第10話 交流試合Ⅲ

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 身を隠し始めて五分ほどが経過した時、鈴奈がこんなことを呟いた。


『思ったのだけれど、一発で試合を終わらせるのと同様にただ隠れているだけってのもかなりダメな気がするわ』

「奇遇だな。俺も思った」

『でもそれって向こうにも言えることだと思わない?』

「透明化、だな」


 物陰に身を隠している詠真らはまだカメラで捉えられるが、透明化している朱染の二人はカメラにすら捉えられない。ともすれば現状、モニターしている客は全く動きのない映像を見せ続けられているだけで、せっかく申し出て取り入れたタッグバトルという珍しい形式がまるで意味を成していないことに苛立ちを露わにしていても可笑しくない。


「でも透明化に関しちゃ、穴がある可能性もある」

『穴?』

「欠点。例えば、あの透明化は肉眼にしか効果が無くてカメラとかを通じてしまえばあっさり破られてしまう、とかな。それも込みで選ばれたって気がしないでもない」


 詠真は近くにある中継カメラを眺めつつ、


「もしそうなら、カメラの動きから相手の位置を割り出せないかな」

『あら、それは名案ね』

「やっぱり? じゃあとりあえずそれで」

『でもそれより良い案があるのだけど、聞いてみない?』


 持ち上げられて落とされた詠真は顔をむっとさせて、


「いいぞ、言ってみたまえ」

『端末のカメラ』

「……、」


 詠真は言葉を失った。本当に自分の案より良い案だったからである。


「感服いたしました。それでいきましょう」

『ふふ、了解しました』


 試合開始から数えておよそ八分程度。柊のターンとなるのかはこれにかかっている。

 立ち上がった詠真は端末を取り出してカメラを起動。英奈とツーショットを撮った時のままだったせいかインカメで起動し、自分の顔が画面いっぱいに映って少し悲しい気持ちになったので英奈の写メを見て癒された後、もう少し見晴らしのいい場所へ移動した。

 二階建て戸建の屋根の上。ここなら高すぎることもなければ低すぎることもない。


「さて、引っかかるかどうか」


 カメラを周囲に向け、ぐるりと一回転。

 しかし見えないものが映りこむことはなく、場所的にもっとヤバいものが映ってしまわないか心配になってきた。どうも鈴奈の方にも進展はないようで、カメラでも映らない完璧な透明化なのか近くに居ないのか。あるいは障害物の影に隠れているのか。


「史上最も面倒な試合だわ」


 呟きながら、詠真は端末を持つ腕が少し疲れたので持ち替えようとした。

 その時、少し下に向いたカメラレンズが捉え画面に映し出したのは、勝ち誇った目で空を見上げる──否、詠真を見上げる朱染の二人の姿だった。


「お、そんなとこに」

「周囲ばっか映してるから足元が疎かになるのよ!」

「ぬわっ!?」


 突如、詠真の身体が浮き上がった。屋根から足が離れ、少しずつ空へ吸い寄せられていくのだ。風を発動させた訳じゃない。これは他者の力によって付加された浮遊力なのだと詠真は即座に理解したが、どうにも上手く態勢が整えられず、頭が下に足が上の態勢でどんどん高度が上昇していく。


「うおうお!? これは念動系か?」


 体重移動が上手くいかず空中でグルグルと回転する身体。それでもなんとか、外れてしまったカメラを地上に向け直すが、既に二人の姿はなかった。

 だが先ほど見た睨眼の勝ちを確信した様子からして、次の一撃で勝負を決めに来るはずだ。そう予測した詠真は気持ちだけでも身構えるが、一向に何も起こらない。ただ浮遊した身体が上昇していくだけだった。


「どういうことだ?」

『こっちが聞きたいのだけど』


 通信機から鈴奈の冷めた声。詠真は咳払いをして平静を装った。


「うむ、身体が浮いて上昇してる」

『私の方からも見えているわよ。すっごく滑稽」

「これが舞川だったらパンツ丸見え映像が」

『パンツよりそんな滑稽な姿の方がよっぽど辛いわよ』

「ファンクラブが発狂して映像に魅入るんじゃ」

『どうでもいいけど、それが女の能力?』

「……念動系かと思ったんだが、追撃してくる様子がない」

『浮かすだけってことはないでしょう……流石に』

「まあそりゃそ……だけどおおおおおおおおおおおおおお!?」


 詠真が突然素っ頓狂な叫び声をあげたのには理由がある。他者によって付加されていた浮遊力がふっと掻き消え、およそ上空五◯メートルから自由落下が始まったのだ。

 真下には家の屋根。このまま落ちれば当然大怪我する訳で、詠真は絶叫マシンに乗っているかのように叫びながらも風の力を発動。下に向けて風を放つことで一瞬無重力に近い状態になり、即座に風を纏って浮遊状態に移行した。

 ホッと安堵に胸を撫で下ろす。


「ふう、あっぶねえええええ!?」


 が、再度詠真の身体を他者より付加された浮遊力が襲う。落ちたり飛んだりする光景がさぞ面白かったのか通信機から鈴奈のクスクス笑う声が聞こえてきた。


『宇宙飛行士の才能は皆無かしら? そのままじゃ宇宙の果てに独りぼっちよ?』

「悪いがそんな職業は目指してない!」

『ふふ、おバカさんって職業がお似合いかしら』


 変な皮肉にぐぬっと唸った詠真は超能力の正体を暴く為、上昇する浮遊力に身を任せたまま地面に向けて軽く風を放つ。すると反動で浮上速度が上昇。ここまでは普通だった。

 普通じゃなかったのは──その速度が減速も加速もせず保たれ続けたことだ。

 つまり浮上速度を操作しているのは能力の発動者であろう睨術ではない。

 おそらく彼女は『浮遊力を与えた』のではなく『浮遊力が付加されるような空間に対象を放り込んだ』のではないか、あるいはそれに近いものだと詠真は考えた。

 ゆえに浮遊した物へ干渉する力を持たず、追撃を行わなかったのではなく厳密には『行えなかった』のだろう。その発動条件までは確信を持てないが、詠真は今自分が置かれている状況に大方の予想は着いていた。


「……なるほど。舞川の言葉は偶然にも的を射ていたのか」


 そして再び浮遊力が消えて、詠真の身体へ重力という鉄槌が襲う。

 その重力は普段晒されている強さと変わらないのに、今は酷く重たく感じられた。

 落下しながら、詠真は睨眼へ一言、言葉を投げた。


「念動力じゃなく──無重力化だな?」

「っ~~!」


 睨眼の息を飲むような声が聞こえると共に、詠真は視界の端、少し離れた地上に朱染の二人の姿を肉眼で捉えることが出来た。出来ていた。


「ついに透明化の効果が切れたか?」


 既に風を纏って滞空していた詠真は睨眼の焦燥した表情を確かに見た。

 おおよそ突如襲い来る浮遊力から一変、重力による落下で恐怖を与え、落下直前で能力を発動し再び浮遊させて落下させる。それらを繰り返すことで精神的恐怖を増幅させギブアップに追い込もうという作戦だったのだろう。事前情報によって相手が自分たちの能力を知っているという可能性は考慮しなかったのだろうか、と疑問が浮かんだが、そこはあの性悪生徒会長が一枚絡んでいるとみるべきだ。 

 そう結論付けた詠真は、朱染の二人を強く見下ろす。


「逃げるわよ!」

「は、はい!」


 背を向けて逃げ出す朱染だが、詠真はもう追いかけっこをする気はない。

 ここで試合に決着をつけようと、地上へ手を翳す。


「初手はやられたが、もう逃げられると思うな……よお!?」

「べ~~~っだ!」


 振り向いた睨眼が右目の下目蓋を引っ張りながらちろりと舌を出した。

 ここにきて詠真は、三度睨眼の力に驚かされることになる。

 発動している風の力を上書きするように無重力の檻に囚われた詠真は緩やかに上昇を開始。それだけなら良かった。だが、浮遊を始めたのは詠真だけではなく、彼の下に建っていた二階建て戸建までもが重力の枷から解き放たれていたのだ。例の事故によって地面も酷いダメージを受けていたのだろう、戸建は接する地盤ごと浮遊を開始。

 そこで詠真だけが唐突に重力の枷を取り戻した。


「割と容赦ないな、あの人」


 上昇する戸建と急激に下降する詠真。家との衝突を覚悟して逃げる二人への追撃を放つか、追撃を諦めて家との衝突を回避するか。

 迷わず選んだのは後者だった。

 詠真は頭が下に向いた落下態勢のまま、片手を頭上に向け、風の力によって真下に竜巻を生じさせた。家を地面にまで押し返すと同時に自身も反動を利用して態勢を整える。

 再び浮遊を始めた家の上に着地して地面に飛び降りると空を見上げた。一定距離まで上昇した家が重力に従って落下へ移行したのを確認し、詠真は両掌を巨大な落下物に翳す。


「あんま派手すぎることはしたくなかったんだけどなぁ」


 放ったのは──風速七◯メートルを超える暴風竜巻。序列第七位の彼は非常に優秀な能力制御を駆使し、竜巻の直線状以外には一切の被害を及ばせない。落下する家だけが放物線を描いて二◯◯メートル彼方へ吹き飛び、マンションの屋上に落下して破砕した。


「下手すりゃあのマンションも崩壊するとこだったな。……ごめんなさい」


 かつてこの区画、あの家に住んでいた人達に手を合わせ、気持ちを切り替えた。

 意識を通信機へ。


「さて舞川、汚名返上させてもらっていいか」

『いいけど、さっきの映像は島中に公開されるって思うと笑いが止まらないわ』

「俺の滑稽な姿より舞川のパンチラのが絶対価値あるからな。少しはファンサービスでもしてやりゃどうだ? その功績で俺がファンクラブから襲われなくなれば最高かな」

『間接的に私が迷惑かけてるようなものだし、次も守ってあげるわよ』

「余計にヘイトを買う」

『無駄話はいいから、汚名返上をしてみなさい』

「聞いて驚け。ゲイガンさんの能力は、何らかの条件をクリアすることで対象を一時的に無重力化させるものだ。効果はだいたい一分もない程度だな」

『無重力……へぇ、重力干渉ってわけ?』

「だと思う。珍しい能力だ。舞川は見るの初めてか?」

『ええ、初めてで興奮してきたわ』


 鈴奈の声からは確かに昂りが感じられる。彼女がそこまで興味を示すのも珍しい。詠真から見た舞川鈴奈は基本的に興味心が薄い印象だったからだ。


『でもその言い方だと、木葉クンは既に見たことがあるの?』


 聞かれて、詠真は思わず言葉を濁してしまった。


「まあ似たようなもんをな。とりあえず! これで相手の力は分かった。攻勢に出るぞ」

『そうね、そうしましょうか。で、具体的な作戦はあるの?』

「微妙だな。透明化が切れて逃げ出したとこを見ると再発動にはインターバルが必要なんだろうけど、要する時間は分からない」

『うーん……効果時間は一◯分くらいかしら。試合始まって今がそのくらいだし』

「なら同じ時間か、それより早いと考えて動くか」

『了解。ちょっと動き回ってみるわ』


 通信が終わり、詠真は短く息を吐いた。


「身を隠す場所はいくらでもある訳だが、しらみ潰しはかなりダルイな」


 まだ遠くへ行ってないだろうが、一◯分という時間で見つけるには骨が折れる作業だ。

 何かおびき寄せる手段があれば早いのだが、周囲の建物を手当たり次第に破壊して回るのは気が引ける。だが下手な手段では睨眼は絶対に姿を現さないだろう。

 もっとこの場所の地形に詳しければと後悔してもう遅い。

 ともすれば、気が引けても強引な手段を取るべきなのだろうか。詠真は腕を組んで悩みながら鈴奈の報告を待ちつつ、周囲の景色をもう一度注意深く観察してみた。

 廃ビルに廃屋、散乱する瓦礫。視界の限り同じような景色が広がっているだけで、見れば見る程ほど隠れる場所には事欠かないことだけが分かる。

 そんな時、ふと先刻の睨眼の言葉が脳裏を過った。


『周囲ばっか映してるから足元が疎かになるのよ!』

「……足元?」


 詠真は視線を足元に落とす。

 そこにあったモノを見て、勝利へ繋がる作戦を閃いた詠真は両手をパチンと叩いた。


「舞川さん舞川さん、またしても汚名返上の時が来ましたよ」

『へぇ? お聞かせ願えるかしら』

「まあ急かすなよ。ところで舞川、少し無茶な頼みをしたいんだが」

『言ってみなさい』

「マンション丸ごと氷結させたりできるか?」


 数秒ほど間を置いて、


『流石に大きすぎるわね。でも周囲の空気を凍らせて建物を氷の中に閉じ込めることで、そう見せかけることは可能よ。それでも大丈夫?』

「ああ、問題ない。三件か四件さくっとやっちゃってくれ」

『それだけでいいの?』

「目的は見せつけることだからな。建物の中に居たらヤバい、そう思わせることで朱染の二人を誘き寄せ、纏めて叩く」

『ふーん……で、どこに?』


 詠真は勝利を確信した余裕の笑みを浮かべ、ビシッと足元を指差した。


「──地下だよ、地下」


 ☆ ☆ ☆


 序列七六位〈星壊の睨眼〉。彼女はタッグに選んだ後輩の男子生徒と共に、数ある廃マンションの一つに身を潜めていた。


「……ふざけんじゃないわよ……」


 睨眼の少女は大層不機嫌な様子だ。

 彼女は今回の交流試合への出場が決まり、そこまでは良かった。だが、対戦校から選抜された相手の名前を聞いた瞬間、ある種の絶望と苛立ちを覚えた。

 序列七位と一五位のタッグ。『白の柊』最強と言われる精霊の王と氷の花。いくらなんでも勝てっこない最悪の対戦相手。朱染唯一の序列取得者である彼女でも、格上を二人相手にして一分すら耐えることは叶わない。それは彼女自身が理解していたし、三年という重要な時期に『敗北』なんて成績は残したくなかった為に参加拒否も考えた。

 しかしここで逃げたらもっと惨めな思いをする。それだけはプライドが許せなかった彼女は『肉視透明アイ・ステルス』という物質透明化能力を持つ後輩の力を借りることにしたのだ。それすらもプライドに抵触する選択だったが、なりふり構っていられる相手ではないのだと己に言い聞かせて……更にもう一つ、苦渋の選択をした。

 彼女は、対戦相手に事前情報を与えないで欲しいと学院長に懇願──頭を下げたのだ。

 意を汲み取った学院長が柊学園に連絡した翌日、申し出を承諾する旨の返答が来たと知らされた彼女は、何が何でも勝つと学院に誓って交流試合に──今日に臨んだ。

 その結果が、これだ。透明化が切れる前に決着をつけられず、能力も看破され、透明化再発動のインターバルである一◯分間身を潜めるしか出来ない。

 あの二人に正面切ったとこで瞬殺されるのがオチだ。なんと情けない姿だろうか。


「くそ、くそぉ!」


 必勝法が通じなかったことに悔しさと苛立ちが収まらない。

 彼女の超能力は、対象を視界に収めることでその対象を一時的に無重力化させる『無重空間ゼロ・スペース』。現在の能力制御率では対象に対して三◯秒間の連続的な集中が必要となり、それを確実に発揮する為に姿を透明化するという必勝コンビネーション。

 それは成功こそしたが、勝利には繋がらなかった。


「やっぱりあの二人をギブアップさせるなんて無茶ですよ先輩……」

「うるさい……私にはそれしか勝ち目はないのよ……!」


 そんなもの彼女が一番分かっている。自分の弱さは、自分が最も理解している。

 睨眼は唇を強く咬み、二人は刻一刻と過ぎていく時間の中に気配を溶かしていく。

 一分。二分。三分──四分が経過しようとした、その時だった。

 割れた窓の隙間から外を覗いた二人は、信じられない光景を目にした。


「……は? いやいや、うそうそうそ!? チートすぎるでしょ! マンションまるまる凍らせるとかバッカじゃないの!?」


 視界の奥で、マンションが氷に覆われていた。

 それは立て続けに二件、三件と起こり、段々と二人が隠れるマンションに近付いている。

 このままでは、氷の檻に閉じ込められて完全な敗北を迎えるだろう。

 ──ダメだ、許せない負けられないプライドが許さない!


「外に出るわよ!」

「え、でも外に出たら」

「いいから!」


 後輩の手を引っ張って建物の外に飛び出た彼女は、地面を踏みしめた足に金属のような固い感触を覚え、視線を落とした。

 そこにあったのは──錆びたマンホール。


「そうだ、下水道に身を隠せば!」


 ☆ ☆ ☆


 下水道は当然ながら酷い悪臭が漂っていた。何年も手入れがされておらず、ネズミやゴキブリがいたるところに徘徊している。

 詠真は壁にもたれ掛かり、端末で英奈の写真を眺めていた。

 可愛い、ああ可愛い。天使すぎる、どうして君は英奈なの?

 フォルダ『英奈コレクション』には実に一◯◯◯枚近くの写真が保存されている。これからも増え続けるだろうそれは詠真の宝物であり、兄妹愛の結晶とさえ言えるだろう。

 今や唯一の血の繋がった家族。父母の家族は島の外で暮らしているが、会ったことはない。父母は両親の反対を押しきって駆け落ちした為、既に縁が切れている。今更会おうとも思わないし、他に何かを思うこともない。

 英奈が居ればそれでいい。彼女が元気に笑ってくれていればそれで満足。

 この島でずっと平和に穏やかに暮らしていければそれ以外何も望まない。

 木葉詠真の世界は、木葉英奈を中心に廻り続けているのだから。これからも、ずっと。


「……ふぅ」


 端末をポケットに仕舞い、壁から背中を離した。

 薄暗い通路の奥から聞こえてくる二つの足音。安堵しような少女のため息。


「まったく、マジで冗談じゃないっての! あの女バカでしょバカ!」

「まあまあ先輩、とりあえずここで隠れて仕切り直しましょう」

「言われなくても分かってるわよ!」

「後輩にはもう少し優しくしてやれよ」

「はあ? 私はいつも優しい先輩でしょ!?」

「せ、先輩……今の……」

「何? まだなんかあるっての!?」

「だから……前……」

「前がどうしたっての……よ……?」


 察しの良い後輩の忠告で前方に意識を傾けた睨眼は、文字通り絶句した。

 誰もいないはずの下水道の通路で手を振っている白い影──〈四精霊王〉木葉詠真。

 朱染学院の二人はピタリと歩みを止める。

 目を見開き、その顔はまるで悪魔を目にしたような驚愕と怯えが張り付いていた。


「よっ、待ってたぜ」

「うそ……うそうそなんで……」


 詠真が気さくに笑いかけると睨眼は半歩足を引き、だがそれ以上足は動かない。

 隣の男子生徒はその場にぺたりとへたり込んでしまった。


「おいおい、そんな怖がらなくても」


 思わぬ反応に心が傷ついた詠真はそれ以上の会話を行う気はない。

 睨眼の能力発動条件が分からない以上、早々に気絶でもさせて試合に幕を引く。

 二人に手を翳し、薄暗い闇に緑の輝きが点灯した。


「待って待って少し話そう!? ね!?」

「必要ない」


 ゴバァッ! と下水道に強風が吹き乱れ、睨眼は思わず目を閉じる。目を開けていられないほどの風が朱染の二人に敗北を確信させた。

 ……少し痛いだろうけど、我慢しろな。

 強風によって詠真の声は掻き消され、長くも短いこの試合に決着が訪れる。

 ──と思われたが、ふっと嘘のように強風は収まった。代わりに下水道にはけたたましい警報のような電子音が鳴り響いていた。


「これは……」


 詠真は警報の発生源である自身の端末を取り出す。画面には緊急回線着信という赤文字が表示されており、音は一向に鳴り止む気配がない。

 これは木葉兄妹の後見人である天宮島の研究者・磯島上利が念の為にと兄妹の端末にだけ搭載した緊急回線システムで、主な目的は通信傍受の阻止である。

 この回線で着信を受け取ると警報じみた着信音が鳴るよう設定されているのだ。


「な、何なの……」

「悪い。通話に応答する間だけ待ってくれないか?」

「へ? え、あ、いい……けど……」

「ありがとう。実は良い奴なんだな」

「ふへぇ!?」


 着信で頭がいっぱいの詠真は適当な言葉で礼を述べてから、応答ボタンをタッチ。 

 直後、切迫した大声が詠真の鼓膜を殴打した。


「詠真! 落ち着いて聞いてくれ!」

「お、落ち着くのは所長だって。なにごと?」

「あぁ、実はほんの少し前──」


 ドクン、と詠真の心臓が跳ねた。何か酷く嫌な予感がする。そもそも緊急回線で連絡を寄越してきた以上、他の者に知られてはいけない話ということだ。

 それに、詠真は一つだけ心当たりがあった。

 むしろ、その為に搭載された緊急回線システムなのだから。


「……おい、もしかして……英奈になんかあったのか!?」

「──英奈が何者かに誘拐された」


 全身の血の気が引いた。同時に詠真は片手を挙げていた。ギブアップ宣言である。


「……今すぐ研究所に行く」


 通話を切った詠真は地上に続く梯子に手をかける。状況を飲み込めていない朱染の二人には急用ができたと伝え、反応を無視して地上に飛び出した。


「……英奈」


 風の力をありったけ発動。弾丸の如く空へ舞い上がり、飛行操作をスムーズに行う為に必要な四本の小竜巻を背中に接続。


『ひ、柊学園のギブアップ宣言により勝者は朱染学院、です……』


 スピーカーから流れるのは困惑した様子で柊学園敗北を告げる滴の声。


『木葉クン、これはどういうことかしら?』


 通信機から聞こえるのは怒りではなく純粋な疑問を呈する鈴奈の声。

 詠真は正直に答えるか迷ったが、彼女にだけは話しておかなくては……そう思った。

 どうか嘘であってくれと願いつつ、詠真は簡潔にこう伝えた。


「……英奈が、誘拐された」


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