第20話 総ては君の為にⅣ


 その後柊学園は急遽休校となり、生徒は皆混乱の渦巻く中、家に帰された。

 例のクーラーボックスを運んできた事務員は新人だったらしく、政府の書状と共に事務室に置かれていたからという理由で疑いもせず運んできたと話しているそうだ。

 現在、警察は捜査チームの人員を増加させ急変した事態に対応しており、押収された物品から犯人の手掛かりが残されていないか分析作業が急ピッチで進められている。

 その旨を警察から聞き終えた詠真は通話を切り、端末をテーブルの上に叩きつけた。


「クソがッ!!」


 怒りが抑えきれない。何かを殴っても殴っても静まらない。鈴奈が止めなけば拳の骨が砕けても手当たり次第に何かを殴り続けていただろう。右手には既に包帯が巻かれており、滲み出した血があの光景を蘇らせる。

 机に置かれた血濡れた便箋と千切れたストラップ。英奈の片腕はあの後すぐ磯島の研究所に持ち込まれ、腐らないよう完全な冷凍保存処置が施された。

 だがそれで一安心、落ち着こうとは当然なるわけがなかった。


「……便箋の話、警察に伝えなくていいの?」


「伝えてどうなる……ッ! 他の人間に頼れば命の保証は無いって書いてんだぞ……その中に英奈が含まれていたらどうしようもねェだろッ……」

「……そう、よね」


 主犯格と思わしき人物から詠真に宛てられた内容は四つ。

 明日の一八時に一◯区中央広場に来い。

 事情が変わり木葉英奈だけでなく木葉詠真も必要になった。

 その時間、場所に木葉英奈を連れて主犯格もやってくる。

 余人に頼った場合、その者らに命の保証はない。


「余人うんぬんに関しては、捕まることを恐れているというより、その程度簡単に殺せる力を持っている、無駄死にを出したくなかったら木葉クン一人で来いってことかしら」

「何の事情か知らねェが、好都合だ。ぶっ殺して英奈を助ける」

「殺すのはやめなさい」

「殺されて当然のことをしたんだ、殺す」

「正当防衛にはならないわよ」

「殺す」

「英奈ちゃんが帰ってきて、そこに貴方が居なかったら同じだって前も言ったじゃない」

「ッ……でも英奈が戻ってこいさえすれば……!」

「殺さなくても取り返せるでしょ。ぶっ殺すじゃなくてぶっ飛ばすでいいのよ」

「それじゃ怒りが収まらなっ……」


 鈴奈は詠真の顔を両手で挟むと、ぐいっと顔を近づける。目を据えて、


「その場の怒りと、これからの英奈ちゃんとの時間。どっちが大切なの?」

「ッ……」

「目を逸らさない。私の目を見て」

「…………すまん、少し落ち着く」


 我を取り戻した詠真は鈴奈の手を払い、洗面台で顔に冷水を浴びせた。

 その場の怒りと、これからの英奈との時間。そんなもの、これからの英奈との時間の方が大切に決まっている。それが分からない程に激情していたことをようやく自覚した。

 鏡を見れば、そこには醜い面の男が居る。詠真は鏡に映る顔に拳を押し当てた。

 ……こんなもの、英奈が好きと言ってくれた俺じゃない。

 こんな時だからこそ、冷静になるべきだと言い聞かせる。


「向こうは俺に何かを望んでいる。なら交渉の……いや、何も譲歩してやるものか。俺達から何一つ奪わせない……この手で──ぶっ飛ばす」


 顔を拭いた詠真がリビングに戻ると、鈴奈はキッチンで何やら料理を行っていた。

 漂う匂いからして、


「お粥作ってんのか」

「そうよー。木葉クンが帰り道でカバンぶん投げたせいで、せっかく作ってあげた弁当がぐっちゃぐっちゃになってたから」

「わ、悪い……それもきちんと食うよ」

「私のと混ぜて軽くおかずにしちゃうから少し待ってなさい」


 程なくしてテーブルに並べられたおかゆと急仕立てのおかず。四日間まともに食事をしていない上、精神的に参って喉も胃袋もあまり食事を受け付けないだろうと気遣った時、一番食べやすいのはお粥だなと鈴奈は判断したのだ。


「明日に備えて少しでも胃袋に入れておきなさい」

「あぁ、ありがとう。……止めないんだな」


 お粥を口に運びながら詠真は呟く。鈴奈も同様に呟き返した。


「私も行くから止めないわよ。一人くらい構わないでしょ?」

「……ここで止めても聞かないんだろうな」

「私がなぜ止めなかったか考えれば分かることよ」

「頑固者同士、頼りにしてるよ」

「頑固者同士、頼りにしてちょうだい」


 それから二人の間では無言が続き、されど心地の悪い無言では決してなかった。


    5


 明日の昼頃にまた来ると言って、詠真の晩御飯を用意した後学生寮までの帰路に着く鈴奈は端末から知り合いの男に通話をかけた。

 数コールで相手は応答し、幸薄げな青年の声が耳に届く。


『どうした』

「仕事中だった?」

『書類の雑務だがな』

「そ。私の部下の様子は?」

『良い友に恵まれたな、優秀な働きだ』

「友……友ねぇ。まあそれならいいのよ」


 鈴奈は夜空を見上げながら、もう一度「友、か」と呟いた。


『なんだ、それだけか?』

「ううん、聞きたいことは別にあるのよ」

『なんだ?』

「前に言ってた、レブルスの名前って分かる?」

『ふむ、少し待て』


 幸薄げな青年の声は暫く黙った後、


『あったあった。所属は闇直轄だな』

「ふーん、あの……。で、名前は?」

『名前は────だな。それがどうした?』

「それ私が担当することになるかも。今『ウチ』が関わってる事件に首突っ込んでて」

『……何があったか知らんが……鈴奈、かなりブチ切れてるようだな』


 まさかそんなことを言われるとは思っていなかった鈴奈は数秒閉口する。

 ……そっか、私本気で怒ってるんだ。


『どうした? 図星か?』

「そのようね。ありがとう、聞きたいことはそれだけよ。じゃね」


 一方的に通話を切断し、鈴奈は軽いスキップをしながら夜の道を歩き出した。


「私、英奈ちゃんが傷付けられて怒ってるのね。ほんと酔狂だわ」


 だから、と鈴奈は足を止めて、低く殺意を孕んだ声で呟いた。


「もし貴方が犯人ならいい死に方しないわよ──サフィラス・マドギール」


 ケロッと表情を変えた鈴奈は再度スキップを踏んで夜の道を歩き出した。

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