第四章 ロード・オブ・ザ・ルック
第16話 ファンタスティック・キャット
それが奇妙な光景であることは重々承知しているつもりだ。上質な肉を職人の手によってこんがりと美味しく焼き上げ、ソレをわざわざ食べやすいように細切れにした後、猫に食べさせるというその行為。傍から見ればさながら酔狂な貴族の戯れか。
まあ、大層満足そうにしているのだから良しとしよう。例え塩分過多で苦しもうがもう私の知ったことではない。そう望んだからこそ望むままに与えたまでなのだ。
しかし、こうして見ているとライオンが猫の仲間であるという話も納得してしまうくらいにはとても良い食べっぷりをしている。
存外、チェイサーも野良猫というよりかは、野性的な猫なのかもしれない。どちらも同じような意味合いのような気がしないでもないけれど気にしない。
「ご満足いただけましたか、チェイサーちゃん」
返事はニャアだった。人前では頑なに喋る気はないらしい。二足歩行できる猫の獣人だっているような世界だというのに、言葉を発することがそんなに面倒臭いことなのか。照れ屋という性分でもあるまいに。
ギルド公認の一流と思わしき高級ホテルの食堂は、私の存在が場違いなんじゃないかってくらい、上流貴族っぽい人たちで溢れかえっている。ややもすれば札束をハンカチ代わりにしていそうな面々だ。はて、この世界に紙幣があったか知らんけど。
私は私として、実に豪勢で実に美味な食事にありついている。元いた世界でもこんな高級料理など食べたことがない。食べ方の作法すら知らない。
元の世界に帰ったら食べる機会もなさそうだな。
ステーキをもう一切れ、口元に運ぼうとしたところで、テーブルの上にチェイサーが飛び乗ってきた。私の方を向いて、恨めしそうな顔をしてくる。
「くれ」
周囲の誰にも聞こえないくらい、か細く短い一声。そして、誤魔化すようにニャアと付け加える。一人前のステーキを食べて尚も足らないのか、この猫は。
「ダメよ、チェイサー。おかわりもしたでしょ? これ以上食べると太るわよ」
返事はやっぱりニャアだった。
チェイサーの目は獲物を狙う狩人の目をしている。
急いでステーキを頬張り、残った一切れもかっこもうとした、そんなときだ。私の目に映ったのはサーベルタイガーと見間違うほどの殺気をまき散らすチェイサーの姿。戦いたその隙に、最後の一切れのステーキを銜え、電光石火の如く速さで自分の定位置である床の皿に戻る。
「泥棒猫め」
メス猫で泥棒猫なんて酷い取り合わせもあったものだ。見た目は上品な白猫だというのに。
スープじゃなかっただけマシと捉えるべきだろうか。そっちだったらテーブルの上がビショビショになっていただろうし。
それにしても、チェイサーは言葉を喋ることのできる猫だという点を除けば、大体猫のようだ。別に自分のことを人間だと思い込んでいるわけでもない。口数を減らしてほしいくらいに減らず口なのが玉に瑕。
もう少しお利口さんだと嬉しいのだけれども、それを求めてしまうのも酷か。どうしてまたこんなにも性格が悪く育ってしまったのやら。というか、チェイサーは年いくつくらいなんだろう。猫は十年だか二十年長生きすると猫又という妖怪になるとは聞いたことあるけど。
「ニャア」
ごちそうさま、とでも言ったつもりなのか、チェイサーは皿を舐めていた。
白猫の正体が言葉を喋れるだけの猫であろうと、何十年も生き長らえた猫又であろうと、この際どうでもよくて、私としてはどうにかして説得して、元の世界まで案内してもらいたい。
ただ、言葉が喋れるというのは、言葉が通じるとはイコールで繋がるわけでもない。相手の気まぐれにこちらも合わせていかなければならない。そういうところはまるで人間みたいだ。
猫じゃなくて犬だったらもう少し話も通ったんだろうな、なんて思ったり。
手っ取り早く帰り道を案内してもらえて、今頃は事務所でカップラーメンでも食べていたはずだ。まあ、そう思ってしまうと、高級ホテルで一流のディナーを食べている現状を嘆くのは何かおかしいのだけど。
「ニャア」
ぼんやりとしていたら、またチェイサーはテーブルの上にのぼってきていた。
「何よ、もうステーキはないわよ。ディナーはおしまい」
そう言ってのけるも、何やら神妙な顔をしてこちらを見つめている。
「そうだな、ディナーはおしまいのようだニャ」
チェイサーが低い声でそう言い終えるか否かのところで、何かが割り込んできた。
「キャアアアアアアアアアアアァァァァッッ!!!」
絹を裂くような女性の悲鳴。食堂内の客、客、客の視線が一点に集中する。警備員たちもその場へと駆け寄っていく。私も思わず立ち上がってしまった。
身なりの良い女性が、酷く慌てた様子で立ちすくんでいる。その傍らには、男性。テーブルに突っ伏した体勢の男性がいた。てっきり赤い汚れが飛び散っているものだから、スープか何かをぶちまけたのかと思った。
だけど、どうやら違うらしい。今日のディナーにトマトスープなんてなかったはずだから。
「う、うちの主人が、主人が……っ!!」
夫人が膝から崩れ落ちて床にペタンと座り込む。そこで何が起きたのか一番分かっているはずの人物が、理解できていない顔をしている。
「誰も――動くな! ここから――出るな!」
聞き覚えのある声、忘れようもないガタイの大きな男が現れる。その言葉を聞いて、何やらいくつかあった食堂の出入り口、はたまたキッチンまでを何人もの男たちに封鎖された。
あまりにも悪役っぽい声質だったものだから、貴族たちを狙った集団的な強盗か何かと一瞬勘違いしかけたが、指示を出した男も出入り口を塞いだ男たちも、みんな自警団だということに気付き、今置かれている状況を把握した。
あの大声で指示を出した大男を忘れるはずもない。今朝も会ったばかりだ。実に半日ぶりの再会ということになる、自警団で多分偉い立場のファイドさんだ。刑事とかそういうのではないだろうけれど、なんかソレっぽい雰囲気を出している人だ。
「こ、これは……一体何事ですか?」
「何? 何が起こったの?」
「し、し、死んでるぅぅ!?」
さすがに周囲はザワザワ、ザワザワと騒ぎ始める。悲鳴はあがるわ、男性は倒れるわ、突然現れた自警団が指揮を取り出すわ。食堂内の混乱がワッと押し寄せてきた。
しかしファイド刑事は意にも介さない様子で、テーブルの上に倒れている男のもとに近寄り、様子をうかがう。
「コイツは――呪いだな。まったく厄介な事件が立て続けに起こるとはな」
呆れた調子でファイド刑事は溜め息をついた。そのとき、私は見てしまった。テーブルの上に突っ伏すその男の顔が見る見る痩せ細り、まるでミイラのように干からびてしまっていた。
さっき見たときは、体格の良い印象だったのに、すっかりガリガリの骨と皮だけみたいな容姿になっている。
「ど、どうしよう……チェイサー。チェイサー?」
私はテーブルの上のチェイサーに話しかけたつもりだった。ところが、白猫はいつの間にか忽然と姿を消しており、私の言葉はただの独り言として空をさまよった。
悲鳴が聞こえる直前、チェイサーは何か変なことを口走っていた。「ディナーはおしまい」? ひょっとすると、こうなる状況を素早く察知したのだろうか。それにしたって何も急に姿を消さなくてもいいんじゃないの。
面白くはない状況ではある。よもやまた事件に巻き込まれてしまうとは。しかも今度は正真正銘、本物の呪いだか魔法が関わってるというおまけつきだ。
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