眠れぬ傭兵ルーキスは、魔女におやすみのキスで寝かしつけられている
umekob.(梅野小吹)
第1章 魔女と傭兵と旧坑道跡
第1話 微睡みの魔女様
長い夜をいくら早足で駆け抜けても、そこに意味などありはしない。
血塗られた腕で振るう剣に、誇りなど持った試しもない。
雇われ者の
待ち望んでもいない夜明けの光を拝むためだけに、長く続く闇の回廊を歩いていく──ただそれだけの時間だった、はずなのだ。
……つい昨晩までは。
「はじめまして、ルーキス様! 私、今日からあなたの『寝かしつけ係』に任命されました!
「……あァ……?」
開口一番、東の空に昇る太陽さながらの眩しい笑顔をチカチカとまとい、見知らぬ女が自己紹介をする。
いつも通りに依頼を受け、配属先の山小屋に待機していた傭兵──ルーキスを訪ねてきたのは、戦争とは縁遠そうな平和ボケした印象の女だった。
てっきり依頼者が前金を持ってやってきたのだろうと考えて扉を開けてしまった彼は、予想と大きく外れた来訪者に思考を止めて面食らう。
胸元まで伸びた金の髪、清廉と輝く藍色の瞳。冒険者向きの
戦場であれば真っ先に死にそうな出で立ちの彼女に、ルーキスは眉間のシワを深く刻んだ。
「
「えっと、不眠症に悩む傭兵様がいらっしゃると、魔女族のギルド宛に依頼がございまして! 不眠の解消に適任と判断されました私が、魔女族の国から配属されることになりました! なので、これからルーキス様がしっかりと眠れるようになるまで、私がサポートさせて頂きますっ」
「要らん。帰れ。そんな依頼をした覚えはない、何かの間違いだ」
「ええ!? そ、そんな、間違いのはずがありません! ほら見てください、これってあなた様のサインでしょう?」
魔女は焦った様子で
〈傭兵を長らくやっているが、不眠症らしく、夜はほとんど眠れない。寝かせて欲しい。──ルーキス・オルトロス〉
そんな書いた覚えのない文章に黙って眉をひそめる彼の傍ら、魔女はにこりと微笑んで依頼書のサインに指を滑らせる。
「人間にはあまり知られていませんが、〝名前〟にはとても強い魔力があるのです。私たち魔女は、名前と人とを結びつける〝糸〟を視ることができます。これは、あなた様の書いたサインに間違いありません。糸がそう示していますから」
そう告げた彼女が指先で紙面の名前を擦った途端、淡い光を帯びた細い糸がルーキスに巻き付いた。彼はうざったそうにそれを払おうとするが、どうにも人の手では触れられそうにない。
じろりと睨むルーキスに対し、鈍そうな魔女は小首をひねって微笑みを浮かべる。
「ほら、ね? ね? あなた様の書いた依頼文でしょ? 理解していただけましたか?」
「……」
「というわけで、改めてよろしくお願いいたします、ルーキス様! これからあなたの快適な睡眠を確保するべく、私が心地よい安眠の魔法を──」
──バタン。
しかし、言い切る前に扉は閉ざされ、魔女は問答無用で外に閉め出された。
ビュオオ。吹き抜ける冷たい風。
飛んできた木の葉にぺしりと頭を叩かれた魔女は、しばらく無言で硬直したあと、「ちょ、ちょっとおお!? ルーキス様、聞いてましたかぁぁ!?」と閉め切られた扉を叩き始める。
「あ、あのぉ! お願いします! せめて中に入れてください! 冬も近いんで寒いんです!! 人間より多少頑丈な魔女ですが、寒さには弱いんですぅぅ!!」
半泣きでわめく魔女。
ルーキスは辟易し、叩かれている扉の向こうで溜め息を吐いた。
「うるさい、不要だと言っているだろ。さっさと帰れ。たとえ俺が何らかの気の迷いで、本当にそんな依頼をしていたんだとしてもだ。今の俺には必要ない、キャンセルしておけ」
「そ、そんなぁっ、何もせず帰るなんて無理です! 魔女族の国からここまで、すっっごく遠かったんですよ! 交通費も使い切っちゃったし、このままじゃ帰れません!」
「キャンセル料として交通費は工面してやる。だから帰れ」
「そういう問題じゃないんですうう! 何の成果も残せず帰るなんて出来ません、お願いですから話だけでも聞いてください〜っ!!」
ドンドンドン、扉はやかましく叩かれる。ルーキスは眉間を押さえ、「チッ……」と舌打ちをこぼした。
一体何だ、この状況は。
不眠を患っているのは事実と言えど、あんな依頼文を投函した覚えなどついぞない。金回りのいい伯爵公からの依頼があると聞いてここまで赴いたが、それ自体が嘘だったのか……?
ルーキスはこの山小屋に来るまでの経緯を冷静に辿りつつ、先ほど魔女が見せ付けてきた依頼文とやらの文面を思い返す。あの文章を書いた覚えは皆無だが、サインだけは自分の筆跡に間違いなかった。
そういえば数日前、不本意ながら自分が師と仰がねばならない老いぼれと酒を酌み交わした際、何らかの契約書にサインをさせられた記憶ならあるが──と、そこまで考えたところで、ルーキスは薔薇色の瞳の奥に怒りをけぶらせる。
「……あのクソジジイ、さては俺を
「ふええんっ、お願いします、開けてくださいルーキス様ぁ〜!! 何でもしますから!!」
「……はあ。
ひとつに結った無造作な黒髪を乱雑に掻き回し、ルーキスは師の思惑の全貌が把握できないまま自身の荷物を掴むと再び扉の方へ歩き出した。そのまま不機嫌そうに鍵を解錠して蹴り開ければ、魔女は「ふひゃあ!?」と素っ頓狂な声を上げながら尻もちをつく。
「あっ、開けてくれた……! ルーキス様、私を小屋に入れて下さるんですか!? よかったぁ、もう凍えて死にそうなんです〜……」
「ああ、入れ。俺はもう山を下りる」
「そうですかぁ、山を下り……んええッ!? ちょっと待ってください、それじゃ意味ないです!」
「依頼はキャンセルだと言っただろ、暖炉に火は焚べてあるから暖を取ったら国に帰れよ。金は机に置いておいた、それじゃあな」
「い、嫌です! 待って!」
さっさと立ち去ろうとするルーキスに追いすがり、魔女は彼の腰を捕まえる。「おい、離せ!!」と目尻を吊り上げて怒鳴るルーキスだが、魔女は「いやですー!!」と喚いて譲らない。
ますます表情を険しくするルーキスの傍ら、魔女は声を張り上げた。
「わ、私にはっ、あなたしか居ないんです! あなたが初めてのご依頼者様なんです!!」
「あァ?」
「私、魔女なのに、誰にでもできるような簡単な睡眠魔法しか使えないから……っ、一族のみんなに、落ちこぼれと言われていて……! でも、ルーキス様のお悩みなら、私の魔法でも解決できるんです! このまま何もせずに帰ったら、私は落ちこぼれ魔女のままです! どうかおそばに居させてください!」
「んなもん全部お前の都合だろうが! そもそも俺は不眠に悩んでなんかいない、こっちは傭兵だぞ? 敵にいつ攻撃されるか分からないってのに、熟睡なんかしていられるか!」
うんざりした様相で怒鳴り、ルーキスは魔女を引き剥がした。しかし魔女はめげずに彼の腰に抱きつき、去ろうとするルーキスに追い縋る。
「い〜〜や〜〜! お願いします! せめて一晩だけでいいので! お願いしますぅぅ!」
「チッ……! この魔女、力強いな……!」
「何でもします! あなたのお望みは何でも叶えますから! どうかお慈悲をぉ!!」
「ああ、くそ、しつこいんだよ! 分かったから離せ!! あと会ったばかりの男に『何でもする』とか簡単に言うな!」
あまりのしつこさに根負けしたらしく、ルーキスはとうとう折れて魔女の要求を投げやりに飲んだ。涙目で顔を上げた魔女は頬を綻ばせ、「本当ですかっ!?」と彼の腕を捕まえる。
「……一晩だけだぞ。少し寝て、朝一に山を下りる」
「全力でご奉仕いたします! 絶対満足できる夜にしてみせます!!」
「それ違う意味に聞こえるからやめろ。あと離せ」
「嫌です! 隙あらば逃げようとしていらっしゃるでしょう、ルーキス様!」
「チッ……」
ぎゅう、と腕に絡みついて頬を膨らます魔女。否定しないルーキスに「ほら、やっぱり! 騙されませんよ!」とむくれつつ、魔女は彼の手を引いて山小屋に戻った。
暖炉の火によって温められた室内でほうと一呼吸ついた彼女は、仏頂面のルーキスをベッドに誘導して座らせる。
「さ、ルーキス様、横になってください。忘れられない夜にいたします!」
「だから誤解を産む発言は控えろ」
危うい発言を繰り返す彼女に呆れながら、ルーキスは面倒なことになったと頭を抱えた。おそらくこの状況を仕組んだであろう師への恨みを募らせていると、やがてベッドがぎしりと軋む。
「では、始めますね」
「……念の為に聞くが、お前、今から俺をどうする気なんだ?」
「え? 大丈夫ですよ、痛いことや怖いことはいたしません。一緒にベッドで眠るだけです」
「勘弁してくれ」
無意識に深めの溜息が漏れ出たが、魔女はきょとんとするばかり。危機感ってモンがないのかこの女、と眉根を寄せたところで、大人しく従うのが癪なルーキスはとうとう強硬手段に打って出ることにした。
「……分かった。お前の好きにしたらいい。ただし、こちらにも一つ条件がある」
「……条件?」
「ああ」
顎を引き、ルーキスは不敵に口角を上げた。
この女に危機感がないというのなら、強制的に恐怖を覚えてもらうまでだ。
「──脱げよ。さっき〝何でもする〟って言ったよなァ? どうせ一緒に眠るんなら、俺も楽しんだっていいだろ?」
極力下卑た言い方に努め、口元にいびつな笑みを貼り付けた彼。示された条件に、魔女は大きく目を見張る。
さあ、嫌がれ。抵抗しろ。
ついでにそのまま俺を解放しろ。
そんな思惑を張り巡らせながら魔女の顎を掴み、ルーキスは口付けを迫るように彼女へと唇を近付けた。
きっと拒絶するだろう──そう踏んでの行動だった、の、だが。
その予想すら、魔女は笑顔で容易く覆す。
「はいっ! もちろんです、ルーキス様!」
「……は?」
「では、失礼いたします!」
ぐいっ、と首の後ろに回された手が後頭部を掴み、ルーキスは魔女に引き寄せられた。刹那、唇が柔らかな彼女のそれに塞がれてしまう。
ルーキスは目を剥き、思わず肩を震わせた。
「……っ!?」
想定外の自体。しかし狼狽える暇もない。
突如ルーキスに口付けた魔女は、身を強張らせる彼のことも無視して当たり前のように唇をついばんでくる。やがて薄く開いた唇の隙間からは、ぬるりと舌まで侵入してきた。
彼女はルーキスの舌を掬い上げて優しく絡め取り、唇の表面をついばんで、舌の裏側まで丁寧にねぶる。口内にはなぜだかほのかな甘みが広がり、全身の力が徐々に抜けて、やがて、ルーキスは熱い吐息を漏らすばかりで抵抗すらできなくなった。
──熱い。なんだこれは。身体の内側が、妙に熱い。
熱を帯びる身体の違和感に眉根を寄せて困惑していると、ようやく唇を離した魔女が、柔く微笑んで衣服を脱ぎ始める。
「魔女は、体内で魔力の素を作り、常に保有しています。呪文や詠唱によってそれを体外に引き出すことも可能ですが、魔法の効力を最大限に引き出すためには、直接相手の体に
「……っ、は……?」
「そうして魔力を投与した後は、
ぱさっ、ぱさっ。床に落ちる衣服は彼女の肌を覆う布の面積を少しずつ狭めていき、やがてついに〝いかにも〟なベビードールだけを残して、全ての服が取り去られてしまった。
脱ぐとそれなりに膨らみのある胸元や白い肌が露呈され、抑え込んでいた焦燥がじわじわとルーキスを蝕み始める。
(っ、こ、こいつ……! まさか本当に
先ほどまで自分が彼女に貞操の危機を植え付けようとしていたというのに、これでは完全に立場が逆だ。ルーキスは強い危機感に駆られるが、今しがた口移しされた〝魔力〟の影響なのか、体はまったく動かない。
ベビードール一枚の魔女は優しい微笑みを崩すことなく、警戒するルーキスの上に跨って彼の服をめくり、ぴとりと素肌を密着させた。
「さ、ルーキス様。ゆっくりお眠りくださいね」
「……っ、お前……っ、何を……」
「ふふっ、何もしませんよ。ただ、あなた様の手を握って、長い夜を共に歩くだけ。大丈夫、ご安心ください。──悪い夢は、見せませんので」
まるで母が子を寝かしつける際のような口振りで告げ、額に優しい口付けが落とされる。するとたちまち体内でくすぶっていた熱が心地よく全身を巡り始め、不思議とまぶたも重くなった。
(……何だ、これ……急に、眠気が……)
とろり、とろり、意識が
強烈な睡魔に恐怖すらはびこって、ルーキスはつい魔女の手を強く握ってしまったが、彼女は優しくそれを握り返した。
いやだ、眠りたくない。
眠ったら、また、あの夢を──。
しかしそんな彼の願いも虚しく、かろうじて繋ぎ止めていた意識は溶け、とぷんと夜に沈んでしまう。
「…………」
「……ふふっ、よかった。ちゃんと眠ってくださいましたね」
──おやすみなさい、ルーキス様。
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