第2章 魔女と傭兵と砂の王国

第7話 入浴介助攻防戦


 大陸西部に位置する、砂に埋もれた発明の国・バルバロウ。

 かつて人工オアシスを発明したバルバド一世が地底に築いた巨大国家であり、国の玄関口から昇降機で降りた先には、最先端の技術を搭載した煌びやかな発明品の数々と緑豊かな地下都市が広がっている。


 歴史的な発明と言われる人工オアシスを中心に、人で賑わう居住区内は砂と水と緑の楽園。資源の乏しい砂漠地帯の地下空間とは到底思えぬほど、新緑と花々が国をいろどり、発展した独自の文化で他国を魅了している。


 見たこともない最新鋭の設備やシステムは、まさに人々がたどり着いた発明の叡智えいちだ。


 人口的に作られた天板には青空が。

 どこまでも続く壁には海が。


 地下に存在し得ないはずのあらゆる景色をつい目で追いかけてしまうルーキスの視界には、不意に魔女の笑顔が映り込む。



「興味津々ですね、ルーキス様」



 嬉しげに語りかける魔女。

 ルーキスはハッと我に返り、苦い表情で顔を背けた。



「……別に」


「目に映るもの、全部珍しいでしょ? 他の国では機械的な発明品ってあんまり見ないですものね、私も最初に見た時はびっくりしました〜」


「うるさいな、興味ないって言ってるだろ」



 車椅子を押しながら話しかけてくる魔女をそっけなく突き放し、ルーキスは不機嫌そうに腕を組む。

 彼が乗っているこの車椅子も、国が無償で貸し付けているレンタル品だ。国の入口にこんなものまで用意されているのだから、さすがは発明の国である。


「……で、今からどこに向かうんだ?」


 問う彼に、魔女は笑顔で答えた。



「ひとまず宿を取って、荷物を置きましょう。出掛けるのはその後ですね」


「フン、宿か……。地下と思って甘く見ていたが、結構広い都市だぞ? お前、ちゃんとたどり着けるのか?」


「ご心配なく! 魔女学院の研修で、この国にはよく来るので。道案内は任せてください」


「……魔女学院?」



 聞き慣れない名称を訝しめば、「あら、言ってませんでしたっけ?」と魔女は意外そうにまばたきをする。



「私の通っている学校ですよ。魔法省立・セレティア魔女学院。お恥ずかしながら、まだ卒業できていなくって……えへへ」


「学校、って……。お前、学生だったのか?」



 眉根を寄せて問いかけると、魔女は頬をかいて困ったように笑った。

 その手首にはランタン型の小瓶が揺らぎ、中にぶら下がったコウモリは我関せずとばかりに「キュピ〜、キュピ〜……」と寝息を立てている。


 そんな間の抜けた寝息を聞きながら、しばらく様子をうかがうが、魔女がルーキスの問いを否定する様子はない。どうやら、本当に現役の学生のようだ。


(学生って……。まあ、こいつまだ若そうだし、言われてみれば不思議じゃないが……学生って……)


 出会った当初から若い女だとは思っていたが、まさかまだ学生だとは思いもしない。そもそも魔女は歳を取るのだろうか、などと考えながら「お前、今いくつなんだ?」と問い掛ければ、「十九で、今年二十歳になります〜」と答えが返ってくる。


 ルーキスの年齢が今年で二十七であることを考えると、それなりの年齢差があった。

 そんな歳下の女から俺は振り回されているのか……などと辟易する中、顎に手を当て、ルーキスは思案する。


 よくよく考えてみれば、彼女の本当の名前すら、まだ教えてもらっていない。



「……名前は?」


「へ?」


「名前だ、お前の本名。しばらく一緒に行動することになるんだから、知っておいて損はないだろ」



 何気なく尋ねてみる。だが、しばらく待ってみても魔女からの返答はない。

 不自然な沈黙に眉をひそめ、「おい?」とルーキスが顔を上げれば、困ったように微笑む彼女と目が合った。



「……魔女は、一人前にならないと、名前を授けてもらえません」


「……は?」


「私に与えられた現在の仮称は、〝微睡みドルミールの魔女〟です。誰かに呼びかけてもらえるような名前は持っておりません。多分、この先、与えてもらえることもないでしょう。……私、魔女族の中でも、一番の落ちこぼれですので……えへへ」



 どこか誤魔化すように、少し切なげに笑った魔女。直後、「あ、そうだ! ルーキス様!」と彼女は明るく声を張る。

 ルーキスは彼女を見遣り、耳を傾けた。



「たった今思い出したんですけれど、私、とっても美味しいご飯のお店を知っているんでした! 今夜、そのお店にご案内いたしますねっ」


「……ああ」


「宿にもそろそろつきますよ〜! とーっても素敵なところなんです! ロビーに噴水があって、床も大理石で、それからそれから〜……」



 口角を上げ、取り留めのない話を続ける魔女。

 聡いルーキスでなくとも気がつく程度には、露骨に話題をすり替えられてしまった。どうやら自身の〝名前〟について、彼女は触れてほしくないらしい。


 この魔女には名前がない。

 一人前になるまで、魔女は名前を授かれない──。


 よく分からない魔女国の文化にいささか疑問を感じつつ、他愛のない無駄話に耳を傾けたまま、二人は宿へ向かうのだった。




 ◇




 そんな出来事から、かれこれ数十分。


 目立ったトラブルもなく、無事に宿へと辿り着いたルーキスと魔女だったが──しかし。

 部屋に入って早々、ルーキスはさっそく、不機嫌をあらわに魔女を睨んでしまっている。



「なんっっで、お前と同じ部屋なんだよッ!?」



 しかめっ面で不服を申し立てる彼。それに対し、魔女はきょとんとまばたきを繰り返し、悪びれる様子などなかった。



「だって、ルーキス様歩けませんし……」


「ふざっっけんな!! お前、これからずっと俺と同じ部屋で寝るつもりか!? だったらせめてツインベッドにしろ、何でダブルベッドの部屋にしやがった!?」


「だって、一緒に寝た方がルーキス様よく眠ってくださいますし……」


「お前と寝ると長く寝すぎて大迷惑なんだよ!! いいか、人間は普通三日も四日も眠ったりしねえんだ、どうしても俺を眠らせようってんならせめて一日以内に起こせ!」


「えーん、注文が多いですぅ……」



 口喧しくがなり立てるルーキスに唇を尖らせ、魔女は彼をあやすかのようにひょいと姫抱きにしてその背中を叩いた。怒りを鎮めようとしているらしいが逆効果である。

 彼女の行動すべてが不服なルーキスはさらに顔を顰め、「お前、この抱え方どうにかなんねえのか!?」などとさらに難癖をつけてくる始末だ。魔女は困り顔で小首を傾げた。



「おんぶの方がいい、ということでしょうか?」


「はあっ!? おんぶ!? ……チッ、どっちも嫌だ」


「では、ひとまずこのままで。そんなことよりルーキス様、まずはお体を綺麗にいたしましょう〜!」



 言うやいなや、魔女はルーキスを抱えたまま浴室へ向かい始める。台座の上に彼を座らせ、ブーツと衣服を脱がし出した彼女にルーキスは青ざめた。



「……っ、お、お前……っ、まさか、風呂まで一緒に入るとか言い出す気じゃ……!」


「え? ダメなんですか? だって、座ったままじゃ移動ができないでしょうし、お手伝いするつもりですが……」


「ふざけんじゃねえバカ!! 風呂なんかいい、脱がすな!!」


「ええっ、だめですよ〜。坑道のあとからもう何日も水浴びできてないでしょう? 不衛生にしてるとまた病気しちゃいますよ?」


「おい、テメッ……!」



 いとも容易く衣服を剥ぎ取られ、古傷だらけの上半身が露呈される。慌てて魔女を引き剥がそうとするも、いくら抗ったところでビクともしない。このままではすぐに下半身の着衣も剥がされてしまうだろう。

 ルーキスは焦燥に駆られ、彼女の目元にビタン! と片手を叩きつけた。



「っ、わ、分かった、分かったって! 脱ぐ! 自分で脱ぐから、俺に触んな! あと見んな!」


「でも、目で見て触らないと体洗えません~」


「んなもん自分で洗えるに決まってんだろが!! 足が動かねえだけで手は動くんだよ!」


「あ、そっか、そうですね。ふふっ、では、ちょっとだけお手伝いします。はい、脱ぎ脱ぎ〜」


「うわ、ちょ……っ」



 結局のところ下半身まで容易に丸裸にされてしまい、ルーキスの頬はたちまち羞恥で熱を帯びる。抵抗する間も与えられずに備え付けの腰布まで巻きつけられ、彼はひょいっと抱え上げられてしまった。

 狭い浴場。やがて床に降ろされ、桶で汲んだ湯をかぶる用途しかない小さな水盤内にお湯が注がれ始める。

 手際よく湯の温度を調整してかき混ぜた魔女は、程なくして一切の恥じらいもなく自身の服を脱いで下着姿になった。


 ひらひらとフリルのついたレースが揺らぎ、白くきめ細やかな肌を惜しげもなく露呈して、彼女はルーキスに近寄ってくる。



「さ、ルーキス様。綺麗にいたしましょうね」


「……っ、バカ、近づくなっ……!」


「ふふ、大丈夫ですよ〜、怖くない怖くない。はい、ちゃぷちゃぷ〜」


「触んっ、うあっ、ちょ、やめっ──やめろおおおっ!!」



 真っ赤な顔で叫ぶルーキスの抵抗も虚しく、彼は魔女に捕えられ、体の隅々まで丁寧に洗われてしまったのであった。

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