第12話 記憶の中の手紙

 昔のことは、あまり思い出したくない。

 だが、夜の静けさの中で目を閉じていると、どうしても昔のことを思い出してしまう。



『ルーにい



 物心ついた時から過ごしていた孤児院は、古い教会の中にあった。少年時代のルーキスにとって唯一無二の帰る家だ。

 そこで育った孤児は皆、自分より年上の子どもたちを兄や姉と呼んで慕う。ルーキスや親友のアダムも例外ではなく、可愛がっていた年下の子どもたちから兄と呼ばれ慕われていた。


 引っ込み思案で恥ずかしがり屋な少女──ターニャもその一人。

 木陰で本を読むルーキスを見つけては、もじもじと言葉少なに視線を投げかけ、遠慮がちに呼びかける。

 ルーキスは彼女の存在に気がつくと本を閉じ、『なんだ?』と優しく言葉を返していた。



『あ、あのね、ルー兄……ターニャね……字が、書けるように、なったの』


『へえ、そうなのか。えらいじゃないか、成長したな』


『だからね、あのね……ターニャの……初めての、お手紙、ルー兄にあげる……』



 訥々とつとつと語り、控えめに手渡される便箋。ルーキスは意外そうに目を丸め、それを受け取った。



『ああ……ありがとう、ターニャ。でも、初めての手紙を渡す相手が俺でいいのか?』


『……ん』



 恥ずかしそうに頷かれ、『そうか』とルーキスは手紙の封を切る。


『えーと、どれどれ……』


 おもむろに紙を広げ、綴られた文字を追いかけた。かくして視界に飛び込んだ文面に、彼は一瞬硬直する。

 だが、ややあって薄く笑顔を貼り、何事もなかったかのようにターニャへと視線を戻した。



『あー……その、ありがとう、ターニャ。お前の気持ち、すごく嬉しい』


『……! ほんと……? 嬉しい?』


『ああ』


『じゃ、じゃあ、ターニャに、お手紙のお返事、くれる……?』



 もじもじ。はにかみながら、小さな声でねだる少女。

 ルーキスは一瞬困ったような表情を浮かべて目を泳がせたものの、『ああ、いいよ』とすぐに頷いた。

 ターニャはパッと表情を綻ばせ、春の花が咲いたかのようにあどけなく破顔する。



『ほんと!? えへ……嬉しい……! ターニャ、まってるからね』


『……うん』


『絶対だからね!』


『ああ、分かった』



 あの日、彼女からもらった手紙。

 今となってはどこにあるのか分からない手紙。


 きっと、故郷にそよぐ風の中を、今でも漂っているに違いない。

 雨に打たれてふやけても。人に踏まれて汚れても。

 燃え尽きた紙片は灰となり、細かく刻まれ、砂と塵に混じって……。


『ルー兄……』


 故郷で過ごした最後の日、燃え盛る炎の光に照らされながら、アダムの亡骸を抱く彼女の瞳が脳裏をよぎる。



『どうして、ルー兄が──』



「──あっ、ルーキス様! こんなところにいたんですね」



 物思いに耽ってぼんやりしていたその時、不意に鼓膜を叩いたのは耳慣れた声だった。


 冷たい夜風が吹く砂の大地。終わりが近付いてきた砂漠の端で、星を眺めつつ休息をとっていたルーキスは我に返って振り返る。

 回想を遮った魔女と目が合うなり、げんなりと露骨に顔を顰めた彼。けれどもにこやかな彼女は構わず近付き、車椅子の取手を握ってルーキスを捕まえた。



「もう、随分探したんですよ〜? バルバロウで買った車椅子のおかげで自力で移動できるようになったからって、勝手に遠くに行かないでくださいよぉ、心配しました〜」


「……はあ、放っておけよ。どこへ行こうと俺の勝手だろ」


「ふふ、またそんなこと言って。砂漠の夜は冷えますよ、一緒に幌馬車に戻りましょ?」


「……チッ、好きにしろ」



 優しく言い聞かせる魔女に嘆息し、身を任せるルーキス。このやり取りにも、もはや慣れてしまっている。魔女は微笑み、車椅子の取っ手を握り直すと、おもむろにそれを押し始めた。


 砂漠の発明国家・バルバロウを離れてから数日。

 色々と手は尽くしたが、結局のところウメコヴィの作った歩行補助マシーンを取り外すことはできず、いまだルーキスの脚に装着されたまま現在に至っている。


 やたら耐久性が高いのか、歩行マシーンは魔女の怪力をもってしても破壊には至らなかった。

 ルーキスは渋々と移動用の車椅子を購入することとなり、妙なわだかまりを持ったまま、バルバロウを後にしたのである。


 あれから数日が経ち、一人で車椅子を扱うことにも少しずつ慣れてきたルーキス。目元には、再びクマが目立ち始めている。


「ルーキス様、また顔色が悪くなってませんか?」


 魔女は眉尻を下げ、心配そうに土気色の顔を覗き込んだ。一方のルーキスはうざったそうにそっぽを向いてしまう。



「別にどうだっていいだろ、俺に構うな」


「えー、そんなあ。最近キスしようとするとすぐに逃げちゃいますし、つまみ食いができなくて……じゃなくて、寂しいですし心配してるんですよぅ」


「今つまみ食いって言ったろ」


「えへへ、気のせいです。とにかく、今夜こそは寝ましょうね? そろそろ倒れちゃいますよ?」



 愛らしく笑ってごまかし、魔女はルーキスの唇を指でなぞる。彼女の意図を悟ったルーキスはカッと頬を赤らめ、触れてくる魔女の指を振り払った。



「っ……よ、余計なお世話なんだよ、放っとけ! お前の口付けで寝るとろくなことにならねえ!」


「ええ〜? 口付けするの嫌なんですか? じゃあ膝枕で背中をトントンしてあげるとか……そうしたら寝てくれます?」


「どっちも願い下げだボケが!!」


「む〜、難しいです……」



 魔女は首を捻って考え込む。するとその時、『私にいい考えがあるぞ、魔女ちゃん』と別の声が割り込んできた。

 ふと視線を落とせば、ルーキスの膝のディスプレイにウメコヴィの顔が映っている。



『寝かしつけの基本は腹を満たしてやることだ。すなわちルーキスくんの胃袋を掴むこと! 腹を満たせば誰だって眠くなる!』


「まあ! 確かにそうですね!」


『人間の赤子を参考にするといいぞ、赤子はおっぱいを吸って眠るものだろう? 人の子はおっぱいを吸えば寝る、つまりルーキスくんも魔女ちゃんのおっぱいを吸っ──』



 ──ゴッシャァ!!


 皆まで言わせず拳を落とし、先日割ったはずの膝ディスプレイを再度破壊する。露骨に殺気をまとったルーキスは、「なんで生きてやがんだテメェ、この前ぶっ壊したはずだろうが……」と声を低めた。


 残ったもう片方の膝ディスプレイはすぐに起動され、ウメコヴィの顔が再び映る。



『んおおおお毎度毎度ディスプレイ割りやがってこのクソガキャァ~~ッッ!! 傷害罪だぞ!! 起訴! 起訴!』


「質問に答えろ、さもなくばこっちも割る」


『うっす。えーとですね、このディスプレイは特殊な粘菌樹脂でできておりまして破壊されても二日か三日程度で自己修復できるすげーアレで作っているのでこうしてルーキスくんたちに再び再会できたっていうか会えて光栄っていうかマジこの出会いに感謝っていうか』


 ──ガシャンッ!


『グアアア結局割るんかいヴオアアーッッ!!』



 ブツンッ──木っ端微塵に叩き割られて強制シャットダウンされた膝ディスプレイ。問答無用でウメコヴィのいる画面を破壊したルーキスは、何事もなかったかのように息を吐いた。



「よし、これで三日は静かになるな」


「も〜、ダメですよルーキス様、何でもすぐに壊すんですから〜」


「膝に寄生した虫なんて駆除して当然だろ」



 辛辣に言い捨て、再び車椅子が動き出す。


「……つーか、もうお前のツラすら見たくねえんだよ、こっちは」


 恨めしげに付け加えながら辟易した表情を向けてくる彼に、魔女は困り顔で笑った。



「……安心してください、ルーキス様。私の顔を見るのも、あと少しの辛抱ですから」


「ふん」


「もうすぐ砂漠を抜けます。そうしたら、山を一つ越えるだけで魔女の国に着きますよ」



 優しく告げて、魔女はルーキスの頭を撫でる。

 ルーキスは眉根を寄せ、やはりうざったそうにその手を振り払った。



「その山ってのは、すぐ越えられるんだろうな。こっちは車椅子だし、幌馬車も山道には向いてねえぞ」


「ふふ、ご心配なく!」



 明るく手を叩き、魔女は告げる。



「夜行列車が通っていますから、一眠りしていればあっという間に魔女の国です!」


「しれっと眠らせようとすんな」


「あら、バレました?」


「バレバレだ、ばーか」



 呆れ顔のルーキスと、照れ笑いする魔女。

 もうすぐ砂漠は終わりを迎え、彼らを待ち受ける新たな苦難が、再び幕を開けるだろう。

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