第9.5話「私のお兄ちゃんは、あなたがそんな風に気安く、捨てて、拾ってを繰り返していい人じゃない!」
お兄ちゃんと添い寝をした、翌日。午後五時過ぎ。
私――
「あれ、いないわね……私より遅いなんて、あとで怒ってやらないと……ふふっ」
そう独り言を漏らす彼女の名前は、
私のお兄ちゃんの高校時代の元カノで、どうやら現在もお兄ちゃんの気になる相手らしい、クソ女だった。
そんな彼女がス〇バの店内に入ってきたので、私は立ち上がる。次いで、兎崎さんのそばまで早足で歩いていくと、彼女に声をかけた。
「お久しぶりです、兎崎さん」
「げっ!? あ、あいつの妹……!」
「他人の顔を見て、げっ、って何ですか。――というか、前も説明しましたよね? 私は
「あ、ああ、そうよね……ひ、久しぶりでございますわね?」
「兄さんの親類だからって、無理やり丁寧な言葉遣いにしようとしなくていいですから。そういう猫かぶり、ウザいです」
「う、ウザいって……つか私、ここで犬助と会う約束してるんだけど……あんた、あいつ知らない?」
「兄さんなら来ないですよ。だって今日、あなたをここに呼んだのは私なので」
「はあ? 私を呼んだのがあんたって……だって私、昨日あいつに、ここで会おうってラインで言われたのよ? それがどうして、あんたが私を呼んだって話になるのよ」
「あのラインしたの、私ですから」
「…………はあああああ!?」
驚く兎崎さんを尻目に、私は少しだけ、昨日のことを思い出す――。
お兄ちゃんがお風呂に入っている時、私はお兄ちゃんのスマホを勝手に弄り、パスワードを入力した。0128。お兄ちゃんの誕生日でスマホのロックを外すと、ラインで兎崎さんとのトーク画面を呼び出し、こんなメッセージを作成した。
『今日は悪かったな。明日また会えねえ?』
そこからはご想像の通り。
私はお兄ちゃんのフリをして彼女と数ターンラインをし、最後に『ちょっとこれからスマホ使えなくなるから、追加でメッセージ送ってくんなよ?』と兎崎さんに念押ししたのち、お兄ちゃんのスマホにおける、彼女とのラインのトーク履歴を全削除した。
こうして私は、お兄ちゃんに感づかれることなく、このいけ好かない女を呼び出すことに成功したという訳だった。
「え、ちょっと待って。色々と訳わかんないだけど――つかあんた、あの時間にあいつのスマホに触れるって……あいつのアパートで、あいつと同居でもしてんの? いとこなのに?」
「はい。私、兄さんの妹みたいなものですから」
「ずるくない!? あんたのその、いとこでも妹でもいける感じ、絶対ずるいでしょ!」
細かいことにいちいちうるさい人だった。いとこで妹だからこそ、兄さんとの関係に悩むこともあるんですよ……上辺だけで羨ましがらないでもらえますか?
ともかく。それから、兎崎さんがどういう経緯で自分を呼び出したのかうるさく聞いてきたので、私は軽く、お兄ちゃんのスマホで兎崎さんを呼び出した経緯を説明する。すると彼女は、わかりやすく引いたような目で私を見ながら、こう言った。
「あいつにあんたを紹介してもらった時から、この子ブラコンっぽいなー、とは思ってたけど、ここまでだったなんて……あんたガチ過ぎでしょ」
「うるせーです。黙りやがれです」
「敬語の意味ないでしょそれ。……え、それじゃあなに? この呼び出しがあんたの嘘ってことは、今日私、あいつに会えないの? ……会いたかったのに……」
「そんな乙女な顔しても、知ったこっちゃありません。――いいから、何か飲み物でも買って私のいる席に来てください。あなたに話があります」
「…………悪いことして悪びれてなさすぎでしょ、こいつ……」
兎崎さんはそう呟きつつ、それでも店のレジへと並ぶ。なので、それを見届けた私は自分の飲み物が置いてある席へと戻り、そこに腰かけた。
そうして、数分後――フラペチーノが入ったカップを手に、兎崎さんは私の対面にどかっと座る。彼女の額にはわかりやすく、不機嫌そうな皺が寄っていた。
「私の性格上、このことは絶対、あんたのお兄ちゃんにチクっちゃうと思うけど、それはいいのね?」
「どうぞご自由に。私の目的は、あなたと一対一になれるシチュエーションを作り出すことでしたから。あとのことはどうでもいいです」
「……意外と向こう見ずなのね、あんた」
「兄さんを信頼している、というのもあります。――兄さんなら、私が勝手にスマホをいじり、あなたを呼びだしても、それで私を怒りはすれど、見放しはしないでしょうから」
「ふうん、兄貴を信頼してるんだ……で? こんなことして、あんたは何がしたかったわけ?」
「単刀直入に言います。――兄さんに二度と近づかないでください」
「…………」
私の言葉を受け、また更に不機嫌そうな表情になる兎崎さん。
一方の私は、心の底から思っていることを、一つずつ彼女にぶつけていった。
「兄さんと付き合えたくせに、兄さんを裏切ったあなたが、また裏切るために兄さんに近づかないでください。――本当、何なんですかあなた。浮気なんて最低な行為をして、兄さんを傷つけたくせに、どうしてまた兄さんにちょっかいをかけるんですか? 意味がわからないです。兄さんを傷つけるのはそんなに楽しいですか?」
「……別に私は、またあいつを傷つけるために、あいつに近づいてる訳じゃないし……」
「だいたい、あなたは行動に一貫性がないんですよ。兄さんが本当に大切だったのなら、浮気なんかしない筈じゃないですか。そして浮気をしたのなら、もう兄さんはあなたにとってどうでもいい人になったんだから、二度と関わらない筈じゃないですか。……なんでまた、兄さんなんですか。もうやめてよ」
「…………」
「私、兄さんには誰よりも幸せになって欲しいんです。――それができるのは、あなたじゃない。兄さんに傷を負わせたあなたじゃ、兄さんを幸せにできない。むしろ、兄さんをたぶらかして、夢中にさせて、あげく不幸にするのがあなたなんですよ。だからもう、兄さんに近づかないでください」
「…………もしかしてあんた、嫉妬してるだけ?」
それまで静かに聞いていた兎崎さんは、私の言葉が途切れたタイミングでそう言った。……何もわかってないなこいつ。私は嫉妬してる訳じゃない。そんな幼稚な感情で、兎崎さんを責めてる訳じゃないのだ。
そうじゃなくて私は、お兄ちゃんが幸せになるためには、浮気性の元カノをちゃんと忘れる必要があると思ってるだけで……つまるところ、兎崎さんがお兄ちゃんにつけた傷をこれ以上開きたくないという一心で、私はこの女にキレているのだ。
だから、私の中にあるこの感情は、嫉妬とか。
そんな子供じみた思いじゃ、絶対ないのに――。
「……嫉妬じゃ、ないです……」
私の口から出たのはそんな、弱々しい、論理性に欠けた否定だけだった。
それを受けて、兎崎さんの目の色ががらっと変わる。……これまでは私に対して、お兄ちゃんの親類だから、と抑え込んでいた炎が、静かに灯った。
彼女の目もまた、嫉妬に身を焦がされた女のそれだった。
「ああ、そう……前々からあんたのことは、兄思いな妹、って説明で済ませていいのかなって思ってたけど、そっか……あんたも、桃本さんと同じなんだ?」
「……桃本さんと同じ、というのがどういう意味かはわかりかねますけど」
「そりゃあ、私は浮気した訳だし? だから、あいつの妹に怒られるのは当然かなって思って、我慢してたけど――こうなってくると、話は別よね」
「…………」
「あんたなんかに、犬助は渡さないから」
兎崎さんはそんな言葉と共に、私を睨みつけてくる。どうやら、私にとっての彼女がそうであるように、彼女にとっての私も敵として認識されたみたいだった。
でも、それでいい。むしろやりやすい。
彼女が私を敵と思ってくれたなら、私も遠慮なく、投げつけたいだけの言葉を口にできた。
「兄さんを渡さないも何も、もう、あなたのものじゃないんですよ。勘違いしないでください。兄さんも別に、あなたに未練たらたらって訳でもなさそうですし……それなのに、いつまでも兄さんにちょっかいをかけるのはやめろって、私はそう言いたいんです。きっと、兄さんも言わないだけで、迷惑だと思ってますよ」
「あいつが迷惑だと思ってるって、なんであんたなんかにわかるのよ!」
「わかりますよ。兄さんの一番そばにいるのは、私なんですから」
「……そうね。そうかもね。あんたは犬助の一番そばにいる女……でもそれって、あんた視点の話でしょ? あいつから見たあんたは、『女』ってカテゴライズされてんの?」
「…………」
「あいつに一番近かろうが、あいつに意識してもらえないなら、意味ないじゃない。まあ別に、あんたがあいつと一緒にいるだけで幸せだって言うなら、それでもいいかもしんないけどね。――私はやだもん。あいつと抱き締め合いたいし、キスしたいし、えっちなこともしたい。あんたの立ち位置じゃ満足できないのよ」
「……私だって、少しずつアプローチしてますよ……だから、最近は兄さんも、私のことを異性として意識し始めてくれている筈ですし……」
「そもそもの話をしていい? ――兄妹で恋愛とか、キモいのよ」
「――――」
この女をぶん殴りたい衝動に駆られる。
それは、私がこれまで何度も自問自答してきたことで、いまさっき私の感情を知っただけの、しかも昔お兄ちゃんを手酷く傷つけた女に、易々と言われていいことじゃなかった。
「あんたとあいつは、兄妹みたいに育ってきたんでしょ? 血は繋がってなくても、昔からずっと一緒で、兄と妹みたいな関係だって、あいつがそう言ってた。――あいつはそう思ってるのよ。あんたは妹。いとこじゃない。いや、いとこだと思ってたとしても、いとこと恋仲になるってどうなの? それも微妙じゃない?」
「…………」
「一般的な感覚で見なさいよ。あんたとあいつはこれっぽっちもお似合いじゃない。わかる? ――あんたのその思いは、抱いた時点で間違ってたのよ」
「――――」
自制しようとした時にはもう遅かった。
私は、私の傍らにあった、冷めたコーヒーが入ったカップを手にした、次の瞬間――目の前の憎い女に向かって、その中身をぶっかけていた。
ばしゃ! と顔面からコーヒーを浴びる兎崎さん。「な……なにすんのよ!」激高する彼女を見て、少しだけ申し訳ない気持ちになった私はだから、口だけでも彼女に謝罪した。
「ごめんなさい、思わず手が滑りました。てへ」
「謝る気ないわよねあんた!?」
彼女の言う通りだった。――その証拠に、頭は下げない。行動として間違ってはいたけど、感情としては間違っていなかったから。私はただ適当にごめんなさいと口にするだけで、兎崎さんに頭までは下げなかった。
それから私は、テーブル備え付けの紙ナプキンを手に取ると、兎崎さんの濡れた顔を拭こうとしたけど……「自分でやるからいい!」と怒られ、持っていた紙ナプキンをひったくられる。そうして、紙ナプキンで顔を拭い始めた兎崎さんを見つめながら、私は反論した。
「私の思いが間違ってるなんて、そんな訳ない」
「…………」
「世間が何と言おうと。他人がどんな目で見ようと。私は、お兄ちゃんが大好きです。あなたに理解されなくたって構わない。だってこれは、他人に理解されたい思いじゃないから。私は、私だけがこの思いをわかっていればいい。――いつか、お兄ちゃんにだけ、伝わればいい」
「…………」
私のそんな言葉に、何故かばつが悪そうな顔をする兎崎さん。自分でも同じような感情を抱いたことがあるのか、彼女はコーヒーをぶっかけてきた女に対して、さほど激高していないように見えた。
しかし、彼女が敵対心を薄れさせてようが、私には関係ない。
今度はこちらが、彼女の痛いところをつついてやる番だった。
「あなたはどうですか? お兄ちゃんのことが、どれくらい好きですか?」
「……私だって、あいつのこと……」
「いえ、確かに質問はしましたけど、兎崎さんが答える必要はないです。だって私、あなたの感情は何となくわかってますから。――きっと、他にいい男がいたらそっちに走るけど、片手間に愛してあげるくらいには好きなんですよね?」
「ち、ちが――!」
「何が違うんですか。お兄ちゃんを傷つけたくせに。一度ちゃんと手に入れた、お兄ちゃんとの関係を、自分で踏みにじったくせに! ――だから私はあなたが大嫌いなんです! 私の大好きなお兄ちゃんに、癒えない傷をつけたから! 私が心の底から欲しいものを、あなたはゴミみたいに捨てたから! ……なんで、あんなことをしたんですか……あんなことをするならどうして、私のお兄ちゃんを奪ったりしたんですか……!」
「…………」
「それで? 今度は何ですか? 今更また、お兄ちゃんにアプローチなんか始めて、最後はどうする気ですか? ……どうせあなたは今回だって、お兄ちゃんを幸せにするつもりはないんでしょ? だから、私は何度でもこう言うんです――今後一切、お兄ちゃんに近づかないでください」
「……な、なんで、あんたに、そんなこと決められなきゃ……」
「そんなの、自分が一番わかってるでしょ。――浮気をしたからです」
「…………」
私の一言に、兎崎さんは顔を伏せ、何も言えなくなる。
けれど、そんな哀れな姿の彼女に、私は同情なんかしてやらない。
だってそうじゃないですか。この事実に関しては、やっかみでも何でもなく、この女が悪いんだから。身から出た錆ですよ。それなのに、何を被害者面しているのかこいつは。
一番傷ついたのは、私の大好きなお兄ちゃんだ。
そんな彼女がいままた、私の大好きなお兄ちゃんを私から奪って、傷つけようとしている……そんなの私としては、彼女を呼び出してキレ散らかさずにはいられなかった。
「私がいまこうして、あなたに会って、お兄ちゃんにもう会うなと言ってるのは、嫉妬の感情からだけじゃありません。――過去に、お兄ちゃんと両想いになったあなたが、浮気をして、お兄ちゃんを捨てたからです」
「す、捨ててなんて、そんな――」
「あなた視点の話はしてない。そうじゃなくて、お兄ちゃんがどう感じたかです」
「…………」
「そんなあなたがどうしてもう一度、お兄ちゃんに近づくんですか。……ああそっか、捨てたあとで惜しくなったんですね? ふざけないで。私のお兄ちゃんは、あなたがそんな風に気安く、捨てて、拾ってを繰り返していい人じゃない!」
「……わ、私は、ただ……」
「逆の立場になって考えてみてください。……一度、自分の大切な人を捨てた人間に、その大切な人を再び預けられますか? いま、あなたがもう一度、本当にお兄ちゃんを好きになってたとして、次こそは大切にしてもらえると愚直に信じられますか? ――兎崎さん。あなたは以前、お兄ちゃんと付き合っている時に浮気をしました。それはもう、あなたがそういう人間である証拠です。だから私は、あなたからお兄ちゃんを守らなきゃいけないんです」
「……う、浮気浮気って、ごちゃごちゃうっさいわね!」
私がつらつらと感情をぶつけると、兎崎さんはそう叫んだ。……ほうら、本性が出てきた。やっぱりこの女、お兄ちゃんのことなんて何とも思ってないんですよ。
そんな風に冷めた目で兎崎さんを見ていると、彼女は――私を睨みつける目を一瞬だけ逸らしたのち、唇を少しだけ震わせながら、こう言うのだった。
「……あんたずっと、私のことを『浮気した女だから兄貴には近づけさせらない』って言ってるけど……じゃあ、もしもの話だけど……もし私が、実際には浮気なんかしてなかったら、あんたはどう思ってくれるわけ? 私と犬助のこと、認めてくれんの?」
「…………え?」
呆気に取られたような声が出た。それは何も、彼女の発言が意外だったから、というのだけが理由ではなくて――突然、私の大嫌いな兎崎さんが、めちゃくちゃ頬を赤らめてはにかむという、彼女らしからぬ表情を浮かべたから。
その、これから一世一代の告白をする乙女のような顔になった彼女に、私が面食らっていると……そんな顔のまま、兎崎さんは言った。
甘やかな声。照れたような表情。およそ私に対してするべきではない、恋する女の子みたいな雰囲気のまま――彼女は、感情を絞り出すように、こう告げたのだった。
「つか私、別に……う、浮気なんて、してないもん……」
「……………………は!?」
こうして私は、この日……とても小さな、でも私やお兄ちゃんにとってはとても重要なパンドラの箱を、図らずも開けてしまったのでした――。
……本音を言えば、私はただ、私が大嫌いなお兄ちゃんの元カノに、怒りたかっただけだったのに――そっか、感情の赴くままに行動しても、良い結果は待ってないんですね。兄さん、私は今日、また一つ大人になりましたよ。褒めてください。
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