一章 四大元素

第2話 四大元素Ⅰ


 開放された小窓から桜の花弁が侵入し、ベッドに横たわる少年の鼻先に着地する。

 その微かなこそばゆさと射し込む陽射しに目蓋を刺激され、少年は目を覚ました。

 少しばかり長い黒髪を掻き上げ、同色の瞳を擦って虚ろな視界を回復させる。


「……朝だ」


 そう呟いた少年──木葉詠真の耳に下階から妹の声が届く。


「お兄ちゃーん、そろそろ起きてー!」

「今、起きた」


 大きな声で返事できるほどまだ全身に血が回っていない詠真は独り言のように返し、重たい体を引きずって一階のリビングに降りる。

 自室を出る前に時計を確認、時刻は午前七時。いつもより三◯分ほど遅い起床だ。あと一◯分遅ければフライパンとおたまを装備した妹の自室侵入を許していただろう。

 特に夜更かしをした訳ではないが、おそらく良くない夢を見たせいだ。

 詠真は額に手を当て、軽く頭を振る。


「……おはよう、父さん、母さん」


 もうこの世には居ない両親に向け挨拶を投げ、リビングの戸を開いた。

 ふわり、と。視界を横切ったのは可愛らしく揺れる黒い二本の髪の束。キッチンとテーブルを忙しなく行き来するソレは、学校の制服の上からピンクのエプロンをかける可憐な少女のツインテール。彼女は木葉英奈。詠真の妹であり、唯一の家族である。


「あ、起きてたんだねお兄ちゃん。おはよう」

「おはよう、英奈」


 テーブルに朝食が盛られた食器を置いた英奈は兄の前までぱたぱたと駆けると、にこりと見上げて、ずいっと頭を差し出した。

 詠真はその頭をがしがしと撫でる。英奈は犬のようにふにゃりと顔を緩ませる。

 このワンセットはもはや兄妹の日課とでも言える見慣れた光景で、その光景からも分かるように、二人は幸せな兄妹──シスコンとブラコンである。


「お兄ちゃん起きるの遅かったし、はやく食べて食べて」

「おう、今日も今日とて美味そうだ」


 テーブルの上に並べられているのは、ごく一般的な和の朝食。粒が立った白米、湯気から味噌の香り漂う葱と豆腐の味噌汁、ふんわりと仕上がっただし巻、あっさりとした塩味がクセになる焼き鮭、白と黄が鮮やかな大根の漬物。英奈が毎日早起きして用意してくれる至高の朝食を前に、詠真の胃袋が声を上げて急かしてくる。


「ふふ、じゃあいただきます」

「いただきます」


 胃袋が満たされるにつれて全身に血が巡っていく。朝に弱い詠真が一日を円滑に進めていくためにも、英奈の手料理というのはかかせないものとなっていた。

 そのせいだろう、詠真は料理の類が一切できない。英奈が居なければインスタント食品生活まっしぐらだ。詠真自身がそれを自覚している。


「英奈、お兄ちゃんと結婚しないか」

「しません」

「なんで」

「だってまだ結婚できる年齢じゃないし……」

「そういう問題なの? 待つよ、お兄ちゃん待つ」

「ま、待たなくてもいいよ! バカなこといってないで食べて!」

「英奈を? いやそれはまだ早いっていうか、果実を食べるなら熟れてからっていうか」

「表情一つ変えずに変なこと言わないでください!」


 ゴンッ! と詠真の脳に衝撃が響く。突然頭頂部にフライパンが落下してきたのだ。

 もちろん、頭上に棚など無ければ部屋に投擲の仕掛けがあるわけでもない。

 この現象は、英奈の意思によって起こされた『超常的現象』である。


「いつつ……もう少しお兄ちゃんには優しくだな……」

「べ、別にワザとじゃないもん!」


 顔を紅潮させてそっぽを向く妹の横顔を詠真は半眼で数秒ほど見つめた後、呆れるようにため息を吐いてフライパンをキッチンの棚に戻した。

 キッチンの棚のフライパンが一瞬にして詠真の頭上に移動し、落下した。それは何一つ間違っておらず、言葉通りの現象が現実に引き起こったのだ。

 英奈の意思であり、無意識に起こされた現象。

 彼女はまだ──自分が宿す『超能力』をきちんと制御できていなかった。


「あんまり感情的になるなよ。次は何を『飛ばす』か分からないんだから」

「感情的にさせたのはお兄ちゃんだよ!」

「ほう? それはそれは……勉強熱心なことで」

「な、なにが……? 英奈は勉強好き、だよ? なんかおかしい?」


 英奈の声は妙に震えており、その様子に詠真はにたにたと笑みを浮かべている。


「白々しいなあ、ウチの妹は」

「し、白々しくないよ!」

「果実」

「!」

「熟れた果実」

「!?」

「妹はさながら禁断の果実ってとこか」

「き、禁……!?」


 英奈の顔は更に紅潮していき、まさに果実、熟れた真っ赤なリンゴの様だ。


「なあ英奈、お前の頭の中じゃどんな妄想が繰り広げられているんだよ……」

「も、ももも妄想なんてしてないにょ! からかわないで!」


 直後、詠真の頭頂部を襲ったのは大きめの鉄鍋だった。


    2


自然的に発生した、人為的に超常を起こす力──『超能力』。

 力の種類は様々で、一切の無から火や水を生んだり、身体能力の局所的な強化や生身で空を飛べる者もいれば、特定に物理現象を過程をすっ飛ばして発生させたりと、本当に多種多様で全てを把握することは困難を極めるだろう。

 超能力の起源は一世紀以上前と言われ、何が原因で突如そのような力を持った人間が生まれ始めたのかは定かではない。が、そんな異質な力に対して世界は強い反発感を持たず、殆どの国は平等の人権を約束した。

 それでも人間は一つではない。世界や国ではなく超能力を持たない一般人という視点から見た時、超能力を持つ者『超能力者』は綺麗には映らない事の方が多かった。

 それでも力を隠して生活すれば問題なく暮らすことが可能であり、多少窮屈でも超能力者は『普通の人間』として生きていく者が大半を占めていた。

 ──だがそれは、人間関係のいざこざを生まない為……だけの理由ではない。

 超能力者を脅かす最も恐ろしい問題は、彼らの誕生と共に纏わりついていたのだ。

 『超能力者無差別殺戮事件』

 一世紀近く前から世界中で発生し続けている殺人事件で、被害者は超能力者とその家族などに限定され、殺害方法に明確な決まりはない。

 犯人は依然として見つからず、当初は組織的な犯行だとして大々的な捜査が行われていたのだが、いつしかこの事件は『現象』であるとされ、警察や政府は動かなくなった。

 超能力者はついに国から、世界からも見放されたのだ。

 ──だから、彼らは楽園を求めた。

 超能力者保護機関『天宮島』。

 太平洋北西の洋上に建設された五つの浮島から構成される人工島で、この島は超能力者やその家族に対して無条件での移住を確約しており。島の中では『現象』は起こらない。

 まさに楽園。彼らの為に作られた『超能力者の国』。

 その楽園の地で、木葉兄妹は互いに支えあって生活していた。


「お兄ちゃん、忘れ物はない?」

「大丈夫、多分」


 詠真は汚れの無い白い制服のポケットを弄ってから適当に答えた。その適当さに心配を隠せない英奈はもう一度だけ確認する。


「……忘れ物はない?」

「大丈夫、ゼッタイ」

「英奈、知らないからね! ってもう、ちょっと待ってお兄ちゃーん!」


 家を施錠して追いかけてくる妹の気配を背中に感じながら、詠真は顔に張り付く桜の花弁を指で摘んで風吹く空にリリースした。

 春。詠真は今年から高校二年生となり、英奈は二つ下の中学三年生。互いに入学式は先日行われ、実質今日から新たな学年と新たなクラスで一年間を過ごしていくことになる。

 小走りで追いついた英奈は兄の隣に並んで歩き、肩を抱こうとしてきた兄の手をバシンと容赦なく叩き落とした。


「兄妹仲睦まじい姿をお見せしようと思っただけなんだが」

「は、恥ずかしいからダメ」

「いっそのこと彼氏と間違えられて、英奈に近寄る男を未然に防ぐべきだろうか」

「それは大丈夫だよ。お兄ちゃんよりカッコいい人なんか居ないもん」

「そうか英奈はお兄ちゃんが好きか」

「好きだよ?」

「お前は変なとこで素直だな。可愛い」 

「褒めてくれるのは嬉しいけどそういうのは家の中だけでお願いします……」


 耳まで真っ赤にして俯く英奈が愛らしくて仕方ないシスコン兄貴だったが、これ以上照れさせても可哀想なので、頭を撫でてやることで肯定の意思を示した。

 撫でられるのは家の中でも外でも構わないようで、本当に犬っぽいなと詠真は笑う。

 しっぽがあれば残像を生む勢いで振られているに違いない。


「今度耳としっぽ付きでコスプレさせてみようかな」

「んー? なんか言った?」

「言ってないぞー、ほーれよしよしよし」

「……顎はやめてお兄ちゃん……」

「すまん、つい」

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