第22話 総ては君の為にⅥ

 空を浮遊する詠真はマンションの屋上に立つサフィラスと睨みあっていた。

 既に打倒の作戦は考えついている。後はあの男をポイントまで誘導することが出来ればいいのだが、魔法使いの底というのが全く知れていない。

 まずはその手の内を明かさせることから始めるべきだろう。

 詠真の瞳は緑と茶。マンションの屋上から石柱を出現させると、サフィラスは躊躇せず屋上から飛び降りた。落下の直前に足元から薄青く光る円状の模様が浮かび上がり、地面ではなくその模様の上に立つことで衝撃を殺したようにも見えた。模様が消え、難なく地上に降り立ったサフィラスは、身体の前に手を翳すと、翳した手を中心に再び光る模様が浮かび上がり、


「これは魔法陣と言ってね。魔法の設計図みたいなものだよ」


 設計図と言われても詠真の目には奇怪な模様が描かれているようにしか見えない。

 だがその魔法陣というのは、どうやら魔法発動に欠かせないプロセスのようだった。

 サフィラスは空で動かない詠真に口角を吊り上げると、何かを唱え始める。


「衝動を許そう。成就を許そう。失望を許そう。

 其が身は理解できない夢である──喰い殺せ、キマイラ!」


 確定させるように言い切った直後、浮かび上がった魔法陣から腕が伸びた。それは人の腕などではなく、獣の前足。そこから一気に這い出てきたのは、青白い色に包まれ異様な姿をした──氷の巨獣だった。頭はライオン、胴体はヤギ、尻尾は毒蛇。体躯はおよそ五メートルはあるだろう。まさにキマイラと呼ぶに相応しいその氷獣は、空に滞空する標的を定めて、鋭い牙を剥く。


「それが魔法……か」

「クヒヒ、言っても分からないと思いますがねェ、僕の有する属性は氷属性。そして氷属性が内包するのは『生成』と『停止』の概念なんですがね? 特に『生成』を得意とする僕はこうして使い魔を生み出して戦う魔法使いなんですよねェ!」


 サフィラスの感情に応じるかのようにキマイラが咆哮し、その獣口から氷のアイスブレスとでも表現できる青白い息吹が上空の詠真目掛けて放たれた。

 触れたらヤバいと直感的に悟った詠真は翼となる竜巻を操って大きく後方へ移動。しかしアイスブレスはそのまま縦に方向を曲げ、咄嗟に竜巻を四枚重ねて前方に翳した。

 アイスブレスに接触した竜巻が瞬く内に凍結を始め、砕け散った。詠真はわざと態勢を立て直さずあらぬ方向に落下することでブレスを躱しきり、そこで再び飛行に移行してキマイラの背後まで最速で旋回飛行、茶の瞳が赤に染まる。


「氷ってことはやっぱ、火が効くのか?」


 両掌をキマイラに向け、風と火を混合させた火炎旋風を打ち出した。


「チッ、キマイラ! 凍らせてしまえ!」


 キマイラのアイスブレスと火炎旋風が正面からぶつかり、鬩ぎ合う。

 膠着は僅か。火炎旋風が先端から氷に蝕まれていき、詠真はその上から更に火炎を増加させることで劣勢から脱却を試みる。それでも威力は魔法に及ばないようで、アイスブレスの脅威が詠真との距離を確実に詰めてくる。


「にゃろッ!」


 『赤い火』──赤炎に加え、『青い火』──蒼炎を混ぜ合わせた赤蒼の火炎旋風で火力の大幅増加を試したところ、アイスブレスを押し返し始めた。その隙を見逃さなかった詠真は背中の竜巻を二本操作し、蛇のようにうねる翼でキマイラ本体を狙い定めた。

 左右から襲い来る竜巻の叩き潰しに対して、サフィラスは既に対策を講じていた。


「呪いを背負いし異端者よ、地獄の六圏より出でて

 其が暴力を振るうがいい──叩き潰せ、ミノタウロス!」


 キマイラの両隣から出現した二体の牛頭人身の氷獣はその体躯が三メートル近くあり、その手には体躯と変わらぬ大きさの氷斧を携えていた。

 その姿に、詠真の目が見開かれた。


「……あ、れ……は!?」


 二体が同時に斧を振り下ろし、挟撃を狙った竜巻は文字通り叩き潰される。

 その反動から僅かにバランスを崩した隙をアイスブレスに押し込まれ、このまま迫り合うのは危険と判断した詠真は火炎旋風を維持ではなく切り離すことでアイスブレスから退避する一瞬を稼ぎ、一◯◯メートル以上の距離を離して次なる攻撃に警戒態勢を敷いた。


「あの……怪物は……」


 詠真の脳裏に過るのは、一◯年前の光景。両親を殺した二人組、その一人が生み出した半人半牛の氷の怪物の姿。サフィラスが召喚した怪物は、それと酷似していたのだ。

 思い出せ。あの時の事を隅々まで思い出せ。

 丁寧な言葉遣いをする男。氷の怪物。黒マント。

 ──言葉を思い出せ。何か、決定的な言葉があったはずだ。


『もう茶番は良いでしょう。殺しなさい』

 違う。

『超能力者が『二人とも』生きていますが、誰が遊んでも良いと?』

 違う。

『す、すみませんマドギール様! でもまずは抵抗させるのがセオリーなのでは……』

 ──これだ。詠真は目の前に居る男の正体を、掴んだ。


「サフィラス……マドギールッ!」


 氷の怪物を操る魔法使い──一◯年前、両親を殺した仇。

 あの男は、両親だけでなく妹すらも詠真から奪い去ろうとしている。

 奥歯を噛む、歯が欠けるほどに。長年調べ続けても分からなかった存在が、わざわざ向こうから現れたのだ、これは──正真正銘、復讐の時なのだ。


『その場の怒りと、これからの英奈ちゃんとの時間。どっちが大切なの?』

『もっと冷静に、それでいてその怒りを失わないで』


 鈴奈の言葉が脳内に響く。

 両親の仇、妹の誘拐。もはや詠真にあの男を殺す躊躇いはない。

 だが、そうすればもう戻れない。戻れなくていいと思う反面、残された英奈がどれほど辛い思いをするのかなど、身をもって知っている。

 天秤が揺らぐ。己の復讐か、英奈か、何方を優先するべきか。


「……決まってんだろ」


 決まっている。天秤にかける必要性すらないのだ。


「英奈を一人にはしない。もう二度と、英奈から何も奪わせない」


 ──だから俺は、


「魔法使いだろうが何だろうが、ぶっ飛ばすッ!」


 吐き捨てて、違和感がある左足を見下ろす。靴の爪先から足首までが氷結しており、アイスブレスをほんの僅かに掠っただけでこの様だ。

 直撃でも喰らえば一溜りもないだろう。だがこの程度なら火で溶かすことも可能なようで、氷から解放された足は問題なく稼働する。


「怪物が三体。あの牛がいなけりゃライオンも突破できそうだな」


 周囲を確認する。あるのは崩れかけた廃屋や廃マンション。これを利用しない手はないだろうと考えた詠真は、進撃を始めた怪物三銃士を見据える。

 まず攻略すべきは二体の牛人間、ミノタウロスだ。

 その前に一つ、確認すべきことが残っている為、詠真は更に距離を離すと下降し、マンションの影から影に移動しながら敵の様子を観察する。

 距離があるだけにハッキリとは見えないが、敵は詠真の姿を見失っている様子だ。

 怪物をそれぞれ散開させて捜索しないところからしても、あれら怪物は総てサフィラスが操作しているものとみて間違いないだろう。サフィラスが見えないモノは見えない、隙を突くならまずそこから攻めてみても悪くはない。

 ……ふぅ。俺、妙に落ち着いてるな。

 冷静に、それでいて怒りを忘れるな。もう一度鈴奈の言葉を脳内で想起する。

 どうにもここ数日の詠真の精神は鈴奈の言葉が支えになっているところがあった。

 彼女と短くも濃い体験を矢継ぎ早に経験したせいもあるだろう。いつでも冷静な判断を下しながらも怒りの片鱗を垣間見せてきた彼女だからこその説得力。それがここに来てようやく実を結ぶとは、なんて学習の遅い人間なんだと詠真は自分に飽き飽きする。

 だが最高の場面だ。英奈を取り戻せるかそうでないかを賭けた戦闘で、これほどまでに冷静な思考を維持できるのは詠真は一人では到底成しえていない。彼女と居たからこそ総てを取り戻すために必要な力を身に着けることが出来た。

 これで取り戻せなくては総てが嘘になる。必ず、すぐ側にある幸せを救い出す。

 最も優先すべきは、復讐よりも英奈だということを忘れるな。

 詠真は自分に言い聞かせて、一際大きなマンションに挟まれた路地で足を止めた。


「……この辺がいいか」


 敵の注意を退く前に、この場所に怪物退治の仕掛けを施しておくのだ。

 瓦礫から突き出した鉄骨を見えている根元部分から火で溶断し、それを素早く掻き集めるだけ掻き集め、マンションの一室に移動。地でドラム缶程の岩の容器を作成し、容器の中を大量の水で満たした。更にドラム缶に蓋をするように、かなり粗く生成した岩の容器を被せて、その中に鉄骨を放り込み、鉄骨をどろどろの液体になるまで溶かし尽くす。

 それもう一件にも設置。これからが時間との勝負だ。液体になった金属が容器を溶かして水の中に零れ落ちる少し前に、怪物を路地に誘い込まなくてはならない。

 詠真は路地から飛び出すと、前方二◯◯メートル先を進む怪物三銃士とサフィラスへ竜巻の翼を伴って──一直線に突っ込んだ。

 気配に気付いたサフィラスが振り向き、予想通りキマイラのアイスブレスが放たれる。凶悪とは言え基本は一直線の攻撃、専念すれば何とか躱しきれる。

 詠真は急激に上昇してアイスブレスを回避。だがアイスブレスは放たれ続ける状態でライオンが首を持ち上げることで軌道を強引に上へ曲げて追ってくる。身体に負担をかけることは承知で全身を左にひねった詠真は空中で数回転しながら建物の外壁に足を着き、そこにもしつこく追ってきたアイスブレスの下方を潜り抜け、襲い掛かってきたミノタウロスの攻撃を躱すことも考慮した、アイスブレスを芯とした螺旋飛行を敢行した。

 速度を維持したままの無理な飛行は身体が軋む音が鼓膜を震わせるほどで、しかし無理をしなければ時間に間に合わない。


「ぐうううぬうああああああ!!!」


 竜巻の勢いを調節して角を直角に曲がって路地に侵入し、詠真が半分程度進んだところで二体のミノタウロスが路地に入りこんだ。


「来い……来いッ!」


 詠真が祈る。仕掛けが作動する最高のタイミングは、今なのだ。

 ──直後。一◯区全体に爆発音が轟いた。

 詠真の仕掛けた罠が作動。超高温の液体鉄が水に零れ落ちた瞬間、二件のマンション内部で水蒸気爆発が発生。既に半壊していた廃マンションは呆気なく崩壊を始める。

 それらに挟まれた路地に閉じ込められたミノタウロスは爆発の衝撃と降り注ぐ無数の瓦礫に押し潰され、その下から這い出てくることはなかった。

 衝撃と爆風を背中に浴びた詠真は火傷に顔を歪めながらも手応えを感じ、そのまま飛行を維持してサフィラスを更なるポイントへ誘き寄せようと、離れた場所からアイスブレスに警戒しつつ爆風が晴れるのを待った。

 晴れた時、サフィラスは新たな魔法陣を展開していた。


「惑わしの妖婦よ、歌え。美しき音色を響かせ、歌え。

 其に求めるは、狂わせの歌いのみ──奏でろ、セイレーン」

「また別の怪物かよ、マジでキツイぞ……ったくッ!」


 魔法陣から出現したのは、上半身が人間、下半人が鳥の氷獣。腕は鳥の翼になっており、セイレーンは詠真と同等の高度まで上昇。

 詠真の数少ないアドバンテージだった空の支配が揺らぐ。空中戦を行いながらアイスブレスを警戒するなど、右を見ながら左を見ろといわれているようなものだ。

 とりあえず距離を離して追わせることが重要であり、ポイントにさえ誘導してしまえば詠真は勝利を得られると確信している。

 だがそう何度も上手くことが運ぶわけがなかったのだ。

 セイレーンが口を開き、声が発せられた。


「ラ────────────」

「ッ!?」


 詠真の耳の中を掻き回すような不快極まりない不協和音が聴覚を侵し、能力を維持できなくなった詠真はマンションの屋上に落下。打撲の痛みが全身を襲い、同時に視界が酷く歪み強烈な吐き気を催した。立ち上がるが平衡感覚をまるで掴めない。耳には未だにセイレーンの不協和音が聞こえ続け、おそらくあの歌には三半規管か何かに影響を与える効果を持っているのだろう。音が聞こえ続ける限り、魔性の歌声からは逃げられない。

 こうしている間にもアイスブレスが来るかもしれない。迷ってる暇などなかった。

 屋上に転がっていた細く長い釘を取り、それを耳の中に突き刺す。右、左と。鼓膜が破けて血が流れだし、聴覚を侵していた歌声はもう聞こえなくなっていた。

 大きく息を吐き、空で歌い続けるセイレーンを刹那の内に消し炭に変えた。


「歌うだけか、大したことねェな」


 喋った自分の声すら聞こえないが多分治るだろうと今は流し、屋上から下を見下ろす。

 サフィラスの顔からは明らかな動揺が見て取れる。よもやここまで抵抗されるとは思っても見なかったのだろう。

 詠真自身、ここまで凌げたことに驚いているところがある。だが、もはや長続きさせる気はないしそれほど体力も残されていなかった。


「サフィラス、お前はなぜ英奈を誘拐した」

「なぜ、だと? ……クヒヒ、そうするしかなかったからですよ」


 詠真には一切声が届いていない。唇が動いていることは分かるが、読唇術なんて芸を習得した覚えもない。あの男が喋っている間に次の行動を考えることが狙いだが、それもいつまで通じるか分からない為、微塵も気は抜けない。


「な、なぜだッ!」


 それっぽいことを言ってみるとどうやら会話は成立したようで、


「生きる為ですよ。一◯年前、部下を殺された挙句その超能力者を殺し損なねた僕は責任を取って処刑されるはずでした。だが、僕の上官だった使徒が止めたのです。なぜだか分かりますか?」

「…………」

「分からないでしょうね。簡単な話ですよ、奴隷です。僕に自由はないのです」

「ふーん……」


 詠真は次の行動が決まった為、適当に返事をしてキマイラを細めで睨み付けた。


「まあ理解する必要は在りません。手柄を立てて僕が使徒の座を頂く。そうすれば奴隷から解放されるはずなのです。たったそれだけの話なのですから……!?」


 不意打ちでアイスブレスを放つもりだったサフィラスは、何の前触れもなく撃ち出されたバーナーのような蒼い火炎によってキマイラが無抵抗のまま焼き尽くされたという事実に気付くまで、実に五秒もの時間を要した。

 詠真はさも退屈そうな表情を受かべて、自身の耳をトントンと指で叩く。


「悪い。さっき鼓膜破ったから何も聞こえないわ。なんで鳥の怪物を倒したときに気付かなかった? てか、もしかして俺がお前にとって何なのか分かったか?」

「クヒヒ、今の一撃はこの戦闘中最速の発動速度で驚きました。君の言葉の意味は分かりかねますが、僕にとって君はただの手柄にすぎませんよ」


 サフィラスの周囲に三体のキマイラが同時生成される。彼もまた、自身が抱えている事情からそろそろ勝負を決めに来たのだ。

 上等だ。そう強気に呟く詠真だが、最も厄介な怪物が三体も出現したことに軽い絶望感を覚えているのも嘘ではない。それでも、詠真には勝つしかないのだから、この程度の絶望など『英奈を失う絶望』に比べれば、むしろ『希望』にすらなりえるのだ。


「待ってろ英奈。もうすぐ行く」


 詠真は竜巻を携えて浮上する。キマイラ三体を倒すか、サフィラスをポイントまで誘導するのが先か。

 ──どちらも同時に行えばいいだけのこと。

 一体のキマイラに向けて最高速で切り込む。放たれる三発のアイスブレス。それは詠真という一点に対して放たれており、躱す為に急上昇、軌道を曲げて追ってくるアイスブレスを背に感じながら前方へ直進する。すると詠真の予測通り、キマイラは首の可動域の問題から自身の直上まで軌道を曲げることが出来ず、一定の角度で三発のアイスブレスが交錯、互いが互いのブレスを相殺し合って消滅した。

 キマイラ直上。詠真は地面に頭を向けて降下しながら掌を翳す。手を中心に蒼炎が広がると半径二五メートルにもなる円状に展開、直後、円状の炎から噴き出した炎柱がキマイラ諸共地表を焼き尽くした。


「……逃げ足が速いこった」


 キマイラの攻撃が完全に躱された瞬間から距離を取り始めていたサフィラスは、走りながら魔法陣を展開し詠唱を紡ぐ。生成したのは四体のミノタウロス。追撃を使い魔を操作して防ぎつつ、かなり距離を取っただろうと言うところで足を止めた。

 その行動に警戒心を表した詠真は顔から表情を消して


「……逃げるのは終わりか。また新技の可能性があるな」

「こればかりは殺してしまう心配があったのですがね……」


 サフィラスの足元から巨大な薄青の魔法陣が展開する。キマイラ、ミノタウロス、セイレーンのどれとも比較にならないほど強烈なプレッシャーに、詠真の本能が戦闘が始まってから最大の警笛を吹き鳴らしていた。

 ──もう少し早ければ、万事休すだったかもしれない。

 詠真は地上に降り、竜巻を消し去る。


「黄金の林檎を守り抜き、神より星の座を頂きし守護竜よ」


 サフィラスの視界外に逃れると、最後の一手を決める為の『入口』を探し出す。


「其方の使命は終えておらぬ」


 だが近くに『入口』が見当たらず、一度身を隠そうと建物の影へ。そこからちらりと周囲を覗き、怪物の軍勢が闊歩している光景に身を震わせた。

 その時、詠唱が最後の一節を迎える。


「再臨し、黄金の林檎を守り抜け

 其が身を盾に我が身を守り抜け──果実に纏え、ラドン」


 サフィラスの足元に展開された巨大な魔法陣からうねるように出現し、天へ昇っていくの氷の身体を持つ蛇──否、長大な体躯を誇る氷竜である。それはギリシア神話に於いて、神の命で黄金の林檎を守り抜き功績を称えられ星座となったドラゴン『ラドン』を地上に降臨させるというイメージの元に作り上げられた、サフィラス・マドギール最大の魔法。

 ラドンは神に等しき主であるサフィラスの周囲のとぐろを巻き、残る全魔力で生成したキマイラとミノタウロスが地上で建物の破壊を開始した。


「そろそろ終わりにしましょう。君では僕には勝てませんよ」


 サフィラスは空高くにあるラドンの目を通じて使い魔を操作していた。相手がどこに隠れていようと空から見下ろしてしまえばすぐに捕捉できるのだ。更に建物を手当たり次第に壊して隠れ場所を削っていくことで、精神的に追い詰めて、炙り出す。


「このラドンは溶かせない。ただ固い氷と思わないことです。ラドンは氷属性の『停止』の概念を強く宿していましてね。その場に停止する力がすなわち防御力。『進行』でもぶつけない限りは僕に触れることすら叶わない。……クヒヒ、まあ聞こえていませんか」


 確かに詠真は聞こえてはいない。だが察することはできた。

 隠れているだけでは何も解決しない。どころか追い詰められるだけだ。

 建物の影から影へ移動し、怪物を躱しながら『入口』を探す。


「……あった」


 視線の先、三◯メートルほど先に、『入口』はあった。しかし、そこには三体のミノタウロスと二体のキマイラがうろついており近付くことができなかった。ここで攻撃を仕掛けたら居場所がバレてしまい、それは絶対避けなければならない。『入口』に入る瞬間をサフィラスに悟られる訳にはいかないからだ。

 どうする。考えている間にも、一体のミノタウロスが詠真の方向へ歩みだした。

 まずい。鼓動が跳ねる。打開策が思いつかない。見つかれば袋叩きに合うだろう。

 体力や集中力の低下が思考を鈍らせる。もはや、正面から戦うしか──、

 そう覚悟しかけた時、怪物が突如明後日の方向へ走り出した。


「なんだ……?」


 何かを詠真と間違えたのだろうか? おそらく一点に集められているのだ。

 まさに好都合でしかなかった。詠真は怪物が去った後、『入口』──マンホールを開いて下水道の中へ降りていく。


 ☆ ☆ ☆


「手を貸したんだから、勝ちなさいよ木葉クン」


 舞川鈴奈は誰にも聞こえない程小さな声で呟き、ほんの少しだけ上唇を舐める。

 舌先に、──奇怪な文字が浮かぶ極小の円模様が光っていた。 


 ☆ ☆ ☆


 戦闘開始時点で詠真が立てていた作戦は、サフィラスをあるポイントに誘導し、その場に留まっている内に下水道を通じて不意打ちを仕掛け、確実に仕留めるというものだ。

 あるポイントとは、交流試合の時に詠真が使用したマンホールがある地点。そこならば下水道内のどこと繋がっているかを覚えているから場所を間違えることはない。

 一度限りの不意打ち。念には念をいれて実行しなくてはならなかった。

 仮にこれが失敗した時は、頑張るしかないだろう。


「……これで決めればいいだけだ……っ……」


 ふらつく身体を壁で支える。ダメージを受けすぎた上に超能力を使いすぎた。

 集中力が維持できず意識が朦朧としてくる。


「……大丈夫だ……まだ、やれる」


 脳裏に過るのは英奈の笑顔。その笑顔をもう一度見る為に、もう二度と失わない為に、あと少しでこの手が届くのだから、どれだけ苦しくても立ち上がり続けられる。

 ──兄の総ては妹の為に。誓いを、叶える時が来た。


「これで……終わるからな……」


 見上げる、頭上を。伸ばす、両手を。

 そこに立っているだろう者へ、復讐を。

 ……分かってる、ぶっ飛ばすんだろ。

 舞川鈴奈の想いも、この両手に。放つは、残る総てを乗せた最高の一撃。

 父の想い、母の想い、妹の想い。乗せれるモノは何もかも乗せて。

 ……幕引きだよ、魔法使いサフィラス・マドギール。

 ──赤蒼の火炎旋風が地下より地上を焼き尽くす。


 ☆ ☆ ☆


 サフィラスが気付いた時にはもう遅かった。

 片足が地面に沈む。踏んでいたのはマンホール。

 それが一瞬にして溶けだし、穴から溢れ出た火炎がサフィラスを飲み込んだ。


「なッ……なぜ……ぐあ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 身を焦がす業炎。焼かれながらもサフィラスは魔法を発動しようと企む。

 この程度、魔法の前ではただの炎に過ぎないのだから。


「なぜだあ……なぜ魔法が発動しないんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 魔力が掴めない。魔法陣を展開できない。喉が焼けて詠唱を紡げない。

 鉄壁のラドンが掻き消える。使い魔が一体破壊され、その地点に集中させていた街中の使い魔が次々と砕け散っていく。サフィラスの意思ではない。

 ──他者による干渉である。


「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 僕以外に魔法使いが居たのかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 断末魔をあげる魔法使いは天を衝く怒りの炎によって打ち上げられた。

 下水道から姿を現した詠真の近くへ、全身を焼き焦がされたサフィラスが落下。白目を剥いたその男は、完全に意識を手放していた。


「やったか……?」


 詠真は距離を離したまま少し様子を窺ったが、サフィラスに動き出す気配は無い。

 近寄り、その顔を見下ろす。


「…………、」


 詠真の手は、自然とサフィラスの首に伸びていた。

 復讐より英奈を。殺さずにぶっ飛ばす。そう決めていた。決めていたのだが、心の奥に潜む黒い感情が、総てを狂わせたこの男を殺したいと叫ぶのだ。

 首を掴んだ手に力がこもる。このまま、息の根を止める。そうすれば……、


「……そうしても……帰ってこねェんだよ……生き返らねェんだよ……」


 詠真の瞳から大粒の涙が溢れ出す。復讐したい。殺したい。でも、殺しても両親は帰ってこない。殺人を犯せばこの先英奈に独りの辛い思いをさせるだけだ。分かっている。

 ふと、脳裏で両親との最後の会話が再生される。


『そうだなあ、まずは……「許せる心」を持て。もし英奈がお前のおやつを食べてしまったとしても、お前は寛容な心で許せる男になれ』

『俺、そんなんじゃ怒らないよ』

『ははは、詠真はもうその心を持ってるんだな。だけどな、許して良いこととダメなことを見極める目も必要だ。許すか許さないかを判断する時、詠真は「自分だけの視点」で判断しちゃいけない。「他人の視点」にも心を傾け、それから結論を出すんだ』


 自分だけの視点。それは両親や妹を傷つけたことに対する復讐だ。

 他人の視点。サフィラスは魔法使いで、魔法使いは超能力者を無差別に殺す集団。他に何か理由があったとしても、限りなく悪でしかない。それは詠真にとってだけではなく、この世の超能力者総てにとって、魔法使いは純粋悪でしかないのだ。

 ──許す必要なんてないじゃないか。

 自他の視点を照らし合わせて、出た結論はこれ一つ。

 首を絞める手に、本格的に殺しの感情を帯びていく。


『父さんな、デカい男じゃないんだ。きっと、許せそうにない』 

『親ってのはそんな生き物なんだろう。でもな、父さんは「そんな感情」を抱きたくないんだ。母さんだって同じさ。これから何十年先もずっと、お前達の顔を見ていたい』

『孫の顔だって見たいものね。その為にもね……詠真くん、英奈ちゃん。私たちは、少しでも早く「この国」から出なくちゃいけないの』


 今なら分かる。父母が許せそうにないと言っていたのは『現象』に対してだ。

 子供を殺されたら、親として、どんな理由があっても相手を許すことは出来ない。

 そんな感情を抱きたくないから、一刻も楽園に移り住みたかった。

 両親の想いは、サフィラスによって壊されたのだ。

 ──許す必要なんて、どこにもないじゃないかッ!


『お兄ちゃん』


 その言葉が、聞き慣れたその声が、はっきりと聞こえた気がした。

 幻聴だ。幻聴なんだ。これは俺の、弱さなんだ。


『大丈夫だよお兄ちゃん、英奈が居るよ』


 他人の視点──英奈の視点。彼女はきっと、悲しむだろう。復讐を果たしたと報告しても彼女は絶対に喜びなどしないだろう。必ず、涙を流して悲しむだろう。

 他人の視点──両親の視点。彼らは復讐を喜ぶだろうか。親である彼らは、子供に自分達の仇を取って欲しいと思っているのだろうか。彼らが本当に望んでいるのは、息子と娘が強く穏やかに生きていくことなのではないだろうか。空の向こうから、それぞれの孫の顔が見られるのを楽しみにしているのではないだろうか。

 考えるべきは魔法使いの視点ではなく家族の視点なのだと、詠真はようやく気付いた。


『詠真』

『詠真くん』

『お兄ちゃん』


「くそぉ……くそ……ッ!」


 何もかも放り捨てて復讐したいという気持ちはある。だがそれ以上に、復讐など放り捨てて『家族の為に生きたい』という気持ちの方が、何十倍も大きかった。


『詠真、お前は父さんと違って、この海のようにデカい男になるんだぞ』


 ……漁師か船乗りみたいなこと言いやがって。古くさいんだよ、父さん。

 手に込められた力が抜けていく。そこに殺しの感情は……失せていた。


「うぐっ……ひぐっ……くそ……」


 涙を拭い、その辺の瓦礫から鉄骨を四本持ってくると、魔法使いの手足に突き刺す。

 逃がさないように──それを言い訳にした、精一杯の復讐だった。

 詠真はポケットに入っていた端末が無事なことを確認し、鈴奈の端末にコールする。

 伝えることは、もちろん一つだけしかない。


「……勝ったぞ、舞川……殺さずに……俺は英奈を……」


 意識が遠のく。端末が手から零れ、総てを使い尽くした少年は、今少し眠りに落ちた。


『お疲れ様、木葉クン』


 ☆ ☆ ☆


「さ、魔法使いは負けたみたいだけど貴方はどうするの?」


 鈴奈は端末の通話画面を見せつけながら太った男に問う。

 その事実を受け入れがたいのか太った男は手に握った小型のスイッチに手をかけ、


「嘘だ……あの男は魔法使いだぞ!? なぜ負ける!? 負けるはずがないだろ!?」

「でも現実よ? てか貴方は魔法使いの何を知ってるのよ。ダッサ」

「あぁ……あああ! 終わりだ、終わりだよ! 私を守る盾は無くなった……くそくそくそくそくそくそッッ!! もういい!、この娘はもう必要ない。終わりだよ」


 太った男がスイッチにかけた指を強く、


「じゃ返してもうわね、英奈ちゃん」


 押し込むことは叶わなかった。鈴奈が軽く腕を振るったそれだけ、スイッチを持っていた男の手は鮮血を吹き出し、手首から先が宙を舞っていたのだから。

 唐突なことに思考が追いつかない男には、鈴奈が移動したことすら気付けない。


「もう大丈夫よ」


 男の手首を『斬り飛ばす』のと同時に首輪も斬っていた鈴奈は英奈の首周りを優しく撫でて、額を小突いた。光を失っていた瞳は閉じられ、呟き続けていた言葉も止まる。

 英奈は六日間の半覚醒状態から、ようやく解放されたのだ。


「な……な……いったい……」


 鈴奈は目を剥く男を睨み、腕を振るう。

 その手には薔薇の意匠が施された青い剣が握られていた。

 切っ先を突き付けながら、


「もう一度聞くけど、貴方は『魔法使いの何を知っているの』?」

「し…………知ら、ない……」

「じゃあ、知った風な口を利かないで」


 にっこりと笑い、剣を退く。知らないなら問題ないか。

 つまり、『見逃してやろう』と思った鈴奈だったが、


「……貴様、まさか貴様も……まほ──」

「お喋りね。黙りなさい」


 思わず首を刎ね飛ばしていた。

 生首が転がり落ちて、鈴奈は一◯区に近付きつつある無数の気配を察知する。

 おそらく詠真の放ったド派手は攻撃で駆け付けてきた警察あたりだろう。


「しまったなぁ……」


 と剣を消して呟きつつ、鈴奈は英奈の身体を抱きしめていた。


「取り戻したわよ、木葉クン」


 こうして、妹の為に立ち上がった兄の戦いは勝利という形で幕を閉じた。


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