三章 木葉英奈
第12話 木葉英奈Ⅰ
1
詠真は第八区に居た。自宅に帰るためではなく、この区の隅にある研究所へ向かう為だ。
自宅から一◯分ほど歩いた場所にある狭い路地を進み、更に二分ほど歩く。すると草が茂った開けた場所に出て、古ぼけた鉄門が見えた。その門の向こう側に建っているコンクリートの建物こそ、木葉兄妹の後見人である磯島上利が所長を務める研究所である。
詠真は通い慣れた足取りで門を潜り、自動ドアを通って研究所の中へ。内装はさながら病院のようで白く清潔感に溢れている。なぜ古ぼけた門を改装しないのか甚だ疑問だが、こと今に至ってはどうでもいい疑問だ。
エントランス中央にはカウンターがあり、若い白衣の女性が立っている。詠真が彼女に声をかけると、事情を知っているのか強張った表情でエレベーターを示し、軽くお辞儀を返してからエレベータに乗り込んだ。行き先は最上の四階。一◯秒ほどで到着し、研究室と窓に挟まれた白い廊下を足早に進んでいく。走りたい気持ちで一杯だったか、こういう時こそ心を落ち着かせて思考を冷静に保つべきだと言い聞かせた。
最奥にある金装飾の木製扉を三回ノックし、返事を待たず開け放った。
「所長、遅くなった」
「十分早いよ。冷静で何よりだ、詠真」
部屋は特に広い訳ではなく、例えるなら少し豪奢な洋風の書斎。赤に金の刺繍が施された絨毯が敷かれ、壁には専門書が敷き詰められた本棚が並んでいる。中央には足の短い小型のテーブルを挟んで二つの黒いソファがあり、奥にある執務用の机には髪を刈り上げた中年の男性が座っていた。
この男が当研究所の所長であり、木葉兄妹の後見人、磯島上利である。
詠真はソファに腰を下ろして太ももに肘を置いて手を組む。
「状況を聞かせてくれ」
磯島は一つ頷いてから話し始める。
「ことが判明したのは連絡する直前だ。学校が終わったらすぐここへ来るはずだった英奈の到着が遅いから電話をかけたんだが、何度コールしても出ない。英奈の事情が事情なだけに不審に思った私は急いで家に向かったが……既に英奈の姿はなかった。自室には争った形跡が残っていた為、誘拐と判断したという訳だ」
「警察には?」
「英奈の事情は伏せた上で被害届を出し、もう調査が始まっている。さきほど来た報告では金品の類には手が付けられておらず、英奈の端末も残されていたとのことだ。指紋は見つかっていないが足跡があり、それは風呂場から始まって風呂場へ続いていたらしく、物質透過系の超能力を用いた犯行という線で捜査が行われるそうだ」
「……英奈……いったい誰が……ッ!」
奥歯を噛み、状況を把握すると共に表情から冷静さが失われていく詠真。そんな彼に、口元に手を当て考える仕草を取る磯島が尋ねた。
「詠真、一つ聞きたいことがあるんだがいいか?」
「ああ」
「今まで交流試合をしていたんだよな? でも普通、序列取得者は交流試合には参加しないのが決まりじゃなかったか?」
「今回の客からの申し出で、序列取得者を参加させたタッグバトルっていう珍しい形式をを取っていたんだ。それがどうした?」
磯島はなるほどと呟き、
「……これは可能性なんだが、今回の交流試合は英奈と詠真を引き離す為に仕組まれたとも考えられないか?」
「偶然を狙ったんじゃなく、仕組んだ?」
「そう。序列取得者の参加は木葉詠真を選出させる為。タッグバトルは、木葉詠真が選出される可能性を上げる為だ。柊学園には四人の序列取得者がいるから、タッグバトルにすることで四分の一から二分の一にまで確率を上げることが出来るからな」
「……ってことは、今回の客の中に誘拐に関わった者がいるってことか」
「あくまで可能性だよ。これは私から警察に伝えておこう」
そう言うと磯島は立ち上がり、背にある部屋の窓から外を眺める。
詠真は彼が言わんとしていることが分かった。
「詠真、焦る気持ちは分かるが下手に動くことは止めておけ。警察が動いているんだ、その邪魔になって捜査が滞れば本末転倒だろう」
「……でもッ」
「今は耐えてくれ、詠真。私だって同じ気持ちなんだ……。私はお前達の本当の親じゃないが、それでもお前達のことを本当の子供のように思っている。子供が誘拐されて、辛くない親が居るわけないだろう……」
幼い兄妹の後見人となって引き取ってから一◯年。若くして妻を病気で失い、世界から逃げ出したくて天宮島の研究者となった磯島にとって、木葉兄妹は天国の妻が『もう逃げないで』と遣わした天使のような存在だった。
亡くなった両親を忘れろとは言わない。父と呼べなんて言わない。親と思えなんて言わないし、いつまで他人行儀な呼び方で構わない。それでも、磯島上利は木葉兄妹のことを実の子のように思っている。今すぐにでも島中を駆けずり回りたくて仕方ないのは、詠真だけでなく磯島とて同じだった。
「分かってくれ詠真。これはお前の為でもあるんだ」
「ッ…………分かった」
詠真はその言葉をなんとか絞り出し、部屋を出ようとした。
「自宅はまだ警察の調査中だ。終わったら知らせるから仮眠室で休んでおきなさい」
「……ああ」
子が去った執務室で磯島は拳を強く握っていた。もっと早く駆けつけていれば、と。
意味のない後悔が何よりも苛立たしかった。
☆ ☆ ☆
午後九時。木葉宅の警察調査が終わり、やるせない重い足取りで詠真は帰宅した。
帰っても誰も居ない。いるはずの英奈が居ない。一連の出来事は実は全部嘘でしたと、そう言って英奈が元気に晩御飯を作っているかもしれない。そんな風に強がろうとしてもより一層深い悲しみが襲ってくるだけだった。
今どこに居るんだ? 帰るの遅くなったけど、これからお兄ちゃんとご飯を食べよう。朝早くて疲れてるなら俺がご飯作るから。味は保証できないけど、頑張るから。
メッセージを打ち込んで、削除する。送っても彼女には届かない。
夜の闇に、涙が零れ落ちる。
明かりが消えた自宅が見えて、詠真はふと足を止めた。
自宅の前には英奈ではなく、舞川鈴奈の姿があった。
「舞川……お前どうして……」
「おかえりなさい。やっと帰ってきたのね」
やっとということは、夜はまだ冷えるのに彼女は上着も羽織らず待っていたのか。今の詠真にはその優しさがとても嬉しく感じられた。
「いつから待ってたんだ」
「木葉クンが飛び立った後からよ。警察が居たから離れたところに居たけど、さっき出払ったのを見て家の前で待ってた」
「そうか……冷えたろ、とりあえず入れよ。お茶くらいなら出せるから」
「ありがとう」
詠真は彼女を家にあげると、リビングの明かりを点けキッチンでお湯を沸かし始める。
棚にある複数の袋を見て、椅子に座る鈴奈へ尋ねた。
「紅茶でいいか?」
「好物よ」
ガラス製のティーポットに茶葉を入れ、沸けたお湯を流し込む。英奈だったらここできちんとした淹れ方を知っているだろうが、詠真は何分経験が無い為これくらいしか淹れ方を知らない。湯に色が出るのを待っている間にカップをテーブルへ並べ、色だけはそれなりの紅茶を注いでいく。思い出したように角砂糖が入った容器を棚から持ってきて、必要ならと言って自身も椅子に腰かけた。
鈴奈は角砂糖を一つ落として、紅茶を一口含む。
「うん、美味しい」
「お世辞はよせ。淹れたのは初めてだ」
「初めてにしては、よ。いつもは英奈ちゃんが?」
「家事は殆ど英奈がやってる。手伝おうとしても怒られるし」
「でもきっと、怒りながら笑ってるんじゃない?」
「そう、だな……言われてみれば。なんで分かった?」
「あの子のことだもん、お兄さんの気遣い全部が嬉しいはずよ」
そうだったのかと少し顔を綻ばせた詠真だったが、それはすぐに消えてしまう。
こんなに愛しているのに、そんなに愛してくれているのに、守れなかった。今もこうして何も出来ずノコノコ家に帰ってきてしまった。
自分の無力さが腹立たしい。じっとしている自分に苛立つ。
誘拐した人間へ、憎しみと怒りが込み上げてくる。
コトンとカップがテーブルに置かれ、鈴奈は少し迷うような素振りを見せる。ややあって。彼女はこう切り出した。
「英奈ちゃんの状況、聞いてもいいかな? 無理にとは言わないわ」
「……あぁ」
彼女は英奈と友達になってくれた。英奈も彼女に懐いていたし、何より心配してこんな時間まで帰りを待っていてくれた。彼女には……舞川鈴奈には、木葉英奈という少女の総てを打ち明けていいと詠真は思った。
「俺達兄妹は、この島に一◯年前移住してきたんだ」
「兄妹はってことは……そう、やっぱりご両親は」
家にあげてもらった鈴奈は誰も居ないことに疑問をもっていた。
それ以前に、詠真が学生寮住まいじゃないことや普通を越えた兄妹の仲という点から、二人は両親が居ないのではないかと薄々勘付いていた。
案の定、詠真はコクリと頷いて、
「そんな俺達は移住時に後見人に引き取られた。その人……磯島さんは移住手続きを担当してくれた人で、島で研究所を持ってる偉い人だった。移住後、その研究所で検査を受けて俺達は自分の超能力について詳しく知ることが出来たんだ」
詠真は指先に小さな火を灯し、次いで発生させた水が火を掻き消す。この時、彼の瞳は左右で赤と青のオッドアイに変化していた。
「俺は、いわゆる地水火風を無から生み出し操ることが出来る『
「へえ、そうだったのね。英奈ちゃんは?」
詠真の表情が強張り、ここからが本題だと言外に告げていた。
「英奈の超能力は、俺なんかより何倍も珍しいものだった。なんでも天宮島の記録以上初めて確認された超能力とやらで、その希少性からあらゆる研究所が欲しがると危惧した磯島さんは、英奈の超能力に関する情報を自分の研究所から外へ出さないよう細心の注意を払ってシャットアウトしたんだ」
無論、それは研究対象の独占などではなく、この先英奈に苦労を与えないための『親』としての判断だった。そしてそれは間違いなく英断だった。
特例として、学校では校長と一部教員にのみ英奈の件は伝えられ、正規の能力制御テストには参加せず磯島の研究所で計測するという形で外部への露見を出来うる限り制限。
今日も英奈は研究所に制御率の測定に向かうはずだったんだと詠真は言い、
「けど、なかなか研究所に来ない英奈を心配して所長が家に向かった時には既に……英奈の自室は荒らされ、本人の姿は無かった。その直後、所長は俺の端末に緊急回線で連絡を寄越し、俺は試合をギブアップして研究所に急行した。それが一連の詳細だよ」
自分で口にして、現実味が増していく。磯島から「現場保持の為まだ英奈の部屋には入らないように」と言われているが、詠真は覗くだけくらい許してくれと心の中で頼み、鈴奈と共に二階へ向かった。
英奈の部屋の扉は開けられており、立ち入り禁止のテープで遮られている。
中を覗くと、散乱した制服と外出着、本棚から大量の本が落下しており、いつも綺麗に整頓されていた英奈の部屋とは思えない酷い有様だった。
詠真は一歩後ずさり、その場で膝から崩れ落ちた。
反して鈴奈はこの光景を瞳に焼き付けながら、
「……ねえ、木葉クン」
「……なに」
「英奈ちゃんの超能力は、とても珍しいものだったのよね? それは、彼女自身で誘拐犯を撃退できるような超能力ではなかった……ってこと?」
「……いいや、もし英奈が俺と同じくらい制御率があればどんな屈強な男だろうと誘拐は不可能だ。でも英奈は俺と違って制御率が著しく低かったんだ。ランクはEに近いD。感情の起伏で不意に能力が発動してしまい、自発的な能力の使用はほぼ無理。不意な発動でも人間大の物は対象にならない。そんな有って無いような能力なんだ……」
だからこそ、無理やり発動させようと酷い実験を行う研究者が現れても可笑しくない。
記録史上初とは、それほどまでに価値を持つ能力なのだ。
鈴奈は詠真に肩を貸して立ち上がらせながら、こう尋ねた。
「その、能力って……?」
「──『
そして鈴奈は──肩を貸している方とは別の手で、自身の顔を覆い隠していた。
☆ ☆ ☆
リビングへ戻った二人。鈴奈は詠真の気持ちが落ち着くのを待ってから、
「今日はこのまま休みなさい。落ち着く時間も必要よ。もしかした今日か明日にでも犯人から何かしらのコンタクトがあるかもしれないしね」
「……あぁ」
返事はしたが、納得しような顔ではなかった。
鈴奈は呆れ気味にため息を吐き、
「でもその調子だと、明日になればじっとしていられないんでしょう?」
「……だと思う」
「なら、私も協力させてもらってもいいかしら?」
その言葉で詠真の瞳に僅かな気力が蘇った。
「舞川が……?」
「私だって英奈ちゃんは知らない人じゃない。昨日一日だけだけど、それなりに情というものはあるわ。何たって英奈ちゃんは友達だしね。ダメ?」
詠真はゆっくりと首を横に振る。
「ダメ、じゃないけど……いいのか?」
「女の子に二度も同じことを言わせちゃダメよ」
こつんと額を指で弾かれた詠真は目に込み上げた熱い液体が一筋頬を伝い、座ったままテーブルに額をつける勢いで頭を下げた。
「……ありがとう、舞川」
「うん。さ、頭をあげて? 今日のところはもう帰るわね」
言われた通り頭を上げた詠真は鈴奈を玄関まで見送り、
「寮まで送らなくて大丈夫か?」
「気遣いありがとう、大丈夫よ。明日学校は来るの?」
「……多分行かないと思う」
「そ、じゃ私も行かない」
「え、そんな簡単に決めていいのか? ズル休みだし親とかは……」
「言ってなかったっけ? 私も両親は居ないの」
「! そう、だったのか……ごめん……」
「早くに病でね……でもいいのよ気にしないで。また明日来るわね」
そう笑って、鈴奈は夜の中に去っていった。いつかと同じく見えなくなった背中を眺め続けていた詠真は、もう一度彼女に感謝の言葉を送った。
「英奈の為に……ありがとう、舞川」
詠真はその夜、動き出したい衝動を抑えつつも眠れない時間を過ごした。
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