第3章 魔女と傭兵と機械人形

第13話 人攫いに御用心


 砂漠の果ては憩いの場だ。

 宿駅周辺にはバザールがあり、夜行列車を待つ間、旅のキャラバンは休息を取る。

 日の入りと共にバザールは華やぎ、列車の汽笛が夜空に響く──狭い規模ながらも賑わうこの地は、活気と安らぎに満ちていた。


 街路樹が揺らぎ、ぽつぽつと灯る明かり。旅人たちの夜の始まり。

 行き交う人々の往来を眺めながら、ルーキスと魔女は幌馬車を降り、光虫の飛び交うバザール街で伸びをする。



「はあ〜、やっと着きましたね!」



 魔女は微笑み、ここまで送り届けてくれた駄獣の背を撫でた。大人しく受け入れて目を細めた駄獣は首に下げた鈴を鳴らし、木陰に座る。

 魔女の手元に下げられた小瓶の中では夜の訪れと共にルゥが目を覚ましており、「キュ〜」と鳴いて空腹を訴えた。



「はいはい、ルゥちゃんもお腹空いたのね。まずは腹ごしらえをしましょうか〜、夜汽車が出発するまで時間がありますし! ルーキス様は何が食べたいですか?」


「ハァ……こういう人の多い場所の店内は苦手だ。適当なモンでいい」


「ふふ、分かりました。じゃあ何か買ってくるので、このベンチで待っていてくださいね」


「うおッ!?」



 ひょいっ──唐突に姫抱きにされ、驚いたルーキスは思わず彼女にしがみついた。道ゆく人々が好奇の目を彼に向ける中、ルーキスはハッと我に返り、頬に集まってくる熱を知覚して羞恥に震える。



「〜〜ッ、ひ、人のいる場所で急に抱き上げるな! 自分で座れるんだよ! つーか、座って待つだけなら車椅子のままでいいだろ!?」


「ダメですよう、ルーキス様ったらすぐどこかに行っちゃいますし」


「ぐっ……!」


「心配しなくても大丈夫です、すぐ帰ってきますから。寂がらなくていいんですよ〜、よしよし」


「寂しがるわけあるか!!」



 見当違いな発言を繰り出しながら頬擦りする魔女に怒鳴りつけ、その額を叩いて強引に引き剥がすルーキス。

 びくともしないどころか痛がりさえしない彼女に歯がゆい表情を向ける彼だが、睨まれた魔女は愛おしげに笑いかけ、「それじゃ、行ってきますね」とベンチに降ろした。



「ルーキス様、くれぐれも遠くに行っちゃダメですよ? 知らない人について行くのもダメですからね? 人攫いかもしれないですし、お菓子あげるって言われてもダメですよ。心細い時は大きな声で呼んでくださいね、それから──」


「うるせえな分かったよ大人しくしときゃいいんだろうが! 面倒くせえんだよさっさと行け!」


「うふふ、いい子いい子。それじゃ、少し待っていてくださいね。──ルゥちゃんと・・・・・・



 にこり。最後に不穏な一言を残し、魔女はその場から去っていく。

 ルーキスはたちまち硬直し、ギギギ、と音が鳴りそうな錆びついた動きで隣に視線を移した。


 目が合ったのは、小瓶の中で完全に目を覚ましているルゥ。

 大きな瞳を爛々と輝かせ、こちらを見つめている。


「キュ!」


 期待に満ちた眼差しが向けられ、ゾッと背筋に悪寒が走った。


 ウサギのような長い耳、手のひらサイズの小柄な体、目の周りにある黒い模様……。

 一見愛らしく見える〝コウモリ=モドキ科・ミミナガハナコウモリ属・シニガミコウモリ〟だが、ルーキスにとっては邪悪の化身である。このキュートな毛むくじゃらに一度殺されかけている彼は、もはやコウモリ自体が完全にトラウマになっていた。



「っ……ま、待て、魔女! こいつも連れて行け!」



 咄嗟に振り返って叫んだルーキス。

 だが、すでに魔女はどこにもいない。


「ちくしょうアイツ足速ぇぇーーッ!!」


 彼は絶望し、文字通りに頭を抱えた。車椅子も持って行かれてしまったらしく、歩けないルーキスではこの場から動くことさえできない。

 ……否、例の歩行補助マシーンを起動すれば移動することも可能なのだが、これは最終手段だ。足ツボが痛い。



(くっそ、あの魔女、あとでぶん殴ってやる……!)



 知らぬ間に植え付けられてしまったトラウマに振り回され、ルーキスは静かに怒りを募らせた。

 とは言え、件のルゥは瓶の中。こちらから触れることなどないのだから、目さえ合わせなければ恐ろしくもないし、どうってことはない。


 深呼吸を繰り返し、ルーキスは自身を落ち着かせる。



「はあ、落ち着け……たかがコウモリだろ……それにコイツはすでに闇医者の手でワクチンが打たれてるんだ、仮に近付いたところでもう病原菌になんか感染しない……」


「キュ」



 ひとりごち、己に言い聞かせる彼。しかしその耳元では、彼の発言に答えるかのようにやたら至近距離から鳴き声が放たれた。


 そう、耳元だ。本当に耳元だった。

 途端にルーキスは嫌な予感を覚え、ギギギ、とまたも錆び付いた動きでぎこちなく首を傾ける。


 恐る恐る見た自身の肩口。そこにはさも当然のようにルゥが乗っており、無垢な視線を興味深そうに投げかけていた。



「キュ?」


「うっ──おっっゥわあああァッ!?」



 たちまち全身が鳥肌に包まれ、ルーキスは肩に乗っているルゥを突発的に払い除ける。「キュピィ〜」と跳ね飛ばされたコウモリはひっくり返って吹っ飛んでいったが、即座に羽を広げ、すぐにルーキスの元へと戻ってきた。



「ゲェッ、触っちまっ……あああああ!? テメッふざけんなこっちくんなァァ!!」


「キュ〜?」


「つーか何で外出てんだよ!? 瓶の中にいたはず……!」



 パニックになりつつ隣の瓶を見れば、ふと目が合ったのは見知らぬ子ども。

 片手にスケートボードを持ち、鼻を垂らしている少年のもう片方の手には、コウモリを収めていた小瓶がぶら下がっており──どうやら、彼が蓋を開けてしまったようだった。


「こんっっのクソガキがあああッ!!」


 怒りが爆発して大人げなく怒鳴りつけたところで、戻ってきたルゥがぴたりとルーキスの腕に張り付く。「うわあああ!!」と絶叫したルーキスは青ざめながらぶんぶんと腕を振り回すものの、コウモリではなく自分の方がバランスを崩してベンチから転がり落ち、あまつさえ尻餅までついてしまった。



「いてっ!」


「キュィ〜」


「ぎゃあああ!!」



 しかし自身の醜態を気にするような余裕もなく、ルーキスは鳥肌だらけの手でルゥを掴むと遥か遠くの彼方まで放り投げる。



「オラアアァァ俺に近づくなァッ!!」


「キュ〜〜〜〜〜〜」



 尻餅をついたまま全力で投げ放てば、コウモリは美しい放物線を描いて飛んでいった。

 ようやく遠くに離れた脅威。ルーキスは早鐘を打つ胸を押さえ、ぜえぜえと息を荒らげる。



「はあっ、はあっ……! あ、危なかった……!」


「おいおいあんちゃん、動物に虐待すんじゃねーぜメーン? 動物愛護教団に訴えるぞヘイ、アンダスタン?」


「お前が勝手に瓶の蓋開けたせいだろクソガキがァァ!! つーか何だその喋り方やめろ腹立つ!!」



 ついムキになって見知らぬ子どもに牙を剥いてしまうものの、件の鼻垂れ少年は全く動じない。

 それどころか「ヘイヘイ、大人げないぜベイビー兄ちゃん」と謎のリズムにノリながら一層バカにしてくる始末で、「ウェイウェイ」「チェケチェケ」などと逐一口ずさむ彼にルーキスはことさら苛立って肩をわななかせた。


 が──その直後。「キュゥ〜〜〜〜」という不吉な声が耳に届いたことで、彼は我に返る。


 ハッと顔を上げるルーキス。

 嫌な予感を覚えながら目を凝らせば、先ほど遠くに放り投げたはずのコウモリが、何食わぬ顔で手を振りながら帰ってきていた。



「キュッキュ〜」


「うォわあああァあッ!?」



 思いがけない展開に声を裏返し、ルーキスは咄嗟に最終手段歩行補助マシーンを起動させて地面を蹴り込んだ。

 当然ながら容赦のない足ツボ攻撃が襲いかかり、「いでええ!!」と彼はその場にくずおれる。



「ぐっ、ぐおぉぉ……ッくそ……」


「ウェイウェイウェ〜イ、そんなもんかい兄ちゃん、まだやれるだろセイ、レッツ・シンギンッ! カモン!」


「お前マジで何なんだよクソガキ!! ってうわあああこっちくんなコウモリ!!」


「キュ〜?」



 全力でコウモリを拒絶するが、ルゥには全く伝わっておらず、まっすぐルーキスの元へ飛んでくる。このままではまずいと彼は歯を食いしばり、足ツボの痛みに耐えて立ち上がると即座にルゥから逃げ出した。



「ぐああああ足ツボ痛えんだよちくしょおおおお!!」


「キューー!」


「ああああくそが何で追ってくんだどっか行けええっ!!」


「ピキュ〜?」


「ピキューじゃねえんだよ俺の視界から消えろっつってんだ!! つーかお前飛べるんならさっさと野に帰れよ!!」


「キュッキュピキュピピピ」


「何て!?」



 一切成り立っていない不毛な会話。暴言の豪速球を投げつけて痛みに耐えながら、ルーキスはとにかくコウモリから逃げようと、魔女と落ち合うはずだったベンチから全速力で離れていく。

 鼻垂れ少年はスケボーに乗り、鼻水を風になびかせつつ颯爽とルーキスの横を並走した。



「何でお前までついてきてんだ!?」


「ノリ」


「消えろ!!」



 苛立ちのままに叫んだ瞬間──視線を前方へと戻したルーキスは愕然と目を見張る。なぜなら目の前には、とんでもない角度の下り坂が現れたからだ。


「げぇっ!?」


 角度がエグすぎて断崖絶壁にすら見える急斜面。ルーキスは息を飲み、頬を引きつらせて絶望した。

 足ツボの痛みの中、強引に足を動かしている彼である。こんな状態で坂道なんぞ下ってしまえば、足裏への刺激が尋常ではない。



「くっそ……あんなもん無理だ、足への負担が重すぎる……!」


「ヨーメーン、お困りかいブラザー」


「るっせえええ誰がブラザーだ黙ってろクソガキ!!」


「ツレないねえ。辛そうなその足のために、俺の自慢のボードでも貸してやろうかと思ったのに」


「!」



 得意げに鼻水を啜り上げ、しかしまたピョコンと鼻を垂らして、見知らぬ少年が口角を上げる。

 歯抜けの笑顔でもたらされた打開策。ルーキスは不意に足を止め、少年が投げ渡したスケートボードを両手でキャッチした。


「乗りこなしてきな、このビッグウェーブを」


 グッと親指を立てる少年。ルーキスは「いや、お前ほんとに誰なんだよ……」などと呟きながら舌打ちをこぼし、スケートボードに足を乗せる。



「チッ……足ツボが痛えよりは、このガキのオモチャに頼った方がマシか……」


「チッチッチッ、ガキのオモチャだと侮るなよメーン。めちゃくちゃスピード出るからなアンダスタン?」


「うっせえ、どうでもいいがしばらく借りんぞクソガキ!」


「ウェ〜イ」



 見知らぬ少年からボードを奪い、ルーキスはそれに全体重を預ける。背後から迫るルゥを一瞥し、「あばよ、クソコウモリ」と一言告げて、彼は勢いよく車輪を坂道に滑らせた。


 ゴウッ──滑走し始めたボードは、ルーキスを乗せて風を切る。

 凄まじいスピード感。軽減された足裏への刺激。いける。これならば、ヤツから逃げ切れる──!


 そう確信してルーキスが希望を取り戻した直後、鼻たれ少年は思い出したかのようにポンと手を叩いた。



「おっと、そういえばそいつの耐荷重は子ども用だったぜビーマイベイビー」


 ──バキッ、ガンッ、ドゴォォンッ!!


「どうやら言うのが遅かったみたいだなホーミータイト」



 たちまち大破したスケートボード。滑走していた勢いのまま、ルーキスは街角のゴミ捨て場に突っ込んだ。


 やがて空は黒い雲に覆われ始め、それまで乾いていた砂混じりの風も、徐々に湿り気を帯びていく。


 しばらくして追いついたルゥがゴミまみれで倒れているルーキスの頭に「キュ〜」と鳴いて腰をおろす中、ルーキスの心はついに折れ、「もう嫌だ……」とか細く呟くのであった。




 ◇




「……いってえ……きっつ……しんど……」


「キュピ〜」


「キュピーじゃねえ近づくな……」



 寂れた路地の片隅、心を無にして虚空を見つめるルーキスは、疲労困憊の表情で壁を背にして座り込む。

 全身の至る箇所を強打し、足ツボによる痛みも限界を迎えた彼。もはや一歩も動くことができず、あれほど逃げ回っていたコウモリがよじよじと頭に登ってきているというのに、抵抗すらする気になれない。


 見知らぬ鼻たれ少年はスケートボードの残骸をかき集め、「グッバイブラザー、カミングスーン!」などと言い残してどこかへ消えてしまった。

 ルーキスは暗い夜道の片隅に座り込んだまま、深いため息を吐くばかりだ。



「はあ……ったく、ここどこだよ……帰り道わかんねえ、足が痛くて立つ気にもならん……」


「キュピピ~」


「お前のせいだぞ……くそ……」



 遠方に目を向け、ぐしゃりと前髪を握り込み、ルーキスは項垂れた。


 気がつけば、魔女に待っていろと言われたベンチから随分と離れた場所まできてしまったようだ。

 頬を打つ生ぬるい風。一体ここはどこなのか、疲れきった頭では何も分からない。だが、バザールの中心部から離れてしまったのだろうということだけは理解できる。

 ウザったいほど耳にまとわりついていた喧騒が、今ではだいぶ遠のいているからだ。



「はあ……静かだな……」


「キュ~」


「……ああ、そうだ……夜ってのは、こんなに静かなんだよな……。アイツが隣にいるから、いつもうるさいだけで……」



 細く呟き、思うように動かない膝に軽く額を押し当て、ゆっくりと目を閉じた。

 見慣れた漆黒のとばり。聞き慣れた静寂。一人で何度も越えてきたはずの夜──だが、なぜだかそれが、妙に落ち着かない。


 虫の音すら耳に届かず、周辺一帯の闇も、心做しか濃く深い色に見えてしまう。

 足が痛むせいで気が滅入っているのだろうか。

 たかが足ツボの、なんてことのない、くだらない痛みなのに。



「……痛え……」



 呟くと、閉じたまぶたの裏側に、魔女の姿が映る。ベンチの前で振り返った、自分には眩しすぎてうざったい笑顔と共に。



『心配しなくても大丈夫です、すぐ帰ってきますから』


 ──心配なんかしてない。


『寂がらなくていいんですよ〜、よしよし』


 ──寂しがるわけがない。


『心細い時は大きな声で呼んでくださいね』


 ──心細く、なんか……。



「キュ〜?」



 つんつん、鼻を長く伸ばしたルゥが、俯くルーキスのつむじを不思議そうにつついた。ルーキスは顔を伏せたまま、おもむろに口を開く。


 心細く、など、ないけれど。



「魔女……」


「キュ」


「……魔女……」



 掠れた声で呼びかけ、片膝を抱えたまま縮こまった。

 ぽつ、ぽつ、不意に雫が肌を打つ。どうやら雨が降り出したらしく、ルーキスは煩わしげに表情を歪めた。


「呼んだら来るんじゃ、ねえのかよ……」


 呟いた──直後。

 彼の目の前で、誰かがそっと足を止める。



「……!」



 ハッ、と顔を上げた彼。

 もしや魔女が、と考えたルーキスだったが──。


 ──ゴッ!


 直後、強い打撃が後頭部へと襲いかかったことで、たちまち現実を突きつけられた。



「いっ……!?」


「キュィッ!?」



 ドシャッ──鈍い痛みを知覚する前に視界が暗転し、苦鳴を漏らしたルーキス。全身から力が抜け、彼はその場に倒れ伏した。


「ぐ……っ!」


 パタパタ、遠のいた羽音。ルゥが羽を広げて逃げていったらしい。

 地面に横たわり、苦く歯噛みする。しまった、油断した──焦燥のまま蹲るルーキスに何者かはゆっくりと近付き、彼の頭部を足蹴にした。



「う……っ」


「〝夜明けの番犬〟が聞いて呆れるな」


「な──」



 ガンッ。


 女の声が放たれたのち、またも後頭部に打撃が加わり、今度こそルーキスは意識を手放す。


 人気ひとけのない路地の一角。小雨が降り出したバザール街。

 ルーキスは何者かに襲撃され、夜の静寂の中へと、その姿を消したのだった……。





 ── 一方、その頃。



「きゃあああ~~~っ!? ルーキス様!? ルーキス様がいません!! まさか迷子!? 誘拐!? 人質!? 人身売買!? どうしましょう身代金がいるのでしょうか!? うわあああんルーキス様〜〜〜!! 大変です、一大事です!! 迷子センターさんに放送をお願いしないと〜〜〜!!」



 ──ピンポンパンポン──



『迷子のご案内です──トルメキアのギルドからお越しの、ルーキス・オルトロスくん。ルーキス・オルトロスくん──迷子センターにて魔女さんがお待ちです、大至急お越しください──』



 そんな不名誉な放送が、すでに人攫いに遭っている迷子の張本人に、届くことはなかった。

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