第21話 逃げ犬の遠吠え


『テメッこのガキャアア!! いつもいつもディスプレイ殴ってぶっ壊しやがっていい加減にしろよゴルァ!!』


「無意識に殴っちまったんだから仕方ないだろ」


『ホアァ〜〜ッッそうやって逐一興奮させやがってよおおお!! もっと言って!! カモンヌ!!』


「おいおいルーキス、何だァ? この喋る変態は」


「ただの喋る変態だ」



 甲高い怒号が響き渡るギルド内。ジョゼフは生き残ったもうひとつの画面の中で喚き散らすウメコヴィを物珍しげに眺め、「よくできたオモチャだなァ」と感心している。


 どうやら例の騒動から三日が経ち、特殊素材でできたディスプレイが復活したことでウメコヴィも目を覚ましてしまったようだ。しかし登場早々に破壊され、現在はフグのごとく頬を膨らませながらぷんぷんとむくれている。


 ジョゼフはちびりと水を飲み、ルーキスの肩を抱いた。



「あー、思い出した。そういやこのオモチャ、オメーの足から外すのに随分と苦労したんだわ。引っ付いてなかなか取れねーからよ、俺の自慢の大剣で繋ぎ目をぶった斬ってやったィ。ガッハッハ!」


「……あんた、よく俺の足ごと落とさなかったな」


「たらふく酒飲んだあとだったからなァ! 俺ァ酒が切れると手が震えちまって逆に精度が落ちるんだ、俺が酔ってて良かったじゃねーかィ、運がいいぜルーキスよ!」


「俺はこれだからあんたが嫌いだ」



 嘆息したルーキスは辟易しながら彼の胸を押し返す。一方、ひとしきり文句を喚き終えたウメコヴィは周囲をキョロキョロと見回した。



『むむ? そういえばルーキスくん、魔女ちゃんはどうした?』



 何気なく問うウメコヴィ。それに対し、ルーキスは言葉を詰まらせて目を逸らす。

 どこか覇気のないルーキスを見遣り、事態を把握したらしい天才発明家は、フンと鼻を鳴らして腕を組んだ。



『ははーん、さては君、とうとう魔女ちゃんに捨てられたなぁ? それでご機嫌ナナメなのか、フラれちゃってかわいそかわいいねえルーキスくん』


「黙れ叩き割るぞ」


『すみませんでした』



 凄まじい眼力で睨まれた途端に潔く謝ったウメコヴィ。だが、すぐに目を細めてルーキスに視線を戻した。


『ほいで? あの子は〝名前〟を付けてもらえたわけ?』


 続く問いかけに、ルーキスは表情を強張らせて一層黙り込む。みなまで言わずとも理解したらしいウメコヴィは、『やれやれ、そんなことだろうと思ったよ』と嘆息した。



『あの子も欲がない子だからね。どうせ自分から頼みになんていかないだろうと思っていたけど、やはり君に名付けを頼んだりしなかったか』


「……お前、魔女の名付けの事情について知ってるのか」


『ふふん。私にも、かつて魔女の友人がいたからね。彼女も今頃どうしてるんだか知らないが、名前さえあればまだ生きているだろう。〝名前〟は魔女にとって、〝寿命〟みたいなものだから』



 語るウメコヴィの話に耳を傾けつつ、ルーキスは眉根を寄せ、記憶の中に残っていたフレーズをなぞる。



「……魔女の一生は、名を得てから始まり、名を失うことで終わりを迎える──」


『んお? 何だ、よく知っているじゃないか』


「ああ、だが、俺にはまだひとつ知らないことがある。……名を得られないままの魔女は、どうなるのか」


『そんなの簡単なことだよ』



 頬杖をつくウメコヴィ。以前魔女から聞き出せなかった答えを、彼女はあっさりと答えてしまった。



『──樹になるんだ。色や香りや意思もない、名も無き樹木に』



 その言葉が紡がれた瞬間、ルーキスの脳裏には魔女の国に生えていたいくつもの真っ白な木々が駆け抜ける。

 目を見張る彼が悪寒を覚えてぎゅっと拳を握り込む中、ウメコヴィは説明した。



『魔女は人間と違って、白い樹木の根の中で生まれるらしい。それが百余年かけて発芽し花となり、実がつけばその中から魔女が生まれるという』


「……確かに、そんな話を、少しだけ聞いたが……」


『名を失った魔女は、自身の体を樹木に変え、また次の魔女へと命を繋ぐ。名を得られなかった魔女は、ちょうど二十年目の夜明けと共に力を失い、強制的に樹木化して意識が消えてしまうとか』


「ちょっと待て、二十年だと!?」



 ルーキスは身を乗り出し、ウメコヴィのいるモニターを掴んだ。『ヒイイ割らないで〜!!』と怯える彼女を無視してルーキスは詰め寄る。



「あいつ、もうすぐ二十歳になるとか言ってたぞ!? あいつの誕生日っていつだ!? 樹木化ってのは一度発症したあとも治るもんなのか!?」


『さ、さあ……。ただ、樹木化すると色も香りも消えてしまうから、人間には他の樹木との区別が一切つかなくなるらしい……』


「……っ」



 息を飲むルーキスの脳裏に蘇ったのは、魔女の国に生えていたいくつもの白い樹木だ。


 まさか、あの国に生えていた白い樹は、すべてが魔女の亡骸だったのか──?


 そう考え至り、ゾッと背筋が凍りついた。

 一方、事情を把握しきれていないジョゼフは首を捻っている。



「んだァ? お前ら。話の内容がよくわかんねえが、ルーキスの惚れた女が死んじまいそうって話か?」


「惚れてねえ!!」


「なるほど、抱いただけの女か」


「抱いてもねえ!!」


『むしろいつも魔女ちゃんに抱かれてたもんね』


「えっ、ルーキス、お前まさかそっちの……!?」


「誤解を生む発言すんなクソがァ!! 足が動かねえから抱えられてただけだわ!! そもそもあいつは──!」



 食い気味に否定するが、それまで張り上げていた声も、すぐに弱々しくなって窄んでしまった。


 ──ルーキス様!


 記憶の中に残っている高い声が、まだ、しつこく足を引っ張って、消えない。



「……あいつは……惚れたとか、抱いたとか、そういうんじゃねえ……けど……」



 項垂れるルーキス。頭の上ではルゥが心配そうに「キュゥ〜……」と彼のつむじをつつく。


 思い出すのは、切なげに笑った魔女の顔だ。〝名前〟の話をする時、彼女はいつも決まって妙な笑顔を浮かべていた。

 儚さを押し殺したようなあの微笑みが、ガラス細工のような嘘くさい顔が、昔すれ違ったままいなくなってしまった友人の姿を彷彿とさせる。


 何度もあの日の悪夢から逃げた、負け犬の夜。

 ひとりで歩くだけだった長い夜。

 けれど、ふと隣を見れば、いつからか歩幅を合わせて一緒に歩いてくれていた魔女がいた。


 正直、まだ、眠るのは少し怖い。

 いなくなった夢の中の友へ、いくら謝罪して泣いて縋ってみても、その声はもう届かない。


 もし、このまま、魔女まで消えてしまったら──また、夢見が悪くなってしまうのだろうか。



「……いなくなって後悔しても遅いってことぐらい、俺はもう、嫌というほどよく知ってんだ」



 呟き、奥歯を噛み締める。


 まだ間に合う。

 まだ彼女は消えていない。


 長いようで短い、短いようで長い──この夜の闇をまっすぐと駆け抜ければ、きっと。


 自分自身の過去から逃げ続けた、弱い己の遠吠えが、まだ、その耳に届くだろう。



「夢見が悪いのは、もう懲り懲りなんだよ」



 宣言し、席を立つ。その表情を盗み見たジョゼフは、以前のルーキスの姿を思い返しながら目を細めた。


 少し前までの彼は、他人を遠ざけ、優しく道を照らす月の明かりも拒絶して、逃げてばかりいたというのに。



「……いつの間にやら、いいツラになったじゃねえかィ、ルーキスよォ」



 ジョゼフは笑い、続いて立ち上がる。


「オメーを酔わせて契約書に無理やりサインさせたのは正解だったな」


 得意げな顔で白状する彼。

 やっぱこいつが全ての元凶か、と苛立つルーキスだが、「おら、準備しろ、置いてくぞ」と師が背中を叩いたことで眉をひそめた。



「準備、って……」


「魔女の国まで行くんだろうが、俺の飛空艇で送ってやらァ。聡明な師匠に感謝しろバカ弟子、世界の最果てだろうがひとっ飛びよ」



 ぐしゃりと頭を撫ぜられ、ルーキスは軽く舌を打つ。老いぼれのくせに生えそろった歯列を見せつけられて非常に不服だ。

 しかし悪態をつく気にはなれず、ルーキスは憎まれ口を飲み込んで目を逸らした。



「……どーも」


「お? やけに素直じゃねえか。骨抜きにされた魔女に毒牙まで抜かれちまったかァ?」


「うっせえ」



 そんな師弟のやりとりを眺め、満足気に微笑むウメコヴィ。彼女は気合十分に意気込み、堂々と声を張り上げる。



『よォし! これで準備は整った! 共に魔女ちゃんを救いに行こう、ルーキスくん! 今すぐ私を膝に装着したまえっ!!』


「悪いがそれは遠慮する」



 ──バリィン!!


 だがしかしウメコヴィの液晶は叩き割られ、『うそーん』と言い残した彼女は、ぶつんと音を立ててモニターの画面から消えたのであった。

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