四章 総ては君の為に
第17話 総ては君の為にⅠ
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木葉英奈誘拐事件の捜査は難航していた。誘拐から六日経った現在まで犯人からのコンタクトが一切無いことから身代金目当ての犯行ではないとされ、捜査チームの指揮を執る警視が磯島の研究所を訪れたのは今から二日前のことだ。
木葉英奈のロックされた情報の開示。天宮島の総合データベースに登録された木葉英奈のデータには複数のロックが施されており、閲覧するには磯島の、あるいはこの件の秘匿に賛同した政府上層部の権限が要求される。警察最上階級である警視総監でも閲覧が許されていないその情報総てを捜査進展の為に開示してほしい、未来に希望溢れた罪なき少女を悪から救ってやりたいと、警視は涙を流して頭を下げ、床に額を押し付けたのだ。
警視の本気、子供達の情状酌量、何より彼女を助けるためにはそうすべきだと判断した磯島は、ロックされた二つの情報の内、『空間転移』に関することを警視に明かした。
もう一つは木葉兄妹の両親を殺した『現象』についてなので話す必要はない。
警視は情報秘匿を約束して捜査に戻ったが、判明したものと言えば三つだけ。
一つは、誘拐時刻に行われていた交流試合に招かれていた客、企業の人事部の人間や研究者が全員死体となって見つかったこと。口封じを目的とした犯行として、全員の背後関係などが洗われたが、事件に繋がる手掛かりはなく、殺された全員が関わっていたのか、その中の誰かだけだったのかは現状判断を下すことは出来なかった。
二つ目は、木葉英奈の情報が漏洩した原因。当初の磯島の懸念通り、彼の研究所に勤める研究員の一人が情報を横流ししていたことが判明した。その研究員は誰かにどこかへ呼び出されて情報を話したと供述しているものの、誰とどこでという記憶を部分的に喪失しており、鑑定の結果供述に偽りは無し。犯行には精神操作系の超能力、あるいは何らかの能力を応用して記憶を削除した線が浮上。データベースに登録されている精神操作系超能力者約一万人を対象とした聞き込みが開始されたが今のところ進展はない。
三つ目は、被害者の兄・木葉詠真と彼に同調した舞川鈴奈から提供された情報を元に、捜査チームが『マンション柳』の監視カメラ記録を詳しく調べた結果、誘拐推定時刻のおよそ三◯分後に高度なハッキングの痕跡が発見されたことだ。ハッキング経路は極めて複雑化しており、既存の技術ではなく超能力を用いた独自の技術と思われ、交流試合の中継カメラにも同様のハッキング痕跡が見つかったこともあり、同一犯による犯行と断定。
その後、前記の学生二名が壊滅させた犯罪グループ『ディアプトラ』のリーダー格であった青年が電気系超能力者だと判明し、犯人は彼で定まった。しかし木葉詠真の話では、ディアプトラのリーダーは誘拐完了後に仲間に殺されており、その殺した男は誘拐の実行犯である物質透過系超能力者も自殺したとのことだった。
捜査チームは別チームと共に一五区の通称『奈落』と呼ばれる違法薬物売買の地を一斉摘発し、木葉詠真の話通り、大倉庫内の一角から地面に埋まった男を発見。掘り起こすも、端的に例えるなら生きたままコンクリート詰めにされて死んだ状態だった為、新たな情報は得られなかった。捜査チームの中にはこの男を何度も逮捕した経験がある警部が居たが、脱獄の常習犯とこのような形で決着がつくとは思いもしなかったとどこか複雑な表情を浮かべていたという。警部の話曰く、「奴は自分が既に放り込まれている自由という檻から出たがっていた」らしく、その反面死にたがりでもなかった。
そんな男が自ら死を選んだのは、それだけ木葉詠真に脅威を恐怖を覚えたのか、あるいはバックにいる者に対してなのか。そればかりは警部も判断しかねることで、最後は俺の手で償わせたかったとやはり複雑な表情を浮かべていた。それに加え、監視カメラのハッキングが行われているにも関わらず、住居人の誰一人として怪しい人物を見た者がいないことから、記憶操作超能力者の事件関連性が強まった。
以上の三つが六日間で判明した事件の詳細で『よく分からない男と太った研究者』という手掛かりに関しては曖昧すぎて手出しが出来ない状態だった。太った研究者などこの島にはごまんといるのだ、さすがに絞りようがないのである。
☆ ☆ ☆
「迷惑ばっかけてごめん所長……いつもは英奈に、所長に迷惑かけるなって言い聞かせてるのは俺なのに……これじゃ兄として説得力無さすぎるな……ごめんさない」
『いいんだ、気に病むな。原因は私の研究所にある。私の監視が行き届いていればこんなことにならずに済んだんだ。私こそ詠真に謝らなくてはならない。申し訳ない』
「悪いのは所長じゃないよ。悪いのは英奈を狙った奴ら……そして超能力だ。こんな力がなければ、俺達はもっと幸せだったのに……」
『私は詠真や英奈に出会えたことに感謝している。だが私と君達が、研究者と超能力者として出会わない世界があったのなら……そちらを選びたいよ』
「超能力って、何なんだろうな。なんで、こんな力が生まれてしまったんだろうな……」
『それは私達、天宮島の研究者が求め続ける命題だ。……もう落ち着いたか?』
「疲れたよ。英奈が居ない生活ってのはこんなにも心が疲れるなんてな……」
木葉宅には音が無い。笑顔が無い。光が無い。何も無かった。
四日間自宅から一歩も出ていない詠真は警察以外の来客を総て断り、食事や睡眠すらまともに取っていない。風呂は壊れたままで一度も入っていない。憔悴し切った顔から、覇気というモノを一切として感じられないほど彼は精神的に参ってしまっていた。
『なら今日くらい学校に行くといい。一種の気分転換にもなるし、こう言ってはなんだが学校に居れば下手な行動も起こさず済むだろう。彼女と……舞川さんともあれから会ってないんだろう? 彼女は昨日退院したそうだよ』
ディアプトラの武装構成員との戦闘で身に余る無茶な能力の使い方をした彼女は、自らの能力の影響で全身の肌が裂ける重傷を負っていた。超低気温によって生じたあかぎれを更に酷くしたような裂傷らしく、出血量と細菌感染の検査も兼ねて、入院しながら警察の聞き取りに対応していたと詠真は聞いていた。
「それは良かった。舞川、英奈の為にあんな頑張ってくれたもんな……お見舞いの一回も行かないとか幻滅もんだよな……」
『……これは内密にと言われていたんだがな、彼女は聞き取りの最中、しきりに詠真のことを心配していたらしい。ちゃんとご飯食べてるかな、ちゃんと眠れているかなとな』
「……んだよアイツ、いい女かよ……」
『とても良く出来たお嬢さんだよ。容姿に劣らず人間が美しい。詠真、彼女のことは大事にしてあげなさい。っと、これは英奈を取り戻してから言う台詞だな。すまん』
「何が言いたいのか分からないけど、舞川の行為をないがしろにする気はないよ。きちんとお礼は言っとくさ」
『そうしなさい。あと柊学園の生徒会長が舞川さんの面会に来た時も、詠真のことを心配していたそうだ。優しい人に恵まれたな』
「俺にはもったいないくらいな。……教えてくれてありがとう。今日はとりあえず、学校に行ってみることにするよ」
『ああ、じゃあな』
通話を終わり、詠真は自室のベッドから身を起こした。机の上に置かれた英奈の端末は電源を切っているが、きっと友達からたくさん連絡が来ているのだろう。
兄として、妹が友に恵まれていることは喜ばしいことだ。男友達となれば多少なりとも思うこともあるが、それでも嬉しいことに変わりない。彼らは英奈が戻ってきた時、変わらず仲良くしてくれるだろうか。泣いて喜んでくれるだろうか。笑って出迎えてくれるだろうか。泣きじゃくった笑顔で抱きしめてくれるだろうか。
大丈夫、きっとそうしてくれる。木葉英奈という女の子の良さを世界で一番よく知っているのは、間違いなく木葉詠真なのだから。
「ストラップ、どこにいっちまったのかな……」
英奈の端末からは、鈴奈からプレゼントしてもらった日のすぐ夜に付けていた『ふぇんりるさん』ストラップが無くなっていた。入室制限が解除された英奈の部屋をくまなく探したがそれはどこにも見つからなかった。
詠真は端末を置いて、窓際に飾ってある『ふぇんりるさん』ぬいぐるみを見る。英奈からプレゼントされたそれは『いつもお疲れ様。ありがとう』と書かれたカードが燦然と輝いており、もらった時は溢れる涙が押さえきれなかった。
ふと思い手に取ると、カードがはらりと落ちた。拾うと、どうやらカードは二つ折りのメッセージカードだったらしく、ここに書き込むことで完成する仕組みなようだ。
そしてそこには、英奈の可愛らしい丸文字でこう書き綴られていた。
『お兄ちゃんへ。恥ずかしいのでこっそり裏に書きます。いつもは、その、照れちゃうから言えないけど……英奈はお兄ちゃんが大好きです。大大大好きです。
色々ポンコツな英奈はお兄ちゃんにいっぱい迷惑かけちゃいます。だからそんな時はちゃんと叱ってください。甘いお兄ちゃんも叱ってくれるお兄ちゃんも大好きです。いつも、英奈を助けてくれるお兄ちゃんが大好きです。
昔、英奈が料理を始めた時に包丁で指を切っちゃって、お兄ちゃんはすごい顔して救急車を呼んだことあったよね。大袈裟だって病院の人も笑ってたけど英奈は泣いちゃうくらい嬉しかったよ。
小学校の運動会の日も、お兄ちゃんは学校の遠足だったのにそれをズル休みして応援に来てくれたんだよね。しかもかけっこで転んだ英奈に誰よりも早く駆けつけてくれたし、その後にあった親子玉入れには仕事で応援に来れなくなった磯島さんの代わりに参加してくれて、ぶわっと風が吹いてなんか勝手に玉が入っちゃうしびっくりしたんだから。でもすぐ反則ってバレて、英奈すごく恥ずかしかったんだよ?
でもね、嬉しかった。皆はパパやママがいるのに、英奈だけ一人で寂しかった。ほんとは休みたかったんだ、運動会。なのにお兄ちゃんが絶対行けって言うから行ったけど、お兄ちゃんの姿を発見した時は行けって言ってた理由が分かって大泣きしちゃった。そのせいでかけっこ転んだんだからね。
もっとね、もっとあるんだよ。お兄ちゃんとの思い出は全部覚えてるもん。でもね、これだけは全然覚えてないけど分かるの。
小さい頃、パパとママが居なくなっちゃった時も、英奈を守ってくれたのはお兄ちゃんなんだよね。その頃から、ううん、その前からずっと、お兄ちゃんが英奈のことを大事にしててくれたのを一度たりとも忘れたことはありません。忘れられるはずありません。だって英奈はお兄ちゃんが好きだもん。ずっと大好きだもん。これからも大好きだもん。たまに変なこと言うお兄ちゃんも大好きだもん!
嫌いなとこなんてありません。一日中考えたけど思いつきませんでした。悪いとこがないんじゃなくて、そんなとこも含めて、お兄ちゃんを構成する全部が大好きなのです。料理が出来ないとこも、それどころか家事全般がてんでダメなとこも、支えたくなります。可愛いです。お兄ちゃん可愛いです。いつも英奈のこと可愛い可愛い連呼するお兄ちゃんの方が一◯◯倍可愛いです。
お兄ちゃん、今顔赤くなってるでしょ? 全部お見通しです。英奈はお兄ちゃんのこと、全部知ってます。誰よりもお兄ちゃんことを理解してるのは英奈です。同じように、英奈のことを誰よりも理解してくれているのはお兄ちゃんだと思っています。だから、今はまだお兄ちゃん以外の男の人を好きになれそうにありません。心配しないでください。でもいつかはお兄ちゃん離れしないとダメなのかな。でも当たり前だよね。気付いたら少し長くなっちゃったけど、いつもは少ししか言えないので、今はたくさん言わせてください。英奈は詠真お兄ちゃんのことが世界一大好きです。兄を愛してます。これを読み終わったら教えてください。そして抱きしめさせてください。それが英奈の精一杯の想いです。
ぴーえす 磯島さんのこと、英奈はパパでいいと思うの。だから今度、そう呼んであげたいです。妹の英奈より』
ポタリポタリと、カードに涙が零れ落ちる。それは止まらず、止めどなく溢れ出す。
膝を崩し、英奈の想いが綴られたカードを胸に抱きしめ、溢れる涙に、もれる嗚咽に、湧き起こる感情に、詠真は総てを委ねて、幼い子供のように泣きじゃくった。
不眠でくまがこびりついた目は腫れあがり、食事はおろか水分すらまともに摂取していないにも関わらず涙は枯れることを知らず、慟哭が渇き切った喉を引き裂いていく。
守ると決めた。守る為に努力を続けた。守りたかった。守れなかった。
どれほど固く誓っても、どれだけ強く握っても、簡単に掌から零れ落ちてしまう。
読んだ、読んだぞ。読んだから……どうか頼む、抱きしめてくれ。
その声は、今は届かない。届かないから……届かせるんだ。
手を伸ばしても届かない。それでも伸ばし続けるのだ、いつか絶対掴み取る為に。
守りたい妹がいる。取り戻した妹がいる。
たったそれだけで、兄という生き物は強くなれるのだと、証明してみせる。
詠真は、ここにもう一度誓う。
──兄の総ては妹の為に。
「待ってろ……待ってろ英奈……必ずお兄ちゃんが助けに行くッ……!」
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