第10話 答えはいつも一つ

 階段を降りていくと、自警団の皆さんの視線が自然と私の方に向いてくるのが分かった。あまりにも歓迎されていない闖入者であることは間違いないだろう。


「おはようございます。皆さん、頑張ってくださいね」


 白々しくも挨拶だけしてみる。唖然とした場の空気の中で、ぼそりと誰か一人「お、おはようございます……」と返ってくる。


 どうやらこの中にはファイド刑事さんはいないようだ。あれだけ図体がでかいのだからその場にいなければすぐ分かる。多分楽団員さんの部屋の方にいるのだろう。


 チラッと一階の廊下の方を見てみる。突き当たりに至るまで、自警団の皆さんが一所懸命何かを探している光景が続いていた。


「あ、え? る、ルックさん? 降りてきたんですか?」


 玄関側にあるカウンターの向こうから驚いた表情を見せたのは若おかみだ。


「すみません、朝食ですよねぇ。あの、まだもう少し時間が掛かりそうです」


 相変わらずも慌ただしい調子でわたわたと答えてくれる。床や壁に這いつくばる自警団の方々の異様な光景を目の当たりにしているせいなのか、それともやはりもうしばらくはまともに宿屋としての営業ができないことに焦りを感じているのか。


「そうですか。では、もうしばらくこの辺りにいます。宿屋の外に出なければいいですよね」


「ええと、はい、その、自警団の皆さんの邪魔にならないようにお願いしますね」


「はい、分かってますよ」


 許諾は得られたので、今は一先ず、宿屋の宿泊客として振る舞おう。


 私が朝ご飯が待ち遠しくて降りてきた客だと認識されたのか、次第に周囲の視線から外れていくのが分かった。折角なので、残った視線を辿ってみる。


「あのぅー、すみません、今よろしいですか?」


 舌の根も乾かぬうちに、丁度こちらを見ていた自警団の若い人に声を掛ける。


「はい? どうしましたか?」


 とりあえず若い自警団さんに返事をいただけた。


「私、あまり詳しいことを聞かされていないんですけど、なんでもこの宿に泊まってる人が毒を盛られたっていうじゃないですか。怖いですよね」


「はあ、まあ……泊まってる場所でいやな事件に遭っちゃいましたね」


「そうなんですよ。あ、いや、急かすつもりじゃないんですが、犯人の目星はついているんでしょうか?」


 仮にも自分が容疑者の中に含まれていることを度外視したかのような厚顔無恥な発言ではあるが、犯人に怯えている意図が伝わったのか、察する表情を浮かべる。


「申し訳ありません……その、肝心の毒物も見つかってなくて……あ、すみません。他の宿泊客の荷物もちゃんと全部調べたんです。身分も洗いざらい。でも皆さん毒なんかとは縁もゆかりもなくて……いやはや面目ないです」


 吟遊詩人さんも、大道芸人さんも、行商人さんも今のところは白に近い灰色か。


「そんな、皆さん頑張ってくれているじゃないですか」


 軽くポンと若い自警団さんの肩を叩いてみる。


「私、魔法とか全く詳しくないんですけど、犯人が魔法や奇術や怪奇を用いたとしたら、それはどういう風な感じで分かるんですか?」


「それはですね、いかなるものでも痕跡は残るんです。魔法なら発動させるために術式や材料が必要ですし、呪いの類いにしてもそう。最低限、儀式を成立させるための準備がなければなりません。毒を掛ける魔法となれば少なくとも毒の実物が何処かにあるはずなんです」


「それで魔法とかナントカを使える人は、他のお客さんの中にはいたんですか?」


「あー……と、どなたも魔法の使い方なんて知らないと言い張るばかりで。勿論、呪文を書いた紙も、発動させるための道具さえも見つかってない、です」


 若い自警団さんが申し訳なさそうに頭をポリポリと掻く。


 もしかすると、ひょっとすると、もう真実は目の前にあるのかもしれない。


 確証などない。だって私はまだ容疑者の顔も犯人の顔も、それどころか凶器となった毒の実物さえ一度として見ていないのだから。


 でも、徐々にぼんやりとしていた輪郭が形を整えていく、そんな実感があった。


 少しずつ、ほんの少しずつだけど、可能性が剥がれ落ちていく。不可能が消去され、可能が実態を帯びていく。その後に残るのは、ただひとつの真実。


 この状況、この光景もまた、ヒントになっているに違いない。


「答えていただけてありがとうございます。大変だと思いますけど、引き続き頑張ってくださいね」


 そんな激励の言葉を残し、私は宿屋の玄関前――若おかみのいるカウンターに向かう。やはり何かと慌ただしく業務に没頭している様子だ。


「忙しそうですね。ああ、すみません。お仕事の邪魔をするつもりはないです」


「あはは……、どうしてこうなっちゃったのやら」


「楽団員さんが倒れているのを見つけたのって、おかみさんなんですよね」


「そうです……ああ、もうビックリしてしまって、気が動転しました、ええ」


「ところで、これは聞いていなかったと思うのですが、どうしておかみさんは楽団員さんの部屋に行ったんでしょうか」


 そこで、若おかみさんはほんの少し、眉の端をピクリと震わせる。まるで傷口に触れたかのようなその反応を、私は見逃さなかった。


「多分何かしらの用事があったんですよね。おかみさんですから、宿泊客にサービスするのも業務のうちですものね。例えば――食事を運んだ、とか」


「えへへ……ま、まあ、そういう感じですね。いやはや、ルックさんは鋭いですねぇ。そうそう、わたしはお客様にお料理を運んだんです。そのときに、頭から血を流しているお客様を見つけたのですよ」


 私は、一つの確信を得た。


たどり着いたよイッツ・ダーン


「な、な、なんですか、ソレ」


「ああ、お気になさらずに。でもどうやらそうなるともう隠しようがなくなるんじゃないですかね」


「わたしにはルックさんが何を言っているのか分からないのですが……」


 若おかみさんの目が泳ぎ始める。先ほどからずっとテンパった調子ではあったが、ますます加速がかっていくかのよう。何をそんなに慌てているのか。何をそんなに怯えているのか。


 そうこうしていると、廊下の奥の方から、ギィギィギィ、ズシズシズシとかなり大きめの足音を立てて、おそらく大きな何者かがこちらに移動してきていた。


「おかみさん、楽団員さんに毒を盛ってしまった犯人は、あなたですね」


 私がそう言い放った直後、宿屋カウンターの前に現れたのは、案の定、ファイド刑事だった。険悪な表情、といっても相変わらずのいかつい顔で、しっかりと若おかみさんの方を見据える。


「女将さん――アンタにまたもう少し――話を伺いたい」


 低くドスの利いた声がまるで上から重い鈍器のように降りかかってくる。


「ひょえっ!?」


 なんか本当に鈍器にでも殴られたみたいに、若おかみさんが怯む。おそらくだけどファイド刑事も同じ答えに行き着いたのではないだろうか。


「ファイドさん、もしかしておかみさんが犯人だと踏んでます?」


 見上げて、訊ねる。少しバツの悪そうな顔をされたが、ファイド刑事はアゴをいじり答えてくれた。


「ルックか――怪しい動きはするなといったはずだが――まあいい。我が輩の出した結論だ――全ての部屋に出入りでき――宿屋内にいて――いくらでも移動できる人物などそうはいまい」


 魔法の類いの痕跡が見つかっていないのなら、魔法が使われていないということ。そうなったとき、怪しい人物にあがるのは若おかみさん。それが答えだろう。


「ああ真っ先に調べるべきだった――倉庫を見させてもらうぞ」

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