第13話 木葉英奈Ⅱ


「もう、なんで何も食べてないのよ」


 翌日、午前一◯過ぎに制服ではなく長袖ニットにショートパンツという姿で木葉宅へ訪れた鈴奈はエプロンをかけてキッチンに立っていた。

 なんでも詠真は昨晩から何も口にしておらず、本人は大丈夫と言うが精神的疲労を考慮してもせめて胃袋だけでも満たしておかなくては満足に活動できない。という訳で、行動を起こす前に鈴奈が朝ご飯の調理を買って出たのだ。

 せめてレトルト食品でも食えばいいものを、と鈴奈は小言をもらすが、自身レトルト食品を嫌う為にきちんとした料理を食べさせられるので丁度いいかとも思う。

 調理開始から二◯分。鈴奈の手によって生み出されたのは、酢でさっぱりと仕上げた豚肉のしょうが焼き定食だ。オクラ味噌汁、小魚の天ぷらや小松菜のお浸しといったイライラ状態を鎮静化させて心を安定に導く効果がある食材がふんだんに使用されており、これでもかと言わんばかりに詠真の精神状態に気遣われたメニューになっていた。


「食べ終わったらハーブティーを飲みなさい、落ち着けるから。淹れ方にはそこそこ自信はあるから安心していいわよ」

「さ、さんきゅー……」


 手際の良さに圧倒された詠真はおそるおそる料理に手をつけると、悔しいことに超が付くほど美味しい出来上がりだった。


「英奈と同等……いや、英奈のが美味い。愛情という調味料は最強だ」

「文句言ってないでさっさと食べなさい。作ってもらって失礼な人ね」

「俺の胃袋を掴みたいならその調味料を手に入れてからだな」

「いいから黙って食え。凍らせるわよ」

「美味い美味い、んぐ……もしゃもしゃ」


 ハァとため息を吐いて、詠真の対面に座った鈴奈は頬杖を突き、嘘ではなく本当に美味しそうに食べる少年を細めた半眼で眺めた。

 目の下にくまがある。昨日は眠れなかったのだろう。あるいはこの先、最愛の妹を取り戻せるまでまともに眠ることはできないのかもしれない。

 料理も出来ないズボラな友達を支えてやれるのは、事情を把握し協力すると約束した私だけなんだろうか考えて、鈴奈の顔から一瞬表情が消え去った。それはほんの一瞬で詠真に悟られることはなかったが、いちおう誤魔化す為に変顔でも浮かべてみた。


「ばふぉう!?」

「……、」


 その変顔に口に含んだお茶を吹き出された鈴奈は、ぴくぴくと頬を痙攣させる。


「ま、舞川が悪いんだって! 普段なら絶対そんな顔しないじゃん!? ズルいぞ!」

「……お風呂借りる。どこ」

「リビングを出て右手です……」

「どうも」

 

 ☆ ☆ ☆


 学園最強の無表情美少女が突然変顔をすれば笑うに決まっている。いや、実際は思いのほか笑ったり睨んだりする豊かな表情を持っているが、それでもなんの脈絡もなく変顔されては不意打ちも甚だしい。顔にお茶を吹き出そうと俺は全く何も悪くない。

 そう頷きながら食事を進めていた詠真は、脱衣所のどこに何があるのかを伝え忘れていたことを思い出して鈴奈の後を追いかけた。

 が、勿論確認もせず中に入るような真似はしない。外から適当に伝えようと、リビングを出て脱衣所の前に来たのと同時に、突然脱衣所の扉が開かれた。


「お湯、出ないんだけど」


 そう言って半眼で詠真を睨む鈴奈の姿は、真っ裸だった。ツインテールに結ばれていた長い黒髪は解かれ、いつもと違う髪型が新鮮でつい魅入ってしまう。その髪が白くきめ細かな肌を前後共に隠しており、見えそうで見えないというもどかしさが、ただでさえ扇情的な姿をより強調しているかのようだ。すらっと長いおみ足もスカートや下着で隠されるはずの場所まで晒されているが、自然とカールした毛先が秘部を秘匿していた。

 詠真は思う。

 なんでコイツはこんなに堂々としているのか、と。

 だが思い返せばそれも今更なことだった。見られても恥ずかしくない身体だから何も問題はないと本人が言っていたこともあり、詠真も堂々とすることにした。


「お湯が出ないって、温度が上がらないのか? 昨日は使えたんだが」

「じゃなくて、水そのものが出ないの。故障かしら」

「かもなぁ。今から業者呼んでも時間かかるな……」

「呼ばなくても打って付けの人材がいるじゃないの」

「……業者呼ぼう」

「待ってられないわ。早く来なさい」


 詠真は鈴奈に手を引っ張られて浴室に連れ込まれた。

 扉が閉められ、狭い浴室に男女が二人。一方は真っ裸のスタイル抜群美少女。その美少女はバスチェアに座ると、背後に立つ少年へ「冷えるから早くして」と急かす。

 詠真は、まさか自分の超能力をこんな使い方されるとは思ってもみなかった。

 超能力『四大元素』が水の力による――人力シャワー。それも、何度も言うが真っ裸の美少女が浴びる為になんて誰が予想できるだろうか。

 だが今更恥ずかしいので無理ですとは言えない。堂々としてやると決めた以上、詠真は舞川鈴奈へ心地よいシャワーを提供して見せると故障した風呂に誓った。

 鈴奈の頭上、高い打点へ――――右手を伸ばす。


「温度と水圧は」

「三八度で、強すぎず弱すぎずかしら」

「心得た」


 伸ばした右手の掌にテニスボール大の水球が生成され、そこから鈴奈の頭に向けて本物のシャワーノズルから放出されたのかと錯覚するほどリアルなシャワーが降り注いだ。

 要望通り温度は三八度未満。水圧は強すぎず弱すぎず。


「ありがとう、気持ちいいわ。ついでに片手で湯船張っててもらえるかしら」

「絶対水道代請求してやるからな……」


 左手に生成したバスケットボール大の水球から勢いよく放たれたお湯は瞬く間に湯船を満杯にさせ、浴室がたちまち湯気に包まれていく。

 鼻歌を口ずさみながら髪の手入れを始めた鈴奈の背中が大胆に晒されて、いくら妹以外興味ないと豪語する詠真でも、こればかりは『エロい』と認めざるを得なかった。

 程なくしてシャワー役から解放され、次はドライヤー役をしてと言われた時は自分の超能力の私生活応用に無限の可能性を感じられずにはいられなかった。


 ☆ ☆ ☆


第一次木葉家風呂故障事件から三◯分。鈴奈の淹れたハーブティーでもろもろの疲れを癒していた詠真の端末に緊急回線着信が届いた。相手は磯島一人しかあり得ない。

 新たな情報が判明したのだろう。二人は顔を見合わせて頷き、詠真は着信を取った。


「おはよう、所長」

『おはよう。学校休んだんだな』

「分かっててかけてきたんだろ?」

『詠真のことだ、そんなとこだろうと思っていたからな。伊達に一◯年も後見人おややっていないさ』


 磯島の言葉が妙に嬉しく思い口元を緩めた詠真は、さっそく本題を問い質した。


「新しいことが分かったって連絡だよな? 早く教えてくれ」

『今は家か?』

「うん。……でも一人、友達がいる。英奈の友達である俺の同級生だ」


 磯島は数秒黙って、


『詠真が英奈のことを口外する程度には親しい子ってことか』

「そう、なのかもしれない。序列一五位の舞川って言えば分かるか?」

『〈天上の氷花〉か。交流試合のタッグだったらしいな』

「ああ、勝手して悪い……」

『詠真が判断したことならとやかく言わないさ。じゃあ新たに判明した情報だが』

「あ、ちょっと待ってくれ」


 詠真は端末にイヤホンを差すと鈴奈に手招きをする。鈴奈は詠真と肩が当たるくらいの距離で隣に椅子を寄せて座り、片耳にイヤホンを装着した。通信傍受を阻止する緊急回線なのにスピーカーにすると本末転倒もいいところだからだ。


「オッケー、続けて」

『判明したのは誘拐犯に関する情報だ。近隣の防犯カメラを調べた結果、詠真の試合が行われている時間に不審な黒い乗用車が映っていた。僅かに見えた後部座席に座る男の顔と、データベースに登録されている物質透過系超能力者が人相が九◯パーセント一致した』

「じゃあソイツに吐かせれば全部分かるってことか」

『まあ待て。その男について補足がある。奴はかなりの前科持ちでな、逮捕しても透過能力で脱走を繰り返す犯罪者だ。それだけじゃなく、奴は「ディアプトラ」という犯罪グループに属しているらしい』

「ディアプトラ? 何語だ?」

「古代ギリシア語で『破壊』だったかしら」

『舞川さんは博識だな。奴らはその名の通り破壊を好む集団で、要は心底タチの悪い不良集団だ。二人は、交流試合に使われた廃棄区画の事故は知っているな?』

「研究所が何らかのトラブルを起こして大爆発、だよな?」

「私もそう聞いているわね」

『それは表向きな発表に過ぎない。実際の理由は、一◯区を拠点としていたとある不良集団が別の不良集団に襲撃され、集団間での抗争に発展。一◯区の研究所はその抗争に巻き込まれ、当時開発が行われていた「重力爆弾」が暴走したんだ。完成まで程遠かった重力爆弾は極めて単純な大爆発を起こし、区画の破壊と人命の殺戮、危険薬物による空気汚染という未曾有の「事件」として幕を閉じた。ディアプトラというのは襲撃を行った側の不良集団で、襲撃された側も含めた両集団とも残党が引き継いで現在も活動を続けているそうだ。拠点は定まっておらず、警察も摘発に難儀しているようだな』


 真実は想像を絶する内容だった。重力爆弾などと恐ろしい兵器が開発着手に至っていたことも驚きだが、まさか大爆発を起こす原因となったのが不良の抗争など……いくらなんでも亡くなった人達が報われなさすぎる。それも残党が今もなお活動していると知れば悪霊となって祟りにきても可笑しくない。本当に笑えない話だ。

 だが、今重要なのは、そこではない。


「所長、英奈を誘拐したのはディアプトラってことでいいんだな?」

『それは間違いない。だが、ただの破壊集団にしては手際が良すぎると思わないか?』


 そこに鈴奈が口を挟む。


「良すぎるといいますか、良い計画を慣れない者が実行したように見えますね。指紋は残していないのに足跡を残す点に注意力の散漫が見受けられますし、車を使うなら窓には細心の注意を払うべきです。でもきっと、誘拐を成功して気が抜けたのでしょう。プロならまず有り得ないミスです。おそらくディアプトラは、別の組織に雇われて英奈ちゃんの誘拐を実行したのではないでしょうか?」

『……その通りだ。今回の誘拐事件は ディアプトラの一枚岩ではなく、英奈の超能力を狙った研究所がバックに潜んでいるのではと考えている』

「やはりそうでしたか。申し訳ありません、若輩者がペラペラと……」


 そう謝る鈴奈の顔には申し訳のもの字も見えなかったが、それは磯島の為にも心の片隅に仕舞っておいて、詠真はもう一度確認する。


「ディアプトラが誘拐を実行した、でいいんだな?」

『待て、詠真。これは警察に任せておけと言っただろう』


 磯島は止めてくるが、詠真は彼の心の内を見抜いていた。


「わざわざ新情報を詳しく教えてくれたってことは、そいうことなんだろ」

『もう一度言う。これは警察に任せ――』

「任せたままじっとしてられると思うか?」


 返答が返ってくるまで、実に一分の長い間。端末の向こうから深いため息が聞こえる。

 それが磯島の答えだった。


『……そんなことになるだろうとも思っていたよ。舞川さん、君もなのかい?』

「はい。勝手をお許しください」


 再び三◯秒ほど間が空いてから、


『……分かった。警察への対処は私に任せてくれ。でもなるべく、目立つようなことはしてくれるなよ? いちおう有名な名前なんだから、君たちは』

「承知してる。対処もだけど、情報漏洩の件も任せる」

『言いたくはないけど、ウチの研究所に内通者の可能性もあるからな』

「そうじゃないと信じたいけどな」


 本当にな、と磯島は言って通話は終了した。鈴奈はイヤホンを取り、近くにあったメモ用紙に知り得た情報を書き連ねていく。

 まずは不良グループ『ディアプトラ』に関する情報収集。

 奴らの居場所を突き止め、バックにいると思われる組織を吐かせ、英奈を取り戻す。

 行動方針が決まった二人は、さっそく行動を開始した。


    3


 意気揚々と家を飛び出した二人だったが、情報収集するにしても何か一つ、はっきりとした目的地なり接触人物なりの目的が必要だった。

 出鼻をくじかれかけた時、ふと詠真は端末のアドレス帳を見て思い付いた。


「物知りそうな人に当たってみるか」

「誰か心当たりがあるの?」

「おう。今ちょうど昼休みの時間だし、出てくれるかな」


 アドレス帳から電話をかけ、数コール。どうやら突然の連絡に応じてくれたようだ。


『もひもひ』

「昼休みに突然すみません、生徒会長」


 相手は柊学園生徒会長、雨宮滴である。食事中だったようで、口にいれたご飯を飲み込んでから滴は話し始めた。


『すみませんの前に、無断欠席の言い訳をする時間を与えましょう』

「……すみません」


 同じ言葉を返してしまい切られないか心配になったが、やはり彼女は詠真に甘かった。


『はい、許します。それで、私に何か用ですか?』


 ほっと一安心した詠真はどう告げるべきか迷い、


「えっと、生徒会長に聞くのも変な話なんですけど……物知りそうなので」

『ふふ、木葉くんの為なら私の脳内図書館はいつでも開館しますよ』

「じゃあ……ディアプトラって犯罪グループはご存知ですか?」

『はい、存じています』


 ノータイムで返ってきたことに驚きつつ、更に尋ねていく。


「……一◯区の事件については?」

『はい、真実を存じています』

「よ、よく真実の方って分かりましたね……」


 次は質問を予測していたような的確で素早い肯定。だが驚いている暇さえ今は惜しい。


『ディアプトラと一◯区と言われれば自ずと。それをお互いどこで知ったのかは聞かないとして、聞きたいこととは? 現ディアプトラの居場所ですか?』


 思わぬ言葉に詠真の声は自然と大きなものになる。


「し、知ってるんですか!?」

『いいえ、存じません』


 否定に詠真が落ち込むよりも早く、滴は言葉を続けた。


『ですが、ディアプトラに襲撃された側の残党集団の居場所なら心当たりがあります。彼らなら現ディアプトラの居場所を知っているかもしれませんね』

「そ、それだけでも十分です! 教えてください!」


 滴は『うーん……』と唸り、


『本来なら生徒会長として、生徒を危険な目に合わせるような情報は与えたくないのですが……そうですねぇ……では今度、木葉くんが私の願いを一つ何でも聞いてくれるというなら、ここは譲歩しましょうか』

「一つでも二つでも構わない、何だって聞く。だから教えてください」

『了解しました。電話が終わればすぐに位置情報を送りましょう』


 ありがとうございます、そう言って電話を切ろうとした詠真は、あることを思い出して生徒会長を引き止めた。


「あ、あと一ついいですか?」

『はい。何なりと』

「交流試合の時なんですけど、客の中に怪しい動きをする人はいませんでしたか?」


 尋ねてからややあって、答えた滴は少し声のトーンが下がっていた。


『実は私も、今回の交流試合に際して嫌な予感を抱いておりました。ですので客の様子を注意深く監視していたのですが、怪しい動きは特に。杞憂に過ぎなかったと思っていたのですけど、その口ぶりだとやはり何かありましたか……』

「……いえ、あくまで可能性の一つです。気にしないでください」

『いちおうですが、中継カメラにハッキングの形跡はありました。とは言えそれは毎回起きることなので何とも言えません。試合映像を売りに流す者も居ますから』

「経路は?」

『隠蔽されて分かりませんでした。申し訳ありません』


 滴の謝罪に詠真は首を横に振っていた。


「いや、俺の方こそすみません。試合放棄で学園にも迷惑かけただろうし……」


 主催校のそれも序列一桁の生徒が勝利できる場面で突然ギブアップ宣言を行い、説明もなく会場を去った。その行為は客に不快を感じさせただろうし、柊学園に対する教育面での批判も少なからずあったはずだ。

 そしてそれは、客と一緒にモニターしていた生徒会長へ集中したのだろう。

 償いには願いの一つや二つではまだ足りないと詠真は思っていた。

 しかし、ここですら、生徒会長雨宮滴は生徒会長雨宮滴だった。


『構いません。確かに処理には苦労しましたが。のっぴきならぬ事情があったのだろうと学園長も心配していましたよ。あまり重く受け止めないでくださいね、それと。試合映像に関しては公式での公開は両校の協議によって見送られました』

「ほんと色々すみません。……事情はあまり口外できることじゃなくて話せないんですけど……今は許してくれますか?」

『はい、構いません。ふふ、少し甘すぎるかな? でもいいです。他に何か手伝えることがあれば言ってくださいね』

「……ありがとう、生徒会長」


 通話が終わり、詠真はもう一度「ありがとう」と呟いた。

 一分程度で滴から位置情報が送られてきたが、そこに添えられた一言を見て、二人は苦笑しながらため息を吐くことしか出来なかった。


『不純異性交遊は認めませんよ! 一緒にお風呂入っちゃうなんてらぶらぶえっちな展開は羨ましいので許しませんからね! と舞川さんにもお伝えください』

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