第12話 前編「課金アイテム、猫じゃらしを手に入れてきたけど、何か文句ある?」
火花に思いを告げられたのを受け、頭の中を色んな感情がぐるぐるしたり、火花との二人暮らしにもどこか気まずい空気が流れる瞬間があったりしつつ――本日。
「着いたぞ。ここが今日の目的地だ」
「……猫カフェ?」
それらの問題を棚上げにして、俺は約束通り、
……火花の思いに対する答えを彼女に告げていないのに、元カノとデートするってどうなんだよ、と思いはしたんだけど、兎崎との約束を突然反故にするのも、それはそれで最低だと考えた俺は、俺なりの誠実さを見せるために――数日前。
俺を男として好きだと言ってくれた火花に、今度元カノとデートすることを、そうなった経緯から洗いざらい話した。
そしたら、彼女は――。
「わかりました。では私はその日、日本列島に未曽有の超大型台風がきて、兄さん達が利用しようとする全ての電車が動かなくなるよう祈っていますね」
と、今日のデートを快く許可してくれたのだった。いや、これのどこが『快く許可』だよ。不満そうでしかねえよ。
――とまあ、そんな訳で。日曜日の午後一時過ぎ。
普通に動いていた電車に乗って都心に出てきた俺と兎崎は、現在……猫カフェ『にゃんこヘヴン』の前に、二人で立っているのだった。
「……まあ、なに? あんたのチョイスにしては、悪くないんじゃない?」
猫カフェの看板を見上げながら、兎崎はそう呟く。……見やれば、彼女の口元はだらしなく緩んでいた。悪くないどころか好感触じゃねえか。
「お前、昔っから猫好きだもんな。兎崎と付き合ってた頃、よくお前が猫動画を観てにやにやしてるのを見かけたし」
「ひ、他人が猫動画観てにやにやしてるのを見てんじゃないわよ! ……というか、思い出した! 私が猫動画観てにやにやしたあとで、そばにいるあんたを見たら、あんたもにやにやしてる時がたまにあったけど、あれは私のにやにやを見てにやにやしてた訳ね!」
「に、にやにやにやにやうっせえな……お前は猫かよ……」
「照れてる! こいつ照れてる! 通行人のみなさーん! 私の元カレが、付き合ってた頃のかわいらしいエピソードを思い出して照れてますよー!」
「やめろ、そんなことで通行人のみなさんにお声がけすんな。――ほら、入るぞ」
俺はそう言いつつ、俺を照れさせて上機嫌になっている兎崎の背中を押し、猫カフェへと入る。「いらっしゃいませ」という店員さんの落ち着いた声に出迎えられた俺達は、その人から店のシステムや注意点を説明されたのち、席に案内された。
この店は猫と触れ合うスペースと飲食をするスペースが別になっており、まず一人一つずつドリンクを注文する必要があった。そのあと追加で自分達用の軽食、猫ちゃん用のおもちゃ、おやつを別途購入できるシステムらしい。
思い思いに過ごす猫ちゃん達を横目に見ながら、俺と兎崎はテーブル席に座る。俺がコーヒー、兎崎がりんごジュースをそれぞれ注文すると、それはすぐに運ばれてきた。――温かいコーヒーにゆっくり口をつける俺。一方、対面にいる兎崎は、りんごジュースに刺さったストローを口に含むと、すごい勢いでそれを飲み始めた。
「……おい。お前そんな焦んなよ。別にこのドリンクを飲み終えないと、あっちの触れ合いスペースに移動できない訳じゃねえんだから。落ち着いて飲めって」
「べ、別に焦ってなんかごほっげほっぶはあっ!」
「うわっ!? お、お前、テーブルにりんごジュースを吐き散らかすなよ! つか、急いで飲んだせいで、りんごジュースが器官に入ってむせてんじゃねえか……お前は俺のおじいちゃんかよ」
「も、元カノをおじいちゃんに例えてツッコんでんじゃないわよ……!」
「あーもー、しょうがねえなお前は……」
俺は言いつつ、テーブルに備え付けてあった紙ナプキンで、まずテーブルを。それから兎崎の顔を拭こうとした。すると、兎崎は頬を赤らめながら「ちょ、自分でやるから!」と、伸びてきた俺の手を払う。こんなん、今更照れる必要ないのに……。
「ともかく、ゆっくり飲めって。な? 猫は逃げないんだから」
「あんた何もわかってないじゃない……猫はね、逃げるのよ! どれだけ愛しても、餌付けをしても首輪をつけても、ある日ふらっと逃げちゃうのよ! うううっ、シナモン……あんたどこ行ったのよぉ……!」
「し、シナモン? ってなんだ?」
「私がまだ小学生だった頃、アパートで飼ってた猫の名前よ……」
「……たぶんそれ、猫に犬みたいな名前をつけたから逃げられたんじゃね?」
「あの頃の私にとって、シナモンは猫の名前だったの!」
猫につける名前としては絶妙に違和感がある名前だった。猫にシナモンって名前をつけてる人が兎崎以外にもいたらごめんなさい。
ともあれ。一刻も早く触れ合いスペースに行きたい兎崎は、りんごジュースの入っていたコップをさっさと空にすると、「ごちそうさま! 早く行くわよ!」と席を立った。
なので俺も、一旦コーヒーを置いて兎崎についていく。そうして一足先に触れ合いスペースに入った彼女は、両手を大きく広げたのち、じゅるりと舌なめずりをしながら、猫が数匹群れている場所へと近寄っていった――。
「うぇへ、うぇへへ……うぇへへへへへへ……!」
「「「…………」」」
――わかりやすく猫達にガン引かれていた。馬鹿かあいつ。
確か猫って、目を合わせられたり、圧を出されるのが嫌いって、動物番組か何かで見たことがあるけど……それで言うなら、兎崎はいま、完全にやらかしていた。
山ほどいた猫達が彼女の出現によって、「なんかヤバイやつ来たぞ……」「目を合わせるな!」「みんな、自分の住み家に隠れるんだ!」みたいなことを思ったらしく、そそくさと共有スペースから自身の寝床に帰っていく。
その結果、触れ合いスペースには、ただ一人――両手を広げ、にたにたとキモい笑みを浮かべるやばい女だけが、傍目には面白い状態で取り残されていた。
「……なんでみんな逃げちゃうのよ!」
「おい、店員さんの説明聞いてなかったのかお前。大きい声を出したら猫が怖がるからやめろって言われただろ」
「……ううっ、あの時もそうよ……お兄ちゃんやママばっかシナモンに好かれて、私にはあんまり懐いてくんなかったし……」
「ほら、とりあえず一旦落ち着いて座れって。そしてその、『可愛い猫ちゃん達、私が触って触って触りまくってやるからねゲヘヘ』ってオーラを消せよ」
「……うそ、私の本心、そんなに正確に出てた?」
「出てた出てた。全身に滲み出てたっつーの」
俺がそう言うと、兎崎は一つ嘆息したのち、その場にぺたり、と座り込む。どうやら自分から圧が出ていたことを素直に反省したらしかった。
そうして俺も触れ合いスペースに入り、人一人分くらいのスペースを空けて、彼女の隣に腰を下ろす。すると、兎崎はふいに俺の方を見て、「もしかして私、動物に好かれないタイプなの?」と聞いてきた。俺は何も答えられなかった。
それからしばらくの間、最初に聞いた店員さんのアドバイス通り、その場でゆっくりしていると――次第に、兎崎が散らした猫達がぞろぞろと、触れ合いスペースに戻ってき始めた。
猫達は思い思いに、クッションの上で丸くなったり、土鍋の中で眠ったり、キャットタワーをかりかりしたりする。……そんな光景を見ていたら、隣の女が。
「はああああああああああああ……♡」
目をハートにさせながら、恍惚とした表情で、感動のため息を漏らした。……片想いにせよ、本当に猫好きなんだなこいつ。
思っていたら、ぴょん、と。あぐらをかいていた俺の足の上に、一匹の猫が乗ってきた。茶と白のまだら模様の、かなりふくよかな、ふてぶてしい顔つきの猫。そいつは俺の足に乗っかると、「にゃあ」と低い声で鳴いた。……ちょっと生意気だけど、可愛いなこいつ……。
そんな感想を抱きつつ、俺はでぶ猫の喉の下あたりを、指でちょちょいと掻いてやる。すると「ごろごろ」と気持ちよさそうな声で鳴くでぶ猫。……なるほど、これが猫カフェの良さか、なんて思っていたら――。
「…………」
なんか複雑な感情になったらしい兎崎が、苦虫を嚙み潰したのち、美味しいカ〇ピスを飲んだような顔で俺を見ていた。
「な、なんだよ、その顔は……言いたいことがあることしか分かんない顔をすんなよ」
「だ、だって……私よりあんたの方が、猫ちゃんに好かれてるのを見て……こいつが動物に懐かれてるのはちょっと嬉しいけど、なんでこいつのとこには猫ちゃんが来て、私の方には猫ちゃんが来ないのよってムカついたり……というかこの猫何なのよ、私だってそこに座りたいのに、なんて思ったり――別にしてないけどね!」
「「…………」」
「素直になれないこいつ、大変そうだなあ、って顔で私を見てるんじゃないわよ! というか、何で猫もあんたも同じような顔でこっち見てんのよ! 似た者同士なわけ!? つか、いまのあんたらの顔すっごい可愛いんだけど! ――ちょっと写真撮るからね! 動かないでよ!?」
兎崎はそこまで一息で喋ると、スカートからスマホを取り出し、俺とでぶ猫にレンズを向けた。そして、何の前置きもなしに、ぱしゃりと一枚。
「はあ、はあ……これ、超いい……うへへ……♡」
そう呟きながら、俺とでぶ猫を同じ画角に収め、にやにや笑顔で何度も撮影を繰り返す兎崎は、なんかちょっと怖かったです。そりゃ猫も逃げるわ。
そんな感じで、そのあとも俺は適当に、近寄ってくる猫と戯れていたのだけど……それから数十分が経っても、一向に兎崎の周りには猫が寄って来ず。だから――彼女はふいに立ち上がると、店員さんの近くに行ったのち、何かを手にして戻ってきた。
そうして、兎崎は右手にあるものを空に掲げながら、こう言うのだった。
「課金アイテム、猫じゃらしを手に入れてきたけど、何か文句ある?」
「遂に手を出したか、そのシステムに……」
「うっさい! 愛はお金で買えるのよ!」
兎崎は言いつつ、キャットタワーに群がっている猫達のもとに向かった。「ほーら猫ちゃん、猫じゃらしよー。好きでしょー? 私と遊んでくれたら、遊ばせてあげるからねー?」――なんだか胡散臭い笑顔を浮かべた兎崎が、数匹の猫に接近する。
そしたら、猫達は。
「「「…………――!!」」」
一瞬、猫じゃらしに飛びつこうとしたものの……それを持っている人間の顔を見たとたん、何かを察したように逃げ出してしまうのだった。残念、またしても失敗ですね。
「……んああああああああ……!」
叫びたいけど叫んだら店の迷惑になると思ったらしい兎崎は、両目をぎゅっと瞑ってそう呻いた。結果、普通に叫ぶより怖かった。こいつ、動物に好かれるのが絶望的に下手だな……。
それから、彼女はさっさと踵を返すと、また店員さんから何かを貰い、猫だらけのこのスペースに戻ってくる。
そうして、彼女は『ちゃ〇ちゅ~る』を天に掲げながら、こう言った。
「課金アイテム、猫のおやつを手に入れてきたけど、何か文句ある!?」
「もう恥も外聞もねえなこいつ……」
「うっさい! お金をいっぱい払えば、愛だっていつか買えるのよ!」
兎崎はそう言いながら、どかっとその場に座り、猫のおやつを開封する。……すると、匂いにつられた猫達がそろそろと、兎崎の周りに集まりだした。
それを受けて兎崎は、わかりやすくテンパった表情でこう言った。
「ほわああああああ……み、見て見て
「まあ、店名が『にゃんこヘヴン』だしな。間違ってはないんじゃないか?」
「あああああ……しあわせ……」
集まってきた猫達におやつを配りながら、だらしない笑みを浮かべる兎崎。……いま不覚にも、そんな彼女を可愛いと思ってしまったけど、しょうがないよな! 昔好きだった女の子が、猫に囲まれて幸せそうにしてる姿を見て、何も思わない男なんていないもんな!
そういえば、こんな風に幸せそうな顔をしている兎崎を、付き合いたての頃にはよく見れていたよな、と考えた俺は――未練がましい自身の感情に、少し嫌気が差す。
……いい加減、答えを出さないといけない。
兎崎のために。
火花のために。
そして何より、俺自身のために――もうそろそろ、答えを出すのを嫌がって、なあなあの関係でい続けるのは、やめにしなくてはいけなかった。
たとえ、そうして答えを出されることを、彼女達が望んでいなくても。
「にゃん、にゃん。にゃんにゃんにゃん。にゃにゃーん♪」
「…………」
「な、なに若干引いた目で私を見てんのよ! 別に私が猫ちゃんとどんなふうに戯れようが、私の自由でしょ!?」
どうでもいいけど、俺の元カノ、ちょっと猫のことが好きすぎでは?
人が真面目な考え事をしている時に、完全なる猫語を口にしながら、グーにした手で猫とじゃれあう兎崎を見て、俺はそう思うのだった……こんなこと絶対に言葉にはできないけど、俺にとってはお前の方が、猫よりよっぽど可愛いしあざといわ。
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