第14話 木葉英奈Ⅲ


 天宮島四基・第一四区、歓楽街エリア。いわゆる『夜の街』としての印象が強いこの区の外れにある、夜の深淵を司る奈落のような場所が位置情報に記されていた場所だった。

 言わば、違法売買の地。立ち並ぶクラブやバーでは違法薬物の取り引きが日常的に行われており、一度踏み入れれば帰ってこれない──ゆえに奈落である。

 学生が立ち入るのも稀ではなく、試合にこっぴどく負けた者、制御率が低く周囲から爆弾のような扱いを受け続けて精神を病んだ者、あるいは恋に破れて立ち直れず奈落に居場所を求めた者など、立ち入る理由は多岐に渡る。

 詠真と鈴奈もそのような学生を勘違いされたのだろう。とは言え、平日の昼間から制服を着ずにこんな場所に訪れているのだ、勘違いされても不思議じゃない。

 わらわらと周囲に群がるイカれた人相の者達へ、鈴奈は軽蔑の眼差しで睨み付ける。


「美しくない。醜いったらありゃしないわ」

「キミってば気ぃ強いねぇ? お兄さん調教したくなっちゃうなぁ?」


 集団の中から坊主頭の細い男が現れ、よろよろと鈴奈に近寄っていく。詠真は二人の間を隔てるように割って入ると、単刀直入に切り出した。


「あのさ、あんたらディアプトラの居場所知らない?」

「あぁん? ディアプトラだぁ? あんな連中の居場所なんてお兄さん知っりませぇん。 お前らはどうだぁ?」


 細い男が周囲に問うと、夏のセミのように一斉に「知らない」という声があがる。

 その様子は明らかに知っている様子で間違いない。

 ゲラゲラと笑う細い男は鈴奈の姿を足から舐め回すように眺め、血液が集中した下半身の股間部をズボンの上から大きく隆起させた。


「お兄さんその子食べたぁい。そうしたら教えてあげようかなぁ、ひゃひゃひゃ」


 詠真は頭をガシガシと掻きながら、心底機嫌が悪そうな鈴奈に道を譲る。

 一歩、二歩と歩を進めた鈴奈は、細い男に手を翳した。

 一瞬の時。細い男は全身を氷漬けにされていた。驚愕の暇すらなかったのだろう、悦に浸った滑稽な姿のまま凍らされ、地面にごろりと転倒した。


「氷漬けの方がまだ美しくていいわね。私の氷が美しいだけなんだけど」


 ──それは、まさに一瞬の出来事だった。詠真が気付けば周囲には人間大の氷が無数転がっており、心なしか気温も下がっているように感じる。

 奈落が地獄に変容した瞬間だった。

 詠真は氷の一つを突きながら、


「これ、大丈夫なの……?」

「殺してなんかいないから安心しなさい。とりあえず、最初に凍らせた男が一番知ってそうな人物よね。どれかしら? 木葉クン探して」

「容赦ないな……」


 鈴奈の探せと言った男が閉じ込められている氷を見つけ出し、それを鈴奈が軽く蹴ると氷はたちまち氷解して、生まれたての小鹿のような動きで細い男は震え出した。

 氷漬けにされていても、一連の光景は見えていたのだろう。

 完全に怯え切った細い男の頭を氷でコーティングした靴で踏みつけた鈴奈は、人を殺せるほどに冷め切った目で醜悪なゴミを見下ろした。


「ディアプトラはどこ? 早く答えないと本当に殺すわよ」

「で、でででであぷとらはこの区の大倉庫にいる! いるからあ!!」

「はあ? 敵対組織なのに同じ場所にいるの?」

「もももう敵対してない! 俺達は傘下に加わったんだあ!」

「そ。で、大倉庫はどこ?」

「あ、あれ!」


 細い男が指差した方向を見ると、そこには一際大きな倉庫の屋根が見える。

 鈴奈は再確認して細い男の目を見る。薬でイカれた目をしているが、嘘を教えているようには見えなかった。事実と信じて問題ないだろう。

 パチンと指を弾く。それだけで総ての氷は氷解し、ついさっきまでは威勢の良かった連中は皆、鈴奈の元から一目散に逃げ去った。


「舞川さん怖い……」


 すると鈴奈は自分の頭をこつんと小突くと、ぱちりとウインクを放った。


「えへ。どう? 可愛い?」

「別の意味で怖い」

「可笑しいわね、テレビの愛らしい仕草特集でやってたのに」

「それは『愛』ではなく『哀』だと思う」

「なにそれ?」

「可哀想な子ってことだよ」


 この後、詠真はめちゃくちゃ頬をつねられた。


    5

 

 ディアプトラ。破壊を好む犯罪グループ。五年前の一◯区爆発事件の主犯格の残党。

 ──だがそんなことはどうでもいい。

 詠真にとって、ディアプトラは英奈を誘拐した憎悪対象でしかない。

 それだけあればいい。何があっても憎む。誘拐の裏にどれほど悲しい理由があったとしても総て叩き潰す。消し炭にする。切り刻む。血の海に沈める。

 誰を敵に回したのか、それを記憶に刻みつけてやる。

 大倉庫に近付くに連れて、詠真の顔から表情が消えていく。

 冴えた刀のように、引き金に指をかけた拳銃のように、嵐の前の静けさで。

 大地鳴動。火山胎動。大海激震。天嵐災厄。

 木葉詠真は人の身で災禍の権化となり得るほど、魂を怒りで震わせていた。

 このままでは殺してしまうかもしれない。それでもいいかもしれない。

 その過ちを未然に防いだのは、隣を歩く舞川鈴奈だった。


「貴方まで、罪に堕ちちゃダメよ。取り戻すんでしょう? 英奈ちゃんが家に帰って、そこに貴方が居なくちゃ総てが意味を成さないんだから」

「……悪い。その通りだ」

「分かればいいの。じゃ、行きましょうか」


 二人は大倉庫の鉄扉を見据える。どう開こう。盛大にぶっ飛ばすか。その思考、僅か数秒の間に、二人は武装した集団に取り囲まれていた。

 先刻、近くで暴れたのだ。待ち伏せせれていても驚きはしない。

 鈴奈が、とんっと詠真の背中を押した。


「外は任せて。木葉クンには本命を譲ってあげるわ」

「さんきゅ。じゃあ盛大に行こうか」

「ふふ、熱い男は嫌いじゃないわよ」


 鉄扉が分厚い氷に閉ざされた。表面だけではなく、芯まで侵食する零度の美技。

 武装した集団が驚きに囚われて一瞬、詠真の背中からうねるように発生した四本の火炎が巨大な氷の中心に放たれ、赤熱し、鉄扉諸共ドロリと溶解する。

 濃い水蒸気に包まれた大穴に、竜巻という翼を纏った詠真が姿を消していった。

 それを見送り、鈴奈は、とても深く長いため息を吐き尽くした。


「はぁ~~~~~~~~~~~。窮屈ね、ほんと」


 彼女の様子に警戒する武装集団。数にして三◯はいるだろうか。悪名高い犯罪グループだけあって中には銃火器を手にした者もいる。全員が超能力者と見るべきだろう。

 だが、鈴奈の目に怯えや恐れは一切存在しなかった。


「ねえ、今の状況が分かる人は居るかしら?」

「ハッ! んなもん一目瞭然だろォがッ! 嬢ちゃんが劣勢で俺らディアプトラが優勢! それ以外にあるなら言ってみろ、あ? おらどうした!」


 威嚇のつもりか空へ放たれるライフルの銃弾、銃声、硝煙。


「そんなものどこから奪ってきたのか知らないけど、懐かしい臭いだわ」


 鈴奈は深く息を吸って、ドスの効いた声で吐き捨てる。


「相変わらず醜い臭い。美しくないモノは目障りよ」


 直後、ディアプトラが有する銃火器が総て氷結し、砕け散った。

 どよめきが起きる。そのどよめきすら、彼女にとっては醜いモノだった。


「さっきの答え。今の状況は、私を見ているのは貴方達だけ。これの意味が分かる?」

「はあ!? さっきからワケワカンねぇことばっか言ってんじゃねぇぞ!」


 集団のリーダーらしき男が握っているチェーンソーのエンジンを全開。振り上げ、


「ビビるこたねェ! やっちまえテメェらああああああああああああ!!」


 振り下ろそうとした瞬間、男は背筋を這う寒気に身を震わせた。思わずチェーンソーが手から零れ落ちる。地面でのた打ち回る凶悪な機械武器から離れようとした時、男は腰から下に力が入らないことに気付いた。

 視線を落とせば、足先から上へ徐々に身体が凍結し始めているではないか。それはこの場に置ける人間全員が侵されている現象であり、等しく顔に驚愕と恐怖が張り付いていた。

 ──涼やかに微笑む、少女を除いて。


「なッ……一体、何が……」

「あら、喋れるの?」

「!?」


 男は喉に違和感を覚える。気付けば、凍結は喉元まで迫っていた。声帯が凍り付いてしまっては音を出すことが出来ない。もはや意思表示の手段を完全に奪い取られたといっても過言じゃない男は、恐怖から剥き出した眼で笑顔の女を睨み付けた。


「ふふ、怖い?」


 怖い? そんな生易しい感情ではない。明確に死を覚悟した本能が諦観すら露わにしているのだ。逃れられない。涼しげな──否、冷ややかな眼差しに命を射抜かれている。

 顎から口元へ。耳たぶが凍り、段々と視界が冷徹に色を失っていく。


「まだ意識はあるでしょう? その眼で、痛みを教えてもらえるかしら?」


 眼球が半分ほど凍結した時、全身に鋭い痛みが走る。パキリと音が鳴り、身体を侵していた氷が砕け散る──そして、全身の皮膚が裂けて鮮血が迸った。

 形容し難い激痛。喉元が凍結から解放され、声を出せるようになっていた男やディアプトラのメンバーは痛みのままに叫びをあげようとする。


「眼で、と言ったでしょう? 声をあげていいなんて言ってないわよ?」


 しかし、それは悪魔の声で再び封じられた。

 噴き出した血液が流れを止める。傷口から溢れ空間に放出された状態のまま、光景を絵に収めたようにあらゆる『動き』が停止したのだ。

 男が最後に見たのは、黒い髪を毛先から蒼く変色させる少女の姿。

 眼は、眼球が飛び出るほどに、純粋な恐怖を物語っていた。


「絵になる光景ね。タイトルは……『氷世界の妖精達』なんてどうかしら?」


 彼らを紅く染めたのは、身体の芯までを侵す氷と寒さ。極寒など生温い。人を殺す為にだけ用意された絶対零度の鼻先に触れる氷の世界。およそ生物と呼ばれる存在の活動を一切として許さない──時間という概念すら活動を停止したような静寂の空間。武器、コンテナ、コンクリートの床に至るまであらゆる総てが氷世界に囚われ、唯一動くことが許されたのは世界の創造主にして、奈落を嘲笑する麗しき悪魔──舞川鈴奈。

彼女は微笑んでこそいたが、この瞬間においてその微笑みは狂気のそれを思わせる。

 事実、氷世界の妖精達は鈴奈の笑みを狂気じみた醜悪な面だと感じていただろう。

 しなやかな手が蒼く変色した髪を払い、微細な氷の結晶が淡い輝きを放って舞い散る。


「氷地獄ってのはね、寒さで肌が裂けて血が華を咲かせるそうよ。地獄って野蛮だし美しくないから使いたくないけど、強いてこの言葉を使うなら──紅蓮地獄かしら?」


 鈴奈の肌も所々凍り付いている、だが彼女は寒さなど一切感じていない様子で、むしろ心地よさを感じているようにも見える。

 それもそうだろう、彼女は氷世界の創造主なのだから。


「実はこれ、私の『設定上ちょうのうりょく』じゃ使えないことになってるから『天宮島ここ』で使ったのは初めてなの。まだ寒さが足りないけど」


 仏教における鉢特摩はどま紅蓮地獄。寒さにより皮膚が裂けて流出した血が紅蓮の花を咲かせるというその地獄は、正真正銘此処に顕現していた。

 震えることすら許されない。苦悶すらも許されはしない。地獄の主は己以外の活動を僅かすらも看過しない。それは──思考はおろか心臓の鼓動すらも、許さない。


「体が折れ裂ける大紅蓮地獄じゃないだけ安心しなさい。私の『停止世界』内では死んでるも同然だけど、殺しはしないわ。皆で大人しく、お兄さんの帰りを待ちましょう。まあその時には何が起きたか理解すら出来てないと思うけど許してね? てへ。……後でこのバージョンも試してみようかしら」


 地獄の中で唯一可憐に笑う少女は──芸術的で世にも美しい女神のようだった。

 蒼い髪が黒い髪に戻り、鈴奈は自分の肌を見て、にこりと口元を歪ませる。


「自分の皮膚も裂いとく程度は演技も必要かな」

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