第5話 四大元素Ⅳ
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「──ということがあってな、お兄ちゃん今から出かけてくるわ」
鈴奈との模擬戦が終わり、帰宅した詠真は先に帰宅していた最愛の妹に事の顛末を話し、誤解を与えないように話し、誤解されていないことを祈りながら言葉を待った。
「私も行く」
「……え?」
「私も一緒に行く!」
「……なんで?」
「私も舞川さんと会いたいから二人のデートに着いていくの!」
輝かせた瞳の奥に垣間見える黒い何か。英奈は断固として譲らない意思を示し、これから木葉兄妹と舞川鈴奈の三人でデートすることが決まってしまった。
どうしてこうなったのか。時間は約一時間前に遡る。
☆ ☆ ☆
生徒会室に再度呼び出された詠真と鈴奈は、模擬戦の内容に関して生徒会長から三◯分もの間鳴り止まぬ説教を食らう羽目になった。
半分寝ていた詠真は鈴奈に揺すられ、「もういいでしょう」と滴の声で目を覚ました。
「お説教ありがとう生徒会長。おかげで目が覚めたよ」
「おかげでよく眠れたの間違いでなくて? 鉄板座布団の出番かな」
「次は目覚めぬ眠りに落ちてしまいます。ごめんなさい。やめてください」
「それは残念です。ようやく正しい使い方が出来ると思ったのに……」
露骨に落ち込む滴を見て、この人ほんとは俺のこと大嫌いなんじゃね? と感じてきた詠真は端末を確認。英奈からのメッセージが一件届いていたので開いて黙読する。
『お昼ごはん一緒に食べようと思ってたんだけど、お兄ちゃん今どこ?』
イカン、マイシスターが寂しがっている。
「とりあえず参加は決まったし、俺もう帰りますね」
詠真はすくっと立ち上がると、カバンを持って生徒会室を出ようとした。
──ゴンッ! と扉に鉄板座布団が投げつけられ、詠真の身体が硬直する。
「まだ話は終わっていませんよ、木葉くん」
「……あ、あいさー……」
額に冷や汗を滲ませた詠真が椅子に座りなおしたのを確認してから、滴がこう告げた。
「とは言え最後の話はすぐ終わります。単刀直入に、二人にはこれから商業区へデートに行ってもらいます」
「……は?」
「それは、どういう意図でしょうか?」
詠真も鈴奈も困惑した様子を見せ、滴はこれでもかという眩しい笑顔を浮かべて、
「交流試合は明日です。少しでも円滑なコンビネーションを実現する為、デートを通じて二人の仲を縮めてきてください」
☆ ☆ ☆
「──という訳なんですね」
「訳なんですねじゃないわよ。なんで貴方は妹を連れてきたのよ……」
妹が着いてきてしまった。
妹を連れてきやがった。
「……シスコンなの?」
「否定はしないが違うんだ。英奈が……妹がどうしても舞川に会いたいらしく……」
二人がぼそぼそと話している間、渦中の人物である妹・英奈は初めて見る舞川鈴奈の顔をじっと見つめていた。
その目は完全に、見惚れている目だった。
「……綺麗……お兄ちゃん、こんな綺麗な人と知り合いだったんだ」
「んまあ、知り合いというかなんというか……すまん舞川、このまま帰らせるのも可哀想だし今日は英奈入れての三人で頼むわ。互い二人だと気まずいだろうし……どうだ?」
「……別にいいわよ。何も貴方と二人きりじゃないと嫌ってこともないし」
「さんきゅー。ほれ、英奈戻ってこい」
詠真が英奈の肩を軽くゆすると、文字通り彼女の意識が現実に戻ってくる。
やってしまった! と顔を紅潮させた英奈はすぐさまぺこりと深く腰を折った。
「は、初めまして! 木葉英奈です! 兄がいつもお世話になってます! ご迷惑とかかけてないでしょうか!? って今は私がご迷惑かけてるんだった……! 勝手に着いてきてしまってごめんなさい! でもどうしてもお兄ちゃんのデート相手がどんな人なのか気になってしまって……と、とても綺麗な方でびっくりしました! あの、えと!」
「ぷっ、ふふふ。落ち着いて。気にしてないわ」
英奈の一生懸命な姿につい吹き出すように笑ってしまった鈴奈は、詠真の顔を見てやれやれと肩を落とし、彼の妹の頭を数回優しく撫でる。
「ふぇ……」
「お兄さんだけより貴女が居た方が楽しそう。こちらこそよろしくね、私は舞川鈴奈よ」
「は、はい! えっと……なんてお呼びすれば……」
「好きな呼び方でいいわ。なんでも大歓迎よ」
「じゃ、じゃあ……鈴奈ちゃん!」
「はい、では行きましょうか英奈ちゃん」
そんなこんなで、木葉兄妹と舞川鈴奈のデートが始まったのである。
先行して歩く二人の背中を眺めながら、詠真は唇をとんがらせて呟いた。
「……俺の妹をあんな容易く手懐けるとは……お兄ちゃんピンチなのでは!?」
☆ ☆ ☆
四基を構成するのは、繁華街エリアの一三区、歓楽街エリアの一四区、アウトドア関連施設や環境が充実した一五区の三つの区だ。浮島一つを全三区で埋めているだけあってそれぞれの面積は広く、一五区には人工海浜が設けられるほど。今年も夏になれば英奈を連れて海に行こう、水着はビキニを着せるぞと詠真は決意しつつ、少女二人が談笑しながら入っていく建物を見上げた。
ショッピングセンター『ミルキーウェイ』。白を基調に『
もし鈴奈と二人で訪れていたら、そしてそこをファンクラブの連中に目撃されたらと、考えただけでも背筋が凍る詠真をよそに、少女二人は見取り図を眺めていた。
「英奈ちゃんは行きたいとこあるかしら?」
「そうですね~……────に行きたいです……」
「あら、お兄さんが居ても大丈夫なの?」
「お、お兄ちゃんの感想も欲しいので……」
鈴奈はじっとりとした半眼で詠真を睨む。
「……なに?」
「一線超えてないでしょうね?」
「俺の倫理は正常なんだが」
「ならいいけど。じゃ行くわよ」
「決めたのか? どこ」
「ランジェリーショップ」
「あ?」
「ランジェリーショップ」
☆ ☆ ☆
「鈴奈ちゃん……大胆です……」
「そうかしら? 英奈ちゃんもレース似合うんじゃない?」
「へ、そ、そんな私みたいな子供じゃ早いですよぉ!」
「例えば……これなんかどう? ピンクとハート模様で子供っぽさを見せつつ、黒レースが少し背伸びをさせてくれるわよ。あ、でもこれ透け感が強いかなぁ」
「す、透け……穿けません着けれません恥ずかしすぎます……」
というような会話を店の外で聞かされている詠真は額に拳を当てて酷く悩んでいた。
混ざりたい。だが羞恥心が邪魔をする。
「舞川……お前、ピンクとハート模様で子供っぽさを見せつつ、黒レースが少し背伸びをさせてくれるわよ。あ、でもこれ透け感が強いかなぁて何なんだ……! どんな下着なんだよ……! 透け感が強いって、透け感ってお前……!」
気になる。気になりすぎる。詠真の中で天秤が傾き始めた。
愛か、羞恥心か。羞恥心か、愛か。動け、動け木葉詠真。
──行くぞ、俺は。
決心し、身を翻した。目の前にはお馴染となった半眼少女の顔があった。
「何やってるのお兄さん」
「戦ってた。で勝った」
「それ負けたの間違いじゃない?」
「試合に負けて勝負に勝った的なアレ」
「意味分からないしどうでもいいから早く来なさい」
振り返った鈴奈のツインテールに顔面を襲われながら花園へ入店した詠真。
何となしに甘い香りがするのは気のせいだろうか。
……舞川の髪の匂いか。
「あ、お兄ちゃん遅いよ」
「すまんお兄ちゃんにも色々あってな」
「ねね、これ……変かな?」
そう言って英奈がずいっと差し出したのは、ピンクをメイン色に小さなハートを散りばめて黒で縁取ったレース生地の下着セット。薄い。透け感が強い。
先刻鈴奈が勧めていたのはこれだなと『透け感』を理解した詠真は、買物カゴを持ってくると黙ってその下着を放り込んだ。
「いい機会だ、舞川チョイスで何セットか買ってしまえ」
「ええー!? お兄ちゃんまで!?」
鈴奈と比べ小ぶりなツインテールをブンブンと揺らしながら顔を赤らめた英奈は、まだ早いんだよぉと必死に抗議するも、高校生二人は聞く耳を持たない。
「舞川、ピンクよりも少し赤が強めのローズピンクなんてどうだろう」
「そうね、赤一色は派手すぎるけど、ローズピンクなら。あ、これはレースじゃなくてサテンなんだけどライトグリーンなんてのも良さそうよ」
「爽やかなアクアブルーも捨てがたい」
「どうせならTバックも一着ぐらいあってもいいかもね」
「絶対外出るときはスパッツ穿かせるぞ。お兄ちゃん以外の男に妹の下着を、ましてや小ぶりで形のいい尻を見せる訳にはいかんからな。断じて許せん」
「ごめん流石にキモイ」
「尻がデカい女は黙ってろ」
「暑いなら
「既に舞川の視線が冷たいので丁度いいです、はい」
「二人とも言い合いしながら大胆な下着ばかりカゴに入れていくのやめて……」
英奈の懇願が通じたのか、容赦ない二人は下着を三セットに絞ることで決着をつけた。
……どのような下着を購入したのか、それはお兄ちゃん権限で割愛する。
☆ ☆ ☆
「もう、二人ともなんで変なとこで気が合っちゃうのかな」
場所はフードコート。平日の昼下がりということで休日ほどの活気はないが、柊学園同様午前で授業を終えた学生の姿をちらほらと見かける。
ミセスドーナツという天宮島で有名なドーナツ専門店で数種類のドーナツと飲み物を頼んだ英奈は、転ばないように足元に気を付けて二人が待つ席へ戻る。
「っと……申し訳ない」
「こ、こちらこそすみません! 服汚しちゃったかな……」
店前でスーツ姿の壮年の男性とぶつかってしまい、ドーナツと飲み物が床に落下。幸い男性のスーツが汚れることはなかったが、革靴が飲み物で濡れてしまっていた。
あわあわと慌てる英奈だったか、男性は少しも怒ることはなく、
「気にしないでくださいお嬢さん。それより折角購入したものを台無しにしてしまったことが悔やまれます。少し待っていてください」
優しい声色で言って全く同じものを購入してきた。それを英奈に差し出し、どうかお気になさらずと言い残して去っていく。大きな声で呼び止めるのも躊躇われた英奈は、その場で腰を折ることで感謝の気持ちを表した。
「勿体無いことしちゃったな。お兄ちゃんに謝らなきゃ」
今度はぶつからないように慎重な足取りで席へ戻っていく少女の気配を背中に感じながら、スーツの男は掌で顔を覆い、クツクツと喉を鳴らして笑う。指の間から覗く瞳は微塵も笑っていなかった。
「えぇ、たくさん謝っておきなさい。後から悔やまないようにねぇ」
☆ ☆ ☆
「可愛い妹さんね」
「英奈は世界一可愛い生物だからな」
「お兄さんはだいぶキモいけどね」
「俺は世界一キモイ兄でも世界一英奈を愛してる男だからな。問題ない」
英奈がドーナツを買ってくると進言した為、少しの間だけ本来の『二人デート』状況になった詠真と鈴奈は、本当にどうでいい会話ばかり繰り広げていた。
「そういえば尻がデカいを取り消してもらってないんだけど」
「サイズは?」
「よくもまあそんなナチュラルに聞けるわね……」
「冗談だ」
「上から八三、六◯、八六よ」
「あ、教えてくれるんだ」
「いいわよ減るもんじゃないし。で、どうなの?」
「知らん。英奈よりデカい」
「当たり前でしょ……」
呆れたのか鈴奈はテーブルに頬杖を突き、じっと詠真の顔を眺め始めた。
よく分からないが詠真も眺め返してみる。
思えば、舞川鈴奈はかなりオープンな女性だと言える。今日一日、まだ数時間しか時間を共にしていないが、それは言動の数々から見て取れる。なぜそこまで、そう考えて、詠真は一つの答えを導き出した。だがスリーサイズを聞くより失礼にあたるだろうそれを、簡単にぶつけてしまっていいものかどうか。いや、限りなくダメだろう。
悩んでいるのが顔に出ていたのか、鈴奈が冷淡な口調で、
「何か言いたいことでも?」
「……かなり失礼ことを尋ねたいと思って」
「いいわよ、言ってみなさい。尻がデカい以上に失礼なことがあるのならね」
詠真は肌の体感温度が低下した気がした。鈴奈の口から薄っすらと白い冷気がもれているのは気のせいだと思いたい。
意を決して、
「舞川ってすげえオープンじゃん? いやオープンってのも変だけど、パンツ見られても怒らないしスリーサイズ公表も躊躇いないしさ」
「ええ、それが?」
「なんつうか、舞川って自分に相当な自信持ってんのかなって」
「ええ、それが?」
「へ?」
「だから、それが? まあ自信を持っているというより、見られて恥ずかしい身体だとは思ってないだけよ。自分から見せびらかしたい痴女だと思った?」
「流石にそこまでは。でも良かったよ、英奈が痴女に懐いてなくて」
「貴方、結構言葉選ばない人よね」
「英奈以外興味ないだけですね」
あっそ、と流した鈴奈の口元は微かに笑っており、一体何が理由か分からないが、詠真はほんの少しだけ彼女との心の距離が近くなったような気がした。『薄氷』と揶揄されてる彼女も、氷を溶かしてみれば普通の女の子。もっとクラスメイトと交流すればいいのにと思ってしまうのは詠真のエゴだ。彼女にも彼女なりの理由があるのだろ。そこばかりはデリケートな問題、軽く突っ込むような下手は流石の詠真でも打とうとは思わない。
「なあ、舞川」
「何かしら?」
「模擬戦で俺が勝った時の約束、覚えているよな?」
「もちろん。負けた私は貴方の望みをなんでも聞く。さあ、奴隷に初めての命令をしてみなさい? 何がお望みかしら?」
奴隷のくせになぜか態度がデカいことにムカッときたが抑えて、詠真は一つ訂正する。
「命令じゃなくて、頼みでもいいか? 嫌なら断ってくれて構わない」
「勝者の余裕かしら? 貴方がそう望むならそれでもいいけど」
今日一の真剣な眼差しで見つめてくる詠真の気迫に、鈴奈は頬杖をやめて息を飲んだ。
一体何を頼んでくる気なの……?
自ら言った手前撤回する気など毛頭ないが、ここにきて少しの緊張を覚えた。
数秒たっぷりと間を置いて、詠真は『頼み』を口にした。
「これからも、たまに英奈と遊んでやってくれないか?」
「……へ?」
「いやだから、これからもたまに英奈と」
「いい、いい。聞こえた聞こえたわよ」
言い直すのを制止して、鈴奈は深いため息を吐いた。どんなヤバい頼みをしてくるのかと覚悟していたら、まさかそんな言葉が出てくるとは予想もしていなかったのだ。しかし考えても見れば。彼は重度のシスコン。妹関連の話で必要以上に真剣になるのも当然と言えば当然なのかもしれない。そんな言葉で片付けるのは酷いというものだろう。
鈴奈は迷える子羊みたいな瞳で答えを待つ妹想いの兄に、正直な気持ちでこう答えた。
「この先ずっとって保証はできないけど、それでもいいなら。でもそれは。まず彼女がどうしたいかを聞くべきではなくて?」
「そうですよ、お兄ちゃん」
その可憐な声と共にテーブルにトレーが置かれ、兄と兄の友達に一つずつドーナツを手渡した英奈は卑怯なまでに愛らしい満面の笑みを浮かべていた。
「鈴奈ちゃん、私とお友達になってください」
「はい、喜んで」
鈴奈は握手の代わりにトレーからドーナツを一つ手に取って差し出し、受け取った英奈の表情は友達というより『お姉ちゃん』に甘える妹のようだった。
「ありがとう鈴奈ちゃん!」
「ふふ、いいのよ。友達……ですものね」
その様子を無言で眺めていた兄は、唐突に迫ってきた危機に身を振るわせていた。
「おかしい……妹の好感度はキューピッドになった俺に注がれるはずなのに……なぜか総て持っていかれた気がするんだが……! お兄ちゃん大ピンチ……!?」
「お兄ちゃん」
「英奈……」
英奈はぶつぶつとぼやく兄の口元に自分が一口食べたドーナツを近付けた。
これはいわゆる『あーん』である。
「はい! あーんして! これ美味しいよ!」
「英奈……!」
「ほらはやく~」
「やっぱりお前は俺に妹だよ……あーん。……美味い」
兄の苦悩は妹の『あーん』一つで吹き飛んだのであった。
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