第6話 砂漠の発明国家


 魔女の口付けで眠りについたルーキスが、次に目を覚ました時。

 まず最初に感じたのは、凄まじい喉の渇きだった。


 ガタ、ゴト、ガタ、ゴト。

 周囲が揺らいで、熱風と砂が肌を打つ。ルーキスは眉根を寄せ、ゆっくりと目を開いた。


 ここはどこだ、とぼんやり考えながら、視界に入ったのは魔女である。彼女は目が合うなり嬉しげに微笑み、汗ばむルーキスの額にひやりと心地よい濡れ布巾を押し当てた。



「おはようございます、ルーキス様」



 聞き慣れてきた声を寝ぼけ半分に耳で拾い、周囲に視線を巡らせる。


「ここ、どこ、だ……」


 ルーキスの掠れ声に、魔女は答えた。



幌馬車ほろばしゃの中ですよ」


「……ほろ、ばしゃ……」


「起きるのは三日ぶりですもんね、状況が分からないのも無理はないです。でも大丈夫ですよ、今のところ旅も順調ですから」


「旅……? 三日……? 俺は、また、三日も寝てたのか……?」



 言いつつ、気だるい上体を起こす。おのずと周囲に視線を巡らせ、前方に広がる景色を捉えて──彼は、愕然と目を見開いた。


 ようやく明瞭なった視界。

 捉えたものは、どこまでも続く渇いた砂地。


 ルーキスと魔女を乗せた幌馬車がいた場所は、蜃気楼しんきろうゆらめく、広大な灼熱の砂漠地帯だったのだ。



「……さ、ばく……だと……?」



 想像すらしなかった現在地。ルーキスが目を見開いたまま硬直している間に、魔女は水の入った革袋を持ち上げる。


「はい、ルーキス様! お水です!」


 にこやかに手渡され、呆然としたままそれを受け取った。いまだに思考がうまく働かず、実情が飲み込めていない。


 だが、喉が渇ききっていることは事実だ。

 ルーキスは受け取った水をすぐさま口内に流し込み、喉の乾きを潤して──そこで、ようやく思い出した。


 眠りにつく直前、『魔女族の国へ行きましょう』と告げられたことを。



「……おい……魔女……」


「はい?」


「俺は、了承した覚えがないんだが……」


「え、何がです? ……あっ、そうだ! これから魔女の国に行くまでのルートなんですけど〜」


「それだよ、それ!! その〝魔女の国〟とやらに行く件を俺は了承してないっつってんだよクソ魔女が!! お前ほんといい加減にしろよ!!」



 ようやく潤った喉を酷使して怒鳴りつければ、魔女がきょとんと目を丸める。「あれ、行かないんですか? 足が治せるのに?」と首を傾げる彼女に、ルーキスは苛立ちながら続けた。



「行かないとは言ってない! お前に同行するのが嫌だっつってんだよ! さっさと俺の前から失せろ、お前といるとロクなことにならん……!」


「う……。や、やっぱり、そうですよね……本当にごめんなさい、ルーキス様……。私のせいで、足も、その……」



 さすがにルーキスの足が動かなくなってしまったことへの責任は感じているのか、魔女は言いよどみ、しおらしく肩を落とす。


「……私、迷惑ばかりかけてしまって……すみません……」


 素直に謝罪を告げて俯く彼女。よほど気落ちしているのか目元は赤らみ、涙すら浮かんでいるように見える。


 あまりの猛省ぶりに、それまで怒鳴っていたルーキスもいささかたじろいだ。

 普段であれば自分以外の誰が落ち込んでいようと他者を気遣う素振りなど見せないルーキスだが──今回ばかりは、少し話が違う。


 たしかにこの魔女と出会って以降、彼が振り回されてばかりいるのは事実だ。だが、今回あの坑道に赴いたこと自体は、ルーキス自身の判断だった。


 そして、もし、あの坑道内に魔女がいなければ。

 ルーキスは今ごろ落盤で閉じ込められたままあの場所を出られていなかったかもしれないし、コウモリ菌とやらで倒れたまま死んでいたかもしれない。

 方法はめちゃくちゃだったが、事実上、彼女には助けられてしまったのである。


 一連の経緯をしばし考えた末、先ほど怒鳴ってしまったことに対し、若干の気まずさが彼を苛む。



「……もういい」



 やがてため息混じりに吐き捨てれば、魔女は悲哀に満ちた顔を上げた。


「か、解雇、ですか……?」


 不安げに問いかけられ、揺らぐ瞳。水底の見えない夜の海のような目。

 深海へいざなおうとする藍色の視線を感じ取りつつ、ルーキスはさらに嘆息する。



「はあ……そもそも俺は、お前に依頼した覚えも雇った覚えもない。解雇もクソもあるかよ」


「うっ! ……た、確かに……」


「そうだろうが。……だから、そんなに俺についてきたけりゃ、もうお前の好きにしろ」



 投げやりに告げれば、魔女は「えっ?」と大きく目を見開いた。


「……ついて、行って、いいんですか……?」


 身を乗り出し、期待に満ちた顔を近付ける彼女。それをうざったそうに押し退けて、彼はそっぽを向く。



「……めちゃくちゃ嫌だが、仕方ないだろ。しばらく歩けねえんだから」


「はう……! ルーキス様……!」


「それに、魔女の国に行くんならお前がいた方が話が早い。めちゃくちゃ嫌だが、利害関係は一致している。あくまで俺はお前を利用するだけだ、本当にめちゃくちゃ嫌だが、仕方なくだぞ」


「はいっ、ぜひ!」



 めちゃくちゃ嫌、というフレーズを執拗に連呼して嫌悪をあらわにするものの、魔女の表情はそれまでの暗い面持ちから一変して朗らかな笑顔に変わっていた。


「これからもあなたと一緒にいられるなんて、とっても嬉しいです!」


 手持ち無沙汰な片手を取られ、柔い両手に包み込まれる。

 至近距離で注がれる視線。優しい微笑み。それらを向けられたルーキスはどことなく気恥ずかしさを覚え、むず痒さに耐えきれず彼女の手を振り払った。



「……っ、そ、そんなことより、この幌馬車どうしたんだよ。お前の金で買ったのか?」



 体勢をずらして出来うる限りに距離を取り、ルーキスは話題を切り替える。ついでに足に力を込めてみるが、座した状態で膝を曲げる程度が精一杯……やはり、立ち上がることは出来なかった。


「譲ってもらったんですよ」


 先ほどのルーキスの問いに答えた彼女は、幌馬車を引く駄獣を指さす。



「砂漠を越えたいのならと、闇医者さんが駄獣と幌馬車をひとつずつ譲ってくださったんです。ルーキス様が眠ったあとのことなので、大体二日前の出来事ですね」


「あの闇医者に譲ってもらった……? 無料タダでか?」


「ええ、特に何も請求されませんでしたけれど……『すでにお代は頂いている』と言っていたので、ルーキス様がお願いしてお支払いしたのかと思っていました」



 不可解な発言に眉をひそめるルーキスの隣で、魔女は「あ、それと、これもお預かりしています!」と思い出したかのように手を叩いた。


 程なくして彼女が荷袋の中から取り出したのは、革紐で結ばれた小さな麻袋。



「今回の件の報酬だそうです。闇医者さんから」



 そう続けて、魔女はルーキスの手の上にそれを乗せる。だが、いざその手で受け取った〝報酬〟の袋は、想像以上に軽かった。最初に闇医者から提示された金額になど到底及ばない。



「は……? これだけか?」


「ええ、受け取ったのはそれだけです。明細書もありますよ、ほら」



 添えられている明細書へと視線を誘導され、口を閉ざして凝視すれば、ルーキスの表情はみるみると険しくなる。やがて彼は、「やられた……!」と眉間を押さえた。



「くっそ、あのヤブ医者……! 医療費だの備品費だの、洒落にならねえ額のカネを俺の報酬から徴収してやがる……!」


「え」


「チッ、ずる賢いクソ医者が、たばかりやがって! まさかあの野郎、最初から俺がコウモリ菌に感染することまで見越した上であの額を提示しやがったんじゃ……!」


「そんなあ、考えすぎですよ、ルーキス様!」



 わななくルーキスの傍で、魔女は呑気に明るく笑う。



「たとえ本当にそうだとしても、結果的に闇医者さんはあなたの命を助けてくださったんですから。少し値が張ってしまうのも仕方ないです」


「るっせえな、俺は納得いかねえんだよ! そもそも、元はと言えばあのクソ医者が──」


「まあまあ、落ち着いてください。病み上がりなんですし、お体は大事にしないとダメですよ〜。ね、ルゥちゃん・・・・・


「キュー」



 何気ない会話の中、ふと、聞きなれない名称を紡いだ魔女の声に〝何か〟が応えた。

 不意打ちで悪寒を覚えたルーキス。恐る恐る、彼女の奥へと慎重に目を向ける。


 魔女が羽織った夜色のローブ──その影に隠されていたのは、見覚えのあるランタン型の小瓶。

 そしてその内部からじっとこちらを見ているのは、明らかに見た事のある、彼にとって因縁深いものだった。


「キュゥ?」


 首を傾げ、愛らしく鳴く白黒模様の毛むくじゃら。

 まさしくそれは、ルーキスを病に陥れ、死の淵へと追い込んだ──飛び回る猛毒・シニガミコウモリである。



「ううぅおあァッ!?」



 ルーキスは青ざめ、思わず叫んで背後に手をついた。



「おま、何っ……はっ? はあっ!? お、おい魔女、そいつ何でここにいんだよっ!?」


「え、ルゥちゃんですか? 闇医者さんが譲ってくださったんです〜、いらないからこれはタダであげるって」


「俺だっていらねえッ!! それこそ俺が死にかけた元凶だろうがそいつ!! あと何だ〝ルゥちゃん〟って!?」


「この子、目元の周りが黒いので、寝不足でクマだらけのルーキス様に似てるな〜って思って! ルーキス様2号、つまりルゥちゃんです」


「不愉快だやめろ!!」



 威嚇するように牙を剥けば、魔女とコウモリは共にきょとんと首を傾げる。「食べると美味しい非常食ですよ?」などと告げる彼女に「食うか!!」と怒鳴りつけたルーキスは、病原菌そのものであるコウモリが入っている瓶を馬車から投げ捨てようと手を伸ばした。

 しかし足も動かない上に三日ぶりに目覚めた体の感覚がまだ戻っていない彼は、勢いをつけた拍子にバランスを崩し、幌馬車の揺れも相まってそのまま床へと倒れてくる。


「うわっ……!」


 どうにか体勢を戻そうと腹筋に力を込めた──瞬間。

 ふわりと甘い匂いがして、気がつけば、ルーキスは魔女の腕に抱き止められていた。



「っ……」


「もう、走行中に暴れたら危ないですよ、ルーキス様」



 魔女の胸に顔を埋めるような形で抱き寄せられ、ふにゅ、と柔らかな膨らみに両頬を挟まれる。

 カッと熱を帯びる顔面。ルーキスは反射的に離れようとしたが、彼女がルーキスを膝の上に横たわらせ、背中を優しく叩き始める方が遥かに早かった。


「……っ!?」


 ルーキスが硬直する中、魔女の優しい声が耳に注がれる。



「怖くない、怖くない。安心してください。闇医者さんにお願いして、ルゥちゃんにワクチンを打ってもらったので。この子の菌がルーキス様の体を蝕むことは、もうありませんよ」


「キュ~」


「ほら、ルゥちゃんも、『怖くないよ〜』って言ってます」



 とん、とん、とん。

 一定のリズムで叩かれる背中。

 甘い香りと慈愛に満ちた視線はルーキスの胸を震わせ、ほんの一瞬、思わず彼女に見入ってしまった。


 孤児だったルーキスは、母のぬくもりなど一切知らない。

 だが、ついぞ知り得ないと思っていた母の面影を、擬似的に知覚したような気がして──彼はことさら頬を赤らめる。



「……っ、お、お前っ、これは一体何の真似だ!?」



 ややあってようやく声を張れば、魔女はかくりと首をひねった。



「あら? 人の子は優しく背中を叩いてあげれば落ち着くと、人類学の文献で見たことがあるのですが……違いました?」


「何が人の子だ、俺はガキじゃねえ!!」


「おかしいですねえ、たくさんの文献を読んで勉強したんですけれど……。『はじめての子育て』、『赤ちゃんの育て方』、『夜泣き対策』、『ビーマイベイビーアイラブユー』、それから……」


「子育て本ばっかりじゃねえか何が人類学の文献だ!!」



 尚も赤子さながらの扱いを続ける彼女に憤慨し、ルーキスは目尻を吊り上げる。しかし件の魔女とくれば、憤る彼を見下ろしながら「あら、ちゃんと元気みたいですね。安心しました〜」などとやはりズレた言葉を吐くばかりだ。


「お前な……!」


 さらなる悪態をつこうとするルーキスだが、「まあまあ」と微笑む魔女にいなされる。



「そんなに怒らないで。どうせそろそろ降りますから」


「あァ!?」


「ほら、見えますか? あそこ」



 怒っているルーキスに構わず、魔女は微笑み、膝枕をしたまま遠くに目を向けた。その視線を追ってルーキスも顔を上げれば、蜃気楼ゆらめく砂漠の奥に、巨大な壁といくつもの建造物が見える。



「あれは、砂漠の発明国家はつめいこっか・バルバロウ──」



 尚もルーキスの背を叩いたまま、魔女は続けた。



「まずは、休憩がてら、あの国であなたの足の代わり・・・になるものを探しましょう」


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