第二章 毒はどこにいった?

第6話 怪奇は二重に面倒

 窓から差し込んでくる朝の日差しと、やけに賑やかな喧騒に私は目を覚ました。


 馴染みのない毛布に、痛んだ木造のワンルームが視界に入り、夢だと思いたかったものが現実であるということを思い知らされた。


 テーブルの上には半分くらい残った水差しと、噛りかけのパンが一切れ。覚えている限りでは、無性に水分を要求していたということくらい。


 袖で目を擦り、湿った痕をぬぐう。


 疲労感でおぼついた足を床に立たせ、そのまま溜め息をひとつついた。そんなアンニュイに応じるかのようにニャーと鳴き声。


 ベッドの脇に置かれたカゴの中から白い猫がこちらをうらめしそうに見ていた。そういえば昨晩からずっと閉じ込めたままだったか。


 逃げないようにするためとはいえ、窮屈な思いをさせてしまった。そんな罪悪感からか、はたまた気を紛らわしたかったのか、カゴを開けて猫ちゃんを解放する。


「ごめんね、狭かったよね」


 おっとりとした足取りでカゴの中から姿を現した白い猫ちゃんは、逃げるわけでもなく、さっきまで私が寝入っていたベッドの上に飛び乗り、丸くなると、そのまま毛繕いを始めた。


 代弁はできないけれど、多分窮屈だったと言っている。実にベッドは寝心地がよさそうだ。しばらくこうしておいてやろう。


 昨日はなんだかんだ一日中追いかけ回してしまったわけだし、その上で窮屈なカゴに一晩中閉じ込めてしまったのだから好きにさせてやるべきとも思う。


 若おかみさんにお願いして猫ちゃん用のご飯も用意してあげなきゃ。


 元の飼い主に返す際に、ガリガリになっちゃってたなんてシャレになってないし。


 それにしても、昨日は散々逃げ回ってくれちゃったくせに、今はこうしてベッドの上でくつろいでいるだなんて、猫という生き物は本当に気まぐれらしい。


 こんな状況だからこそ、尚のこと、気楽に毛繕いしている猫ちゃんの精神が羨ましくて仕方ないくらいだ。


 さて、そろそろ部屋を出よう。タダ泊まりは今日だけなんだから、私の方はゆったりと滞在しているわけにはいかない。


 元の世界に帰るための手段を探すと同時に、ギルドで何かしら日雇いの仕事を探す必要がある。


 勿論のこと、サクサクっと帰る方法が見つかるのであれば、明日の宿のことなんて考える必要もない。とっとと帰ればいいのだから。


 けれど、そうではない可能性も考えなければ、一文無しで路頭に彷徨うルートが確定してしまう。


 物事というものには、良い方向と悪い方向の二つがある。都合よく良い方向にだけ進むことはない。だから常に悪い方向に動いてしまったときのことを考えろ。


 と、そのようなことを私はパパに教わった。


 現状、実は私は良い方向にだけ物事が動いてしまっている。猫ちゃんはアッサリ見つかったし、タダで特盛りのパスタをごちそうしてもらったし、昨晩もタダで宿屋に宿泊できてしまっている。


 異世界に迷い込んでしまったというとびきりの悪い方向を加味したって、プラスの方が抜きん出てしまっている。こういうときが一番危ういんだ。


 良いことが続いたとき、悪いことの反動は比例して大きくなる。


 だから今こそ、今だからこそ、最悪のパターンを想定して行動に出る。


 差し当たっては、このファンタジーな世界で、私でもできるような仕事を見つけ出し、明日以降の宿代を確保すること。これが優先事項だ。


 今日はきっと忙しくなる。しょんぼりしょぼしょぼと落ち込んでいる暇だってないんだ。覚悟を決めて、私は部屋を飛び出そうとした、そんな矢先。


 コン、コン、コンとノックの音が真正面から飛び込んできた。


 なんだか出鼻をくじかれるような気分だったけど、別に何かをくじかれたわけじゃない。きっと若おかみさんが起こしにきたんだ。


「は~い、なんでしょうか~」


 扉をキィィと開いてみると、想像通り、あの若おかみが立っていた。


 しかし、どうにも表情が暗い。それどころか、若おかみの真後ろに見知らぬ男の人が立っていた。なんだろう、このいかつい大男。身長二メートルは確実に超えてる。


 少なくとも、朝から見たらさわやかさも吹き飛んでしまいそうなゴッツイ顔であることは確かだろう。


「何か、事件でもあったんですか?」


 私は自然とそう口走っていた。


「ええ、ええ、あの、そうなんです。ちょっとー、言いづらいんですけどぉー」


 昨日にも増して、若おかみさんは慌ただしく、というか慌てふためいた様子で、言葉に詰まっていた。ただならぬことだということは把握できた。


「昨晩の――話を――聞かせてもらおうか」


 ズゥゥンと響くような重低音の声が頭から降り注いだ。顔も怖ければ声も怖いな、この人。なんだったら昨日のおじちゃんたちよりずっと怖い。


「ええと……あなたはどちら様ですか? この町の自警団の方ですか?」


「そうだ――我が輩は――自警団である」


 これほどまでに声が重いと感じたことはあっただろうか。


 若おかみはなんだかすっかり怯えているような気がする。そりゃそうだ。こんなバカでかい男がぴったりと後ろにくっついてきているのだから。


 さながら、オオカミに距離を詰められたニワトリ。


「某は――この町の住民ではない――そうだな?」


「はい、そうです。ちょっと色々な事情があって、道に迷ってしまって」


「では――昨晩――この宿を一歩でも出たか?」


「いいえ、この宿に来たときには遅い時間でしたので、おかみさんに夜食だけいただいてそのまま眠ってしまいました」


「ふむぅ――」


 ギロリとした瞳が私の顔をジィーっと見つめる。


「少し――部屋を見せてもらっても?」


 あごひげを指先でもしゃもしゃしながらも、自警団の大男さんが訪ねる。


「あ、はい、いいですよ」


 とてもじゃないけれど、いいえとは答えられなかった。


 私の承諾を得た大男は若干サイズの合わない扉を文字通りに潜りながら、私の泊まっていた部屋へと入ってきた。若おかみさんも入ってきたところを見計らって、すかさず、私は扉を閉める。


 案の定だった。ニャー、という悲鳴が聞こえて、ドッタドッタという足音が室内に響き、あの白い猫ちゃんが逃げ場を求めて右往左往。


 まあ怖いよね。こんな大男が突然部屋の中に入ってきたらビックリしちゃうよね。


 先に扉を閉めておいて正解だった。あやうく、猫ちゃん探しの第二弾が開幕してしまうところだ。


 逃げ場を失った猫ちゃんは、床に放置されていたカゴに勢いよくストーンと飛び込んでいった。ごめんね、猫ちゃん。せっかく得られた自由をまた奪ってしまって。


「何もない部屋だな」


 今の一連の猫ちゃんによる決死の逃亡劇には関心もくれず、大男は部屋をぐるりと見渡してそんな一言をもらした。それはそう。だって私はろくに荷物すら持たずに宿泊したのだから。


 あるのは猫ちゃんの入っているカゴと、テーブルの上の水差しとパンだけ。


「怪しいといえば怪しいが――まあいいだろう」


 どういう意味だそれは。


「あの~、答えてもらってないのですが、一体何があったんですか?」


「この宿の宿泊客が――何者かに襲われた――それもただならぬ手段――でだ」


 凄みのある顔で凄みのある声を出されるとこっちも余計に怖くなる。


「犯人は魔法使いか――奇術師か――あるいは得体の知れない術を使える怪奇だな」


 冗談のつもりで言っているわけではないことはその口調からもハッキリと分かった。しかし、それにしてもとんでもないことを口走ってくれたもんだ。


 怪奇が犯人の事件に巻き込まれてしまったのか、私は。ただでさえ面倒は山積みなのに。

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