第3話 旧坑道での再会

 事の発端を辿るには、まず、ルーキスが山の三合目を通り過ぎた頃合にまでさかのぼる。


 間近に迫る冬を象徴するような冷たい風が吹く午後、山の麓の港町を目指して下山していたルーキスは、山道のど真ん中で悲嘆に暮れている一人の行商人と出会ったのだった。


 彼は骨張って痩せこけた顔を青ざめ、ぶつぶつと何かを呟きながら狭い道を何度も往復している。そばでは毛むくじゃらの駄獣が地面をつついて草を食んでおり、しかし、商品を運搬するはずのその背には何も積まれていない。


 ルーキスは訝りつつ、不審な行商人に低い声を投げかけた。



「……おい、邪魔だ。そこを退け」


「ない……ない……」


「あ?」


「私の大事な商品がなーい!!」



 がばり、突如顔を上げた商人は絶叫してルーキスの肩に掴みかかった。半狂乱なその様子にびくりと肩を震わせて反射的に突き飛ばそうとしたルーキスだが、意外にも力が強く、全くもって離れない。



「うわーーん!! どうしましょう、旅のお方ぁ! 山賊に商品を盗まれてしまったんですよぅ!! このままじゃ商売が出来ないぃ! どうしよぉ!!」


「お、おい、何だお前! 落ち着け! いい歳したオッサンが情けない声を出すな、鬱陶しい!」


「ふひぃぃんッ、辛辣ッ!! しかしあなた、見たところかなり顔が怖くて腕が立ちそうですね!? お願いします、私の大事な商品を山賊から取り返してください!!」


「はあっ!? 断る、何で俺が見ず知らずのオッサンに手を貸す必要が──」


「──この額でいかがでしょう」



 突として声の雰囲気を渋く一変させた行商人は、ざらりとすかさず十露盤そろばんの五珠を弾く。

 突き付けられたそれは普段の報酬額より左の位置で珠が落とされており、ルーキスの動きはぴたりと止まった。



「あなたの剣、よく見ずとも使い込まれているのが分かります。それも大勢の敵と幾度も戦ってきて修繕を繰り返したものだ。柄の装飾は大陸の西方面で流行しているあしらいですね」


「……」


「顔の古傷は刃物によるもの、ということは相手は魔物でなく人間……いえ、近頃は機械人形オートマトンでしょうか? しかし、風貌や装備から王国騎士ではないとお見受けしました。であれば、戦地帰りの傭兵ゼルドナでしょう。つまりあなたを金で雇えば、見ず知らずのオッサンが相手でも額次第で頼まれてくれるはずだ」


「……へえ。慌てふためいていたわりには、案外使える頭をしているようだな」


「伊達に人生のほとんどを行商に費やしたわけじゃありませんからねえ」



 口髭をなぞり、商人はにこりと笑った。

 そしてすぐさま地面に額を擦り付ける。



「──というわけで! お願いしまぁぁす傭兵様ぁぁ!! 私の商売道具を取り返してくだしゃぁぁい!!」


「お前、プライドってもんはないのか」


「だって商品取られてんですよこっちは!! 生活費ごとぶんどられてんすよ!! むきィィ許せない!! 私の今後の人生かかってんのにプライドなんて気にしてられませんよ!! どうかお願いしますッ!!」


「……はあ、分かった」



 ルーキスは渋々と頷き、先ほど提示された十露盤に手を伸ばした。

 下げられている五珠。そこから更に左の珠を指先で落とし、彼は告げる。


「報酬はこの額だ。耳揃えてきっちり支払え。それでよければ請けてやる」


 怯むことなく堂々と金額を示せば、行商人はにんまりと口角を上げた。



「──もう一桁上げましょう。それで取引成立です」




 ◇




「……ということがあって、俺はここに来た。そしたらお前まで転がっていやがるとはどんな冗談だ」


「ルーキス様、お優しいです〜! 困っている行商人様のために、己の身を顧みず、おひとりで山賊さんのアジトに乗り込んでくるだなんて! かっこいい〜!」


「馬鹿かよ、あくまで商売に決まってるだろ。金払いが良いから引き受けただけだ、あのオッサンには何の義理もない。……そしてお前を助ける義理もない、じゃあな」


「えええっ!? せっかく会えたのに、そんな殺生なぁ〜!!」



 言いつつ、魔女は立ち上がった。その際、彼女を拘束していた縄がブチブチブチィッ! と音を立てて派手にちぎれ跳ぶ。「あっ」と魔女が目を丸くする傍ら、ルーキスはドン引きした様子で頬を引きつらせた。


「おい、お前、それ結構太い縄だぞ……」


 引いた顔のまま告げれば、魔女は涙目で青ざめる。



「た、大変です! 縄がちぎれてしまいました! どうしましょうルーキス様、山賊さんに怒られてしまいます〜!」


「いや、何を焦っているんだお前……」


「え? だってこれ、山賊さん流のおもてなしの作法ではないのですか? 人間って変わった文化を持っているんだなと思って、痛くてもちぎらずに我慢していたんですけれど……」


「こんなもんが人間のもてなし文化なわけあるか! 少しは疑え! あと、昨日から思ってたがお前力強すぎないか!? 魔女はみんなそうなのか!?」


「そんなあ! 私なんてまだまだですよぅ、片手で小さい岩が潰せるぐらいです〜」



 照れ笑いする魔女。しかし台詞には全く可愛げがない。

 想像以上の怪力に一瞬怯み、ルーキスは「そ、そうか……」と身をひるがえしてその場から逃げようとした。しかしそう簡単に逃げられるはずもなく、早速彼の隣に並んだ魔女はさも当然とばかりに同じ道を歩み始める。


 ことさらルーキスは頭を痛め、眉間を押さえた。



「~~っ……どうせ、ついてくるなと言っても無駄だろうな……!」


「この場所、まるで迷路みたいですね! ワクワクします!」


「くそ、盗品見つけたら即刻逃げて振り切ってやる……」



 絶望的に空気の読めない魔女に苛立ちつつ、ルーキスは小さく宣言して歩みを速めた。


 現在ふたりがいる場所は、山賊が居着いて棲家にしているという炭鉱跡地──今は使われていない旧坑道だ。


 内部の闇は濃く、点々と灯された松明たいまつの明かりに小さな羽虫が集っている。

 炭鉱跡ゆえに道はいくらでも伸びているが、かなり古い坑道なのか、あちこちが落盤によって塞がれていて先に進む道すら見つけにくい。壁に張り巡らされた木組の足場は腐り、鉄屑や落石の残骸が転がっていて、かつて利用されていたであろう石炭や鉱石を運ぶ運搬用の線路すら途中で途切れていた。


 いつ崩れるとも知れぬ危うさが常に付き纏っている。よくこんなところをアジトにしようと思ったものだ、とルーキスは半ば感心した。



「チッ、視界も足場も悪いな……呼吸するたびに喉も痛む。微粉が舞ってるのか……?」


「えへへ、暗いとなんだか眠くなりますよね! 不眠症も治るのではないでしょうか、ルーキス様! 一眠りしてみては?」


「するわけないだろ黙れ」



 能天気な魔女を辛辣に一蹴し、ルーキスは坑道を進んでいく。

 しかし直後、彼はぴたりと足を止めた。


「……待て」


 先に進もうとした魔女を片手で制し、彼は用心深く耳を澄まして柱の影に魔女を引き込む。首を傾げる彼女だったが、『声を出すな』と目配せするルーキスの意図を悟ったのか、手で自身の口を塞ぎながら大人しくその場に身を潜めていた。


 ややあって、彼らの耳は複数の声を拾い上げる。坑道の奥、寂れたランタン片手に歩いてくるのは、いかにも蛮族といった風貌の男たちだ。

 口元に布を巻きつけた彼らはいずれも屈強な体をしており、大声で談笑しながら歩いてくる。


「しっしっし、今日はガッポリとお宝が手に入ったな!」


 耳に届く会話から察するに、おそらく賊の一味で間違いないだろう。



「いやあ、かしらが目ぇつけてた商人なだけあるぜ! こんな寂れた坑道に埋まってる鉱石よりも遥かにカネになるもんが揃ってやがった。こいつを売り捌けば、しばらく食うもんには困らねえなあ!」


「うまそうな女も拾ってきたしな!」


「今頃ひとりでぴいぴい泣いてやがるだろうよ、あの女は夜にたっぷり可愛がってやらぁ。がはは!」



 下世話な会話を繰り広げ、男たちはルーキスと魔女が潜んでいる柱の前を通過していく。


「そういや、奪った商品はどこに格納したんだ?」

「さっき通った五番坑道の格納庫だとよ」


 などと間抜けに情報を漏らしながら通り過ぎていった彼らを見遣り、気配が遠ざかったことを見計ったルーキスは、「お喋りで助かるな」と呆れ顔で皮肉を漏らした。


 ふと一瞥した壁に打ち付けてある看板には、かろうじて視認できる〈四番坑道〉の文字。古めかしい字で記されたそれを視線でなぞり、彼は再び歩き始める。



「今の奴らが来た道を辿れば着きそうだ。さっさと盗品を回収してずらかるぞ」


「ふふっ、お宝探しですね!」


「騒ぐな、というかお前はさっさとどこかへ……ゲホッ、ゴホッ!」



 言いさしたが、途中でルーキスは咳込み、眉根を寄せて口元を押さえた。すぐに咳は止まったものの、先ほどよりも喉の痛みが増している気がする。



「チッ……空気が悪いんだよ、この場所は……」


「ルーキス様、大丈夫ですか? ごめんなさい、私、回復魔法ヒール防御魔法ディフェーザも使えなくて……」


「逆に何ならできるんだお前」


睡眠魔法ドローム以外使えないです」


「ほんと役に立たねえな」



 ズバリと言い切ったルーキスの言葉が魔女にぶすりと突き刺さり、彼女は「そんなにハッキリ言わなくてもぉ……」と涙目で落胆した。

 しかし女の涙など毛ほども気にしないルーキスは、冷徹に彼女の隣を素通りし、山賊たちが来た道を逆行するように進んでいく。


 やがて〈五番坑道〉へと辿り着いたふたり。

 相変わらず明かりの乏しい開けた空間の上部には、びっしりとコウモリがぶら下がり、ギラつく瞳を光らせている。


 不気味な光景に眉をひそめるルーキスの傍ら、やはりズレている魔女だけが、「まあっ、美味しそう!」とコウモリを見て微笑んでいた。



「……お前、あんなもん食うのか? 病原菌の塊みたいなもんだぞ」


「コウモリさん、肉はあまり多くありませんけれど、血と臓物が美味しいんです〜!」


「そ、そうなのか……ゴホッ、ゴホッ」



 時折咳込みつつ、ルーキスは魔女の発言を深掘りせずに奥へと進んでいく。

 互いの温度感が絶妙に交わらないまま、ようやく彼らは五番坑道の格納庫へと辿り着いた。


 中を覗けば散らかり放題である。腐って風化した木箱の残骸や酒樽、ガラクタ同然の採掘道具等々が目立つ──そんな中、行商人から奪ってきたと思しき積荷は、小綺麗なシルクの布に包まれて格納庫の中央部に置かれていた。


「おそらくこれだろ、目的のブツは」


 ルーキスは近付き、白い布に包まれた積荷に触れる。行商人と共にいた大きな駄獣のサイズ感から察するに、この積荷が彼の商売道具で間違いないだろう。


 彼は興味本位に布をめくり、辛うじて開いた隙間からその中身を覗き見た。

 そして、訝しげに眉をひそめる。



「……これは……」


「わあっ、宝物発見! 大きい荷物ですね!」



 細く呟いた直後、魔女が明るい声を張ったことで彼はハッと我に返った。ルーキスは布を元に戻し、今しがた声を発した彼女をぎろりと睨む。



「おい、あまり大きな声を出すな。賊に見つかったら面倒だろ」


「あ……ご、ごめんなさい……」


「フン、まあいい。ひとまず盗品は見付けたが、次の問題は、どうやってこのサイズのものを外に運び出すかだ」



 冷静に言葉を紡ぎ、明らかに重たげな積荷を見上げる。すると魔女がにこやかに口を挟んだ。



「あのトロッコに乗せたら、運んでくれるんじゃないでしょうか〜」



 のほほんと笑顔で指し示されたのは、比較的手入れされた一台のトロッコ。油がさされたような形跡も残っており、おそらくまだ現役で使われているものだろう。


 ルーキスは一瞬間を置いて不本意そうな表情を浮かべたが、ややあって渋々と納得し、頷いた。しかしすぐさま次なる課題に直面し、顎に手を添える。



「確かに、このトロッコなら外まで続いてるかもしれない。だが、そもそもトロッコに、どうやってこのデカい積荷を乗せるかが問題──」



 言いさし、ルーキスは振り向いた。するとすでに、魔女が己の身長よりも高く積み上がった積荷を「よいしょっ」と軽やかに持ち上げたところだった。


 彼は即座に口を噤み、死んだ魚さながらに感情の抜けた目で彼女を見遣る。



「ん? いま何か仰られましたか? ルーキス様〜」


「……何でもない。そのまま運んでくれ」


「はーい!」



 もはや突っ込む気力も湧かず、こうなればとことん魔女の馬鹿力を利用してやろうと開き直るルーキス。

 再び「よいしょっ」という掛け声と共に積荷を軽々トロッコに降ろした彼女は、疲れた素振りも一切見せぬまま笑顔で振り向いた。


「これで、明るいお外に出れますねっ」


 嬉しげな表情。ルーキスはやれやれと嘆息し、「俺は暗い方が落ち着くんだがな」と返答する。同時に喉が痛んでゴホゴホと咳込み、彼は歪む顔をもたげた。



「……暗い方が落ち着くが、こんな空気の悪い場所に長居するのは御免だ。このトロッコ動かして、さっさと外に出るぞ」


「あの、大丈夫ですか? ルーキス様……。さっきから、何だか顔色が悪いような……」


「あァ? 気のせいだろ。暗くてお前の目がおかしくなってるだけだ、いいから行け」


「そうでしょうか……」



 いささか心配そうな魔女の声掛けをあしらい、彼は連結しているトロッコを跨いで片脚を乗せる。


 しかし、その瞬間、彼は苦々しく舌打ちした。



「……チッ、手厚い歓迎会が始まったみたいだぜ」



 辟易したようにこぼすルーキス。

 そんな彼と魔女の進行方向には、この場所を縄張りとする山賊の一味が、各々の武器を片手に立ち塞がっていたのだった──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る