二章 交流試合

第8話 交流試合Ⅰ


「おはようお兄ちゃん! 今日は頑張ってね!」

「おはよう英奈……ってお前、朝から作りすぎじゃ……」


 デートから翌日。昨日よりも三◯分、つまり通常の時間に起床してリビングに降りた詠真は、テーブルに並べられた朝食の量に顔を青ざめた。いつも二倍、いや三倍か。ゲンを担げと言うのか大盛りのカツ丼まで用意されている。妹の手料理でもさすがに朝からこれはと断りを入れようとしたが、太陽のような笑顔を見せられては食べない訳にはいかない。


「試合はもう始まってるってことか……よし、お兄ちゃん全部食べちゃうぞ!」

「英奈のご飯で英気を養って! なんちゃって」

「上手い! 座布団一◯枚! ふっかふかのやつ! 料理も美味い! カツ丼一◯杯! ほっかほかのやつ!」

「えへへ、待っててね~」

「え、待って一◯杯はさすがに冗談で……」

「はい! カツ丼お待ち!」


 ドンッ! とカツ丼大盛り一◯杯が詠真の前に降臨した。

 いったいどれだけ作っているのやら、どうもさっそく胃が持ちそうにない。

 とは言え、こ詠真にも兄のプライドというものがある。平らげて好感度爆上げだ。


「う、うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 がつがつもしゃもしゃと豪快に平らげていく兄の姿を幸せそうな目で眺める英奈は、自身はいつも通り普通の朝食をつつきながら端末のカレンダーに目を通した。

 彼女の端末には鈴奈からもらった『ふぇんりるさん』のストラップがさっそくぶら下げられており、詠真は微笑ましいような寂しいような気持ちをカツ丼によって押し込み、喉を詰まらせてお茶で一気に流し込む。

 大丈夫? と英奈は笑いつつ、


「今日やっぱ応援行っちゃダメ?」

「ふはんは。……んぐ、すまんな。今日のは関係者以外は観戦できないんだ。会場がウチの競技場なら良かったんだが、場所が場所だから」

「旧居住区だっけ?」


 今日の放課後に行われる柊学園主催の交流試合の会場は旧居住区。五年前に起こった爆発事故によって廃棄区画となった一◯区の一角である。

 未だ残る建物は老朽化が激しい為実地での観戦は非常に危険で、設置された中継カメラによって客は別所から観戦する。その関係上、参加者と客以外は一切招かれないのだ。

 試合結果や映像は後程公開されるのでそれを待つしかいない。

 だがそもそも、


「英奈は今日検査だろ? すっぽかすんじゃないぞ」

「わかってるよ~。でも磯島さんに頼めばなんとか……」

「ダメだ。所長を困らせるんじゃない」

「は~い」


 磯島。それは木葉兄妹が天宮島に渡る際の手続きを担当した男の名前で、島で研究所を持つ所長であり、二人の後見人でもある。能力制御率が低い英奈は定期的に彼の元で検査を受けており、時折詠真も呼び出される。兄妹が学生寮ではなく一般居住区の一戸建てに住んでいるのも磯島の計らいあってのものだ。


「試合終わったら迎えにいくから待ってろな」

「朝早かったから寝ちゃってるかも」

「寝顔にキスするチャンスだな。寝てろ」

「ま、まだファーストキスは渡せないよ……」

「まだ?」

「うん、まだ……」

「いつかくれるなら今でも」

「はへぇ!?」

「ん?」

「あ、あげるなんて言ってないよ! バカお兄ちゃん!」


 詠真は頭上から降ってきたフライパンをキャッチしつつ、


「キスだけなら倫理的にセーフなのか? アウトなのか?」

「あうとだよ! バカ! はやく食べて!」

「早くってお前……」


 テーブルの上に並ぶ料理はまだ三分の一も減っていなかった。


    2


『決着! 先日の放課後、我が校が誇る序列取得者、第七位〈四精霊王〉木葉詠真と第一五位〈天上の氷花〉舞川鈴奈の模擬戦が競技場にて行われました。

 公式戦では未だマッチ経験の無い両名の初バトルは〈四精霊王〉が圧巻の実力で勝利を収め、見事上位序列の意地を見せつけてくれました。〈天上の氷花〉はギブアップ宣言で敗北となりましたがその引き際までもが美しく、今後の成長から目が離せません。

 彼女が〈九王〉の一角として君臨する日は遠くない、筆者はそう確信させられました。

 しかし、〈四精霊王〉とてまだまだ成長の最中であり序列最上位も夢ではありません。

 万物の理〈四大〉を統べる王、万物を一瞬の内に凍らせる〈氷〉の姫君、両名の活躍に胸の高まりは最高潮間違いなし!』


 という内容の新聞が校内に貼り散らされているのを詠真が知ったのは登校した直後だ。

 相変わらず仕事が早い新聞部だ。そう感心せざるを得ない優秀さ。序列取得者である詠真は一際ネタにされることが多く慣れっ子なのだが、いつまで経ってもむずがゆい。せめて許可くらいは申請してほしいと何度お願いしたことだろうか。

 新聞にはまだ続きがあり、


『更に! 今日の放課後に行われる当学園主催の交流試合にて〈四精霊王〉と〈天上の氷花〉によるタッグバトルが実現します! 旧居住区で開催される為リアルタイムでの観戦は断念せざるを得ませんが、早ければ明日にでも試合映像が届くでしょう。熱き戦いで互いを認め合った両者のコンビネーションは必見も必見! 続報をお待ちください!』


 との旨が記載されていた。本当に情報が早い。おそらく情報源は生徒会長だろう。

 詠真を困らせるのはいつも彼女が原因である。

 だから詠真は昨日の放課後バックレようとした訳で。

 今頃は三年の教室でクスクス笑っているのだろうと思うと少し腹だたしくなり、そんな自分が馬鹿らしくなった詠真は昇降口掲示板の前でため息を吐いた。

 これを見た〈天上の氷花〉はどう思っているのだろう。そんなことを気にしながら人だかりを抜けていく詠真は新聞の端にこのような一文を発見した。


『両者は試合後にデートに出かけたとの報告アリ。調査続行中』

「……マジでアイツどう思ってんだろう」


 ☆ ☆ ☆


 昼休み。舞川鈴奈は屋上のフェンスにもたれ掛かり、気怠そうに電話をしていた。


「なに? こんな時間に」

『昼、なのだろう?』


 端末から僅かにもれる声は幸薄げな青年の声で、少し疲れが見える。


「そうだけど。それだけ?」

『ああ、それだけだ』

「それだけって……馬鹿にして──」

『嘘だすまん。新たに確認されたレブルスの情報が本題だ。俺とお前の直属ではないが』

「……そ。私には関係ないしどうでもいいわ。じゃね」


 素っ気なく返して通話を切ると、端末にぶら下がる『ふぇんりるさん』のストラップを目の前で揺らしてみる。昨日のあの後、自分用に購入したやつだ。彼の妹──英奈とお揃いなのだが、鈴奈はそんな自分に呆れた笑いが込み上げた。


「酔狂ね、私も」


 呟いたのはそれだけ。鈴奈は無言で空を見上げた。

 彼女は昼休みになればいつも屋上に来ている。ご飯は食べない。誰とも話さない。その行動から『薄氷』と揶揄されようが、本人の許可無しに活動しているファンクラブとやらにも一切興味ない。孤独、そう言われても仕方がないだろう。

 何せ、舞川鈴奈はこの島に来た瞬間から孤独なのだ。それが辛いわけでもない。

 これでいい。これがいい。居ても邪魔なモノは募る必要性すらない。

 鈴奈は再度、ストラップを目の前でぶらぶらと揺らす。


「……序列七位とその妹、か。ふふ、仲良くしがいがあるわ」


 数秒だけ、厚い雲が太陽を隠し、鈴奈の顔は影によって覆われる。

 その数秒、彼女がどのような表情をしていたのかは誰にも分からない。

 雲が晴れ、無表情で空を見上げる鈴奈は、屋上へ上がってくる足音を聞いた。

 ……いつもは誰も来ないのに珍しいこともあるのね。

 なら場所を譲ろうとフェンスから背を離すと同時に開かれた扉から現れたのは、ぜえぜえはあはあと息を荒げる序列第七位木葉詠真だった。


「あら、木葉クン」

「舞川か! 扉開かないように凍らせてくれ! 早く!」


 ☆ ☆ ☆


 木葉詠真は追いかけられていた。 

 誰に? 舞川鈴奈ファンクラブにである。

 発端は新聞の隅に記載されたデート云々に関する一言なのは言わずもがな。

 押し寄せる男女先輩後輩入り乱れる大群から逃げる為に詠真が駆け込んだのは、普段は誰も使用していない屋上だ。だが階段を上がっている途中で発見されてしまい、反転することも出来ず袋のネズミになりかけた窮地を救ったのは、皮肉にも舞川鈴奈だった。

 突然の頼みに迅速な対応を見せた鈴奈によって屋上の扉は氷で完全ロックされ、覆われた氷を砕かなければ扉は開かない。詠真は一先ずの安息に胸を撫で下ろした。

 その場にへたり込み、あがった息を整える。

 何事かと近付いてきた鈴奈は状況を察したようで、扉を覆う氷を手の甲でコンコンと叩きながら短くため息を吐いた。


「賑やかね、相変わらず」

「まあ、こうなるだろうとは思ってたさ」

「既視感のあるセリフね。分かってて対策を怠ったの?」

「対策すら叩き潰すのが君のファンクラブですよ」

「それは優秀ね。私が直々に統括しようかしら」

「もうちょっと心込めて言い直せ。それで俺の安寧は守られる」

「嫌よ。興味ないもの」

「知ってた」


 大方息が整ってきた詠真はごろんと寝転がり、制服のポケットからもぞもぞと惣菜パンを二つ取り出した。形は酷く潰れているが、昼飯を食べようと思った矢先に襲撃された為、パンを守り切れただけでもマシと言えるだろう。


「パン? 貴方なら英奈ちゃんのお手製弁当でも持ってきてると思ってたわ」

「あるよお手製弁当。でもどうせなら放課後食ってから試合に望もうかと」

「ゲン担ぎみたいな?」

「今朝死ぬほど担いだけどな」


 詠真は寝転んだままパンを一つ開けてかぶりつく。むしゃむしゃと咀嚼しながら、


「舞川はもう食ったのか?」

「いいえ、私はお昼食べないの」

「そんなんじゃ力出ねえぞ」

「貴方が頑張ってくれればいいのよ」

「うわ、人任せ。ダメだ、ほらこれだけでも食え」


 もう一つのパンを差し出すと、鈴奈は詠真の隣にしゃがみ込んでパンを受け取った。


「えらく素直だな」

「私、こういうのあんまり食べたことないのよね。基本は自分で作るから」

「へえ、料理できるんだな。しかしパンツ見えてるぞ。パンが二つ、パンツだけに」

「えい」

「すまん!」


 あげたパンで顔面を叩かれた詠真は素直に謝罪をしつつ、


「いいからとりあえず食え。俺は弁当があるし今朝死ぬほど食った」

「……じゃあお言葉に甘えようかしら」


 足を崩しスカートを踏むようにして座り込んだ鈴奈は、いただきますと手を合わせてからパンを少しずつ食べ始める。わざわざ惣菜パンの感想を聞く気も言う気もない二人は特に言葉を交わさず、緩やかに流れていく時間に身を任せる。

 ふと、鈴奈が呟いた。


「こんなお昼なら。悪くないかもね」

「いつもここで?」

「ええ。下に居てもうるさいし」

「オブラートに包まなくなったな」

「オブラートはすぐ溶けるのよ。木葉クンにとっての私の氷みたいにね」

「まあ『薄氷』だしな。案外簡単に友達になれてびっくりだ」

「そもそも友達なんて簡単になるものじゃない? 互いがそう思えば」

「かもな。まあ俺らは立場っつーの? 似てるし、話くらいは合うんじゃないか」

「……立場、ね。どうかしら?」


 その言葉に含みを感じた詠真だが、それが何なのかは分からない。彼女とて分からせる気がないのだろう、そう伝わってきた。

 舞川鈴奈は私生活が不明なことでも有名だ。あの新聞部が手を焼くほどに。それは彼女が置かれている『立場』が関係しているのかもしれない。がやはり、出来たばかりの友達の懐にずかずか入っていくのはマナー違反だろう。

 親しき仲にも礼儀あり。礼節は守るべきだ。


「クラスメイトで、同じ序列取得者で、友達で。それだけありゃいいだろ」

「なに? もしかして気を遣ってくれてるの?」


 イタズラっぽく笑う鈴奈はとも魅力的で、詠真は思わず視線を外してしまう。


「木葉クンって、意外と照れ屋さんよね」

「うるさいな、もう。少し溶かしすぎたか」

「少しも何も、薄いって言ったのは貴方よ」


 詠真は最後に何か言い返してやろうと身を起こしたが、そこで昼休み終了の鐘。興を削がれたような気持ちになって言い返す言葉も忘れてしまった。

 立ち上がった鈴奈はスカートを軽く叩き、扉を覆っていた氷を爪先で小突くと、分厚い氷は水も残さず綺麗に消え去った。


「賑やかな人達も居なくなったし、戻りましょうか。あ、パンありがとう。お礼に今度私も何か御馳走するわね」

「そりゃ楽しみだ。まあ英奈の手料理より美味い飯は存在しないけどな」

「貴方の常識が覆る瞬間が楽しみで仕方ないわ」


    3


 放課後、詠真と鈴奈は生徒会室を訪れていた。

 これから向かう交流試合に際して渡しておくものがあるとして呼び出されたのだが、呼び出した本人である生徒会長雨宮滴は何やらご機嫌な様子でニコニコと笑っている。

 聞かずとも分かる。先日のデートの件、それが上手く働いたのだと知って、二人の気も知らず一人勝手に上機嫌に浸っているのだ。

 とは言え、二人にとってもマイナスな経験ではなく、むしろプラスと言えるだろう。

 それでもニコニコスマイルには少し腹が立つ。そんな気持ちを抑えて、詠真は会長の机に並べられた小さな補聴器のような機械を手に取った。


「これは?」

「それはお二人に貸し出す小型通信機です。付けてみてください」


 鈴奈ももう一つを手に取り、二人は通信機を耳に装着する。少し頭を振ってみるが外れる様子はなく、激しい動きをしても大丈夫なようだ。


「既にその二機を同期していますので、一つだけ付いているボタンを押してみてください。もし不調があれば取り急ぎ別の物をご用意しますから」


 カチッとボタンを押すと、僅かなノイズ音があったがすぐに消え、


「あー、あー。どうだ舞川」

「異常なし。クリアだわ」

「回線は常時繋がっていますので、音を送信したい場合にスイッチを押してください。再度押せば送信は切れます。いちおう丈夫に出来ていますが壊さないように。学校の備品ですので少しは注意してくださいね」


 不調がないことを確認し、二人は送信を切断する。

 場所は競技場のように狭いステージではなく、居住区まるまる一つ。更にタッグバトルともなれば互いの状況をリアルタイムで共有することが重要になってくる。

 二人はタッグバトル形式が初めてで見落としているだろうと考えた滴の配慮である。


「では最後に、対戦相手の情報が判明している場合は本来なら事前情報として通達することが許されているのですが、今回はあえて伏せておこうと思います」

「人をイジメるのが好きだな生徒会長は……」

「その上で勝利してみせろ、ってことじゃないの?」

「その通りです舞川さん。交流試合の主目的は『能力の長所と短所の公開』ですが、だからと言って負けていいということではありません。やるからには勝て。それが学園長の方針であり、学園の総意でもあります。学園が誇る序列取得者を出す以上、学園の威信に賭けて、何より貴方達のメンツの為にも、勝利は絶対です」


 流石は生徒会長と言うべきか。学園長の代弁者として、ひいては学園の代表として、学園の『誇り』である生徒を送り出す彼女の言葉には唯一無二の力強さ──強いて言うならば、プレッシャーをかけつつも強く揺るがない『自信』を与えてくれる力があった。

 これまで彼女の言葉で試合に送り出された生徒は皆、これを感じていただろう。

 ──負ける気がしない、と。

 無論、それでも敗北した者はいる。だが彼女ならば、負けたことを責めたりせず「よく頑張りましたね」と微笑んだに違いない。そういう人だからこそ、彼女は柊学園を代表する唯一の『生徒会長』に選ばれたのだ。

 詠真は軽く鼻を鳴らし、カバンを持って背を向ける。


「交流試合の主目的を軽んじる気はない。けど、そもそも序列取得者である俺達は主目的より『勝利』にしか興味はないよ。バシっと勝って、恥ずかしいけど新聞部に格好良く記事にされることにするさ」

「頼り甲斐のある七位様ね。一五位は足手まといにならないよう頑張るわ」


 鈴奈も後に続き、その背中へ滴が最後の言葉をかける。


「では、いってらっしゃいませ。私は関係者の一人として、お二人のご活躍を別所から中継カメラ越しに見守っていますので」


 バタンと扉が閉められ、一人になった生徒会室で滴は誰にかけるでもなく呟いた。


「何かが起こる……そんな予感がします。いちおう『客』の様子には注意しましょうか」

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