第20話 賢者の意志
高級ホテルの、本来は従業員が使うであろう空きの部屋を拝借し、私とファイド刑事さんは向き合った形で対談していた。
部屋の広さがそこまでではなかった都合上、酷い圧迫感に苛まれる。
圧迫面接でもここまでのものは経験にない。もっとこう、ほのぼのとしたお茶会のようなものを要求したいのだけれども、まあ土台無理なのだろう。
「ふぅむ――」
ファイド刑事さんが、何度目かの水を飲む。
偏頭痛持ちという話は聞いていなかったけれど、大層頭を痛そうにしている。
できることならば、もう少し前もって適当なシナリオをこさえておきたかったところではあったが、あいにくとそこまでアドリブは利かなかった。
私が言える限りのありのままを伝えたつもりだ。
別の世界で、猫探しを引き受けて、そして猫を追いかけていたらこの世界に辿り着いてしまい、実は追いかけていた猫は得体の知れない存在で、世界を移動する能力を持っているのだった。そんなお話を、だ。
「誤解なきよう言っておくが――ルック、某の話は荒唐無稽である」
その発言に対し、整合性のある解釈はできるのだろうか。
どのように捉えたところで哀れんでいるように思われているとしか。
「しかしだ――世界を超える猫というものは――希少ではあるが、その存在は認知されている」
「そうだったんですか? じゃあ私も元に世界に……」
安堵の言葉が出ようとしたその矢先、ファイド刑事さんは抑えるようにして私の前にその大きな手をバッと突き出してくる。
「我が輩たちの規定により――異界の訪問者は直ちに処刑となっている」
「えっ――」
唐突に私の首が切断される、その光景が目に浮かび、血の気が引いた。
「異なる文化――異なる文明――それらは異物であり、秩序を乱すことに等しい。過去にも――異界の訪問者によって――混沌がもたらされた事例もあるのだ」
「じゃ、じゃあ……、わ、私……、こ、ころさ……」
退こうとして、思わず椅子から崩れ落ちる。
「まあ待て。だから悩ましいのだ――荒唐無稽――つまり、前例あれど極めて稀な例であり――この規定も飾りに近い」
「つまり、私の処罰については決めかねている、と?」
「端的に言えばその通りだ」
見た目からして規則に厳しい厳格な印象のあるファイド刑事さんだけれども、どうやら情状酌量の余地はあるみたいだ。
「そも――異界との交流を禁じたのも――古の時代の賢者であり、我らが自警団の規定も――その賢者の意志に基づいている。ただそれだけだ」
「あのぅ、私は交流する気もないですし、どうか見逃してはいただけませんか?」
泣きの一手に興じる。私にとっての死活問題だ。
よもや、異世界の地に骨をうずめようとは考えてもいない。
「見逃すこともやぶさかではないが――我が輩はルック、某のことを信用しているわけでもない。たった今の話も――何処から何処までが真実かも分からん」
人間の言葉の危うさというのは、曖昧さ加減にある。
真っ当な真実なのか、真っ赤な嘘なのかなどといった極端なことこそ稀であり、ある程度までは真実で、何処かに嘘が紛れ込んでいるなんてのがありふれている。
そこには、当人の意思とは関わりのないものもいつの間にやら内包していたりするから尚のことややこしい。
例えば、私はサンタの存在を信じていたとして、何処かでサンタと思わしき人物に会ったことを他人に話したりしたらどうだろう。本当はサンタなんていないのに、サンタが実在したという証言ができあがる。
そんな真実なのか嘘なのかではない、極めて曖昧な言葉が何処に影響するかなんて誰にも分かりようのない話だ。
今のこの状況。今、まさに私がおかれているこの状況。
私自身が理解しているとは言い難い。
紛れもない真実として語っている言葉の一つ一つも、実は虚言の可能性すらある。
そして、そんな一方でファイド刑事さんからしてみてもそう。
私の言葉ほど怪しいものはないだろう。
なんだったら全てが戯言であってほしいとさえ思っているのでは。
万が一、私が異世界人であるということを容認しても、私がこの世界において何も問題を起こさないという保証など微塵もあったものじゃない。
それはどれだけ私が口で示しても行動で示してもそう。
何処のどなたかは存じ上げないのだけれども、古の時代の賢者さんの意志とやらは決して古い思想、化石のような言葉として切り捨てていいものでもない。
ファイド刑事さんの言葉を借りるならば秩序を乱すものであり、いずれは混沌をもたらしてしまう……可能性も否定できない。
「今一度――確認させてくれ」
「は、はい」
姿勢を改めてファイド刑事さんが訊ねる。
「ルック――某は異界を超える者により迷い込んだ異界の訪問者で間違いないな」
「そう、です」
真っ直ぐ目を見開いて私の方を見つめる。
「目的は――再び元の世界に戻ること――それで相違ないな」
「はい……」
鋭い眼光が私を突き刺すかのよう。
「この異界の地に――害をなすつもりはないということだな」
「勿論です!」
私がそこまで言い切ると、ファイド刑事さんも覚悟の決まった表情になる。迷いに迷っていたことをたった今、断ち切ったかのよう。
「分かった――いいだろう。我が輩は自警団。この場所の治安と秩序を守る番人である。某にそのつもりがないのであれば――不問としよう」
「み、見逃してくれるんですか!?」
「無論、無条件というわけにはいかない。ルック――某が元の世界に戻るまでの間は我々――自警団の監視下におかせてもらう」
それはまたえらく微妙な条件を付け加えられてしまった。右も左も分からない現状からしてみれば、むしろ破格の対応とも言えるような気もするが。
でも、監視下というのが何処から何処までを意味するのかが問題だ。
自警団の目の届く範囲内に行動が制限されてしまうのも厄介。
プライベートが一切合切なくなってしまうのであれば正直勘弁してほしい。
「ちなみに、元の世界に戻るための情報を提供してくれる、とかは……?」
「残念だが、その点においては――協力できない。異界を渡る者の情報は御伽噺と変わらないからな――自分で調べてもらう他ない」
まあ、そうなってしまうのか。
今日だって自分の足で調べてきたことだ。次元を超えるような手段はそこまでメジャーではなく、とんでもない仙人がもしかしたら知っているかもしれない、程度の認識であり、存在はしていても極めて身近ではないものなのだ。
自警団さんたちの仕事は、あくまで町の治安を守るおまわりさん。
困っている人たちを助けるといっても限度はある。
でも、希望がないわけじゃない。
私は異世界の道を渡る手段を知るチェイサーの存在を知っている。
あまりそこまで友好的ではないけれど、まだ話し合いの余地はあるはずだ。
ちゃんとした協力者がいないことはちょっぴり残念ではあるけれど、別に底の見えない泥沼の中にある小石一個を手探りで見つけ出せというほどのものではない。
チェイサーの言う未知に繋がる道とやらもよくは分かっていないけれど、ここに、この世界に来ることができた以上、帰る手段があることも確定している。
ならば、私は私の道を突き進めばいいだけ。
こんな異世界ではあるけれど、私の往くべき道は存在している。
ネガティブなことなんてないはずだ。
「ファイドさん、分かりました。その条件を飲みます。元の世界に戻るまでどうぞよろしくお願いします」
そういって私は、ぺこりとファイド刑事さんに会釈を添えた。
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