第16話 名も無き魔女達


 ──親愛なるルー兄へ。


 そんな一文から始まる拙い文字の手紙は、今ではもう、どこへ行ったのかわからない。


 だが、確かにあの日、ターニャは人間だった。内気で恥ずかしがり屋な、可愛らしい妹分だった。


 なのに──。



「ターニャ、お前、その目は何だ……?」



 暗がりの中に立つターニャに、ルーキスは掠れた声で問いかける。すると彼女は口角を上げ、くつくつと優雅に喉を鳴らした。


 それまでとは明らかに違う、異質な空気感。

 彼女の雰囲気にどことなく違和感を覚えたその時、様子のおかしなターニャは口を開く。



「残念ながら、ワタクシはターニャ様ではございませんよ。ルーキス・オルトロス様」


「……何?」


「ターニャ様は、そちらの魔女様の魔法にかかって眠ってしまわれました。ですので、ここはワタクシ・・・・が、代理人としてあなたのお相手を務めさせていただいております」



 胸に手を当て、姿勢を正し、上品に一礼するターニャ──否、ターニャの姿をした、何か。

 ルーキスは眉をひそめ、「どういうことだ……」と訝る。


「お前、誰だ……? ターニャに何をした?」


 問えば、何者かは顔を上げ、やはり穏やかな笑みをルーキスに向けた。



「ご安心ください、彼女を害すようなことは一切何も致しておりません。ワタクシと彼女は、利害が一致した協力関係にあり、この機械の体・・・・を共有している──ただそれだけの間柄です」


「機械の、体……? まさか、ターニャが機械人形オートマトンだってのか!?」


「ええ、そうです。ただし、半分・・だけですがね。……おっと、誤解しないでくださいませ、これはすべて彼女自身が望んだこと。私はそのお手伝いをしたまでです」



 含みを持たせるような物言いで、ターニャの姿を借りた何者かは笑う。

 知らぬ間に機械人形オートマトンとなっていた、かつての妹分──衝撃的な事実を突きつけられ、ルーキスは絶句するしかない。


 しかし、言われてみれば確かに、先ほどまでのターニャの動きは人間離れした移動速度や力を有しているように見えた。

 彼女の体に取り入っているこの謎の人物が、ターニャをそそのかしたというのだろうか。


「お前、何者なんだ……」


 声を低めて再度問いかけた瞬間、ターニャの姿を借りていたその顔がぐにゃりと歪む。



「何者だ、と問われましても、ワタクシには名前などありません。しいて言うならば、どんなモノにでも溶け込める〝カメレオン〟でしょうか」


「カメレオン……?」


「そう、カメレオン。変幻自在の姿なきもの。ワタクシは何にでもなれる──たとえば、こういう風にね」



 不可解な言葉を紡ぐその声は、徐々にノイズを含んで濁り始める。それまでターニャの顔をしていた肌も、まるでパズルが崩れるように、別の顔へと変化し始めた。


 ルーキスは言葉を詰まらせたまま、変貌していく妹分の容姿を見つめている。

 顔の形が、背丈や四肢の長さが、膨らみと柔らかさを帯びていた女の体が……少しずつ変わっていき、ゴツゴツと骨張った男の骨格を形成していく。


 やがて作り上げられたのは、人間の男の体だった。

 ターニャやルーキスと同じ褐色肌。形の整った眉。短い赤髪。幼い頃、何度も追いかけた、見覚えのある背中。


 今でもしつこく悪夢の中に現れるその姿を、ルーキスが見間違えるはずもない。


「……っ!!」


 彼が息を飲んだ瞬間。

 軽く咳払いをしたその男は、記憶の中からそっくりそのまま引っ張り出されてきたかのような声と仕草で、あの頃と変わらない瞳をルーキスに向けた。



「あー、あー……うん、うん。よし、こんな感じだな」


「……そんな……っ、そんな、はず……」


「ん? おいおい、ルーキス、どうした? そんなオバケでも見るような顔して」



 にかり、白い歯を覗かせる、いたずらな笑顔。


 ああ、やめろ、こんなことは有り得ない。


 ルーキスは青ざめ、目の前の人物を凝視した。

 だが、その姿は、どう見ても間違いなく──。



「──アダム……!」



 かつての親友。かつての仲間だった男。

 生まれた頃から兄弟のように共に過ごしていた友人が、今、まさに目の前にいる。


 しかし、そんなことは有り得ない。ここに彼がいてはいけない。

 存在しえない人物の名を紡ぎ、ルーキスは自身の背筋が凍りついていく薄ら寒さを覚えた。



「んだよ、ルーキス。久しぶりの再会だろ? もう少し喜べよ」


「……違う、こんな……こんなもの、信じない……! いつもの夢に決まってる……っ」


「ははっ、かつての親友との再会をただの夢扱いか? 俺はよく覚えてるぜ、お前に何をされたのか」


「ただの悪夢だ……!!」


「──もちろん、お前に殺されたことも」



 息もできなくなりそうなほどに重たい言葉が、ルーキスの心臓を鷲掴んで握り込む。言葉に詰まり、背筋が冷えて凍りついたまま、ルーキスは唇を震わせた。


 正常な思考が奪われ、視界はぐらぐらと不安定に揺れ、冷たい脂汗がじわりと滲む。

 夢の中で何度も見たアダムの亡霊が、座しているルーキスの周囲を取り囲み、手と足を引っ張った。



 ──お前なんかいなければよかった。


 ──お前が俺を追いかけてきたせいで。


 ──お前さえいなければ。



 夢の中で繰り返し投げかけられた言葉。

 痛いほど責め立ててくるアダムの声が、脳裏で飛び交い、ルーキスは大きな傷の残る顔を手で押さえた。



『ルーキス、お前も王国騎士になれよ!』


 痛い。


『おっ! お前も合格したのか。よし、これからは先輩と後輩だな!』


 やめろ。


『ルーキス……』


 違う。


『お前、ずっと知ってたのか?』


 違う……!


『どうせお前も俺をバカにしてたんだろ』


 違うのに……。



『お前さえいなければ──』



 あの日、斬りつけられ、失った左目。

 捨てきれず、ずっと背負って生きてきた古傷が、鈍く痛む。


「俺は……っ、俺は……!」


 混乱し、過呼吸にすらなりかけた──その時。

 すっと後ろから伸びてきた白い手が、ルーキスのもう片方の目を覆い隠した。



「落ち着いてください、ルーキス様」


「……!」


「あれは機械です。命ある者ではありません。落ち着いて、深呼吸して? ……ほら、怖くないでしょう?」



 幼な子へと言い聞かせる母親さながらに、慈愛を含んだ魔女の声。視界を閉ざされ、座り込んでいる背後から抱きすくめられて、不思議と乱れていた心が落ち着きを取り戻した。



「魔、女……」



 か細く呼び掛ければ、彼女は優しく言葉を紡ぐ。


「大丈夫。これは、悪夢なんかじゃありませんよ」


 耳元で囁き、目を覆っていた彼女の手が、そっと離れる。



「──だって私が、あなたに悪い夢なんて見せませんから」



 再びひらけた視界。けれど、先ほどまでとは、見える景色が明らかに違った。

 揺らいで定まらなかった焦点は安定し、正面に立つアダムの姿がはっきりと視認できている。


 記憶の中のそれと全く同じ、姿や形、声や仕草。だが──そうだ。彼が、本物であるはずなどなかった。


 傍観しているアダムは楽しげに笑い、ルーキスを諭した魔女を見遣る。



「ふぅん、なるほど? 今のお前は、魔女のママに〝おんぶにだっこ〟ってわけか? 昔から母親に憧れてたもんなァ、ルーキスは」


「……アダム」



 息を吸って、思い出の中で何度も呼びかけたその名をなぞれば、アダムはすいと目を細める。かつて笑い合った兄弟であり、王国騎士団として、共に国を守った仲間。


『お前が騎士団に入ったらさ──』


 今思えば、少年時代に丘の上で夢を語り合っていたあの時から、二人の歯車は噛み合わなくなっていたのかもしれない。



「……いや、お前はアダムじゃない」



 ルーキスは言い切り、目の前の男を睨んだ。



「アダムは死んだ。あの日、俺が……この手で殺した」


「……ああ、そうだ、痛かった。痛かったよルーキス、お前に刺された時、本当に痛かった。絶対に許さない。たとえお前が死んだとしても」


「違う、お前はアダムじゃない。どうやってアイツの記憶や思い出を読み取ってんだか知らねえが、いくら姿や話し方が同じでも……お前は、アダムとは全然違う」



 一瞬切なげに眉をひそめ、ルーキスは剣を抜いた。歩行補助マシーンの電源を入れ、足ツボの痛みに耐えて立ち上がる。


「その不快なツラの皮をさっさと脱げ」


 剣先をまっすぐと親友に向け、ルーキスは殺意のこもった視線を彼に投げかけた。



「脱がねえってんなら、やることはひとつだ」


「……ルーキス……」


「もう一度、俺が殺してやる」


「ふ……っくく、ははっ、ははは!」



 明確に殺すと断言した途端、アダムは声を上げて高らかに笑い出す。

 同時にその姿がパズルのように崩れ始め、再びターニャの姿へと戻っていった。


「アテが外れましたねえ」


 変幻自在のカメレオンは、ターニャの姿に戻るとため息混じりに肩をすくめる。



「あなたのよく知る人物を真似れば、少しは動じてくれると思ったんですが」


「チッ……胸糞悪い……」


「どうやら、余計な邪魔が入ったようで。……ねえ? 〝名も無き魔女ジェーン・ドゥ〟」



 名も無き魔女ジェーン・ドゥ──そう呼ばれたのは、ルーキスの背後にいた魔女である。


「……何?」


 ルーキスが眉根を寄せて訝しむ傍ら、魔女はじっと動かず、ターニャの姿を借りたカメレオンを見つめた。



「……なるほど、あなたも……」



 彼女が神妙な面持ちで声のトーンを落とした、刹那。

 突として二人の足元には魔法陣が浮かび上がり、周囲の景色ががらりと一変する。たちまち彼らは足場を失って宙に投げ出され、重力に逆らえず落下した。



「──っ、は!? 何っ、うおああああ!?」


「よいしょっ」



 魔法陣による唐突な転移と背筋を駆け上がってくる浮遊感に焦ったルーキスだったが、魔女は冷静に彼を抱きとめて地面へと着地する。

 さも当然のように無傷で着地した彼女。だいぶ高さがあった気がするんだが……などと考えつつも魔女に人間の常識が通用しないのは分かりきっているため、何も突っ込むまいと言葉を飲み込んだ。



「ふぅ〜、危なかったです〜。お怪我はありませんか? ルーキス様」


「あ、ああ……」


「ふふ、よかった。ルゥちゃんも無事みたいですし」


「キュ!」



 不意に至近距離から放たれた鳴き声。ゾッと嫌な予感がして振り向けば、ルーキスのマントのフードにすっぽりと収まっているルゥが、「キュッキュ〜」と鳴いて肩によじ登ってきた。


 途端に凄まじい寒気に襲われたルーキスは青ざめ、「ぎゃあああ!!」と叫んで魔女にしがみつく。



「とっ、取ってくれ!! どっかやってくれコイツ!!」


「キュピッキュッキュ〜」


「あああああ頬ずりすんなクソコウモリィィ!!」


「ふふ、ルゥちゃんったらルーキス様のこと大好きみたいです~。知ってました? コウモリは求愛する時に相手を執拗に追いかけ回すそうですよ」


「知るかァ!! いいからそいつを俺に近付けるな!!」



 ルーキスに吠えられ、魔女は「あらら、フラれちゃいましたね、ルゥちゃん」などと言いながらフードの中に収まっていたルゥをつまみ上げる。

 脅威が去り、ルーキスはようやく安堵したものの、コウモリ嫌いは相当深刻らしく、いまだに振り向くのが恐ろしいようで強く魔女に抱きついたままだ。


「……そ、それより、ここはどこだ?」


 震える声で問いかける。魔女は周囲を見渡し、「さあ、どこでしょうね〜?」と首を傾げた。

 視界に入るものは、人工的に積み上げられたと思わしき石の壁、点々と灯る松明……などなど、どうにも閉鎖的な空間を印象付けるものばかり。どうやら地下のどこからしい。



「転移魔法……? さっきの魔法陣の影響か? お前がやったのか?」


「いいえ、私には睡眠魔法しか使えませんもの。きっとさっきのカメレオンさんがやったんでしょう、同じ魔女・・みたいですし」


「ああ、同じ魔女──っは!? あいつも魔女なのか!?」


「ええ、そうだと思います。機械化しているようですが、同じような魔力の匂いがしましたし、おそらく魔女族でしょうね〜。しかも、私と同じ、〝名も無き魔女ジェーン・ドゥ〟」



 心なしか普段よりも覇気がない様子で、魔女は遠くを見つめながら告げた。先ほども何度か耳にしたその単語。ルーキスは訝しげに眉をひそめる。


「……なあ。その〝名も無き魔女ジェーン・ドゥ〟ってのは、何なんだ?」


 続く問いかけに、魔女は答えた。



「名前を与えられていない魔女のことをそう呼ぶんです。魔女は名を持たずして生まれ、名を得ることで一人前と認められる……。名も無き魔女ジェーン・ドゥとは、未熟な魔女のことを指す揶揄やゆみたいなものですね」


「……名前……」


「ルーキス様と初めて会った時にも言ったと思うんですけれど、名前というものにはとても強い力があるんです。私たち魔女は、名を持つ者へと繋がる魔力の糸を見ることができます」


「ああ、確かに、最初に会った山小屋で、そんなこと言ってたような……」


「……でも、彼女の名前は、私には見えなかった。きっと、彼女も私と同じで名前がないのです。授けられなかったのか、もしくは──」


「あなたと一緒にしないでいただきたい、名を持たぬ魔女様」



 言いさした魔女の言葉が遮られ、刹那、強い耳鳴りと共に風を切る音が聞こえる。魔女はハッと顔を上げて身をひるがえし、ルーキスを抱えたまま瞬時にその場から後退した。

 直後、それまで二人が背にしていた壁は破壊され、ターニャの姿を借りたカメレオンが砂煙の中から登場する。どうやら壁を殴って壊したらしい。


「魔女ってのは、どいつもこいつも壁殴るのか……?」


 ルーキスが頬を引きつらせたところで、正面から対峙した名も無き魔女同士。

 カメレオンは壁を殴った拳の感覚を確かめながら、「ふむ、力の加減が難しいですね」と呟いて魔女へと視線を移した。



「改めまして、カメレオンでございます。またの名をターニャ、またの名をアダム。いくらでも名乗ることができますよ。ミランダ、ジェシカ、エドワード、ミレーユ……そうですね、時にバルバドと呼ばれることもありました」


「……っ、バルバドだと!? お前が!?」


「おや、その名をご存知で? ふふ、あの名を名乗っていた頃はとても楽しかったです。もう百年余り前のことですので、元の体はすっかり朽ちてしまいましたが」



 懐かしむように頷き、カメレオンは舌なめずりをする。バルバド──その名は砂漠の発明国家・バルバロウの初代国王の名であり、はるか昔にウメコヴィを殺害したとされる者の名であった。

 ルーキスは息を呑み、カメレオンを見遣る。


「どういうことだ? バルバドってのは男だと思ってたんだが……」


 彼の口からこぼれた疑問。魔女は「んー、推測ですけれど~」とそれに答えた。



「バルバロウは発明の国、そしてウメコヴィ先生は、機械人形オートマトンを発明して蘇生機構ゴーレムの開発に成功した方です。おそらくウメコヴィ先生が殺害された当時から、カメレオンさんは蘇生機構ゴーレムの技術を用いて機械人形オートマトンとなっていたのではないでしょうか? あのような擬態の魔法があれば、男性に扮して王を名乗ることも可能かと」


「ふふ、その通り、ワタクシは誰にでもなれるのです。男にも、女にも──そして、あなた方にも」



 魔女の仮説をすんなり認め、カメレオンは瓦礫に腰掛けると再び姿形を変化させた。

 やがて形成されたのは、ひとつに結われた無造作な黒髪、左目に走る十字の傷跡、それを隠すように伸びた前髪……。鏡で見るのと全く同じ、ルーキスの姿だ。


「気味が悪い……」


 苦く呟き、ルーキスはそっくりそのまま自分と同じ容姿になったカメレオンを睨みつける。得意げに笑ったカメレオンは声までルーキスを模して口を開いた。



「これで、あなたもお気付きでしょう? ワタクシは名も無き魔女ジェーン・ドゥなどではない。むしろ数多の名を得た魔女なのだと」



 ルーキスの顔で笑みを浮かべ、〝名を得た魔女〟は誇らしげに語る。

 一方でそばにいる〝名を持たぬ魔女〟は、眉根を寄せ、「なるほど……」と顎を引いた。



「噂には聞いたことがあります。私が生まれるよりもずっと昔、いつまでも名を持たず、一人で国を出た傲慢な魔女がいたと」


「ほう」


「あなただったのですね──擬態デギズマンの魔女」



 仮称を紡ぎ、夜色の深い藍の目で、魔女はルーキスに擬態したカメレオンを射抜く。彼女は不敵に微笑み、舌なめずりをした。

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