第一章 強盗~酒場はパスタ色の薫り

第1話 最初の事件

 この事件は、私立探偵の新海あらみルックに関する、最初の物語である。


 え? そんなこと分かりきってるって?


 まあ、それもそうか。自分の探偵事務所を立ち上げて、一番最初に出くわしたのだから、それ以外にあるはずもない。


 しかし、この状況、はてさてどうしたものだろうか。


 むせ返るような酒の臭いと、吐きそうなくらいのタバコの臭いにまみれた治安ヤバそうな酒場で、まさしく荒くれ者っぽい男が二人、やいのやいのと取り留めのないケンカをおっ始めている最中になる。


 これは関わりたくはない。今すぐ踵を返してこの酒場から出ていきたいのだけれども、私の仕事は婦人の猫ちゃん探し。そして、その猫ちゃんはこの酒場の中にいる。


 どうやら異世界に迷い込んでしまったらしいけれども、そこで自棄になってしまっては何も解決することはできない。まずは猫ちゃんを救出して、それから後のことを考えるんだ。


 てなわけで、現在の最優先事項は、酒場にいる猫ちゃんを探せ、だ。


「てめぇじゃなかったら誰がやったってんだよ! オィィ!!」


「だから違ぇって言ってんだろうがよ!!」


 うぅわぁ……おっかないよぉ……。他の客なんて止めるどころか、もっとやれとでも言わんばかりに暴漢どもを傍観しちゃってるし。


 早いところ、猫ちゃんを救出して酒場を抜け出さないと、こっちにまで飛び火してしまいそうだ。それだけは勘弁被りたい。


 うら若き二十二歳の乙女が、異世界の荒くれ者たちに傷物にされるなんてあっちゃあならないよ。


 なるべく近寄らないように壁に背をぴったりとくっつけて移動し、店内を見渡す。


 テーブルの数は十。椅子の数はカウンター席も含めればその倍以上。


 見上げてみたけど二階席はない。そもそも階段もないし、上には上がれない。


 開いている窓は一つもなく、私と猫ちゃんが入ってきた入り口が全開になってる。


 店の中央では男二人が言い争い、周りの客はそこに集まって見世物のように楽しんでいる様子。


 とどのつまり、隠れられそうな場所は少ないということ。ついでに逃げていける場所も入り口と、カウンターの向こう側ぐらいに絞り込める。


 なんて分かりやすいのでしょう。今の私の視界の中に猫ちゃんの姿がなく、出入り口から出ていったところも目撃していないってことは、答えはカンタン。


 猫ちゃんはカウンターの裏側、あるいはその先の厨房だ。


たどり着いたよイッツ・ダーン


 酒場のカウンターの裏側、そこに私の探していた猫ちゃんがいるのを発見。


 のんきそうにバーテンの足下で毛繕いしちゃってた。


 私はすかさず潜り込んで、猫ちゃんを確保。ご飯の匂いにでも釣られたのかな。ここ、めちゃくちゃタバコ臭いんだけど。


「おいおい、キミの猫かい? いたずらっ子だ。さっさと連れていってくれないか」


 存外、優しく、渋い声でバーテンに言われる。怒っているのかどうかも判断できないが、多分口調的には怒っていると思う。


 それにしたって、目の前でケンカが勃発しているというのに、バーテンさんは涼しい顔でシャカシャカとカクテルを作っている。いつもの光景なんだろうか。


「ごめんなさい。私の猫じゃないんですけど――すぐに連れて帰りますっ!」


 無事、猫ちゃんを抱きかかえ、私はカウンターから立ち上がる。


 ここから出ていこう。そう思った矢先だ。


 私の直ぐ真横、カウンターテーブルに向かって、ガタンッと何かが猛烈にぶつかってきた。それはもうビックリするほどの衝撃だ。


「はひっ!?」


 私の腕の中の猫ちゃんが逃げ出しそうになるのをなんとか押さえ込む。


 今、何が起こったのかは直ぐに分かった。ケンカしていた男の一人が突き飛ばされてきたらしい。他のお客様に迷惑だよぉ……。


「痛ってぇなコノヤロウ!」


 怒鳴りながら男が立ち上がる。


「いい加減にしてくれないか。店のものを壊すなら出て行ってくれ」


 バーテンさんも、多分怒っている。それにしては渋い声、落ち着いた態度でシャカシャカとカクテル作っているのだけれども。


「い、一体なんでケンカしてるんですか?」


 私は思わずバーテンさんに訊ねる。


「コイツが財布を盗んだとか言いやがるんだ! ったく話の分からねぇ野郎だ」


 何故か男の方が答える。ひぃぃ、ひげもじゃ男こわいよぉ……。


「なんで疑われちゃったんです、か? この店、他にもお客さんいますけど」


 またまた思わず訊ねてしまう。


「ソイツ以外にいねぇよ!」


 今度は向こうからもう一人のケンカしてた男が答えてくる。だから私、あなたたちに訊いてないんですけど。うぅ、胸毛むじゃ男こわいよぉ……。


「ええと、ほら、他の人が持っていっちゃって、もう店にいないとか……」


 ひげもじゃ男と胸毛もじゃ男が揃って私の方を睨んできた。ひょえー。


「いいかい、お嬢ちゃん。この店の外にはオレの手下どもを置いている。入った奴も出ていった奴もみんな分かってる。そんでこの店に入るまでは確かに財布があったんだ。それから店から出て行った奴は今んとこいねぇんだ。分かるよなぁ?」


 胸毛もじゃ男が言い聞かせるようにずいずいと迫ってくる。


 手下って何。この人、何かの組織のボスなの? そう思うと急にまた一段と顔に凄みが出てきたように思えてくる。


「お店の中で落としたとか、他のお客さんが持ってるって線は?」


「ないな。オレぁよ、店の中もきっちりと調べたし、他の連中の身体検査もした。だがコイツだけはな、関係ないとかぬかして持物を見せたがらねぇ。もうこんなの決まりじゃねぇか」


 ひぃぃ……私に向かって怒らないでほしい。


 店内にいる人というと、バーテンさん、ひげもじゃ男、胸毛もじゃ男。


 そしてケンカしろしろと騒いでいる数名の男たちに、テーブルで黙々とビールを飲んでいる人に、窓際で空っぽの皿をうらめしそうに見ている人、その一方、壁際の席で特盛りのパスタをよそにこちらの様子をうかがっている男の人。


 奥の厨房にいるコックさんは忙しそうだから除外してもいいのかな。


「だからオレじゃねぇ!」


 ひげもじゃ男が言う。


「だったらその証拠を見せろや。お前がとっとと持ってるもん、全部ここに出せばいい。それができねぇってんならよ、何か見せられないもんがあるってことだろ?」


 胸毛もじゃ男がグイグイと迫ってくる。


 この人の言葉をそのまま信じるとするなら、その財布は店の外には持ち出されてなくて、この店の中にいる誰かが持っているということになる。


 でも、身体検査では見つかっていない。ひげもじゃ男だけ身体検査してないから怪しいよって話だけど……。


 ふと、私はバーテンさんの方に視線が向く。ひょっとしてバーテンさんも怪しかったりするのでは。この店の人だし、身体検査していなかったりして。


「身体検査なら私もさせられたよ」


 私はまだ何も言っていないのだけれど、まるで考えていることを見透かされたみたいにバーテンさんが先に答えてきた。この人、ただものじゃないな。


 ともなれば、本当に持物を調べていないのは、ひげもじゃ男だけなのか。私もいきなり素っ裸になれとか言われたらイヤなんだけどなぁ。


「あの、お訊ねします。そのお財布ってあなたの拳より小さいですか?」


「ああ、そうだよ。服ん中ならいくらでも隠せるくらいの大きさだよ。だからコイツ以外は全員服ごとひっぺがして調べさせてもらったのさ」


 胸毛もじゃ男は、ひげもじゃ男を睨みながら答えてくれた。


たどり着いたよイッツ・ダーン


 私は、猫ちゃんを抱えながら一つの答えを導き出した。胸毛もじゃ男の財布を盗み出した犯人はここにいる。

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