第8話 探偵はもう、詰んでいる
「我が輩はこれで失礼しよう――くれぐれもこれ以上、怪しい動きをしてくれるなよ――小娘」
「小娘って……あ、あの……私、ルックって言います」
「ああ――分かった――ルック。なるべく覚えておくとしよう――我が輩は――ファイド。別に――覚えておかなくてもいい――」
そういうと、いかつい顔の大男――ファイドさんは、窮屈そうな扉を潜り、私の部屋から出ていった。急激に緊張感が解かれるような心地だ。
心なしか、部屋の面積も広くなったような気がしないでもない。
ただ、あの様子だと、もうしばらくはこの宿屋で犯人捜しをしているのだろう。
とりあえず自警団という立場らしいけれど、私の世界観とか感性的なアレでは、刑事と呼んでもいいのかもしれない。この世界にそういうのあるのかな。
ともかく、あのファイド刑事はかなり勘が鋭いことだけは分かった。
「はふぅ~……いやぁ、なんだかとんでもないことが起きちゃってますね」
まさか同じ宿に泊まっている客が得体の知れない毒を盛られるなんて、寝耳に水もいいところだ。魔法とか奇術とか怪奇みたいなことを言っていたけれど、まさか本当の本当に私の知るよしもない超常現象による犯行なんだろうか。
そんなことをされてしまったら一応立場上探偵としての私は詰んでいるも同然なのではなかろうか。関わりにならない方が身のためなのかな。
「ええと、ルックさん。申し訳ないのですが、もうしばらくは当宿屋で滞在、といいますか、その、外出も控えて、あ、いや、んーと、ここにですね、ここにいてもらえますでしょうか」
若おかみ、いやにキョドった態度で割と重大なことを宣言してくれちゃった。
「え? 今日、出掛けちゃダメなんですか?」
「そうです。自警団の方々が犯人を割り出すまで、その、誰も外に出すなとの命令でして……はは」
ファイド刑事は容疑者から外してくれたんだけどなぁ……いや、アレはファイド刑事が個人的に言ってくれただけであって、別に私自身の清廉潔白が証明されたという理屈ではないか。
となると、これは困ったことになる。今日はこれからギルドに向かってお仕事探しをする予定だったのに、その時間すらも取れないのはかなりヤバい。
無一文のままで無駄な一日を消費することになる。ダメ、ダメ、ダメ、それは洗濯物を干さないままカゴの中にほったらかしにするような暴挙。貴重な時間を無駄にすることは今の私にとって死活問題。
「ちなみにお訊ねしますけど……今夜の宿泊代ってやっぱり……」
「ルックさんにお支払いいただくことになりますねぇ」
あかん。私、お金持ってないのに。
「ああ、でも安心してください。朝食と昼食まででしたら昨晩の宿泊代に込みですので、ご用意できますよ」
それは嬉しい。でもほぼ気休め。このまま宿屋に一日拘束されてしまったら夕食が食べられない。
「い、いつになったら犯人、捕まりますかね……?」
「さあ~? 魔法による犯行は証拠も残りにくくて自警団の人たちも手を焼くんですよ。先週なんかも、お客様が石像にされてしまいまして……そのときはとびきり早く犯人が見つかりましたが、それでも三日は掛かったかと」
早くて三日じゃあ遅すぎる! というか石像にされることもあるの?! この町の治安とかどうなっちゃってるのよ。もっとセキュリティを万全にしてほしいよ。
「今回は早い段階で宿屋に結界を張りましたので、おそらく犯人は宿屋内に潜んでいるものと思います。これは許可がないと自由に出入りできない結界です。ですので、多分、三日も掛からない……と思うんですよねぇ」
結界って何。そういうセキュリティもあるのか。
「おかみさんが、その楽団員さんを見つけたときに犯人が宿の外に逃げ出してしまった可能性とかは……?」
「それはそれはよほどのことがない限り大丈夫ですよ。宿の出入り口には感知魔法もありますし、宿泊客でも従業員でもない全くの部外者が次元魔法でビュンとやってきて、ビュンと帰っていったとかでもなければ……ええと、大丈夫です」
次元魔法とは? よく分からないが、可能性はゼロに近いとは言えるのか。
無差別に人をピンポイントで襲う狂人が唐突に現れたともなればいよいよこの町の治安も深刻すぎるというもの。
「ああ、でも、楽団員さんが襲われた動機も不明なんでしたっけ」
「そうでしたねぇ……悪い人じゃないと思うんですがねぇ」
「あと、感知魔法があるんだったら、その楽団員さんの部屋に忍び込んだ人も分かるんじゃ……」
「いえいえ、かなり高度な魔法ですので、ついているのは出入り口だけです。そんな全ての部屋に施術してもらうとなると高尚な魔導師様に莫大なお金を支払わなくては。といいますか、感知魔法が作動したかどうかの確認も大変なんですよ?」
これもまたよく分からないが、結構有力な情報なのでは。
犯人は宿屋の中にいる誰か。それはほぼ確定。
勿論、とんでもないイレギュラーな場合もあるかもだけど。
「じゃあ、この宿の出入り口の数は? 抜け道みたいのもあります?」
「出入り口は正面玄関だけですよ。昨晩ルックさんが入ってきた場所だけ。抜け道なんてものもありませんって。窓も開きませんでしたよね」
あ、そうだったんだ。そう言われて、私はカーテンの掛かっている窓に手を掛ける。どう頑張っても風を取り入れるくらいしか開けられない。
外に腕を出すこともできなさそうだ。
「……魔法でネズミとかに変身できる人っていますか?」
「獣化魔法なんて伝説級の秘術を使える人はこの町にもいませんよ。そんな超有名人、そこら辺を歩いているだけで大騒ぎになってしまいますって」
難しい魔法なんだ。若おかみの表情がどんどん不審の色をおびていく。こんなことも知らないなんて、一体どこのド田舎から出てきたんだ、とでも言わんばかり。
「そろそろいいですか? 一応こんな状況ですが、朝食の準備もございますので」
「ああ、そうだ。ご飯。いただけるんでしたよね。もしよろしかったら、この猫ちゃんの分もお願いしますね」
カゴの中の猫ちゃんは白い尻尾を向けて、まだ怯えている様子だ。
「はいはい、分かりました。ご用意させていただきます。早いところ犯人が見つかってくれないと、こっちも商売があがったりで困っちゃいますねぇ、まったく」
それはもうご愁傷様といいたい。
この若おかみも苦労していることがよく分かる。
「胸中お察しします……じゃあ、ご飯前に最後の質問を一ついいですか?」
「なんでしょう?」
「他の宿泊客さんってどんな人たちなんですか?」
「あまりお客様の情報は明かせませんが……えっと、そうですねぇ……、ルックさんと楽団員の方を除きますと三人。どなたも旅人さんです。吟遊詩人さんに、大道芸人さん、そして行商人さんです」
ファイド刑事さんが言うには、かなり特殊な猛毒だったらしい。未知の調合法とも言っていた。少なくとも今あげられた三人を職業を聞いた感じでは誰にもそんな毒は作れなさそうだ。
「それではわたしはこれで」
そういって若おかみもまた私の部屋から去っていった。
今ある材料はこれだけか。ファイド刑事も私の部屋を訪れたくらいだ。きっと他のお客さんの話も聞いているはず。その中からサクッと犯人を割り出してほしいところだけど、さあどうだろう。
魔法の概念なんて得体の知れないものを出されたら分かるものも分からなくなってしまいそうだが、こんな異世界で、私は、何ができる?
探偵は異世界で何ができるのか?
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