第9話 宿敵は底にいる
「プギ」
子豚型の人工生命──ステラが近付き、コトン、と目の前のテーブルに紅茶が置かれる。
鳥さながらの羽でふわふわと羽ばたき、低空飛行を実現しているピンクの子豚に「どういう仕組みなんだ……」と訝りながらも、ルーキスは紅茶のティーカップを手に取った。
そうこうしていれば、首元のネジをいじりながら頭の角度を調整しているウメコヴィが、渋い表情でぽてぽてと歩いてくる。
「いっててて……はー、えらい目にあった……そんなに冷たくしなくてもよいではないかぁ、ルーキスくん。興奮して爆死するところだったぞ」
「死ねばよかったのに」
冷酷な目で辛辣に吐き捨てれば、ウメコヴィは鼻息荒く「オヒョォ~」と鳴いてまたもや頬を紅潮させる。
その様子に「気色が悪い……」と再び冷たく声を低めたところで、魔女が彼の唇に人差し指を押し当てた。
「もお、ダメですよルーキス様、悪い口ばっかり。せっかくおもてなしして頂いているんですから、まずは感謝いたしませんと」
「俺の脚をちょん切ろうとしてる奴にか?」
じとりと目を細めて問えば、魔女は朗らかに笑った。「あんなの冗談ですよ〜」と彼女は呑気なものだが、ルーキスに迫ってきた博士の目は本気に近しかったと彼は確信している。
やがて自身のパーツの整備を終えたウメコヴィも椅子に腰掛け、頬杖をつきながら「さて、本題に入ろうか」などと口火を切った。
「何だっけ、歩行補助の道具を探してるんだったかな。私は脚の付け替えをおすすめするが」
「何度提案されようと却下だ、一時的に動かねえだけでそのうちまた動くようになるんだぞ。お前の悪趣味な人体改造に付き合う気はねえ」
「ふーん、一時的に動かないだけ、ね」
小さくこぼし、彼女はルーキスを見遣る。
「どんなに質のいい新品でも、しばらく使っていなければ、知らぬ間に錆び付いて、動きも鈍くなるばかりだぞ」
「あ?」
「たとえ定期的に油をさしたとしても、それが本来の動きを取り戻してくれるかどうかは誰にも分からん。使わずに時間が経ったものは劣化する。そしていつか動かなくなる」
「ハッ、何だ? だから脚を切り落とせってか」
「いいや、何事もそういうものだと教示しているのさ。使えるものも使わなければ、いずれガラクタに成り果てる。人体も、機械も──そして人の心もね」
ウメコヴィは目を伏せ、柔く微笑みながらルーキスに言い聞かせた。一方のルーキスは顔をしかめるが、ウメコヴィは「まあいい」と顔を上げ、少し離れた場所にいたステラを呼ぶとその背にまたがる。
「ひとまず、君の歩行を補助する道具の案を出そう。まずこれとかどうかな?」
にこやかに紡ぎ、ウメコヴィは手のひらサイズの機械を取り出した。
雪だるまのように、円形のカップが二つ繋がっている形状。一体何に使う機械だろうかと訝しむルーキスに、ウメコヴィは説明を始める。
「こいつは、移動式簡易ケツパッドだ」
「……ケツパッド……?」
「そう、ケツに敷いて座るだけで勝手に移動してくれる優れもの! こいつをルーキスくんのケツ穴にブッ刺しておけばいつだってケツだけで歩いて簡単に移動できグビィッ!?」
「却下。次」
静かに怒りを込めてウメコヴィの顔面を鷲掴めば、メキメキと音を立てて機体が軋んだ。「ホアァァやめてください興奮して爆発してしまいますうううッ」などと悦んでいる彼女を冷たく見下ろしつつ手を離すと、息を荒らげながら次の案を出してくる。
「で、では、こちらは、いかがかな……ハアハア」
「これは?」
「全自動歩行補助マシーン。
「少々余計な機能が気になるが、まあ、さっきよりはまともそうだな」
ルーキスが浅く息を吐くと、「試してみてはいかがですか、ルーキス様」と魔女が顔を覗き込んだ。その発言に早速ウメコヴィは頷き、まだ許諾を出していないルーキスのブーツを引っぺがして歩行補助マシーンを装着する。
「お、おい、何を勝手に……!」
「まあまあ、物は試しだろう? 大丈夫、試作段階で数回爆発したが改良したから問題ないはずだイケるイケる」
「安心できるかァ!! お前の発明品の爆発率高すぎるだろ!!」
「うるせーッ芸術は爆発なんだよォ! ほら動け全自動歩行補助マシーンⅥ号! 先代五機の仇を討て!」
「すでに五機も爆死してんのかっ!?」
不安を煽るような発言に思わず声を荒らげたルーキスだが、その怒りに反応したのか、それまで微動だにしなかった脚がひとりでに動いた。
「うお!?」
驚いて思わず尻込みしてしまった彼。しかし、サポーターのような電磁機器が取り付けられた脚は確かに動いており、力など入れずとも自在に膝を曲げることができる。
「ほ、本当に、動く……だと……?」
「ふふん、言った通りだろう? これぞ大天才ウメコヴィの大発明よ。歩行ももちろん可能だ」
「先生、さすがです〜! よかったですねルーキス様!」
「チッ……なんか、釈然としねえ……」
複雑に表情を歪めつつ、ルーキスは車椅子から降りて立ち上がってみることにした。
しかし、彼が地に足を付けたその瞬間──足の裏には強烈な痛みが走り、「いっってええ!?」と叫んで思わずその場にくずおれる。
「なっ、いっ、痛……ッ!? 何だ!?」
「ふっふっふ、その歩行補助マシーン、今ならお得なオマケ機能が満載! 使用者の健康促進のため、足の底が
「余計な機能つけんじゃねえええ!!」
憤慨しながら這いつくばるルーキスを見下ろし、ウメコヴィは鼻で笑う。「おやおや、足ツボに痛がるということは内臓に問題があるんじゃないかねルーキスくぅん?」などと嘲る彼女に怒りを募らせて殴りかかろうとしていると、それを制すように魔女がひょいと彼を姫抱きにした。
「ふう~、いきなり倒れてびっくりしました……大丈夫ですか、ルーキス様〜」
「っ……! お、お前っ、人前でこの抱き方すんなって何度言えば……っ」
「『ピーピピー、眼球モード変更、動画撮影機能起動、録画開始』──」
「おいこら発明バカがァ!! お前また何か余計なことしてんだろ何となく分かるぞ!!」
しれっと録画を始めるウメコヴィに、激昂して喚くルーキス。彼は今にも斬りかかりそうな勢いで怒り狂っているが、ウメコヴィはケタケタと楽しげに笑いながら背を向ける。
「はー、愉快愉快、こんなに楽しいのは久しぶりだよ。発明家は孤独だからねえ、たまには他人とも交流しないと。あ、そうだ! たしか倉庫の奥にまだあの装置が……」
「おいテメ、まさか俺を使って試作品の実験してんじゃねえだろうな!?」
「オヒョヒョ、そんなバカな〜」
おどけるように笑い、るんるんと鼻歌を歌う彼女。「次のを持ってくるから待っていたまえ〜」と上機嫌に告げた大天才はステラに乗り、再びガラクタが積み上がる奥の部屋へと戻っていった。
ルーキスは威嚇するように牙を剥き、眉間の皺を深く刻む。
「あの野郎、また変なもん持ってきやがったら、今度こそぶっ壊してやる……!」
「ふふ、ルーキス様、落ち着いて。大丈夫大丈夫、怖くないです」
「怖がってねえわボケ!! あのクソ発明バカの頭のネジが抜けてんのが気に入らねえって──」
「んもう、また悪い口ばっかり。そろそろ塞いじゃいますよ?」
こつり、額を合わせて鼻先が触れ合う。
今にも唇が重なりそうなほど距離を詰められ、たちまち息を呑んだルーキスは〝悪い口〟をつぐんだ。
どくどくと騒ぎ始める胸。
熱を持つ頬。
手のひらに浮かぶ汗。
自身の体の落ち着きのなさに苛立ちすら感じるが、魔女は優しく微笑むばかりだ。
「ふふ、ちゃんと静かにできましたね。えらいえらい」
「……っ、ふざけんな、近いんだよ……!」
やがて搾り出した声は自分で思うよりも小さくこぼれ落ち、また醜態を晒している気がして情けなく思えた。
取り留めのない感情に心が乱される中、魔女は目尻を緩め、何の前触れもなくルーキスの首元に顔を埋めてくる。
「……!?」
唐突な接近にことさら胸が跳ね、彼は狼狽えた。
「っ、お、おい……」
「はあ……やっぱり、ルーキス様って、本当にいい匂い……」
「……は……?」
「私、ルーキス様の匂い、大好きなんです……」
恍惚と頬を染め、首筋に鼻先を押し付けてくる魔女。熱を帯びる視線を向けられたルーキスは困惑し、宿の風呂場で使われた石鹸のことを言っているのだろうかと考える。
しかし、続いて放たれた魔女の発言は、その憶測すら容易く覆した。
「……ここの下、ルーキス様の血が、たっくさん入ってるんですよねぇ……」
じゅるり。よだれを啜るような音がして、吐息混じりの囁きと共に、筋張った首元を艶やかな唇が掠める。
その瞬間、それまで熱を帯びていた体が急速に冷えていく心地がした。
ゾッと顔を青ざめて彼女の目を見れば、それは獲物を狩る肉食獣さながら。飢えた獣が腹を満たそうとする際の眼差しに酷似している。
同時にルーキスの脳裏には、先日の坑道内部で、コウモリを見ながら紡いでいた魔女の言葉が蘇った。
──血と臓物が、とっても美味しいんです~。
「……っ……!!」
「あら? どうしたんですかルーキス様、そんなに怯えた顔して」
「っ、お、俺に触るなこの悪食魔女がァ!!」
「ええ? なんで怒ってるんですかぁ、よしよし〜」
唐突に震え始めたルーキスを不思議に思いながらあやす魔女。そんな会話を繰り広げていると──突如、奥の部屋からは『ガシャーン!!』と派手な音が鳴り響いた。
何かが割れるような物音に、二人は振り向き、小瓶の中でずっと眠っていたコウモリも「キュゥ?」と鳴いて目を覚ます。
「……? 何でしょう、今の音」
「さあ……」
「なんだか窓ガラスが割れたような音でしたね」
また先生が暴れてるのかしら、と首をひねり、魔女はルーキスを車椅子に下ろした。
「様子を見に行ってみましょうか」
そう提案され、ルーキスは一瞬面倒そうな表情を浮かべたものの、特に異論はないようで大人しく従う。コウモリも「キュ~」と鳴いて賛成を表明しているかのようだった。
不服げな顔で腕を組んだ彼と共に、車椅子を押した魔女は奥の部屋へ足を踏み入れる。
「先生〜?」
呼びかけるが、返事はない。
しん、と静まり返った空間。
薄暗く、視界も悪い。
周囲一帯は相変わらず散らかり放題で、足の踏み場もなく、一見すると何も変わっていなかった──が、どこからともなく風が吹いているようだと、ルーキスの肌は機敏に状況の変化を感じ取っていた。
「……?」
目を細め、頭上を見上げてみれば、高い位置にある天窓のひとつが割れている。
「……天窓が……」
「うーん……散らかっていて、車椅子では先に進めそうにありませんね……。ちょっと待っていてくださいルーキス様、私、ちょっと片付けてきます」
「は? おい、片付けるって……」
訝るルーキスをよそに魔女は車椅子を離れ、「よいしょ〜」と言いながら目の前のガラクタの山を蹴り飛ばした。
ドゴンッ、バゴンッ!
何らかの精密機器ともしれないガラクタは次々と倒れていき、バリンバリンと何かが割れる。あまりに豪快な〝片付け〟に、ルーキスは頭を抱えることしかできない。
「……あとでブチギレられても、俺は知らねーからな……」
呆れ顔で呟いた彼。
しかし、その時──魔女の死角で不意に黒い影が動いたことを、彼は見逃さなかった。
ハッ、と目を見張ったルーキス。
思わず声を張り上げる。
「──魔女ッ、後ろ!!」
「え?」
怒鳴り声に鼓膜を叩かれて振り向いた彼女。同時に、人影は魔女へと飛びかかった。
その手の中には、鈍色に光る鋭い刃すら見えて──。
(まずい、危な……!)
危機感を覚えたルーキスは、無意識に動かない脚へと力を込める。
その瞬間、突如、いまだに着けっぱなしていた全自動歩行補助マシーンのランプが赤く点滅した。
『ガビッ、ピピッ! お急ぎモード、検知』
「……は?」
『ターボエンジン発動、ブースター、起動します』
「何──」
──ボンッ!!
思案する間もなく、鳴り響いた爆発音。足の底から放出された煙。
一体何事かとが困惑する隙も与えず、さながら大砲のごとくルーキスの体は吹っ飛んだ。
「んなあああぁッ!?」
とんでもない速度で車椅子を飛び出し、前方へと直進する彼。風を切り、ガラクタの山の合間を抜け、黒ずくめの人物目掛けて速度を緩めず突っ込んでいく。
「うぅおおおあああァッ!?」
「っ!?」
──ドッゴォッ!!
刃物を構え、今まさに魔女を襲おうとしていたそいつは、一瞬のうちに突っ込んできたルーキスの頭突きを腹部に受けて吹っ飛んでいった。
ガラクタの山を薙ぎ倒し、散らかった遠くの床に叩きつけられる。一方のルーキスも「ふごっ!」と呻き、硬い何かに弾き返されてガラクタの山へと突っ込んだ。
「う……ぐ……」
「きゃああっ!? ルーキス様っ!?」
魔女の悲鳴を耳で拾い上げる中、強打した眉間が熱を帯びて痺れる。
ジンジンと響く痛みに耐えながら目を回していると、魔女は微動だにしないルーキスをガラクタの中から引っ張り出した。
「だ、大丈夫ですか!?」
心配そうに覗き込んでくる彼女。ルーキスはようやく我に返り、すぐさま上体を起こして魔女の肩を掴む。
「!?」
「っ……お、おい、バカ……お前、怪我してねえだろうな……!」
「え? ……あっ、はい! 私は大丈夫です!」
「……はあ……なら、いい……」
安堵したように息を吐き、ルーキスはふらついて彼女の肩に寄りかかった。彼を受け止めた魔女は頬を染め、「ルーキス様、まさか、私を心配してくださったのですか……?」と感激した様子で瞳を潤ませる。
しかしルーキスは蔑むように彼女を見遣った。
「はあ? 調子に乗るな。お前が怪我したら俺が困るから聞いただけだ、心配なんかするわけないだろ」
「そんなあ、照れなくても〜」
「チッ……とっととくたばれ……」
笑顔の魔女に悪態を吐き、ルーキスはそっぽを剥く。すると、先ほど遠くに吹っ飛ばされた黒ずくめの人物がゆらりと姿を現した。
ガラクタの中から立ち上がったそいつは黒のローブに身を包み、仮面をかぶっている。一見すれば人間だが──しかし。
ルーキスは先ほど頭突きした際の感覚から、その正体を導き出していた。
「……機械の体に頭ぶつけんのは、随分と痛えもんだな」
頭部をさすり、声を低めて剣を抜く。睨みつけた相手は、静かに佇む黒ずくめの人物。──否。
これは人間ではない。
目の前に立つ者は、人型を模しただけの物体であり、ただの機械。
戦場で生きるルーキスにとっては見慣れた──戦闘型
「最近は、体を動かす機会がなくて退屈してたとこだ」
コキリと首を鳴らし、ルーキスは深く息を吐く。
「機械が相手なら、肩慣らしにちょうどいい。返り血も気にしなくていいしな」
「……ギギ……ガガ、ギ……」
「お前が誰に喧嘩売ってんのか、この俺が教えてやるよ」
ルーキスは剣を構え、歩行補助マシーンが装着された脚を軽く動かす。先ほどのブースターのせいで破損しているのでは、といささか心配したが、どうやら問題なく動かせそうだ。
じゅうぶん戦えるだろうと確信し、彼は口角を上げながら、その足で床を踏み締めた。
「俺はトルメキアの
ぶすっ。
「
しかし床を踏み締めた瞬間に足ツボ機能の激痛が走り、ルーキスは怒号を上げ、その場に崩れ落ちたのであった。
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