エピローグ

第23話 長い夢が覚めて


 木葉英奈誘拐事件解決から二週間。政府による厳重な警備態勢が敷かれる大病院に入院している英奈は順調な回復を見せていた。

 切断されていた右腕は冷凍保存という早急な判断が功を奏し、無事接合されて今では感覚が殆ど戻っている。少し動かしにくさは残っているが、それもリハビリを繰り返せば切断以前のように動かせるようになるらしく、兄と共に奮闘する彼女の姿が他の患者に勇気を与えているとかいないとか。

 他にも誘拐時に受けていた傷などは完治し、精神面も安定している。入院自体はまだ続くものの、後遺症はないと主治医は告げ、本人も安心している様子だった。


「……はい。そうですか。はい、こちらは大丈夫です。俺が側にいるので。では」


 補聴器を付けた詠真は病院の外で警察との通話を終え、急いで英奈の病室に向かう。

 警察からの連絡は、誘拐事件の主犯サフィラス・マドギールが牢獄を壊して逃走したという内容だった。あの男が『魔法使い』だというのは捜査に関わった一部の者と警察上層部しか把握しておらず、その危険性から裁判を省略して暫定判決で無期懲役を下し 特級犯罪者用の地下牢獄へ収監、一定時間ごとに麻酔を打ち続けることで意識を奪い、魔法による抵抗を未然に阻止していた。現状ではこれが最善の処置だったのだ。

 しかし今朝方、麻酔に侵されながらも看守を殺して脱獄。他の収監者も混乱に乗じて逃げ出したらしく、水面下で捜索が行われていると連絡を寄越してきた警視は話していた。


「しぶとい奴だなぁ……」


 あの男を思い出すと詠真は耳が疼いて仕方がない。釘で破った鼓膜の完全再生にはまだ時間がかかると言われ、現在は補聴器があってようやく聞き取れる程度。

 もう一度戦闘にでもなればまた破らないといけないのかなとげんなりしつつ、病室に入ると幸せそうな顔で果物を食べる英奈の姿があった。


「ホッ、よかった」

「あ、お兄ちゃんいらっしゃい。リンゴ食べる?」

「食べさせて」

「それは英奈のセリフだよ!」


 ベッドの隣に腰を下ろすと、なんだかんだと言いつつ食べさせてくれる妹の優しさに兄の涙腺が刺激されまくる。

 取り戻したかった日常。取り戻したかった笑顔。取り戻したかった最愛の家族。

 それが叶ったのなら、耳の一つや二つ安いとさえ思えてくる。


「お兄ちゃん、また泣いてるの?」

「え、あぁ……嬉しくな」

「もう、毎日だよぉ? ……でもいいよ」


 英奈はベッドから足を出して座ると、詠真を胸に抱き寄せた。


「ずっと……こうしてあげたかったから……心配かけてごめんなさい」

「えい、な……」

「助けてくれてありがとう、詠真お兄ちゃん」


 英奈の声は震えていて、詠真は顔をあげることはしなかった。

 ……きっと見られたくないだろうから、泣いてる顔を。

 そのまま五分程度が経過し、ようやく抱擁を解いた英奈は病衣で目元を拭うと、


「そうだ、お兄ちゃん。今日帰ったら前にプレゼントした『ふぇんりるさん』に付いてるカード広げてみて!」

「あ、それ読んだ。読んだぞ、抱きしめて! 言うの忘れてた」

「軽いよ!? もっと何かないの!? お兄ちゃんのバカ!! 忘れろー!」


 左腕で枕をぶんぶんと振り回して拙い罵倒をする英奈は、荒々しい行動とは裏腹に涙を流しながら笑っていて、その瞳に映る兄は『抱きしめてよ!?』なんて言う割に常人なら引くほど涙と鼻水を垂れ流していた。

 英奈は枕を振り回す腕から力を抜き、ぼすっと兄の胸の中に身体を預ける。


「おっと。どうした?」

「……まだまだ、お兄ちゃん離れしたくない」

「バーカ。中学生が何言ってんだよ」

「高校生になってもお兄ちゃん離れしたくないよ……」

「俺は英奈が大人になってもお兄ちゃん離れしてほしくない。シスコンだからな」


 詠真がくしゃくしゃと頭を撫でてやると、英奈は胸から離れてにこりと笑う。

 その顔には涙が一筋、悲しみではなく喜びの色がきらりと輝いた。


「えへへ、英奈だってブラコンだもん!」

「可愛い。写メいい?」

「だ、ダメだよ! 恥ずかしいからダメ! 端末没収!」


 凄まじい速さで端末を取り出しカメラを起動させた詠真だったが、シャッターボタンを押すよりも速く英奈に奪い取られ「あぁあ……」と情けない声をもらす。


「俺の英奈コレクションに追加したかったのに……」

「コレクション!? なにそれお兄ちゃん!」


 カメラを起動したことによってロックが外れている端末。

 英奈は写真フォルダを覗き、英奈コレクションというファイルに一◯◯◯枚近くの自分の写メが保存されているのを初めて知って、顔をみるみる紅潮させていく。


「な、な、ななな! いつの間にこんなに撮ってたの!?」

「隙あらば」

「え、えっち! お、お風呂とか撮ってないよね!?」

「あったかも」

「うそ!?」

「うそだ」

「にゃ!? ば、ばか! えっち! 変態! 嬉しいけどばかばかばか! もう隙なんて見せないからね! 悪徳パパラッチ!」

「あ、悪徳パパラッチ……そこまで…………」


 ショックから四つん這いになって項垂れる詠真へ言葉の暴力が襲い掛かる。

 とは言え汚い言葉にレパートリーがない英奈はすぐにバテテしまい、


「はあはあ。あ、そう言えば鈴奈ちゃんは今日どうしたの?」


 鈴奈も詠真同様ほぼ毎日お見舞いに来ていたのだ。

 よろよろと立ち上がった詠真は端末を返してもらうと、鈴奈からのメッセージを見返す。


『野暮用があるので、早く終われば遅れて向かいます』


 それは今朝の一◯時、約二時間前に送られたものだった。


「多分、夕方とかその少し前くらいに来るんじゃないかな」

「そっかぁ。退院したら絶対三人でデート行こうね、お兄ちゃん」

「いや別にそこふたりで行けば……」

「ダメ! 三人なの! 退院祝いの後も普通に三人で行くの! 分かった? 返事!」

「……はい、わかりました。……えらい舞川のこと気に入ったんだな」


 強情な妹だ。だがそこも可愛い。今後も悪徳パパラッチは活動を続ける事を誓います。

 そんなことを思いながら、詠真はナースコールで看護婦を呼び出す。

 主犯が脱獄した今、英奈が再度狙われる可能性があるため、警備態勢の強化と病院内での宿泊許可を主治医を通して上に申請したい。その間、代わりに病室に居てもらえないかと頼むと看護婦は頷き、詠真は主治医の場所を聞きにナースセンターに向かった。

 

 ☆ ☆ ☆


 一時間前。天宮島某所。

 舞川鈴奈は、地を這いずる男の前に姿を現した。


「苦しそうね。脱獄で精一杯だったかしら?」

「お、おま……あの、あの時の……ちょうの、りょくさ……」


 体内を侵す麻酔のせいで上手く喋れないその男は、サフィラス・マドギール。決死で監獄を脱したものの、酷く衰弱した身体に島を脱せるほど体力は残されていなかったのだ。

 その滑稽な姿に嘲笑しながら、鈴奈は小首を傾げて唇に一差し指を添えた。


「ん? 何を言っているの? ここに超能力者なんて一人も居ないわよ」

「な、なに……を」

「まあ長々と話す気もないから名乗りましょうか」


 くるり、と。

 鈴奈は右足を軸に鮮やかな青い光の粒子を振りまきながらその場で軽やかに一回転。

 次の瞬間、彼女の姿は変貌していた。

 黒く長いツインテールは、水色の長いツインテールに。

 白い柊学園の制服の上に、髪と同色のマントを。

 右手には、青い一本の西洋剣。柄には薔薇の意匠が施されていた。


「ぁ……ま……さ、か……」


 どうも、と鈴奈は左手で髪を払い、


「欧州聖皇連合統括国『聖皇国せいおうこく』が十二使徒〈聖氷帝せいひょうてい〉舞川鈴奈。使徒権限により、叛逆者レブルスの処刑を執行します」


 自身の本当の素性を処刑対象の冥土の土産とするのが彼女の好む殺り方だった。

 見上げたサフィラスは限界まで目を見開いた。驚愕と恐怖──確定した死。木葉詠真との戦闘の際に干渉してきたのは、この少女──十二使徒〈聖氷帝〉なのだと理解した。

 十二使徒──十二人の最強の魔法使い。サフィラスを奴隷として扱っていたのもその一人だ。彼はその十二使徒〈聖闇帝せいあんてい〉から使徒の座を奪い取り、自由を取り戻そうという下剋上を企んでいた。結果は、そう、この通りである。

 鈴奈は青い剣の切っ先をサフィラスの額に突きつけると、顔から嘲笑すら消え去る。


「残念でした。下剋上はとっくに終わってるのよ」


 鈴奈と相対した時に、ではない。君主に無断で行動を起こした時点で終わっている。


「でも『空間転移』の発見はお手柄よ。未だ魔法でも例がない……というか実現不可能とも言われている『転移現象』を、あたかも魔法を見下すように実現する超能力。でもそんなとんでも存在が集まったブラックボックスに飛び込んだ異物はこの通り……」


 青い剣が額の肌を僅かに貫き、流れ出した血は凍りついた。


「哀れね。このは私の仕事場よ。木っ端風情が〈使徒〉の作戦にちょっかいかけるなんて自殺行為。出し抜くにしても場所が悪すぎるわね。とは言え、私の任務は極秘裏に進められてるものだし、知らなくて当然っちゃ当然か」

「……く……そ……」

「まあそれはいいわ、どうにもならないし。それより……ねぇ、一ついいかしら?」


 罪状を語るよりも、彼女は素顔を晒した以上はこれを聞かずにはいられない。


「〈使徒〉は他の〈使徒〉か〈聖皇〉様にしか素顔を晒さない。ねぇ、どう? 同胞である貴方達までもが恐れ慄く〈使徒〉様が、こんなに若くて美しい少女だった感想は?」

「……おぞ……まじい! おぞまじいぞ……じゅうにしとォォォオ!」


 サフィラスは意識を朦朧とさせる麻酔を振り切って、魔法を発動──ミノタウロスが巨大斧を振り上げ〈聖氷帝〉に攻撃を仕掛けようとした。


「ハァ」


 無情にも。ミノタウロスは、鈴奈が剣を振るうだけで粉々に消し飛ばされた。


「最後に教えてあげるわ。私の誓いは『誰よりも美しく在り続けること』。私を産んだ時に亡くなった両親へ、私は美しい娘の姿を届けてあげたい。薔薇のように美しくも気高い至高の『美』を、氷によって永遠の中に保存する。それが〈聖氷帝〉の誓い──」


 這いつくばるサフィラスの頭に青い剣が突き立てられる。


「覚えて死になさい。貴方を葬った剣──私の総てを込めた誓いの魔聖剣ませいけん氷薔薇グラキエスロッサ〉の冷たさを」

「が……ガッ────」


 たったそれだけで、サフィラスは全身が完全に氷結し、ガラスのように砕け散った。

 何の感慨もない。叛逆者に待つのは完全は死のみである。

 鈴奈は端末から同僚へ──〈聖炎帝せいえんてい〉へコールする。


『なんだ』

「叛逆したサフィなんちゃらは処理したわ。あんたの部下の不始末は〈聖氷帝〉が着けてやったって〈聖闇帝〉に伝えておいて」

『了解した』

「それと任務達成は近いかもしれないわ。偶然も重なれば必然よね。また連絡するわ」


 通話を切って、鈴奈はポケットの中で端末のストラップをいじりながら呟いた。


「不完全な魔法を完全なモノへと進化させてくれるのは──英奈ちゃん、貴女の持つ『空間転移』のかもしれないわね。ふふ、これから監視させてもらうけど悪く思わないで。これも〈聖氷帝まいかわすずな〉に与えられた任務なんですもの」


 ☆ ☆ ☆


 英奈の主治医の場所を聞くと、主治医の方から顔を出してくれた。どうやら既に事情を理解していたようで詠真の申請はすぐに通り、病室に戻ると二人ばかり客が増えていた。

 磯島上利と舞川鈴奈だ。


「舞川、野暮用はもう済んだのか?」

「お見舞いに来たくてさっさと済ませてきたわ」

「そうか。……あっちの方はどうなった?」


 詠真は英奈に聞こえないように小声で尋ねる。

 事件解決後、鈴奈にはある嫌疑がかけられていた。

 サフィラス・マドギールの共犯である某研究所所長の殺人容疑だ。一◯区から観測された火炎旋風に消防隊や警察が現場に向かうと、首が刎ねられた男の死体と意識が混濁した英奈に寄り添う鈴奈の姿、双方意識を失った詠真のサフィラスの姿があった。

 詠真は本人が負っていた傷から正当防衛だったのではと判断されたが、鈴奈に関しては正当防衛の範囲を超えた行為、被害者と加害者が反転して舞川鈴奈が加害者側として殺人容疑がかけられてしまったのだ。

 とは言え、鈴奈の超能力を持ってしても『あれほど綺麗に首を刎ねることは不可能』であり、例えナイフや刀剣類と言った凶器があっても素人には不可能だという点から、彼女から定期的に事情聴取を行うという形で一先ずの保留となっていた。

 鈴奈も小声が届くように詠真に肩を寄せて、


「心配しなくても大丈夫よ。自殺したって証言を信じてもらえたから」

「なら良かった。冤罪で捕まったら英奈が一番悲しむ」

「あら、木葉クンは悲しんでくれないの?」

「悲しんであげてもいいぞ」

「それでも友達かしら? まあいいけど。それより、所長さん大丈夫なの?」

「うん?」


 言われて詠真が磯島の方へ目を向けると、壁に手を突いてポロポロと涙を流していた。

 彼が涙を流すのは珍しい。その様子に英奈は苦笑を浮かべつつ、嬉しそうにも見える。

 近寄って、肩にポンと手を置く詠真。


「どうしたの所長」


 磯島は勢いよくぐりんっと振り返ると、ぐしゃぐしゃの顔で情けない涙声で叫んだ。


「英奈がぁ! 英奈が私のことをパパ呼んでくれたんだぁ! 嬉じくでなぁ!」

「あぁ……」


 例の手紙の最後にも書かれていたなと思いだした詠真は、自身の父母のことを思い出す。

 ……この一歩も、踏み出すなら今なのかもしれないな。

 父母を殺した『魔法使い』に、復讐というモノを果たしたと言えば果たしただろう。

 殺さなかった。それは英奈の為に。

 ぶっ飛ばした。それは家族の為に。

 ならこれからは?

 変わらない。これまでも、これからも。

 ──違う。変わらないことが一番じゃない。

 詠真は両親の想いをしっかりと受け継ぎ、引き継いだ。ようやく過去を受け入れた。

 なら、もう昔を振り返り続けるのはやめよう。両親は胸の中にちゃんと生きている。

 これからは、過去ではなく『今』を生きていきたいと思うから。

 これからは、新しい道を歩んで行きたいと思うから。


「ああ、えっと……」


 詠真は少し照れくさそうに頬を掻きながら、呟いた。


「よ、良かったじゃん……父さん」

「え、詠真ぁぁああ!」

「おわ、くっつくな気持ち悪い! くっつくなあああああああああ」


 病院に木霊する悲鳴。でもそれはどこか嬉しそうにも聞こえる。

 ──無くなったモノは戻らない。でも、穴を埋めるじゃないけれど、今を変えるということは、きっと大切なことだって、この選択は間違いじゃないって思うから。

 詠真は磯島を英奈の左隣に座らせると、端末を鈴奈に渡して自分は妹の右隣に座る。


「ほら、父さん。情けない顔するなよ」

「パパ! これから、英奈たちの事をよろしくね!」

「お前だぢぃ……まがぜろぉ!」


 普通の親子とは違うかもしれない。普通の兄妹ともどこか異なるかもしれない。

 まだ嵌り切らないピースかもしれない。だが、今はまだそれでも構わない。

 彼らは、互いを支え合い生きていくと誓った愛に溢れる暖かい『家族』なのだから。

 これから。本当の一歩は、今この瞬間から始まる。


「じゃあ撮るわよ」

「大切な一枚だ、綺麗に頼む」

「えぇ、任せなさい……はい、チーズ!」


 病室にシャッター音が響く。画面に収まったのは笑顔に包まれた一つの愛の結晶。

 この先何十年と続いていく長い道に、その家族はようやく一歩を踏み出した。


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エレメント・フォース 雨花そら @sola_amehana

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