第3話 そして誰かいなくなった

 酒とタバコの臭いでいっぱいの酒場のテーブルの一つ。濡れ衣から解放されたひげもじゃの男と、油染みまみれの財布を取り戻した胸毛もじゃの男と相席することとなり、ちょっと体格差的な意味もあって窮屈な食卓ではあった。


 ただ絶品だとオススメされただけあって、胸毛もじゃ男の奢ってくれたパスタはビックリするほど美味しかった。いかにも量配分考えてなさそうなくらい豪快にソースがドバドバと掛けられ、それがパスタに侵蝕する勢いで絡んで凄いこと凄いこと。


 具と思わしき肉団子なんて、それだけで一つの料理に仕上がってるレベルのサイズなのにゴロゴロとパスタの中に何個も入ってて、贅沢にもほどがあるというもの。


 空腹だった私にとっては、もう暴力に等しいね。食欲という概念を完膚なきまでに叩きのめしてくれたといってもいい。


 口の中いっぱいに肉汁の味を溢れさせながらも、私は今、自分が置かれている立場というものを改めて振り返ることにした。


 幸いにも荒くれ者のおじさんたちは思っていたよりも優しかったので色々と話を聞くことができたわけだけれども、それでハッキリと判明したことがある。


 ここは私の知っている世界ではないということだ。


 さっき、ちょっと「私は探偵だ」みたいなことを言ってしまったけれど、誰も探偵という職業について心当たりがなかったっぽいし。なんだったら占い師の亜種だと思われてしまったくらい。


 人捜し、もの探し、はたまた秘密裏に調査を行うといった職業なるものに当てはまるものもなかった。不便じゃないのかとは思ったけれど、どうにも魔法とやらで解決できてしまえる側面もあるらしく、商売としては成り立たなそうだ。


 というか、というかね。魔法なんてものが当たり前にある世界ということに私ことルックはもうどうリアクションしていいのか分からないくらいの衝撃。


 まあ、既にエルフやらドワーフやら獣人やらとすれ違っているのだから、むしろ魔法の一つや二つくらいない方がおかしいとも言えるのかもしれないけれど。


 情報を探り探り、おじさんたちと会話を進めてきた結果、分かったところはその辺りで全てだ。本当のところは元の世界に戻る方法なんかまで訊きたかったのだけど、話を進めていくうちに私に対する不審感が加速していくのが分かった。


 なんだったら、「酒を飲みすぎたか?」「変な薬を飲まされたか?」なんて反応もされてしまってきたので、情報の深追いを避けざるを得ないと判断した。


 だから分かったことをまとめると、ここが日本ではないということ。色々な種族の人たちがいっぱいいるということ。魔法とかファンタジーな要素がいっぱいだということ。そして、探偵なんて職業は存在していないということだ。


 不思議がいっぱいすぎる。


 第一、私は地元の町で猫ちゃん探しをしていただけなのに、気付いたら変なところに迷い込んで、こんな知らない町にまでやってきてしまっていた。


 一体、いつの間に異世界への扉をノックしてしまったのだろう。


 ああ、ちなみに、探し出した猫ちゃんについては特に問題はない。小さなカゴを用意してもらって、簡単には逃げられないようにしてある。


 差し当たっての問題は、どうやっておうちに帰るべきか。あと、目の前に山盛りになっているパスタをどうやって片付けたものか。極めて重大な問題だ。


 美味しいパスタであることは間違いないが、その量はここいらの酒場に入り浸るような男たちを基準にしているせいもあってか尋常な量ではない。


 別段、私は早食いチャンピオンでも大食いチャンピオンでも何でもないので食べきれるかどうかについてはかなりの不安がある。とはいえ、こんなに美味しいパスタを食べずに残せるかといったらそれもノーだ。


 ここは私ももうひと踏ん張りするしかあるまい。




 ※ ※ ※




 ああ、食い切った……。


 見事、あの特盛りのパスタを私のお腹の中に収納することに成功した。


「美味しく召し上がれたみたいだな」


 タバコをふかした胸毛もじゃ男がからかうような態度で言ってくる。きっとあの程度なら私なんかよりもぺろりとたいらげてしまうんだろうな。


「ご、ごちそうさま、です……」


 実際のところ、私も割と食べるのに苦戦した自覚はある。その証拠に、酒場の中の客が大分いなくなってきている。少なくともケンカの見物客たちがごっそりといなくなっているし、勿論あのひげもじゃ男もパ男も男もとっくにいない。


 そろそろ閉店時間かというとそれも違くて、何事もなかったかのように食事をしたり、談笑したり、酒に酔いつぶれたり、という光景が日常のように繰り広げられている。


「で、お嬢ちゃん。ルックちゃんだっけか。これからどうするんだい? アンタ、迷子なんだろう?」


 会話しているうちに、自然とそういう認識になったらしい。


 迷子と言われると辛い。でもまあ、現状を冷静に分析してみても今の私は迷子以外に該当するものはない。異世界まで迷い込んだとまでは流石に言えないが。


「うぅ……、何処か泊まれるところってありますかね?」


 外は普通に暗くなっているし、知らない町を歩き回るのは危険すぎる。でも泊まれるところがあったところで、そもそもこの世界、この国のお金なんて持っていないわけだし、状況としては詰んでいるような気がしてならない。


「だったらこの町のギルドを頼ってみるといい。お嬢ちゃんみたいな子を保護してくれるだろうからな」


 なんか迷子センターみたいに言われてしまったんだけど、大丈夫だよね。ギルドって本来、そういうところではないよね。


「ありがとうございます。ご飯を奢ってもらっただけじゃなく色々と、本当色々とありがとうございます」


 多分お礼を言っても言い足りない。なんといっても私はこの世界では招かれざる客みたいなものだし、住民票だってパスポートだって、身分証明書すらない身だ。


 路頭に彷徨う選択肢しかなかったところにここまで助けの手を差し伸べてもらえたのだから、胸毛おじちゃんには足を向けて寝られない。


「なぁに、礼にはおよばねえさ。財布も取り戻してもらえたしな」


 多分あれからよぉく洗ったんだろうな。肉染みのついた財布をぷらんぷらんとして見せてくれた。かなり大事なものだったらしい。


「それに、タンテイってのはよく分からないが、ルックちゃんほどの実力があるんだったらギルトから仕事の斡旋もしてもらえるかもな」


 財布を見つけただけで随分と評価が高いような気がしないでもない。


 ただ、仕事の斡旋かぁー……。


 私、事務所建てたばかりなんだけどなぁー……。


 むしろ私のところに仕事が舞い込んでくる予定だったんだけどなぁー……。


 もうしばらく元の世界に帰れなかったりしたら、はたして向こうではどうなってしまうことやら。何のことはない失踪事件として片付けられてしまうオチだろうか。


 今日の天気は晴れ模様。週末まで暖かい陽気で過ごせるでしょう。


 動物園で赤ちゃんが生まれました。名前を募集しています。


 そんな平穏なニュースの片隅でたった一言。


 そして誰かいなくなった、程度の小さな事件として。


 それは結末としては大変よろしくない。一刻も早く、元の世界に帰る手段を探さなくては。さしあたって、そのためにもまず、胸毛おじちゃんの教えてくれたギルドを訪ねてみることにしよう。


 そうでなくとも、今日の泊まれるところを確保しないことには、今夜を無事に過ごせる自信もない。


 目指すはギルド。願わくば元の世界に戻る方法が分かりますように。

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