたいつも、そんな酷いことしてんの? 自販機で買ったお茶を踏みつけたりしてる訳? それはさすがに引くんだけど……」
「いや、『茶をしばく』にそんな暴力的な意味はねえから」
照れ隠しにあまり使わない誘い文句を使ったら、酷い誤解をされる俺だった。
なので俺は兎崎に、『茶をしばく』というのは、主に関西圏で使われている――『お茶でもしない?』的な慣用句だと説明したら、彼女は一瞬嬉しそうな顔をしたのち、むっとした表情になってこう言った。
「バリバリの埼玉県民のくせに、調子に乗って関西の言葉を使ってんじゃないわよ。そういうとこがダサくて嫌いだったのよ」
「……バリバリの埼玉県民ってワード、なんかすげえやだな……」
「まああたしは、そんなあんたの嫌いなところも、許してあげられるけどね?」
「何で急にドヤ顔してんだお前」
「ええと、それじゃあ……お茶でもボコりに行く?」
「そんな言葉は存在しねえよ」
ともかく、そうして俺と兎崎は二人で、俺のアパートからほど近い場所にある、ス〇ーバックスへと向かった。……こんな風に彼女をお茶に誘うのなんて、何年ぶりだろうな。俺はそんなことを考えつつ、十数分後――ス〇バの店内に、兎崎と連れ立って入った。
レジの前に立ち、俺はカプチーノを注文。一方の兎崎は、そもそも甘いバニラフラペチーノに、とにかく甘いものをぶっこむトッピングをしていた。子供かよ。
それから、俺達は飲み物を片手に、店内の席に座る。兎崎はバニラフラペチーノをさっそく一口飲むと、幸せそうに顔を緩ませたのち、弛緩した声で言った。
「……おいしさがすごい……」
語彙力に乏しいやつだった。
そんな彼女を見てつい微笑ましい気持ちになりつつ、俺もカプチーノを飲む。
そうしながら考えるのは、この間のこと。
兎崎となし崩し的に映画館を巡り、別れ際に思いを伝えられた日のことで……正直、彼女の思いに対する俺の答えがまだ出ていないのは申し訳ないけど、俺はあれについて、もうちょっと彼女の本音が聞きたかった。
そう思った俺はだから、あの時のことを蒸し返すために、兎崎に質問を投げかけようとしたのだけど――。
「……きょ、今日はいい天気だな……?」
「……うん。まあ、悪くないんじゃない……?」
「……ただ、ちょっと肌寒いけどな。二月下旬並みの気温だってさ」
「ああ、確かにね。どうりで、ちょっと寒いと思ったら……」
「「…………」」
聞きたいことはいっぱいあったのに、クソどうでもいい天気の話をしてしまいました。いやほんと、素直になるのってムズ過ぎでは?
俺はそう思いつつ、頭の後ろを乱暴にがしがし掻いた。
それから、一つ息を吐き出したのち、覚悟を決めると……今度こそ。彼女に聞きたかったことを、真正面から尋ねた。
「悪い。いま俺、こんなクソどうでもいい話がしたかったんじゃなかったわ。そうじゃなくて、俺が聞きたいのは、あの……この間、お前が言ってたこと、なんだけど……」
「……この間、私が言ってたことって、なによ」
「それは、ええと……俺がまだ好き、とかなんとか……」
「…………」
俺のその発言に、ぼっ、と頬を赤らめ、それから顔を逸らす兎崎。
次いで、彼女は一つ大きく深呼吸をすると、改めて俺に向き直り、俺の目をじっと見つめる。……しかし、それをすぐさま逸らしてしまうと、彼女はこう言った。
「あ、あれは、その! ……じょ、冗談、だし……」
「…………」
俺はその時、呆れてものも言えない、という感情を正確に理解した。
そうして、俺の冷たい視線を受けた兎崎は、あたふたしながら続ける。
「べ、別に、あんたがまだ好きとか、そんな訳ないじゃん……だいたい、私達はもうとっくに別れたんだから、そんなのは――」
「…………」
「……ごめん。いま私、あんたに嘘ついた。つか、いまのが照れ隠しで、ええと……あの日頑張った私が、ほんとだから……やっぱ、いまのは忘れて。お願い……」
色々と余計なことを言ったのち、最終的には素直になってくれた兎崎は、そう呟いた。……いやほんと、めちゃくちゃ難儀な性格してるよなこいつ。素直じゃないにもほどがあるだろ。
俺がそう思いながら兎崎を見ていたら、彼女はばつが悪くなったようにフラペチーノを飲んだ。そうして、彼女が一呼吸入れている間に、俺は話を続ける。
「そっか……とりあえず、あの日のお前が本音を喋ってたのは、わかったとして――でもお前、もうあいつとは付き合ってねえの?」
「え? あいつって?」
「あいつっていうのは、その……俺達が付き合ってた頃に、お前が浮気した、あの優男風の男だよ」
「ああ、あいつか……まあね? あいつとは、とっくの昔に別れた? みたいな?」
「なんで疑問形なんだよ」
「……そもそも、あいつとは付き合ってすらいなかったし……」
「は? ……お前、あいつに相手にされてなかったのか?」
「ああ、違う違う! そうじゃなくて、ええと……あのさ、
兎崎はそこで言葉を切ると、真正面から俺を見つめてきた。
わかりやすく何かを言いたそうな顔をする兎崎。彼女は頬をほんのり朱に染めて、伝えたいことがあるみたいに口をぱくぱくさせていた。
そうして、彼女はその口から、言葉を吐き出す――でもそれはたぶん、彼女の言いたかった言葉とは別の、その場を誤魔化すための一言だった。
「……私もそのカプチーノ、飲んでみてもいい?」
「……好きにしろよ」
「わーい、やったあ。ありがとう犬助。……ううううっ……」
何故か涙目になりながら、兎崎は俺からカプチーノのカップを受け取る。……明らかに、彼女が『言いたかったこと』とは別の言葉だった。会話の流れから考えて、兎崎が浮気したあいつに関して、俺に隠してることでもあるんだろうか。
ともかく、俺に対する兎崎の思いが本物だということと――それから、うちの可愛い彼女(元)をたぶらかした男との関係はもう切れているという事実だけ、確認していたら……俺のカプチーノを両手で挟んだ兎崎が、その状態で停止しているのに気づいた。
そうしながら彼女が見つめるのは、さっきまで俺が口をつけていた、カプチーノの飲み口で――。
「え? こいつ、まだ間接キスとかそんな、付き合いたての中学生みたいなことを意識してんの?」
「べ、別にそんなこと、意識してる訳ないじゃない! 何言ってんの? あんたこそ、間接キスを意識されてるって意識してんのがキモいのよ! わ、私はあんたとの間接キスなんか、別に今更……」
言いつつ、俺のカプチーノを両手で持ち上げ、自身の唇を近づける兎崎。
そして、彼女はそのまま――ちゅっ、と。
俺のカプチーノの飲み口に優しくキスをしたのち、真っ赤になった顔でドヤ顔しながら、俺に言うのだった。
「ほ、ほうら! 別に私、間接キスとか、ぜんぜん平気だもん! あんたのカプチーノにだって、普通にキスできたわよ!」
「い、いや、他人のコップにキスしてる時点で普通じゃねえから……飲めよ。俺のカプチーノを。間接キスだけ楽しんでんなよ」
「べ、べべべべべ別にあんたとの間接キスなんか楽しんでないけど!?」
過程と目的がごっちゃになった女はそう言い訳した。……大学二年生にもなって、どうしてそんな初々しいリアクションが取れるんだよお前……元カノのくせに、ちょっと可愛いな、とか俺に思わせないでくんない?
俺が内心でそうモヤついていると、兎崎は「い、いくわよ!」と言ったのち、今度こそ俺のカプチーノを一口飲んだ。
すると、彼女は不機嫌そうな顔になって、こう呟く。
「にがい」
「マジなんでカプチーノ飲みたがったんだお前」
「コーヒーなんて普段飲まないから、何が苦いのかわかんないのよ! ――苦いじゃないカプチーノ! 甘そうな響きのくせに!」
「でもよかったじゃん。俺と間接キスできて」
「えへへ、うん。…………いや『えへへ、うん』って何よ!?」
「お前が自分で言ったんだろが」
俺はそうツッコみつつ、無駄に可愛い顔をした兎崎からカプチーノを取り返す。そしたら「あ……」と声を漏らした兎崎が、俺の顔をじっと見つめてきた。……何となく意図はわかるけど、俺はそんな彼女を無視して、ぐいっとカプチーノをあおる。
「……あんたは別に、意識とかしないんだ……」
「まあな。そんな年齢でもないだろ」
「あっそ。別にいいけどね」
わかりやすく不満そうな表情を浮かべて、兎崎はそう言い捨てる。……焦りから舌は火傷してしまったけど、どうやら元カノとの間接キスにちょっとドキドキしてしまった事実は隠し通せたみたいだった。
「つか、昔の男のこととか、別にいいじゃない……それより、あんたはどうなのよ。
「ん? 桃本先輩のこと、知ってんのか?」
「まあね。たぶん、あんたより知ってるんじゃない? ――実はあの女、意外と性格が悪いのとか、あんた知らないでしょ?」
「……おい。あんま先輩の悪口言うなよ。俺、あの人にはお世話になってんだから」
「…………ぴゅっ」
「うわっ!? お、お前、ストローに溜めたバニラフラペチーノを俺の顔面にかけんじゃねえよ! 子供か!」
「子供で悪かったわね」
それだけ言うと、兎崎は拗ねたようにそっぽを向いた。……嫉妬してんのは可愛らしいけど、だからって俺が敬愛する先輩の悪口はマジでやめて欲しかった。
「……ほんと、男にモテまくりのくせに、なんで犬助なのよ……」
「あのー、兎崎さん? 独り言ならもっと小さい声でやってくんねえ?」
「うっさい。私が独り言喋ってんだから、静かにしてろ」
「聞いたことねえ日本語だなおい」
というか、兎崎はどうやら、桃本さんを恋のライバルと思っているふしがあるようだけど……それはさすがに見当違いだと思った。俺から桃本さんに対して、異性としての感情があまりないのは当然として、桃本さんからも特に、俺に対する恋愛感情みたいなものは感じないしな。
まあ桃本さんって、そういう『本当の気持ち』を隠すのが上手い人な気はするけど……ただそうは言っても、俺と彼女がそういう関係になる可能性は、やっぱり低い気がする。
それよりも、俺とそういう関係になりそうなのは――。
『でも、ちょっとだけ嬉しいです……』
……いや、それもないな。ないない。
彼女、俺の妹だし。いとこじゃなくて妹だし。妹をエロい目で見る兄貴なんて、兄貴としてあり得ないもんな、うん。義妹だからオッケーとかでもないしな、うん。
俺がそんなことを考えていると、ふいに、兎崎が訝しげな顔で尋ねてきた。
「つか犬助……あんたって、他に気になってる女とか、いないわよね? 友達の少ない、大学ではほぼぼっちのあんたには基本、私ぐらいしか恋愛対象はいないわよね?」
「お前本当に俺のこと好きなのかよ。さらっとぼっちとか言いやがって……」
「いいから。正直に答えてよ」
「…………………………ああ。俺の周りには、お前を除けば、恋愛対象となる女性はいないな」
「その割に熟考してたのはなんなのよ」
兎崎の質問に答えようとしたら、俺の脳内にだけ存在するリトル
そうして、なおも疑るような目をする兎崎から、そっと視線を逸らしていたら……ふいに、ぶぶぶ、と俺のスマホが何がしかの着信を知らせた。
なので俺はこれ幸いと、スマホを取り出し画面を確認する。
すると、どうやらタイムリーなことに、火花からラインでメッセージが届いたようで、その内容は――。
『おい。なに性懲りもなく元カノと会ってんだよ』
という、叱責だった。
「――――!?」
アイエエエエエ!? ナンデ!?
オレガモトカノトアッテルノ、バレタノナンデ!?
そう焦った俺は慌てて周囲を見渡し、彼女の姿を探す。……そしたら、すぐに見つかった。
ス〇バの店内から見える、窓の外。そこに――。
「…………」
顔文字で言うところの(#^ω^)みたいな形相でこちらを睨んでいる、俺の妹がおり――彼女は、俺と兎崎が二人でお茶してる様子を、静かに観察していた。
「…………」
その光景に血の気がさーっと引いていると、追加でラインのメッセージが届く。無視なんかできないので急いで確認してみたら、そこにはこう書かれていた。
『たったいま、至急兄さんに話したいことができました。なので、いますぐそこを出て、私のところに来てください。ちなみに、そうしなかった場合、叔父さん達に「あなたの息子さんにレイプされました」という嘘をつきますので、あしからず』
さらっととんでもないことをしようとするマイシスターだった。俺と両親の関係を終わらす気か、この妹……!
俺は思いつつ、静かに席を立つ。兎崎に対して頭を下げながら、こう言った。
「……悪い兎崎。俺、急用を思い出したから、もう帰るな」
「えっ。な、なんで――やだ、もうちょっと一緒にいたいのに……」
「これに関してはほんとにすまん。でも俺も、このラインを無視して、あとでめちゃくちゃキレられるのは嫌だし……」
「……なに? 他の女のとこに行くわけ?」
「………………いや。他の女のとこではないんだけどな?」
まだ怒り心頭といった様子で、スタバの窓からこちらを見やる火花を見つめつつ、俺はそう言った。しかし、それで納得しなかったらしい兎崎は、小さく呟いた。
「ああ、桃本さんに呼び出されたんだ?」
「いや、桃本さんじゃないが……」
「いいけどね、別に。私とあんたはもう、付き合ってないんだし? あんたが他の女のところに行こうが、いまの私には『行かないで』なんて言う権利ないしね。……どんなに行って欲しくなくても、そんなこと言えないんだから。勝手にしなよ」
「兎崎……」
「私は適当にお茶して帰るから、もう行けばいいじゃん」
わかりやすく拗ねた口調でそう言う兎崎に、つい同情する俺。だからやっぱり、この場に残ろうか考えた俺だったけど……窓の外にいる火花が口パクで、「そと、でろ」と言っているのが見えたので、俺はなくなく妹を取り、兎崎に言った。
「お、俺から誘ったのに、途中で帰っちゃってごめんな! この埋め合わせはいつか必ずするから! じゃあ、また!」
俺はそれだけ言い残して席を離れると、慌ててス〇バを出ようとする。
そしたら、その途中――。
「……なんで、私じゃだめなのよ……」
俺の元カノが小さく、そう呟いたのが聞こえたけど……それに対して俺は、聞こえていなかったフリをして、店をあとにするしかないのだった。
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