第9話 金欠な少女の事件簿
外敵に該当するものがいないと判断できたのか、身勝手な白猫はカゴの中から気ままに飛び出し、そこが自分の定位置であることを主張するように、ベッドの上を再び陣取った。そうして先ほど中断させられてしまった毛繕いを再開する。
そんな白猫を横目に、テーブルで頬杖をついているのは私、新海ルックだった。
着の身着のまま、地元なら一駅二駅程度の距離、歩いて帰れることを豪語していていた私は、貴重品というものを持ち歩いていなかった。
財布もない。定期もない。辛うじて持っていたのは充電切れのスマホに、事務所の鍵だけ。もしもこういう状況になることが予測できていならば、まず何よりも着替えを用意していたことだろう。
とても残念なことに、今の私は異邦の地を歩けるような準備は整っていない。
しかしながら、準備を今から整えるにしても大きな障害がいくつかある。
第一に金欠であるということ。そもそも財布を持っていたところで、この世界で使用可能な通貨すら持っていないわけなのだけれども。
そんでもって、仕事を探しに行くにしても宿屋から一歩も出ることができない。コレが一番の障害だろう。お金がないまま夜になってしまったらあの若おかみはどんな顔をすることか。
それで宿屋から追い出してくれるのならまだいい方だと思う。でも、自警団の人たちが言うには、犯人が見つかるまで外出を許さないという話だ。
とどのつまり、それは食事もなく、寝室すら提供されないまま、宿屋の物置にでも拘束されてしまうことを意味するのではないだろうか。なんといっても私は客ではなくなるのだから。
一日、二日くらいなら耐えられるかもしれない。それが三日、四日、はてや一週間ともなったら居心地の悪さもさることながら、体力的な意味で限界になるのは目に見えている。
それで、その状況からしなければならないことは、何らかの仕事探しと、実際に何らかの仕事をこなして給料をもらうこと。いやぁ、無理なんじゃないかなぁ。
一週間以上飲まず食わずの状態で肉体労働とかさせられちゃったら命に関わるような気もしてくる。やってやれないことはないかもだけど、勘弁被りたい。
せめて、体力もある今のうちにさっさと仕事を見つけ出して、がっつりお金を稼いでいきたい。準備を整えて、元の世界に戻るための情報を集めるんだ。
そのためにはどうすればいいか。
とりあえず、今の私にはこれくらいしか思いつかない。
そう、宿屋の客に毒を盛った犯人を見つけ出すことだ。
だが、今現在、私が持っている情報は極めて少なすぎると言わざるを得ない。
この宿屋は二階建て。被害者は一階の一番奥の一室に泊まっていた楽団員。
腕を負傷して失業しており、誰かから恨みを買っていたかどうかも不明。
出血毒なるものを服毒させられたらしいが、部屋の中には毒物を持ち運びするための容器もなく、またこの毒物は非常に特殊な調合を必要とするらしく、そんじょそこらの人には入手することも生成することも容易ではないという。
また、この宿屋の入り口には感知魔法なるものが施してあり、出入りした人間を把握することができるそう。これにより容疑者は宿屋内の人物まで絞り込まれた。
他の宿泊客を容疑者とした場合、吟遊詩人さんに大道芸人さん、そして行商人さんの三名の中に犯人がいることになる。まだ誰も会ったことがない。
昨晩、私がこの宿を訪れたときには既に遅い時間だったし、他の客と顔合わせする前に就寝してしまったからどういう人物像なのかすら不明だ。
問題となるのは動機、そして方法。
失業した楽団員に恨みを抱くようなことがあるとすれば、同業者と思わしき吟遊詩人さんと大道芸人さんが候補に挙げられる。
特殊な毒を入手するとなると行商人さんが一番怪しく思えてくる。
では、仮に恨みを抱いていて、さらには毒も持っていたとして、鍵の掛かった部屋の中にいた楽団員さんに毒を盛る方法とは。
正直、どういう毒なのかが分からない。遅効性の毒だとしたら、楽団員さんの部屋に入り、食事などに混ぜて服毒させた後、部屋を出て行けば、それから楽団員さんが鍵を閉めて密室成立、というのが分かりやすい答えだろう。
それなら室内に鍵が掛かっていたのに毒を盛られた理由、室内に毒物の容器が残っていなかった理由の説明になる。
でもこれでは何も絞れない。動機と毒を持っている人物が分からない以上、ここからどうやっても進展しようがない。
もし毒が即効性だったら成立しなくなるし、結局は机上の空論だ。
さらに言ってしまえば、魔法なるもので部屋の外から毒を発生させるような手段があるのであればもうどうしようもない。ひょっとすると、宿屋の外から悪魔的なものを召喚して、楽団員さんに毒を盛るような呪いを掛けさせたかもしれない。
物証や状況証拠が意味をなさなくなる。そんなことってあるだろうか。
とんでもないイレギュラーを容認せざるを得ない犯行なんて、刑事ドラマでも見たことがない。それこそ犯人を割り出すなんて不可能に近いじゃないか。
無差別に毒を盛ることが趣味な通りすがりの次元魔法エキスパートの狂人が、宿屋の感知魔法も、鍵の掛かった扉も、容易く素通りして、負傷した楽団員に襲いかかり、そしてそのまま煙のように去っていった。
そんな荒唐無稽なオチである可能性も否定することができない。
楽団員さんが自ら服毒した可能性も、吟遊詩人さんが次元魔法を会得している可能性も、大道芸人さんが証拠を残さず毒を生成できる可能性も、行商人さんが悪魔と契約している可能性も、全部があり得ると考えなければならない。
無理だ。可能性の幅があまりにも広すぎる。
どうしたら、私はこの謎を解くことができる?
私に、この謎を解くことができるのか?
急激に私はいてもたってもいられなくなってしまった。確か宿屋の外に出るなとは言われたが、部屋の外に出てはいけないとまではハッキリと言われていないはず。
ともなれば、少しでも情報を絞り込みたい。そんな一心で、私は部屋から抜け出すことを決意する。そんなことをして何の意味があるのかは分からない。
ただ、途方もなくこんがらがってしまった謎を紐解きたいという本能にも近い衝動は抑えようもなかったのだ。
異世界がなんだ。魔法がなんだ。どういう状況下に置かれようとも、そこには何かしらのルール、法則があって、それによって成り立っているはずなんだ。
ありとあらゆることに可能性があり、また同様に不可能もある。ソレを見極めることができればきっと、この不可解な謎だって解ける。
希望的観測を掲げて、飛び出した廊下は無人で、がらんどう。どうやら階下の方に人が集中しているらしいことが分かった。
もしかしなくても二階に宿泊していたのは私だけだったのかもしれない。
ギシギシと音を立てる廊下を素通りして、階段の前まで辿り着く。
すると、慌ただしく動き回る男の人たちの姿を確認できた。床を這いつくばったり、壁を叩いて確認してみたり、傍から見たら奇妙な光景だが、多分あれは自警団の人たちによる現場検証という奴に違いない。
あの中に、魔法使い的な人はいないのだろうか。私が思っていたよりもファンタジー感の欠けた光景だ。
ファイド刑事の言葉を思い出す。魔法や怪奇を指して「ただならぬ手段」と言ったのだ。その意味を今、ほんの少しだけ理解できたような気がする。
魔法という存在に立ち向かえるのではないか。そんな希望さえ沸いてきた。
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