第11話 幕間 少女の悪夢

 木葉英奈は夢を見ていた。

 少し腰の低い父としっかり者で天然まじりの母、その隣にはとても優しい兄がいて、自分はその光景を遠くから眺めている。手を伸ばしても届かない。まるでこっちに来るなと

言われているようで、家族はどんどん遠ざかっていく。走っても走っても、大声で叫んでも家族は何も届かない。涙が零れる──血のように赤い涙だった。

 気付けば、視界は赤に染まっていた。夕暮れよりも醜悪で、炎よりも熱くて、ルビーの宝石よりも濃厚で鉄臭い、一面血液に塗れた赤い世界。踏み入れれば二度と戻ってこれない悪魔の住む赤血の海。その中に、家族は沈んでいた。

 首のない父は離れた首を探す。身体を両断された母は零れた臓物を掻き集める。

 優しかった兄は、いつも笑いかけてくれていたその顔は、憎悪に塗れ酷く歪んでいた。

 兄が何に憎悪しているのか分からない。

 ……もしかして英奈? 

 赤い涙が水面に落ちる。波紋が広がり、兄の顔がこちらに向けられた。


「英奈……」

「ごめんなさいお兄ちゃん……英奈……ずっとお兄ちゃんに迷惑かけて……」

「お前にせいだ。お前のせいで父さんと母さんは……!」


 遠かった兄の姿は目の前にあった。手が伸ばされ、英奈は首を掴みあげられる。


「あっ……ぐぅ……ごめん、なさい……」

「お前が居る限り、俺は縛られ続けるんだ。妹という鎖にッ!」


 首を絞める手に力が込められていく。

 ……お兄ちゃんは、英奈を殺そうとしてるんだ。

 そこに、拒絶は生まれなかった。むしろ、それでいいと思ったのだ。


「……お兄ちゃんがそう望むなら……お兄ちゃんになら……殺されても、いい……」

「なら死ね」

「ぐぅぅ……がぁっ……お、にい……ちゃん……」


 ☆ ☆ ☆


「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」

「どうですか? 苦しいですか? クヒヒ」


 鉄の壁に囲まれた地下の一室。天井と床から伸びる鎖によってX状に吊るされている下着姿の少女──木葉英奈の前に立つ黒いマントの人物は愉しげに口角を吊り上げた。

 黒マントは深く被ったフードを取る。現れたのは少し長い青髪の壮年の男。その髪は染めた色ではなく地毛だと言われても信じられる自然さのようなものがあった。


「薬の効果がよく効いているようで。さぞ辛い悪夢でしょう」


 青髪の男は捕縛する際に暴行を加えられたと思われる木葉英奈の赤く腫れたお腹に指を這わせながら、反応が無い反応にクヒヒと気持ち悪い笑いを零す。


「どうも、コノハエイナさん。僕はサフィラス・マドギール。昨日ショッピングセンターのフードコートで出会っているんですが、『この姿』でお会いするのは初めまして。しっかりとお兄様に謝罪は出来ましたかな?」

「……お兄ちゃん……」

「ふむ……」


 彼女の目は焦点が合っておらずどこを見ているのか分からない。夢に近い幻覚作用を及ぼす薬を捕縛段階で打ってあるのが原因だが、どうも効き目がよすぎて心が壊れてしまわないか心配になってくる。あるいは薬の効き目ではなく、彼女が見ている幻覚の方に問題があるのだろう。

 サフィラスは腹から太ももへ指を動かしながら、


「お兄様、か。確か序列七位とやらの猛者でしたかな?」

「その通りでございます」


 部屋に別の男が入ってきた。ぼっこり太った身体のこれまた壮年の男だ。

 太った男は運んできた機材から伸びる電極パッドを吊るされた少女の全身に張り付けていくと、サフィラスに『序列七位』の基本データが記された紙を手渡した。


「兄の名前は木葉詠真。この兄妹は島に移住してきたのと同時期の一◯年前に両親を失い、身寄りのない彼らを磯島という研究者が後見人となって引き取ったようですね」

「一◯年前……ふむ、良くない思い出を想起させる言葉ですね」


 サフィラスは僅かに眉間にシワを寄せる。その様子に太った男が恐る恐る尋ねた。


「何かトラウマでも?」

「いえ、些細なことですよ。心の病など魔法でどうとでもなりますよ」

「……魔法、ですか。貴方が口にすると恐ろしい言葉ですよ。夢がない」

「夢も何も現実ですからね。そんなことより、今は彼女に意識を注いでください」

「ええ、ええ。調べ上げてみせましょう、彼女の超能力をね」

「クヒヒ」


 酷く醜悪な笑みを浮かべるサフィラス。その眼は木葉英奈しか映っていない。


「早急かつ入念に行ってくださいね。後からまた調べたいと言われても知りませんよ。データのコピーと彼女の身柄は僕が頂くのですから」

「契約を守って頂けてこちらとしても嬉しく思います」

「なに、データも有用ですからね。『使徒』を出し抜いて手柄を横取りするには妥協は許されない。手に入る物は総て持ち帰ります。……では、始めましょうか」

「了解しました」


 太った男が機材を起動させるとサフィラスはフードを被り直し、後ろ腰で組んだ手の中で『千切れたストラップ』を転がした。

 直後、部屋に少女の悲痛な叫び声が響き渡る。

 それでも少女は、いつまでも『お兄ちゃん』と口にし続けていた。


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