第4章 魔女と傭兵と魔女の国

第19話 ガラス細工の国


 魔法陣を抜けると、そこは魔女族の国だった。

 ルーキスはやたらと眩しく感じる朝日に視界を狭めつつ、目を凝らして辺りを見渡す。


 魔女族の国、なんて言うぐらいなのだから、ホウキにまたがった魔女がそこらじゅうを飛び回っているものなのかと思っていた。だが、決してそんなことはない。


 むしろ周囲に人の気配などなく、民家が連なっているようにも見えず……否、建物はそれなりに点在しているのだが、どこか生活感に欠けた印象だ。

 ひとことで言い表すならば、まるでガラス細工のような国。ただ建てられただけの建物と、舗装された道があるだけの。



「……ここが、お前の故郷か?」


「ええ、そうです。ほら、一番奥に見える大きな建物があるでしょう? あれがセレティア魔女学院です〜」



 魔女が指し示したのは、白い木々の揺らめく森の中心にそびえる巨大な塔。頂には大きな鐘があり、壁は白い植物の蔓に覆われていて、まるでおとぎ話の世界にある建物のようだ。

 道の脇に生えている花の花弁のひとつひとつも透き通っており、飛び交う蝶の羽の色は虹を映した水面のようでいて、空をたゆたうオーロラのような──言葉では一概に形容しがたいが、とにかく幻想的な景観に満ちていた。明らかに人間の世界とは異なる光景。ルーキスは不思議な景色に視線を巡らせ、何度かまばたきを繰り返す。



「ふふっ、ルーキス様、魔女の国がそんなに珍しいですか? ずっと目が動いていますよ」


「……いや、別に……」


「でも、人間界では見られないものばかりでしょう? 観光したければ、いつでも仰ってくださいね! 私がご案内いたしますので!」


「ああ、まあ……そのうちな……」



 明るく語りかける魔女に対し、遠くへ飛び去っていく蝶を仰いだルーキスからの返事には覇気がなかった。

 ぼんやりと景色を眺めているルーキスを見下ろしながら、魔女は心配そうに眉尻を下げる。


「……ルーキス様。本当は、少し、無理をなされたのではないですか?」


 控えめに問いかけるが、ルーキスは何も言わない。魔女の表情はますます曇った。



「あの、私……あなたの過去のことは、詳しく知りませんし、追及するつもりもありません。でも、アダムさんもターニャさんも、ルーキス様にとって大事な存在だったんだと思います」


「……」


「ですので、その……私には、人間の感情がすべて理解できるわけではないんですけれど……もしかしたら、あなたが今すごく無理してるのかもって、思って……うまく、言えないんですけれど」



 訥々と告げる魔女の脳裏には、アダムの姿を模した人形に刃を突き立てたルーキスの姿が蘇る。「で、ですから!」と声を張り上げ、彼女はルーキスの顔を覗き込んだ。



「ルーキス様、もしも一人では抱えきれないものがあるのであれば、遠慮せず私のことを頼ってくださいね! 何でもしますから!」


「……はあ。また〝何でもします〟かよ」


「だ、だめですか……? 私では、お役に立てませんか……?」



 か細くなっていく声。不安げな瞳。揺らぐ藍色の中にますます影が落ちる中、ルーキスは視線を落とし、口を開いた。



「……別に、もう、アダムのことは気にしてない」


「でも……」


「ただ、俺は──」


「あら? 微睡みドルミールの魔女?」



 しかし、彼が言いさした瞬間。何者かが彼らの目の前に現れる。

 顔を上げれば、そこにはベージュ色の髪を長く伸ばした女が佇んでいた。



「あらまあ、驚いた。初の依頼人のところに行ってるって聞いていたけれど、帰ってきてたのね〜。お帰り〜」


「ハイネ!」



 魔女は表情を和らげ、現れた人物の名を紡ぐ。ハイネ──そう呼ばれた女性は自身の頬に手を当て、車椅子に乗っているルーキスを不思議そうに見遣った。


「あら〜? 人間までいるわぁ、珍しい」


 ジロジロと見てくるハイネの視線を受けながら、ルーキスは小声で魔女に尋ねる。



「……おい、魔女、こいつも魔女族の仲間か?」


「はい、そうです! とってもすごいんですよ、魔女学院を主席で卒業した秀才なんです〜!」


「へえ」



 興味なさげに相槌を打つが、魔女はにこやかに彼女の紹介を続けた。



「えっと、私と同時期に目覚めた魔女なので一応同期になるんですけれど、彼女は本当にすごいんですよ! 美女ですし、スタイルもいいですし、頭もいいし!」


「ああ、そう……」


「それに魔法だってすごいんです! 魔女族の中でも特に珍しいと言われる、治癒魔法に長けた〝癒しクルーリエの魔女〟でして……」


「──ちょっと」



 ピシャリ。直後、話はハイネに遮られる。突として空気が張り詰め、魔女がハッとして振り返れば、ハイネは不服げな表情で彼女を睨んでいた。



「〝癒しクルーリエの魔女〟は昔の仮称よ? あなたと違って、今のあたしには名前・・があるんだけど? 気安く昔の仮称を口にしないで欲しいな~?」


「あ……ご、ごめんなさい……」


「はあ〜、いつまで経っても卒業試験に合格できず、名前ももらえない愚図なあなたと同期だなんて、本当に不名誉極まりないわ〜。あんまり触れ回らないでくれなーい? ていうか、あたしと同期ってことは、あなた、もうすぐ二十歳? えー、やばいよまだ名前ないとか〜! 心配になっちゃう〜」


「う……」


「ふふっ、まあいいわ〜。で? この人間はなあに?」



 ルーキスを顎で示すハイネに、魔女は気を取り直し、再び笑顔を作って彼を紹介する。



「あっ、えっと、この方……ルーキス様というんですけれど、実は、私のせいで足が動かなくなってしまって」


「うわ〜、初めての依頼人なのに早速バカやらかしたの? あはは、ほんと無能よね」


「うう、すみません……だから、その、ちょうどハイネを訪ねようと思っていたんです。あなたなら足を治せるのではないかと──」


「え? なーに? あなた、それでわざわざ人間をここまで連れて来ちゃったの? おもしろ〜い、何それ、ほんとーに愚図すぎて同情するんだけど〜」



 くすくす、口元に手を当て、ハイネは嘲笑した。一方で魔女はぎこちない苦笑いを浮かべたまま、ハイネの手を取る。



「あの、なので、どうかお願いします。ルーキス様の足を治していただけませんか? 報酬ならお支払いするので」


「あは、そんな大真面目におねだりしなくても断ったりしないわよ〜。名前も貰えない可哀想なあなたのお願いだもの、同期のよしみで聞いてあげる〜」


「まあ、本当ですか!? よかった!」


「気にしないで、もう後がない同期の仲間への手向けの花みたいなものよ。こんな魔法でいいのなら安いものだわ〜」



 了承したハイネに対し、両手を合わせて喜ぶ魔女。だが、ルーキスの表情は彼女と違って随分と険しかった。

 それもそうだろう。ハイネの言葉にはあからさまなトゲがいくつも見受けられ、お世辞にも好意的に接している風には見えない。それを隠している気配もない。

 しかし、彼女の態度に気付いているのかいないのか、当の魔女は安堵した様子で表情をほころばせるだけ。


 ルーキスがことさら顔を顰める中、ハイネは羽虫でも払うかのように魔女の手をはたいて踵を返す。



「それじゃあね、微睡みドルミールの魔女。今日は忙しいから、明日にでも来なさいな。その人間の足、きれーさっぱり治してあげる〜」


「はい! ありがとうございます!」


「バイバ〜イ」



 ひらひら、片手を振って去っていくハイネ。やがてその姿が道の角を曲がって見えなくなってしまった頃、ルーキスは口を開いた。



「……おい。今の女、お前に対するあの態度の悪さは何だ? 嫌味ったらしくて腹が立つんだが」


「え? でも、別にハイネだけではありませんよ? 魔女はみんな私に対してこうなんです」


「はあ?」


「最初に言ったでしょう? 他の魔女から落ちこぼれ扱いされてるって。……えへへ、ごめんなさい。私が名も無き魔女ジェーン・ドゥであるばかりに、ルーキス様にまで不快な思いをさせてしまいますね」



 にこり、柔らかく笑ういつもの顔。

 だが、彼女のその笑顔が、近頃どうにも嘘くさく思えてしまう。


「……チッ、またそれか。そんなに嫌われるもんなのかよ、名も無き魔女ジェーン・ドゥってのは」


 ついつい口調が粗雑になってしまいながら魔女を見ると、彼女はこくりと頷いた。



「そうですね。〝魔女の一生は名を得ることで始まり、名を失うことで終わりを迎える〟というのが、私たち魔女族のことわりですから」


「……」


「名前を持たない私は、まだこの世界に生まれてすらいない。簡単に言うと、同族だと認められていないのでしょうね」



 寂しげに語ったあと、魔女は「ご心配をおかけしてすみません」と、やはり明るく笑う。


 その笑顔は、まるでガラス細工のよう。この国と同じだ。

 ルーキスは居心地悪そうに目を逸らした。



「……別に、心配なんかしてない」


「ふふ、そうですよね。そんなことより喜びましょう、明日には足が動くようになりますよ! ハイネの魔法はすごいんですから!」


「……なあ、どうしても今のやつに頼むしかないのか? 他の魔女は?」


「んん〜、今ここに残っている魔女の中では、ハイネほど治癒魔法に長けた者はおりません……。前任の癒しクルーリエの魔女は、もう随分前に引退・・されてしまいましたから」



 ルーキスの問いかけに答え、魔女は小道に佇む白い樹木を一瞥する。ルーキスもその視線を追うが、よく観察する間もなく彼女は車椅子を押し始めた。



「おい……!」


「まあまあ、細かいことはお気になさらず。ひとまず観光でもいたしましょう! おすすめのお土産屋さんがあるんです〜」



 微笑み、ルーキスの意見も聞かずに移動し始めた魔女。文句を飲み込んだ彼の周囲では、白い木々と花々が風に揺れ、幻想的な光景が飽くことなく広がっている。


 一見美しい魔女の国。

 けれど、どうにも妙な胸騒ぎがするのは、なぜだろうか。


 一抹の不安を抱えつつ、ルーキスは魔女と共に、異国の地へと足を踏み入れたのであった。

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