第18話 新たな名の生涯

 過去の親友に会わせてあげましょう──


 そんな言葉に導かれ、一行は人工的に作られたであろう地下道を進んでいく。


 どうやらここはカメレオンの研究施設か何からしい。まるで迷路のように入り組んだ通路を直進する中、ルーキスのフードの中ではルゥが気持ちよさそうに寝息を立てており、魔女は微笑みながら柔毛に包まれたほっぺをツンとつついた。



「ふふ、ルゥちゃんったら熟睡しています〜。もう外は朝みたいですね〜」


「キュピ〜……キュゴォ〜……」


「おい、そいつ絶対に起こすなよ……! 俺のフードにいるだけでも薄ら寒いってのに……!」


「もちろんです、たくさん眠って大きくなってもらわないと。美味しいオヤツになってもらうためにも」


「お前こいつのこと食うつもりで育ててんの?」



 ドン引きした表情を浮かべつつ、ルーキスは車椅子の上で嘆息した。彼が乗っているこの車椅子は、もちろん魔女が持ってきていたものだ。

 なんでも〝小型魔法クレイン〟という魔法が込められた術式が記されており、魔力を持つ者が扱えば小型化の魔法が発動してミニチュアサイズの形態で持ち運びができるのだという。その場になかったはずの車椅子をどこからともなく引っ張り出した魔女に一瞬驚愕したルーキスだったが、どうやらそういう便利な魔法具が当たり前に流通しているらしい。


「ったく、便利なもんだな、魔女ってのは。何の不自由もなく過ごせて羨ましいね」


 皮肉を込めて吐き捨てれば、魔女は眉尻を下げて薄く笑った。



「んー、それはどうでしょう。他の魔女達は何不自由なく気ままに過ごせているのかもしれませんけれど……」


「……あ? お前はそうじゃないのかよ」


「ふふ、そうですねえ、私は睡眠魔法以外使えませんからね。生活の役に立つような魔法が何ひとつ使えないんです〜」


「マジでポンコツだなお前」



 呆れた目線を向けるルーキスの傍ら、前を歩いているカメレオンは「まったくですね」と同意する。足を止めた彼女は辟易した顔で魔女を見遣った。



「本当に、あなたは想像以上の無能ですよ、名も無き魔女ジェーン・ドゥ。他の魔女の世話を焼いている暇などないのではないですか? あなたはまだ名前・・をもらえていないのでしょう、そろそろ時間が──」


「えへへ、私のことなんて別に何でもいいじゃないですか。私はルーキス様の脚が治せるのなら、それで良いのですから」



 ね、と微笑み、背後からルーキスに抱きしめる魔女。ルーキスはカッと頬を赤らめ、「引っ付くな!!」と牙を剥いて威嚇した。

 話をはぐらかして笑う彼女の様子にカメレオンは目を細めるが、それ以上追求することは諦めたようだ。


「……まあ、あなたが良いというのなら、それも良いでしょう」


 顔を逸らし、ふと彼女は壁の窪みに手をかざす。するとたちまち隠し扉が開き、白い壁に覆われた空間がやけに眩しく思えて、ルーキスはつい視界を狭めた。



「さあ、こちらへ。あなたの親友が待っていますよ」


「……!」



 案内された先には寝台があり、アダムと瓜二つの機械人形オートマトンが横たわっていた。顔から下は機械の体をしているが、衣服を着せてしまえば本物のアダムと見分けがつかなくなるほど精巧に作られている。


 ルーキスは身を強張らせ、眉間にシワを刻んだ。



「ルーキス様……」



 魔女が心配そうに顔を覗き込む中、ルーキスは彼女の言葉を遮るように口火を切る。



「……俺とアダムは、同じ孤児院で育った親友同士だ」


「!」


「いや……かつての親友、と言った方がいいのか。俺たちの友情は、途中で破綻しちまってたからな……」



 切なげに告げ、彼はアダムとの過去を語り始めた。



「アダムの夢は、王国騎士になることだった。『十三歳になったら入団試験に最年少で合格してやる』って、いつも意気込んでた。それからしばらくして、アイツは本当に、最年少で試験に合格して夢を叶えたんだ」


「……」


「あの時、アイツは笑顔で俺に言った。『お前も王国騎士になれよ』って……」



 ルーキスは車椅子を前に進め、横たわるアダムの顔を見つめる。

 王国騎士に入団し、一緒に国を守ろうと笑ったアダム。今思えば、何も知らなかったあの頃が、一番幸せだったのかもしれない。



「アダムが入団した翌年、俺も十三歳になった。俺は先に入団したアダムの背中を追いかけて、必死に勉強と鍛錬を重ねて、その年、アダムを追いかけるように騎士団試験に合格したんだ」


「……ルーキス様は、ちゃんとアダムさんに言われた言葉を、守ったんですね」


「ああ、そうだな、最初はアダムも喜んでた。……だが、その瞬間から、俺たちの歯車は極端に噛み合わなくなっていった」



 表情は変わらなかったが、ルーキスはわずかに視線を落とした。カメレオンは彼の昔語りに耳を傾けながら、「ええ、そのようですね」と頷く。



「ワタクシが読み取った記憶の中のあなたは、アダム様を追いかけるように入団した後、アダム様よりも多くの功績を残して大躍進を遂げ、最年少で隊長にまで登り詰めています。確かな実績を残しながらも驕らず、常に周りを気にかけ、育った孤児院へ資金の援助までしていたとか。部下からの信頼も相当厚かったようですね」


「……大袈裟に言うな。言うほど大した実績はない」


「またまた、ご謙遜を。……けれど、あなたが騎士団で活躍する一方、アダム様の実績はまったく振るわなかった」



 カメレオンは台に腰掛け、アダムの顔を撫でながら続けた。


「なぜなら、あなたと違い、アダム様は──実力で・・・騎士団に入団したわけではなかったのですから」


 放たれた言葉に対し、ルーキスは表情を曇らせる。黙って聞いていた魔女は眉をひそめ、首を傾げた。



「……どういうことですか? 先に入団したのは、アダムさんの方なのですよね?」


「ええ、そうです。王国史上初、最年少の十三歳で騎士団試験に合格した神童がアダム様でした。それはそれは鼻高々に世間に自慢し、豊富な資金を得たことでしょうねえ──孤児院の大人達・・・・・・・は」



 つらつらと並べ立てられたカメレオンの言葉で、疎い魔女もようやく真相に気がついたらしい。「まさか……」と魔女が瞠目する中、ルーキスは続きを語った。



「アダムの合格は、孤児院側が仕組んだ意図的なものだった」


「……!」


「シスターと神父は、裏で試験官と不正な取引をしていたらしい。孤児院と騎士団側との間に〝アダム〟という繋がりを作ることで、資金の援助を受けることが目的だったんだ」


「そんな……」


「つまり、アダムは知らないうちに利用されてたんだよ。実力が見合っていないにもかかわらず、合否はでっち上げられ、何も知らずにアダムは入団した。それだけだったら、特に問題は大きくならなかったのかもしれない。……だが、翌年に俺が騎士団に合格しちまってから、すべてがおかしくなった」



 目を伏せたまま、ルーキスは何度も夢に見た過去をなぞる。


 騎士団に入団した一年目、『お前はこの院の誇りだ』と、孤児院内で盛大に持て囃されていたアダム。もちろんルーキスもその輪に加わり、アダムを誇らしく思っていた。

 しかし翌年、ルーキスが実力で騎士団の試験に合格したその時から、孤児院の大人達の関心は自ずとルーキスに移った。それはもう、残酷なまでにあからさまな変貌だった。


 ルーキスはシスターや神父、周囲の大人達から異常なまでの賛辞を受け、対してアダムの周りからは露骨に人が離れていく。裏で小細工されて合格したアダムよりも、確かな実力があるルーキスの方が、将来の出世に期待されるのは当然のことだった。

 しかし当時まだ十代半ばのアダムにとって、それはあまりにむごく、自尊心を深く傷つけられる要因となったのだ。


 孤児院の大人達がアダムへの期待を薄めていく一方、騎士団内でも、彼の評価は振るわない。

 剣術、馬術、学術……焦りゆえか怪我も重なり、何度昇格試験を受けても平均値を下回ってしまう。

 若いから仕方がないと周りには許容されていたが、ひとつ年下のルーキスがみるみる頭角を表して数々の結果を残す様を目にしているアダムにとって、『若いから仕方がない』などという評価は到底腑に落ちなかった。


 月日が経つごとに、ルーキスとアダムの間の確執は一層深まっていくばかり。

 いつしかアダムは、自分の育った孤児院にすら、一切寄り付かなくなっていた。


 何度かルーキスの方からアダムとの接点を作ろうとするも、彼はルーキスを避けるようにいつもどこかへと消えてしまう。

 その時のルーキスはすでに一小隊を率いる隊長への昇進が決まっていたが、アダムは実戦にすらまともに駆り出されたことがなく、自分よりも若い上官の下で雑務をこなす日々だ。


 開いてしまった差は埋められず、ルーキスとアダムの心の距離が、縮まることもなかった。



「……ある日、このままじゃまずいと思って、俺はアダムに手紙を書いたんだ。『もうすぐシスターの誕生日だから、一緒に祝いの品を持って帰ろう。その時にちゃんと話がしたい』ってな」


「……」


「意外にも、アダムからは了承の返事が来た。だから俺たちは、孤児院の裏で待ち合わせることにしたんだ。……だが、それがよくなかった」



 ルーキスは苦く口こぼし、また記憶の中へと回帰する。


 あの日、孤児院の裏で待ち合わせることにしたルーキスとアダム。先に待ち合わせ場所にたどり着いたのはルーキスの方で、シスターへの花束を手に、彼はアダムが来るのをその場で待っていた。


 しかしその時、本当に偶然、近くをシスターと神父が通りかかったのだ。

 サプライズとして訪問しようとしていたルーキスは咄嗟に身を潜め、気配を殺す。


 その直後、彼らはルーキスの存在に気が付かぬまま、プライベートな会話を始めてしまった。


 その会話の内容というのが、アダムの不正入団のことだったのだ。


 彼が騎士団に入団できたのは裏で取引があったからだという趣旨の話が繰り広げられ、事実を知ってしまったルーキスが絶句する中──不運なことに、その場にアダムがやってきてしまったのである。



『ルーキス……』


『!』


『……なあ。今の、会話……何だ……?』



 ルーキスの背後に立ち尽くし、掠れた声で問うアダム。手にはシスターへの誕生日プレゼントが握られている。


『ルーキス、』


 再び呼びかける彼に、ルーキスは何も言えず、口を閉ざして足元を見つめることしかできなかった。



『──お前、ずっと、知ってたのか?』



 やがて、アダムは低く声を放つ。ルーキスは即座に顔を上げ、『違う、何も知らなかった!』と全力で否定した。

 しかしアダムは疑わしげに、むしろ忌々しげに顔を顰め、『ああ、そうか、そうだよな』といびつに口角を上げる。



『長年の謎が解けた。どうりで、ずっとお前ばかり持て囃されてたはずだ。試験に合格した時はあんだけ俺を褒め称えて、誇りだなんだって持ち上げてたくせに、お前が入団した途端嘘みたいに手のひら返された理由がやっとわかったよ』


『アダム……』


『どうせお前も俺をバカにしてたんだろ。実力もないのに卑怯な手を使って入団しやがってって。身の程知らずの凡人が、夢なんか持ってイキって情けねえって』


『違う、アダム、俺は本当にお前と……!』


『うるせえよ!! もうウンザリだ!!』



 ルーキスの言葉を遮って怒鳴りつけ、アダムはシスターへ用意したであろうプレゼントを投げ捨てる。彼は憎しみを込めた目でルーキスを睨み、一層ぐにゃりと表情を歪めた。



『お前なんか、いなければよかった……』


『……っ』


『お前が、俺を追いかけてきたせいで……お前さえいなければ……っ!!』



 頬に涙を滑らせ、アダムは悲痛に声を絞り出して背を向ける。


 そのまま走り去っていったアダム。

 ルーキスは愕然と立ち尽くし、小さくなっていく彼の背中を、何もできずに見つめていた──。



「……あのあと、アダムは自暴自棄になって、孤児院に火をつけた。俺が事態を察して駆けつけた時には、すでにシスターと神父は斬りつけられて事切れた後で……アダムは、半狂乱になりながら俺にも斬りかかってきた。俺の顔の傷は、アダムと揉み合った時に出来たものだ。左目はアイツに潰された」


「……そんな……」


「俺は、アダムを止めようとしたんだ。でも、それは結果的にアダムを殺すことになっちまった。……そして、タイミング悪くその現場を見ちまったのが、ターニャだったんだ」



 過去の回想をあらかた語り終え、ルーキスはアダムの顔を見つめる。



「それから、俺は王国騎士をやめて、あの国も出た。アダムのいない王国騎士団にいる意味なんざ、もうないからな」


「ルーキス様……」


「その後は行く宛もなくフラフラして、今じゃ老いぼれクソ師匠ジジイの下で傭兵生活。……剣なんか、もう二度と握らねえって思ってたし、家族の顔も二度と見ることはねえと思ってたのに、そのどちらからも逃げ切れねえなんて皮肉なもんだ」



 鼻で笑い、ルーキスは剣を抜いた。足ツボの痛みに耐えて立ち上がり、彼は剣先をアダムの右胸の上に突きつける。


「……やはりあなたは、破壊を望むのですね」


 ルーキスの考えを察したカメレオンは寝台に腰掛けたまま、抑揚もなく告げた。



「ターニャ様は、アダム様が何をしたのか知りません。孤児院を燃やしたのも、家族を殺したのも、すべてあなただと思っています。その上アダム様の蘇生まで阻止されたと知れば、またあなたを恨み、殺しに行きますよ」


「それで構わねえよ。俺がターニャを放って消えたのが悪い。恨まれて当然だ」


「しかし、ターニャ様があなたをずっと慕っておられたのも事実。その思いも無下にされるのですか?」



 責め立てるような問いかけ。ルーキスは一瞬黙り込み、程なくして「それは違うな」とかぶりを振った。



「ターニャが慕っていたのは、俺じゃない」


「……」


「俺とアダム──その両方だ。もうアイツの夢は叶わない。アイツの夢もアダムの夢も、すべて俺が壊した」



 迷いなく言葉を紡ぎ、ルーキスは目を閉じる。

 この潰れた左目に、アダムはきっと呪いをかけた。目を閉じるたび、恨みのこもった最期の彼の眼差しが、こびりついて消えない。



 ──お前さえいなければ!!



 まぶたの裏にこびりつく、あの日の親友の姿を塗りつぶす。



「アイツらの恨みは、俺が全部引き受けてやる」



 宣言し、再び開かれた薔薇色の瞳。直後、ルーキスは突きつけていた剣先を、並々ならぬ覚悟の上で機械人形アダムの右胸に深く沈めた。

 バチバチッ──たちまち火花を散らしてショートする機体。眠っていたアダムの人形は目を見開き、食い入るようにルーキスを見つめた。


 それは、まるで、最期の日の彼の瞳。

 恨みと憎しみのこもった眼差し。

 けれど、ルーキスは冷たく吐き捨てる。



「じゃあな、俺の親友によく似たガラクタ」


『……っ、ルゥ、ギ、ズ……ッ』


「もう二度と会いに来るなよ」



 バキンッ、剣をさらに深く突き立てて配線を断絶し、寝台ごと貫かれたアダム。動力源が絶たれた人形はついに目の光を失い、だらりと脱力して機能が停止してしまった。


「……あーあ。本当に壊してしまいましたねぇ」


 カメレオンは嘆息し、車椅子にどかりと腰を落としたルーキスを見遣る。



「ターニャ様が怒りますよ」


「それでいいって言ったろ、何度も言わせるな」


「やれやれ。……それで? あなた方はこれからどうなさるつもりです?」



 頬杖をついて尋ねる彼女の問いかけには、すかさず魔女が答えた。



「えっと、魔女族の国へ戻ります。ルーキス様の脚を、ハイネに治してもらおうと……」


「ああ、ハイネね。彼女の噂は耳にしていますよ。〝癒しクルーリエの魔女〟でしょう? 先代と同様、いけ好かない女です」



 くつくつと喉を鳴らし、カメレオンは虚空に滑らせた指先で魔法陣を描く。

 どうやら転移魔法テレポートを付与した魔法陣らしい。それを素早く地面に形成した彼女を、ルーキスは訝しげに見つめた。



「何の真似だ?」


「ワタクシからの餞別です。足止めしてしまいましたからね。その魔法陣に触れれば、すぐに魔女族の国へたどり着くでしょう」


「へえ、そりゃどーも。……つーかお前、擬態の魔女なのに、他の魔法も使えるのか?」


「普通はどの魔女も使えますよ、転移なんて基礎中の基礎ですから。そこのポンコツが本当に無能なだけです」


「はうう、ぐうの音も出ません〜……」



 直球な暴言に魔女は肩を落とした。カメレオンは鼻で笑い、再びルーキスへと向き直る。


「そろそろターニャ様もお目覚めになりますが、最後に話をしなくていいのですか?」


 尋ねられ、彼は迷いなく頷いた。



「ああ。アイツには会わずにここを去る」


「そうですか」


「お前こそ、ウメコヴィに本当の名前を教えてもらいたいんじゃねーのかよ。あいつも、待ってりゃそのうち目を覚ますと思うが」


「ふふ、ご冗談を。旧友に合わせる顔がないのはお互い様ですよ」



 カメレオンはターニャの青髪を指で掬って耳に掛け、口角を上げる。



「あの名は失ったのではない。ワタクシが自ら捨てたのです。次の名は自分で探します」



 どこか清々とした表情で言い切った彼女を一瞥し、ルーキスはフンと鼻を鳴らした。


「行くぞ」


 顎で示す彼に従い、魔女は車椅子を押して魔法陣へと向かう。その背中を見つめ、不意にカメレオンは口を開いた。



「さようなら、無能な名も無き魔女ジェーン・ドゥ。どうかあなたに、良い名付けのご縁があることを」



 最後になるであろう手向けの言葉に、魔女は振り向く。

 その顔に張り付いていたのは、感情の読めない儚げな微笑み。そんな彼女の切ない笑顔をついぞ見ぬまま、ルーキスの手は魔法陣に触れた。


 直後、二人は記された術式に従って転移し、その場から姿を消す。



「……行ってしまいましたね」


『ん……』


「おや、こちらもお目覚めのようです。さて、体をお返ししましょうか」



 ひとりごち、自身の体の共有相手が目覚めたことを察したカメレオンは目を閉じる。するとほんの一瞬で、意識の主軸がターニャへと戻ってきた。


『おはようございます、ターニャ様』


 機械音声が脳内に響き、ターニャはハッと意識を覚醒させる。状況も把握しないままに「ルー兄!!」と叫んで周囲を見渡した彼女だったが、ルーキスの姿はすでにない。それどころか破壊されたアダムの人形が真っ先に視界に飛び込み、彼女は絶望をあらわに表情を歪めた。



「そんな……っ、アダム兄が……!」



 彼女は悲哀を帯びた声でアダムの人形に縋り付く。あと一歩で蘇生できるはずだった彼は、もう動かない。



「う、うぅ、嘘だ、アダム兄……! くそ、誰がやった……! ルー兄がやったのかっ!?」


『そうです』


「ひっく、何で……っ、どうして……っ! やっぱり、変わっちゃったんだ、ルー兄は……! もし、アダム兄が生き返ったら、二人が、仲直りして、やっと……ぐすっ、やっと、三人で……一緒に暮らせるって、思ったのに……!」



 地面に膝をつき、ターニャは顔を覆って泣き崩れる。

 片方の目からしか流れない涙。首から下げたペンダント。その中で寄り添う幼い三人の写真を見ることすら、胸が痛い。


「ルー兄は、また、あたしをひとりぼっちにした……」


 呟き、幼い子どものように泣きじゃくるターニャ。機械音声はしばらく黙っていたが、やがて彼女に囁きかけた。



『ワタクシも、つい先ほど、長年の探し物を得るチャンスを逃しましてねぇ。実は、少しばかり気落ちしているんですよ』


「……? 探し物……?」


『ええ。──まあ、でも、別に気にすることなどないのかもしれませんね。どうにもワタクシは、ふるいものよりも新しいものの方が好きなようです。名前もしかり、時代もしかり。……そして友人も、またしかり』



 脳内の機械音声は言葉を紡いで、どこか笑ったようにさえ思えた。ターニャの意識を半分だけ借りて左手を動かし、彼女であり自分自身である、共有している視線の先にその手を差し出す。



『ターニャ様、お願いがございます』


「……?」


『ワタクシに、名前を授けてくださりませんか』


「名前……?」


『ええ、ワタクシの名前です。魔女としてではなく、新たな友人の一人として、新たな生涯を始めたいのです──あなたと一緒に』


「……」


『いかがでしょう?』



 ──そうしたら、あなたもひとりぼっちではないと思うのですが。



 問いかけ、カメレオンは彼女の同意を待つ。ターニャはしばらく嗚咽をこぼしたまま黙り込んでいたが、ほんの少しの間を置いたのち、微かに口の端を上げた。


 それはまだ悲しみの残る拙い笑顔だったが、気休め程度にはなったようだとカメレオンも密かに微笑む。



「そうだな……名前、つけようか」


『さすが、あなたは話の分かる聡明なお方ですね。では、改めてよろしくお願いいたします。ターニャ様』


「うん」



 ──これからもよろしく。



 ターニャは涙を拭い、差し出されている自らの左手に反対側の右手をそっと重ねて、新たな友人に名前を授けた。

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